君が好きな人は、僕でした
「ちょっ、つきなおねえちゃ、いいのっ?」
「いいのっ! いいから走って!」
俺は引きずられるように、彼女と一緒に昇降口を突っ切って、そのまま校門の外まで駆け出していた。
校門を抜けて、大通りを一本裏に入ったところで、ようやく月菜が足を止めた。二人で膝に手をついて、はぁはぁと息を整える。
「……つきなおねえちゃん、すごい」
「え?」
「こうどう、りょく」
学校で見る大人しそうな月菜からは、絶対に想像できない突破の仕方だった。授業をサボるなんて、あの月菜がやるとは思わなかった。
「わ、わたしも自分でびっくりしてる……!」
月菜は真っ赤な顔で、両手で頬を押さえた。
「でもね、なんかね、ルナちゃんが困ってたから、体が勝手にっ! あとでめっちゃ怒られるかもっ!」
「ご、ごめんね……」
「ううんううん大丈夫! なんか、ちょっと楽しいし!」
月菜は照れ隠しみたいに笑って、それから、俺の手を引き直した。今度はゆっくり歩く速度で。
昼の住宅街はしんとしていた。みんな仕事をしたり、学校に行ったりしているのだろう。学校の外の空気は、いつもより新鮮に感じる。二人で並んで、目的もなく、大通りを歩いていく。時々人とすれ違うが、だれからも何も言われない。
「なんかね、まだ夢みたい」
少し歩いたところで、月菜がぽつりと言った。
「昨日のこと。ぜんぶ。ルナちゃんに会って、魔法使いになって、あの変な鳥さんと戦って」
「それから景色が流れてきて、泣いちゃって。朝起きたら自分の部屋で寝てて、これ、ほんとに起きたことなのかな、って」
「おきたよ。ちゃんと」
「うん。ルナちゃんが今ここにいてくれるから、わかるの」
月菜はふふっと笑って、繋いだ手を少しだけぎゅっとした。
「学校でルナちゃんと出会って、ほんとのことだったんだってわかって」
「そしたら、わぁー!って」
「おねえちゃん?」
「えへへ、月菜お姉ちゃんは、とにかく嬉しいのです」
月菜は笑顔のまま続ける。
「恋の力で魔法が使えるって、ロマンチックだよね」
「ロ、ロマンチック?」
「うん。だって誰かのこと好きだと、力になっちゃうんでしょ? 素敵じゃない、それ」
「そうかも」
「恋の力なら、私、結構強いかもしれないよ?」
それを聞いて。
俺は、なんとなく聞いてしまった。
「つきなおねえちゃんは、すきなひと、いるの?」
月菜はぼん、と真っ赤になった。
しまった。デリカシーのないことを聞いてしまったかもしれない。
「え、ええっ! い、いるけどいるけどっ」
「ご、ごめん、こたえなくていいよ……」
「う、ううん! いいの! いいんだけど、その、ええと」
月菜は繋いでいないほうの手で、ぱたぱたと自分の顔を扇いだ。それから前髪を意味もなく直して、スカートの裾を直して、直すところがなくなって、俺のほうをちらっと見た。
「……だ、だれにも言わない?」
「いわないよ」
「ぜったい?」
「ぜったい」
月菜はすうっと息を吸って、繋いでいないほうの手で口元を覆って、その指の隙間から、消え入りそうな声で言った。ぎゅっと、目を瞑って。
「い、いつきくん、っていうんだけどねっ」
言った瞬間、月菜はきゅうっと肩をすぼめて、繋いだ手をぶんぶん振った。恥ずかしさの行き場が、ぜんぶ手に来ている。俺の小さな腕ごと、ぶんぶん揺らす。
「わーっ、言っちゃった! 初めて人に言っちゃった!」
「は、はじめて?」
「うん! ずっとずっと、ひみつだったの! お友達にも言ったことないのに、なんでだろ、ルナちゃんには言えちゃった!」
月菜は真っ赤なまま、えへへ、と眉を下げて笑った。困ったような、でもどこかほっとしたような、ふにゃふにゃの笑顔だった。
――え。
俺の中の時間が止まる。
いつき、って。
いや、待って。日本中に樹くんなんて何万人もいる。同じ名前の別の人だ、そうに決まってる。俺な訳がない。危なかった、もう少しで痛いやつになるところだった。
「同じクラスの男の子。とっても優しいし、かっこいいんだぁ」
俺は、心臓が止まるかと思った。
……嘘だろ。
それ、俺のことじゃないか。
「……そ、そうなんだ」
なんとか、それだけ返す。
「さっき探してた男の子っていうのが、その人。緊張しちゃって、いつもあんまり話せないんだけどね」
「……ふぅん」
「でもね、ずっといいなって思ってて。前にね、助けてもらったことがあるの」
月菜は、大切な宝物の話をするみたいに笑った。
――ずっと。
いつからなんだろう。
俺は月菜のことを、教室でよく挨拶してくれる子、くらいにしか思っていなかった。
なのに、この子は。
そんな俺を、ずっと見ていてくれた。
胸の奥が、少し苦しくなった。
「あ、あのね、ルナちゃん」
「な、なあに」
「今の、内緒だよ? 誰にも言わないでね?」
「……うん」
「約束!」
差し出された小指に、自分の小さな指を絡める。
しばらく歩いた先、商店街のはずれに、こぢんまりとしたクレープ屋があった。平日の昼間なので誰も並んでいない。月菜がその前で足を止めた。
「あっここのクレープね、美味しいの! ルナちゃん、食べたことある?」
「な、ないよ……」
「じゃあ買っちゃおう!」
「え、いいの?」
「いいのいいの! わたしのおごり! 放課後はすぐ混んじゃうから、なかなか食べられないんだぁ」
月菜はキャッキャと笑いながら、財布を取り出した。俺は結局、月菜にいちごとホイップのクレープを買ってもらってしまった。自分でも同じものを買って、月菜は両手にクレープを持ちながら満足げに戻ってくる。
近くの街路樹の下、小さなベンチに二人で並んで座った。
「ふふ、なんか悪いことしてるみたいだね」
クレープをひとくち食べて、月菜が笑った。
「わるいこと?」
「うん。今みんな授業中でしょ。なのにわたしたちだけクレープ食べてる」
「……ほんとだ。ルナたち、わるいこだねっ」
俺もつられて笑ってしまった。学校の授業を抜け出して、住宅街でクレープを食べている。女子と二人でである。俺の高校生活で、こんな時間があるとは、昨日まで想像もしなかった。
「ん~っ美味しい!」
「……おいしい」
いちごの酸味と、ホイップの甘さ。少し冷たい生地。噛むたびに頭の中がふわふわしていく。
俺は、隣で口の端に生クリームをつけて、幸せそうにクレープを頬張っている月菜を、そっと横目で見た。
この子のこと、俺は何も知らなかった。
学校での月菜は大人しくて、口数も少なくて、顔は整っているけど、正直地味な子だと思っていた。
でも今の月菜が本当の月菜なのかもしれない。魔法に憧れていて、ジャージで戦って。俺を見て「助けたい」
と言って、学校を抜け出して、クレープでキャッキャして。
明るくて素直でまっすぐで、人に寄り添える子。
この子が、俺を、好き。
――いい加減な向き合い方は、したくない。
そう思った。ルナとしても、樹としても。この子のまっすぐな気持ちに、俺はちゃんと正面から向き合わなきゃいけない。俺が、そうしたい。
「ルナちゃん、ほっぺにクリームついてる」
「あっ」
「ほら、拭いてあげるから動かないで」
「じぶんで、ふけるもん……」
「ふふふっ」
月菜は俺の頬のクリームを指ですくって、そのままぺろりと舐めた。あまりに自然な仕草で、俺のほうがどきりとしてしまった。
「ルナちゃん、おいしいね」
「……うん。ありがとう、つきなおねえちゃん」
午後の光が、二人の座るベンチに静かに差していた。




