お祭りの約束
放課後、廊下の掲示板の前。
俺と月菜は、並んで文化祭の告知ポスターを貼っていた。
「西尾さん、そこ、もうちょい右だと思う」
「あ、うん」
やっぱり、元気がない。それどころか、若干距離をとっている気がする。
画鋲を刺す手も、どこかゆっくりで集中していない様子だった。
俺、何かしたんだろうか。月菜に嫌われること。
昼休みも踊り場には来なかった。
ライラが「たこさんは……?」と心底寂しそうな顔をしていたのを思い出す。あとで翔と潤から、教室で琴美さんとお弁当を食べていたと聞いた。ぼーっとしている様子だったらしい。
ルナには「なんでもない」って笑う。だけど、どう見てもなんでもなくない。
ぺたぺた歩く月菜。
短い返事しかしない月菜。
たこさんを届けに来ない月菜。
わざと距離を取ってくる月菜。
全部、いつもの月菜じゃなかった。ほっとけない。
でも、何て聞けばいいんだろう。
「元気ないけど、どうした?」
そう聞いても、なんでもないよ、と返すのは目に見えている。
ルナにも話さなかったことを、樹に話してくれるとは思えない。
……そういえば。
青い鳥と戦った後、山から帰る途中に言っていたことを思い出す。
『日曜日、お祭りなのに……』
お祭りに行きたいのだろうか?
月城神社のお祭り。毎年この時期に行われる、この街では恒例のお祭り。屋台もたくさん出るし、花火もやっていた気がする。
誘えば、少しは元気が出るだろうか。
そこまで考えて、俺は手を止めた。
……いや、待て。
休みの日に、男女二人で、祭りに行く。
それって。
――デート、じゃないのか。
自分の中に浮かんだ単語に、耳のあたりが熱くなるのを感じる。
いや、違う。深い意味はない。落ち込んでる友達を元気づけたいだけだ。それがただ女子というだけで、たまたま日曜で、たまたま二人なだけで。
そうだ、ライラも誘えばいい。三人なら自然だ。そのほうが変に意識されなくて済む。
そう結論づけて、俺は口を開こうとして。
隣を見た。
月菜が、掲示板の端で、ぽつんとひとりでポスターを押さえている。
うつむいた横顔が、震えているように見えた。
――ああ、もう。
気づけば、口が動いていた。
「あ、あのさ」
「ん?」
月菜が顔を上げる。
言え、言うんだ。このままでいいのか。月菜は何度もルナを助けてくれている。俺だって、月菜に何かしてやりたい。大丈夫。断られても、力になりたいと思う気持ちは伝わるはずだ。
「よかったら……今度の日曜日、お祭り、行かない?」
月菜の手から、画鋲がぽろりと落ちた。
「……え?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「ほら、月城神社の。屋台とか出るらしいし、その、花火も……」
月菜の表情が、ゆっくりと変わっていく。
驚きで丸くなっていた目が、少しずつ輝き始める。
「い、行く! 行きたい!」
月菜が身を乗り出して答える。しかし、
「あっ」
何かを思い出したように急に表情を変える。
嬉しそうだった顔から、すうっと熱が引いていく。
「……やっぱり、なしです」
「え」
「あの、わたし、大丈夫だから。気をつかってくれなくて、いいから」
月菜は、一歩、後ろに下がった。
どうしてそうなる。俺は思わず食い下がった。
「え、気なんてつかってないよ」
「でもさ、でも……」
月菜は指をもじもじと絡めて、うつむいたまま、小さな声で言った。
「樹くん……ライラちゃんのこと、好き、なんじゃないの」
「……え?ライラ?」
俺は固まった。
誰が、誰を。なんでそんなことになっているんだ?
「俺が、ライラを?」
「だ、だって! いつも二人でお話ししてるし! 踊り場で、その……頭! 頭に手、置いてたし!」
「あれを、見てたの?」
「み、見てないもん! ちょっとしか見てないもん!」
見てるんじゃないか。
よりによって、あの"通信状態確認"を見られていたのか。
「あれは違う。そういうのじゃなくて」
「で、でも、頭ぽんぽんって、漫画では好きな人に……」
「あいつの場合はスイカの検品」
「すいか?」
「俺の頭を叩いて、熟れ具合を確認してた」
「樹くんの頭、食べられるの!?スイカ味!?」
「食べられません」
説明になっていない。
でも、本当のことも言えない。
「とにかく、そういうんじゃない」
「……ほんとに?」
「本当に。ライラは違う。強いて言うなら、一緒にいると、保護者みたいな気分になる」
俺は本心を伝えた。
月菜はじっと俺の目を見つめる。
数秒。
それから、ふうっと安心したように息を吐いて――
「……そっか」
「そっかあ! そっかそっか!」
声まで弾んでいる。
「樹くん、ごめんなさい。私、色々勘違いしたみたいで」
たはは、と笑っている。
「もう一つ、聞いていい?」
「ん?」
月菜に顔を向ける。
「なんで、お祭りに誘ってくれるの?」
月菜が頬を赤らめて、上目遣いに聞いてくる。
「……あの、なんか西尾さん、ずっと元気なくて、その」
うまく言葉にならない。俺自身がこの気持ちに戸惑っているというのに、説明しろというのが無理だ。
だから、思ったままのことを口にする。一番、俺が思っていたことを。
「西尾さんには、いつも笑っていてほしいって、そう思った……から」
そう言うと、月菜は大きな目をさらに大きく見開く。
ぽろり、と。目から涙が落ちる。
「西尾さん!?ごめん、俺何か変なこと言った!?」
「ち、違うの、ごめんなさい、嬉しいの」
月菜は慌てて後ろを向く。
ハンカチで拭くと、いつも通りの月菜だった。
「えへへ。さあ、お仕事頑張ろ!」
ぴょこん、と画鋲を拾い上げると、鼻歌まじりにポスターを貼り始めた。
さっきまでの、ぺたぺた歩きはどこへやら。
俺との距離も、いつのまにか元に戻っていた。
「じゃあ日曜日! 約束だからね!」
「うん」
「何時に行く? どこで待ち合わせる? 屋台は何から回る?」
「お、落ち着いて。一個ずつ」
「りんご飴は絶対食べたい! あと金魚すくい! 樹くん、得意?」
「金魚すくい、そういえばやったことないなあ」
「じゃあわたしが教えてあげる! 樹くん、金魚すくい係ね!」
「係なの!?」
夕暮れの廊下に、月菜の笑い声が響く。
*
ポスターの最後の一枚を貼り終えて、俺は画鋲の箱の蓋を閉めた。
それから、少し迷って、口を開いた。
「……西尾さん」
「はい?」
「連絡先、交換しない?」
月菜が、ぴたりと止まった。
「当日、待ち合わせとか、決めなきゃだし。連絡し合えたほうがいいと思う」
自分でも、言い訳がましいと思った。
実際、それだけの理由じゃないのは、俺もわかっている。
「嫌なら、別に」
「い、嫌じゃない! 連絡、大事です!」
月菜は慌ててスカートのポケットからスマホを取り出そうとして、一度落としかけて、両手でお手玉みたいに掴み直した。
「わ、わ、待って、今、出すから、待って」
「ゆっくりで大丈夫だよ。落ち着いて」
月菜はQRコードが表示されたスマホを俺に差し出す。
俺は自分のスマホでちょんと読み取る。
"西尾月菜"
俺のスマホに、月菜の連絡先が登録された。
なんだろう、この気持ち。ちょっとそわそわする。
月菜のほうは、画面をじっと見つめたまま、動かなくなっている。
「西尾さん?」
「……入った」
「うまくできた?」
「樹くんが、入った……」
スマホを両手で持って、胸の前でぎゅっと抱えている。
夕日のせいだけじゃない赤さで、耳まで染まっていた。
「……あの、樹くん」
「ん」
「今日、送っても、いい? その、待ち合わせのこと」
「うん。大丈夫だよ」
「や、やったぁ……」
月菜は、その場でくるりと半回転して、それから慌てて咳払いをした。誰も見ていないと思ったんだろうけど、俺は見ていた。
その夜。
風呂から上がってスマホを見ると、通知がひとつ増えていた。
『今日はありがとう! 日曜日、絶対お祭り行こうね!』
そのあとに、ぺこりとお辞儀するうさぎのスタンプ。
少し間があって、もうひとつ。
『金魚すくい係さん、よろしくね』
俺は、なんて返すか少し迷って、結局『了解。お祭り、楽しみだね』と送った。
すぐに既読になった。……早いな。
そう思っていると、画面にまた通知が浮かぶ。
『えへへ、私もです』
文字だけ。
それだけなのに。
気づけば俺も、小さく笑っていた。




