青い炎
その夜の月は、やけに大きかった。
まんまるの満月。空気が澄んでいるせいか、いつもより近くに見える。最近、月がやたらと大きい気がする。俺の気のせいか?
月菜の部屋に着いて、いつもどおり着替えを待って、二人で夜の散歩に出た。かけらの気配は、まだ感じない。だから今夜はのんびり、住宅街をぶらぶら歩く。
……はずだったんだけど。
「おねえちゃん」
「ん? なあに?」
「きょう、げんきない?」
「え!? そんなことないよ! ほら、元気元気!」
月菜が両腕をぐっと曲げてポーズを作った。作ったけど、すぐに萎れてしまう。歩き方も、心なしかぺたぺたしている。いつもはもっと、ぴょこぴょこしてるのに。
「なんかあった?」
「ううん! なんにも! なんにもないよ!いつもの月菜お姉ちゃんです」
これは空元気というやつではないか?きっと何かあったんだろう。俺は隣を歩きながら、そっと月菜の顔を見上げた。こういう時、なんて声をかければいいのかわからない。
「あのね、ルナちゃん」
「うん」
「……ううん。やっぱり、なんでもない!」
何かあったかもう少し聞くべきなんだろうか。でも、月菜がなんでもないって言うなら、今は聞かないでおこう。本当は気になる。ものすごく気になるけど。
遠くで、青い炎が見えた。錯覚だろうがそう感じる。
あの粘ついた気配。遠い。すごく遠い。でも、でかくて重い。今までのグリフォンともユニコーンとも、桁が違う感じの、とてつもない気配。
「……いる」
「え!?」
「とおく! すっごくとおく! でも、おっきい!」
俺が指差したのは、町はずれの山だった。
場所は、月城神社のあたりだろう。確かこの時期、お祭りをするはずだ。俺も子供の頃家族で行っていたっけ。月菜は、きゅっと口を結んで、杖を握り直す。魔法少女モードに切り替えたようだ。こういう時の切り替えは本当に早い。
「よし、行こう! ルナちゃん、加速と杖、どっちがいい!?」
「……かそくって、この前の、あれ?」
「うん! おんぶで、しゅんって!」
「つえ! つえがいい! ぜったいつえ!」
「即答!?」
「もうおふろはやだもん!」
月菜は「えー、加速も速いのになあ」と不満げだったが、乗せられる側の意見は尊重してほしい。
*
杖に二人乗りして、山へ向かった。
夜空を滑りながら、だんだんと違和感が増えていく。
「……おねえちゃん、さむくない?」
「寒い! なんで!? 秋ってこんなだっけ!?」
息が白い。山に近づくほど、夜気がきんと張り詰めて、剥き出しの頬がぴりぴりしてくる。俺は月菜の背中にぴったりくっついて風をよけた。ここだけはあったかい。
そして、山の上空に差しかかって、俺たちは息をのんだ。
山が白かった。
緑のはずの森が、まるごと冬に閉じ込められたみたいに、しんと白く光っている。
「なに、これ……山が、凍ってる」
「さむいの、これのせいだ……」
ぴいいいいぃぃぃん――
高くて細い音が、夜空を裂いた。同時に、境内のほうから青白い光がちかちかと明滅する。
「すごい音と光……あの子だね!」
月菜が杖の高度を下げて、境内の上へ、そっと回り込む。
凍った鳥居の向こう。
それは、いた。
巨大な青い炎の鳥だった。
全身が青白い炎でできていて、燃えているのに、熱の代わりに冷気がゆらゆらと立ちのぼっている。
そして顔には目がひとつしかなかった。額の真ん中に、大きな金色の目が、ひとつだけ。
その目が、ぎょろり、とこちらを向いた。
どん、と見えない何かに押されたみたいに、杖がぐらりと揺れた。魔力、なんだと思う。
あの鳥から立ちのぼる力の気配が、桁違いだった。本能で感じる。
あれはだめ。
「……っ、」
月菜が、杖の上で固まっていた。
杖を握る手が、小さく震えている。
「お、おねえちゃん」
「……なんか、あの子」
月菜の声が、かすれていた。
「今までの子と、ぜんぜん、違う」
青い炎の鳥は、まだ、襲ってこない。ただ静かに、境内の上で羽ばたいて、俺たちを見ている。
睨み合いが続く。
どれくらいの時間が経っただろう。
先に動いたのは、フェニックスだった。
三本の尾がゆらりと持ち上がって、青い炎がぶわりと膨らんだ。
「――シールド!」
月菜が叫ぶのと、青い火の玉が飛んでくるのが、ほぼ同時だった。
どぉん、と鈍い音がして、シールドが震える。火の玉はドームの表面で弾けて飛び散った。
飛び散った炎が触れた場所から、ぱきぱきぱき、と音を立てて、白い霜が広がっていく。木の枝が凍る。石畳が凍る。
「も、燃えないで、凍るの!?」
「さむいほのおだ! へんなの!」
「変とか言っちゃだめ! ……いや変だけど!」
二発目、三発目。青い火の玉が続けざまに飛んでくる。月菜はシールドで防ぎながら、杖を旋回させて距離を取った。
「よーし、こっちも反撃! レイっ!」
温かい光の筋が、まっすぐフェニックスへ伸びた。
当たる――と思った瞬間、フェニックスの体が、ふ、と炎ごとほどけた。
散った火の粒は、少し離れた宙で、また鳥の形に集まる。
「す、すり抜けた!?」
「からだ、ばらばらになった! ずるい!」
「ずるい! それはずるいよ!」
実体が、ないのか。それとも炎そのものが体なのか。とにかくレイが効かない。俺たちの攻撃手段、ひとつしかないのに。
フェニックスのひとつ目が、また細くなった。
翼を大きく広げて、ばさり、とひと羽ばたき。
冷気の波が、押し寄せた。
「わっ、わっ、わ!」
見えない冷たい風が、どっと杖ごと二人を押し流す。髪が凍りそうに冷たい。まつげの先まで、ぴりぴりする。月菜が必死に杖を立て直したけれど、気づけば周りの空気そのものが、白くきらきらと凍り始めていた。
「て、手が、かじかんできた……!」
「おねえちゃん、はな、あかい! トナカイさんみたい!」
「ルナちゃんもだよ!? 二人でトナカイだよ!?」
笑ってる場合じゃなかった。まずいのは、月菜の指だ。杖を握る手が、寒さでずっと震えている。杖の動きもぎこちなく、飛行が不安定だ。
うう……き、気持ち悪い。このままじゃ、避けるのも、防ぐのも、間に合わなくなる。
「一回、降りよう! 木のかげ!」
月菜が高度を下げて、境内のはずれ、凍った木立の陰に滑り込んだ。着地して、二人で幹の後ろに身を寄せる。地面が霜で真っ白で、しゃがんだだけでお尻から冷気が染みてきた。
「さ、作戦、作戦を考えます」
「うん!」
「……」
「……」
「おねえちゃん?」
「……寒くて、なんにも浮かばない!」
月菜が涙目で叫んだ。俺も、正直同じだった。
レイは効かない。すり抜ける。近づけば凍る。相手は空を自在に飛ぶから、ユニコーンの時みたいに地形で罠を張ることもできない。
「ルナちゃん、あの作戦は? ほら、まっすぐさんはとまれない、みたいなやつ!」
「あのこ、まっすぐじゃないもん! ばらばらになるもん!」
「ばらばらさんはとまらない……だめだ、対策になってない!」
ぴいいいいぃぃぃん――
頭の上で、あの音が鳴った。
見上げると、木立の隙間から、金色のひとつ目がこちらを覗き込んでいた。こいつ、俺たちを見つけるのが異様に速い。
「〜〜〜っ、シールド!」
青いドームが展開した直後、火の玉が三連続で降ってきた。どん、どん、どん。ドームが軋んで、表面に細かいひびみたいな光が走る。押されてる。防ぎきれていない。
「おねえちゃん、シールド、われちゃう!」
「〜〜だ、脱出ーっ!」
月菜が俺を抱えて杖に飛び乗った。シールドが解けると同時に、木立を飛び出して、夜空へ全速力。背後で、さっきまでいた場所の木が、根元まで真っ白に凍りつくのが見えた。
青い鳥は、追ってこなかった。
境内の上空まで戻ると、そこでぴたりと止まって、三本の尾をゆらゆらさせながら、こちらを見ている。
山を離れて、ようやく空気がぬるくなった。二人とも、しばらく無言だった。
「……ルナちゃん」
「うん」
「わたしたち、完敗というやつでは」
「かんぱいだった……なんにも、できなかった……」
月菜が、はあ、と白い息を吐いた。悔しそうで、かじかんだ手を何度もにぎにぎしている。
「強かったね、あの子」
「うん。つよかった」
「……でも」
月菜は振り返って、遠ざかる白い山を見た。
「あのままにしてたら、お山、ぜんぶ凍っちゃう。今度の日曜日、お祭りなのに」
お祭り。その言葉に、月菜の目が少し暗くなる。何か思い出したような、ちょっと複雑な顔。でもすぐに、きゅっと前を向く。
「作戦、考えなきゃ。絶対、なんとかしなきゃね」
「うん!」
明日、ライラに相談してみよう。今の戦いも見ていたはずだ。
帰り道の空は、行きよりずっと冷たかった。
満月だけが、やたらと大きく、白く光っていた。




