月菜、ライラに餌付けする
数日が経った。
昼休み、俺は教室を出て廊下を歩いていた。
今日はどこで弁当食べようかなんて考えていると、窓際にぽつんと立っているライラを見つけた。いつもみたいに外を眺めているけれど、様子が少し違う。背中が丸まっていて、心なしか、いつもより元気がない。目もどこかうつろだ。
「ライラ」
声をかけても、ゆっくりこちらを向くだけで、反応が薄い。
「……ん」
「どうかしたの?」
「……べつに」
いつも通りの静かな口調。でも口数が少ない気がする。まぶたも半分落ちていて、心ここにあらず、という感じだ。俺が何を言っても、生返事しか返ってこない。
何かあったのか。よくわからないまま、俺は言葉を探しあぐねていた。
静かなライラはいつもとは違う迫力と美しさを纏っている。
通り過ぎる生徒も思わず見てしまうほどに。
そこへ、廊下の向こうから月菜がやってきた。
「あ、樹くん」
俺の名前を呼ぶ。それから隣のライラに気づいて、少し遠慮がちに会釈をする。手には、包に包まれている弁当箱を持っていた。
「えっと、今日ね、一緒に食べてるお友達から、食べれないって言われて。だれと食べようかなって、えっと、考えてて……」
顔を赤ながら話す月菜。
「お弁当?」
ライラの目が、かっと見開かれた。さっきまでの気だるげな空気が嘘みたいに吹き飛んでいる。視線がまっすぐ月菜の手の中の弁当箱に固定されていた。
「……それ」
ライラがお弁当箱を指差す。
「え?」
「お弁当、食べたい」
初対面のはずの相手からの、あまりに唐突な物乞いに、月菜がぱちくりと瞬きした。戸惑ったように俺とライラを見比べる。
「え、えっと……」
「ああ、こいつはライラ。クラスは違うけど、同じ学年」
俺が慌てて間に入ると、月菜は「そうなんだ」と小さく頷いて、それから、ぱっと顔をほころばせた。
「わたし、月菜。西尾月菜です。うん、いいよ、一緒に食べよ!」
月菜は楽しそうに言う。それから、ちらりと俺のほうを見る。
「じゃ、じゃあ、樹くんも、一緒に……?」
「あ、うん。俺も、まだだし」
俺が頷くと、月菜の頬が、ぽっともう1段階赤くなった。どこかぎこちなく、「い、行こっか」と歩き出す。ライラは、まるで匂いに引き寄せられる猫みたいに、月菜の弁当箱のあとをぴったりついていった。
*
適当な空き教室を見つけ、三人で入った。月菜は俺の隣で、ライラは月菜の向かいに座る。
弁当箱の包みを解く。
蓋を開けた瞬間、ライラが、ごくりと喉を鳴らした。
中身は、彩りのいい家庭的な弁当だった。ふっくらした卵焼き、こんがり焼き色のついた唐揚げ、緑のブロッコリー、赤いプチトマト。白いご飯の上に、小さな海苔が可愛く敷いてある。見るからに、丁寧に作られた弁当だった。
「すごいな……」
思わず、俺の口から漏れた。
「え、えへへ、自分で作ったの。朝、ちょっと早起きして。お母さんにも教えてもらって」
月菜は照れくさそうに笑った。耳まで赤くなっている。
ライラの視線は、さっきから一度も弁当箱から動いていない。月菜はそれに気づいて、卵焼きを箸でつまむ。手を下に添えながら、ライラのほうへ差し出した。
「ライラさん、どうぞ」
「……いいの?」
「うん。たくさんあるから」
ライラは、そろそろと口を開けて、卵焼きを食べた。
もぐもぐと噛んで、飲み込んだ瞬間、その表情の乏しい顔が、ふにゃりと溶けた。目尻が下がって、口元が、ほんのわずかにゆるむ。
「……おいしい」
「ほんと? よかったあ」
「すごく、おいしい」
「もっと食べる?」
「食べる」
ライラは、いつもの気だるげな彼女からは想像もつかない勢いで、月菜の差し出す唐揚げを、卵焼きを、次々に食べていった。さっきまで死にそうな顔をしていたのに、みるみる血色が良くなっていく。
月菜は、そんなライラを見て、幸せそうに笑っていた。
「ふふ、なんか、餌付けしてるみたいだね」
「餌付け……」
「あ、ごめん、変な意味じゃなくてっ」
「ううん。餌付け、されたい」
真顔でそう言うライラに、月菜が吹き出した。本当に猫みたいなやつだと思う。
*
それから、しばらく三人で他愛のない話をした。
初対面同士だったはずの月菜とライラは、弁当ひとつで、あっという間に打ち解けていた。「ライラちゃん、いつもお昼どうしてるの」と月菜が聞くと、ライラは「購買。今日は……月菜のお弁当」と答える。「もう毎日、月菜のお弁当がいい」なんて言うものだから、月菜が「毎日は無理だよぉ」と笑って断る。そんなやりとりが、妙にのんびりしていて、心地よかった。
昼休みも終わりに近づいた頃、月菜が、ふと箸を止めた。
弁当箱の中に、唐揚げがひとつ、残っている。月菜はそれをじっと見て、それから、意を決したように顔を上げた。
「あ、あの。樹くん、よかったら、食べますか?」
敬語になっていた。差し出された弁当箱の中の、最後の唐揚げ。
「……いいの?」
「う、うん。ぜひ」
月菜は唐揚げを箸でつまむと、そのまま、そっと俺のほうへ差し出してきた。
え、それ、あーんのやつでは。
月菜の手は、唐揚げをつまんだまま、俺の口の前で止まっている。本人は緊張しきった顔で、耳まで真っ赤で、でも引っ込める気配はない。さっきまで月菜が使っていた箸。それを、俺に差し出している。
断る、という選択肢は、なんとなく、なかった。
ライラも美味しそうに食べている唐揚げ。実は俺も気になっていたのだ。
だけど、あーんというのは思ったよりも強烈だ。
赤くなった月菜がこちらの目を見て、唐揚げを差し出す姿を俺は直視できなかった。
「……い、いただきます」
俺は、観念して口を開けて、唐揚げを食べた。
顔が熱い。絶対、赤くなっている。味なんてわからない、と思ったのに、噛んだ瞬間、じゅわっと肉汁が広がって、下味の生姜と醤油がちゃんと追いかけてきた。
「……うまい」
「ほ、ほんと?」
「うん。すごく」
月菜が、ぱあっと顔を輝かせた。真っ赤なまま、口元を両手で押さえて、「えへ、えへへ」と変な笑い方をしている。俺は俺で、どこを見ればいいのかわからなくて、視線が宙をさまよった。
――と。
視界の端に、ライラがいた。
空になった弁当箱をずっと見ている。無表情のはずのその顔が、心なしか、恨めしそうだった。
「……最後の、唐揚げ」
「ご、ごめんね、ライラちゃん! 明日、また作ってくるから!」
「明日。約束。約束は絶対」
「う、うん、約束!」
ライラは、まだ少しだけ唐揚げの跡地を見つめてから、静かに頷いた。
なんだか、笑える時間だった。
昼休みが、こんなに穏やかに過ぎていくのは、久しぶりな気がした。
※
その日の夜
誰もいない駐車場の隅で、アスファルトのひび割れから、細い光の糸が一本、音もなく染み出した。
糸は月明かりを吸いながらゆっくり束になり、白い獣の輪郭へと形を変えていく。
四本目の脚が地面につく前に、胴の横から五本目、六本目の脚が、ずるり、と生えた。
誰にも気づかれないまま、二体目の「はつこいのかけら」が生まれたのだった。




