たった一拍の勘違い
次の日の休み時間、月菜は友達の琴美と話していた。
「そういえば、月菜。今度の日曜、月城神社のお祭りがあるわね」
「え、お祭り!?」
「そ。山の上の。毎年屋台もいっぱい出るわ」
お祭り。屋台。夜店の明かり。
月菜の頭の中で、ぱぱぱっと絵が広がった。りんご飴を持ったわたし。金魚すくいをする樹くん。並んで歩く、二人。
――さ、誘っちゃう?
誘っちゃう? いやでも、お祭りだよ? お祭りに誘うのって、それってもう、それってもうじゃない!?
でも、最近のわたしは違う。会話も続くようになってきたし、お昼も毎日一緒だし、水やり係の講義だって最後まで聞いてもらえた。いける。いけるはず。今のわたしなら!
「月菜、なんか百面相してるけど大丈夫?」
「だ、大丈夫! ちょっと作戦会議してただけ!」
「誰と!?」
わたしは、ぐっと拳を握って立ち上がった。目指すは樹くんの席。今日のわたしは、ひと味違うのだ。
*
樹くんは、席にいなかった。
きょろきょろ探すと、廊下側の窓のところに見つけた。……ライラちゃんと、一緒だった。
「だからね、樹。きょうの購買、新作のパンが出る」
「へえ」
「メロンパンの中に、焼きそばが入ってるらしい」
「なんで?」
「わたしも問いたい。だから、確かめなきゃいけない」
「別にいけなくはないだろ」
「いけない。これは使命」
ライラちゃんが、樹くんの袖をくいくい引っ張っている。樹くんは呆れたような顔で、でもちょっと笑いながら、何か言い返している。楽しそう、だった。
わたしは、廊下の途中で、足が止まった。
……そういえば。
最近、よく見る。樹くんとライラちゃんが、二人で話しているところ。廊下の窓のところとか、踊り場とか、昇降口とか。わたしの知らないところで、二人はいつの間にか、あんなに仲良しになっていた。
いつも無表情のライラちゃんが、樹くんの前だと、ちょっとだけ表情がゆるんでる気がする。樹くんも、わたしと話す時よりも、ずっと自然な顔で笑ってる、気がする。
――もしかして。
もしかして、二人って……付き合ってる、のかな。
考えた瞬間、胸の真ん中が、すうっと冷たくなった。
握っていた拳から、力が抜けていく。お祭り。りんご飴。並んで歩く二人。さっきまで頭の中できらきらしていた絵が、しゅるしゅるとしぼんで消えた。
「……や、やめとこ」
わたしは、くるりと回れ右をして、自分の席に戻った。
机につっぷす。
「月菜、どうしたの!? さっきまで謎に燃えてたのに!」
「祭りの妖精はもう死にました……」
「早くない⁈」
※
放課後の教室は、部活へ向かう連中と居残り組でまだ半分ほど埋まっていた。
俺は帰り支度をしながら、机に腰かけた友人二人の話を、なんとなく聞き流していた。潤と翔とは中学からの付き合いだ。二人とも外見がよく、性格も良い。一人になりがちな俺を気にかけてくれるやつらである。
「で、結局さ。誰が一番かわいいって話よ」
「翔はいつもその話だな」
「大事だろ。人生で」
どうでもいい会話だった。俺は鞄のファスナーを閉じる。
「樹はどうなんだよ」
ふいに、話がこっちへ飛んできた。
「なに」
「好きなやつ、いんのかって話」
――朝と帰り、挨拶してくる時の緊張した顔。
水やり係の講義をする、やけに真面目な顔。
魔法がうまくいった時の嬉しそうな顔。
考える前に、それが全部、一息に頭の中を通り過ぎていった。
「……いないよ」
答えるまでに、たぶん、一拍か二拍。
自分では、いつもどおりに返したつもりだった。
「え」
「は?」
二人が、同時に身を乗り出した。
「樹、いつの間に」
「え、なんのこと?」
「好きな人、いるんだろ?」
「おめでとう樹。俺、普通に嬉しいわ」
「いないよ!勘違いしてる」
「嘘つくなって。顔がいるって言ってるよ」
俺は自分の頬に手をやりかけて、途中でやめた。触ったら負けな気がした。
「……質問の意味を考えてただけ」
「苦しい言い訳だぞ」
「誰だよ、なあ、誰なんだよ」
顔を寄せてくる二人を、俺は片手で軽く押し返した。
「いないよ。帰る」
「逃げた!」
「絶対いるじゃん今の!」
背中で騒ぐ声には、何も返さなかった。
鞄を肩にかけて、俺は教室を出る。
……あんな一瞬で、あの子のことを思い浮かべた自分に、いちばん驚いていた。
*
その頃、廊下では。
わたしは、教室に忘れた水筒を取りに戻る途中だった。
扉の手前で、中から聞こえてきた声に、足が止まった。
――好きなやつ、いんのかって話。
心臓が、どきりと鳴った。
いけない。聞いちゃいけない。そう思うのに、足が動かない。
……いないよ、と樹くんの声がした。
でも、その前に、ほんの少しだけ、間があった。
「いないよ。帰る」
「逃げた!」
「絶対いるじゃん今の!」
わたしは、水筒のことをすっかり忘れて、壁に張りついていた。
いる、んだ。
樹くんに、好きな人。
じゃあ、それって。
――だからね、樹。きょうの購買、新作のパンが出る。
袖をくいくい引っ張る、細い指。ちょっとだけゆるんだ、ライラちゃんの表情。わたしと話す時よりずっと自然に笑う、樹くんの顔。
全部、ぱちん、と繋がってしまった。
そっか。
そっか、そうだよね。
わたしは、そーっと、抜き足差し足で扉から離れた。
水筒は、明日でいい。
廊下の窓から、夕方の空が見えた。うっすら白い月が、もう出ている。
「……お祭り、行けたら、楽しかったなあ」
誰にも聞こえない声で呟いて、わたしは、とぼとぼと昇降口へ向かった。




