月夜を纏うスニーカー
その夜の月は、やけに大きかった。
空気が澄んでいるせいか、いつもの満月より距離が近い。ルナになった俺は、月菜の家へ向かう道すがら、その圧を感じるほど明るい月を見上げていた。
例のごとくライラに浮かされて運ばれ、月菜の部屋で待つことしばし。
「お待たせ! ……ふふん、今日は着替え、早かったでしょ」
「はやかった! おねえちゃん、せいちょうした!」
「ふっふっふ、慣れというやつです」
新衣装の月菜が得意げに胸を張る。今夜、かけらの気配はまだない。ならば、やることはひとつだ。
「じゃあきょうも、れんしゅうする?」
「する! 実はね、また新しいの、来てる気がするんだよね」
「あたらしいの?」
「うん。ユニコーンさんのあと、なんかね、足がうずうずするの」
月菜が自分のスニーカーの先を見下ろして、言葉どおりに足踏みをした。
*
夜の河川敷。練習にはうってつけの、広くて無人の空間。
「じゃあ、いくよー」
月菜が杖を握り、目を閉じる。宝石がぽうと発光し、こぼれ落ちた光の粒が月菜の足元へ殺到した。粒はスニーカーを包み込み、くるぶしで銀色の泡となって弾ける。まるで足首に小さな星の川を巻いたようだった。
「な、なんか来た。足に来てる!」
「きらきらしてる! かわいい!」
「じゃあ、ちょっと前に――」
月菜が、軽く一歩を踏み出した。
――しゅんっ。
視界から月菜が消えた。
「……おねえちゃん?」
どごしゃあ、と鈍い音が遠くで響く。
五十メートル先。草むらに月菜が頭から突っ込んでいた。足だけを空に突き出し、まるで新種の植物のようになっている。
「おねえちゃーん!?」
必死に駆け寄ると、月菜が草まみれの顔でむくりと起き上がった。
「……はやい。これ、はやいよルナちゃん」
「はやかった! しゅんってした! しゅんって!」
「一歩だよ!? 一歩でここ!?」
ユニコーンのかけらは、どうやら「地面を滑るような超加速」を授けたらしい。ただし、加減というものが一切ない。
「よ、よし、もう一回。今度はそーっと」
月菜が立ち上がり、慎重に、慎重に、つま先をちょんと前に出した。
――しゅんっ。
どぼちゃん。
「おねえちゃんが、かわにおちた!」
浅瀬で水しぶきを上げて立ち上がる月菜。新衣装から水が滝のように滴り落ちている。
「つ、冷たあああい! 新しい服なのにー!」
「だいじょうぶ!? かぜひいちゃう!」
「だ、大丈夫! 気合で乾かします!」
乾くはずもなく。その後、月菜は土手を三回転がり、フェンスに洗濯物のように引っかかった。転ぶたびに「いったーい!」と叫び、即座に「もう一回!」と立ち上がる。本当にめげない人だ。
「……だんだんわかってきた! これ、力むとだめなんだ!」
三十回目。ようやく彼女の動きに「滑る」という風情が宿り始めた。地面すれすれを氷上のように流れていく。銀の軌跡が尾を引き、美しい。……止まる時以外は。
「ルナちゃん! 見て見て、けっこう滑れてきた!」
「すごい! ……とまるの以外は!」
「止まるのはこれから覚えます!」
*
「よし! じゃあ最後、ルナちゃんも一緒に乗ろう!」
「え」
「おんぶ! おんぶで滑ろう! 絶対楽しいよ!」
「えっと、あの、おねえちゃん、とまれないのに?」
「大丈夫大丈夫! さっきコツつかんだから!」
つかんでいない。俺は知っている。直前も草むらに突っ込んでいたことを。
しかし、背中を差し出されれば断れないのがルナの性分だ。俺はおずおずと、彼女の背中におぶさった。
「しゅっぱーつ!」
「や、やさしくね? やさしく――」
――しゅんっ。
「ひゃわああああああ!?」
景色が溶けた。川も、土手も、街灯も、光の線となって引き伸ばされる。風圧でほっぺたが震え、月菜のポニーテールが俺の顔面を容赦なく叩く。
「あっはっはっは! 楽しいねールナちゃん!」
「たのしくない! たのしくないよぉ! きもちわるいぃ!」
「え!? なんて!? 風で聞こえなーい!」
「とめてえええ!」
どっぱあああん。
盛大な水柱が上がる。
「おねえちゃんの、ばかぁ……」
「ごめーん!」
今後俺は月菜の加速に、絶対に関わらないと心に決めた。




