金髪幼女になった夜
鏡の中に、知らない女の子がいた。
金色の巻き毛。まるい瞳。折れそうなくらい細い手首。
その子が、俺と同じタイミングで口を開ける。
「……わたし、おんなのこに、なっちゃってる?」
――どうしてこうなったのか。
話は数時間前にさかのぼる。
*
六時間目の終わりのチャイムが鳴って、担任がだらだらと連絡事項を読み上げていく。
俺は机の下でこっそり時計を見た。あと三分。特に急ぐ用事もないのに早く終わってほしいと思うのは、たぶん高校生なら誰でも同じだと思う。
「――以上。気をつけて帰るように」
教室が一気にざわついた。俺は鞄に教科書を突っ込んで、なるべく目立たないように出口へ向かった。
「あ、樹くん」
背中に、控えめな声がかかった。
振り返ると、西尾月菜が立っていた。クラスで、いや学年の中で有名な美少女だ。
小柄な体を縮めるみたいに、鞄の持ち手を両手できゅっと握っている。少し重めの前髪の奥から、大きな瞳がおずおずと俺を見上げていた。
置いていかれた子犬みたいな子だな、というのが正直な印象だった。
「さ、さようなら」
なぜか噛んだ。しかも自分で気にして、みるみる耳まで赤くなっていく。
俺は一瞬なんて返せばいいのか迷って、それから普通に頷いた。
「うん。さようなら」
ただの挨拶だ。別に特別なことでもなんでもない。それなのにこの子は、なぜ緊張しているのだろう。
月菜はほっとしたような、それでも少し残念そうな顔で頭を下げて、友達のところへ戻っていった。
変な子だな、と思う。いつも律儀に挨拶してくる。俺は首をひねりながら教室を出た。
*
家に帰って、夕食を食べて、宿題を半分くらい片付けたところで、冷蔵庫が空っぽだったのを思い出した。明日の朝、食べるものがない。
時計を見るともう十時近い。パーカーを羽織って、財布とスマホだけポケットに突っ込み、「コンビニ行ってくる」と書斎の扉の外から声をかけた。
夜の住宅街は静かだった。
角を曲がって、小さな公園の脇を通り過ぎようとしたところで足が止まる。
「あれ? 何か――」
視界の端で、何かが光った気がした。
公園の入り口。街灯の外れた暗がりに、人影がある。
制服姿の女の子。うちの高校のブレザーだ。背丈が低く、長い青髪を揺らしている。
誰だったか――そう、たしか少し前に転校してきた、ライラって女の子だ。
「……え?」
その子の指先から、光の粒がこぼれていた。
銀色の砂みたいな粒が糸を引いて宙へ流れ、途中で光る蝶になって、弾けるように消えていく。
「なんだあれ……手品……?」
息をするのも忘れて、俺はそれを見ていた。
女の子がゆっくりと顔を上げて、こちらを見た。
目が合った瞬間、しまったと思ったが、もう遅い。
「……あー」
困ったような、けれど不思議と焦っていない声だった。
「見られちゃったか。仕方ないよね」
彼女はため息をひとつついて、手のひらから細い杖のようなものを引き出した。淡く発光するその先端が、まっすぐこちらへ向けられる。
「動かないで。すぐ終わるから」
逃げなきゃ、と思ったのに足が動かなかった。
杖の先が、ふっと光った。
視界がやわらかく白んで、体の輪郭がほどけていくような感覚がした。
……なんだ、これ。
目を開けて、俺はぎょっとした。
目線が低い。ずっと低い。さっきまで同じくらいだったはずのあの子の顔が、はるか上のほうにある。
肩に、ふわふわしたものが触れた。手で払おうとして、それが自分の髪だと気づく。
指に絡んだ長い巻き髪は、淡く金色に光っていた。指も細くて白くて小さい。まるっきり子供の手だ。
嘘だろ。
思わず声が出そうになって、俺は口を開いた。
「ふぇ……? な、なにこれぇ……」
自分の声じゃなかった。舌足らずで甘くて、まだ幼い女の子の声。
頭の中では「なんだよこれ」と言ったはずなのに、口からこぼれたのはやわらかい別の言葉だった。
パーカーはどこにいった。かわりに袖の膨らんだ、レースのついた見たこともない服が体を包んでいる。
「や、やだぁ……おててが、ちっちゃくなってるよぉ……」
やめてくれ。俺は「なんで俺がこんなことに」と言ったつもりなのに、声はどこまでも甘く舌足らずに響く。
目の前のあの子が、指先で小さな輪を描いた。
輪の中に、銀色の水面みたいなものが浮かび上がる。鏡だ。彼女はそれをそっと下げて、縮んだ俺の顔の高さに合わせてくれた。
「ほら、見て」
こわごわ覗き込んで、俺は――息が止まった。
鏡の向こうに、知らない女の子がいた。
柔らかいウェーブのかかった長い髪、大きなまるい瞳。サイドで大きなリボンが揺れていて、そこに三日月の飾りがついている。
……なんだよ、これ。
鏡の中の女の子が、俺と同じタイミングで口を開けた。同じタイミングで、そろりと自分の頬に手を当てる。小さな指を動かせば、鏡の中の彼女も小さな指を動かした。
俺だ。
この、ちっちゃい女の子が。
「うぅ……わたし、おんなのこに、なっちゃってる……?」
声が震えた。
「うそだぁ……うそだよぉ、こんなの……」
鏡の中の女の子の目に、じわりと涙がにじんだ。
「……困ったな。また失敗。でも、可愛いから成功?」
鏡の向こうで、ライラが小さくつぶやいた。
この日、この時、この夜に、男子高校生である俺は、金髪美幼女になってしまったのである。




