星空の戦い
三本の尾が持ち上がる。青い炎が膨らむ。
だめだ。逃げられない。凍った右肩が重くて、体が動かない。
――しゅんっ。
風が横から吹いた。
と思った瞬間、俺の体は月菜の腕の中にあった。景色が横に溶けて流れる。加速だ。月菜が加速で突っ込んできて、俺をかっさらったのだ。
「うわわわわとまれないとまれない、とまれ、とまれーっ!」
止まれなかった(知ってた)。俺たちはまとめて鳥居の外まで滑り抜けて、石段の手前の茂みに突っ込んだ。葉っぱまみれで、二人して転がる。
「い、いたた……ルナちゃん、無事!? 生きてる!?」
「いきてる……くさのあじがする……」
途端に肩が軽くなる。
見ると、右肩を覆っていた霜がしゅわしゅわと溶けて消えていくところだった。境内の外。霜の張っていない場所まで来たら氷が保てないらしい。腕もちゃんと動く。
「よかった!氷が消えた……! ルナちゃん、腕痛くない?動く?」
「うごくよ。……痺れてるけど……」
言いかけて、体から力が抜けた。
凍っていた右半身がじんじんと熱い。寒いのに熱い。変な感じだった。目の奥がぐらぐらして、まぶたが重い。ぺたん、と月菜の膝に頭から倒れ込んでしまった。
「ル、ルナちゃん!?」
「……だいじょうぶ。ちょっと、でんちがきれちゃっただけ……」
「電池って!」
「うさぎさんの、でんち……」
「切れちゃだめ! ルナちゃーん!」
うさ耳フードの中で、俺はぐったりと月菜の膝に沈んだ。あったかいし、柔らかい。もうちょっとだけこのままでいたい。
……いや、だめだ。俺は男だ。そして今は戦いの最中だ。でも動けない。不可抗力。これは不可抗力だよ。
*
どれくらいそうしていただろう。
月菜の膝の上で少しずつ息を整えながら、俺たちは茂みの陰から境内を見ていた。
青い鳥は、追ってこなかった。
青い炎の鳥は、境内の上をゆっくり、ゆっくりと旋回していた。
時々、社務所の窓を金色の目で覗き込む。
「……ねえ、ルナちゃん。あの子」
「うん」
「あの子、巫女さんを、探してるんだよ」
もう、ここにはいない先代の巫女さん。とっくにご奉仕をやめて、どこかへ行ってしまった人。それを、あの子はまだ探している。よく見えない目で、いつまでも、いつまでも。
山を凍らせていたのは、ただあの子の「会いたい」が冷たくあふれて、夜の山に降り積もっていただけなのかもしれない。
月菜は黙っていた。
膝の上の俺から、そっと境内の鳥へと視線を移す。
「ルナちゃん。ここで待っててね」
「……おねえちゃん?」
「あの子、終わらせてあげなきゃ。ずっと探してるの、つらいよ。見つからないってわかってるのに探すの、一番つらいよ」
月菜は俺をそっと茂みの陰に座らせ直して、立ち上がった。
杖を握って、境内を見据える。
「だめ! あぶないよ! ひとりじゃだめだよ!」
「大丈夫!」
振り返った月菜は、笑っていた。
「わたしね、気づいちゃったんだ。あの子、わたしたちを見つけるとき、いつも一回止まるの」
「……とまる?」
「目がね、きゅってなるの。ぼんやりの目で、がんばって、ぴんと合わせる瞬間。あの一瞬だけ、あの子の動きが止まるの」
言われて思い出した。金色の目の瞳孔が、きゅう、と絞られた。あの時、確かに動きが止まっていた。
「よく見えないから、いっしょうけんめい見ようとする。その瞬間だけは、ばらばらに逃げられない。……だから、見てもらうの。わたしを、ちゃんと」
月菜は杖にまたがって、ふわりと浮いた。それから、にっと笑って親指を立てる。
「見ててね! お姉ちゃん、かっこいいとこ見せちゃうから!」
「……うん! おねえちゃん、がんばれ!」
「よーし! いってきまーす!」
*
夜空に、月菜が舞い上がった。
杖の宝石から光の粒がほどけて、月菜のまわりを包む。飛んだ軌跡に淡い光の帯を引いた。
青い鳥のひとつ目が、ぎょろりと動く。侵入者に気づいた青い炎から火の玉が撃ち出された。一発、二発、三発。
月菜は止まらなかった。
しゅんっ。
空中で月菜の姿が横に流れた。加速だ。月菜の体が夜空を一筋、滑っていく。火の玉が当たらない。
俺は茂みの陰から、それを見上げていた。
きれいだった。
加速のたびに光の粒が尾を引く。右へしゅん。左へしゅん。動くたびに軌跡が夜空に描き足されて、銀色の線がくるくると星座みたいにつながっていく。まるで流れ星が夜空で遊んでいるようだった。
「がんばれ……! おねえちゃん、がんばれ……!」
うさ耳フードをぎゅっと握って、俺は小さな声で応援した。俺にはそれしかできない。
青い火の玉の雨と銀の流れ星が、夜空で追いかけっこをする。ふたつの光が交差するたびに火花みたいな粒が散って、凍った山の上に、きらきらと降りそそいだ。
青い鳥の目が月菜を追う。追う。しかし、速すぎて追いつけない。鳥は苛立つように翼を鳴らして、火の玉をばらまいた。
その雨の中を、月菜はまっすぐに突っ込んだ。
距離が詰まる。二十メートル。十メートル。
ひとつ目が、真正面の月菜を捉えて――
瞳孔が、きゅう、と絞られた。
焦点を合わせた。
炎の揺らめきが止まる。
その一瞬。
金色の目に、銀の光をまとった月菜の姿が初めてくっきりと映ったその一瞬に。
「――レイ!!」
杖の先から、ひときわ大きな光があふれた。
温かい光の筋。それは夜空を一直線に走って、青い炎の真ん中を、まっすぐ貫いた。
*
青い鳥は暴れなかった。
最後に翼を大きく広げた。
氷の結晶みたいだった羽が一枚また一枚と、光の粒にほどけていく。
金色のひとつ目が、最後にきょろりと動いた。
最後にもう一度だけ境内を見回す。
探しものは見つからないままだった。
それでも。
ほどけていく光の中で、その目は、ふ、と細くなった。
まるで、笑ったみたいに。
一生懸命見つめた先に大好きな人がいた、あの週末の境内を思い出したみたいに。
青い炎は、金色の光になって夜空へのぼっていった。
凍っていた山の霜が、その光を浴びて、きらきらと溶けていく。
終わったんだ。
初恋のかけらが、月菜の手の中に、ふわりと形を結ぶ。
「……ばいばい」
俺は胸の前で、小さく手を振った。




