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まいごの、ちいさな、まほうつかい

窓ガラスにうっすら映る自分の姿は、絵本から抜け出してきた可愛らしい金髪幼女、そのものだった。


「うぅ……ふぇぇ……」


 声が漏れた。鈴を転がすような、甘い声。


「まあ、だいじょうぶ」


「ど、どこがだいじょうぶなのぉ……! らいらちゃぁん……!」


「もうすぐチャイム鳴るから。みんな教室に行く。ちょっと隠れてれば、あとは誰にも見つからないでしょ」


「そんなこと、できるわけ……」


「わたしも授業あるから。じゃあ」


「え、ちょ、ちょっ、まって、まってぇ、らいらちゃぁん……!」


 ライラは軽く手を振って、そのまま踊り場から歩き去っていった。俺の絶叫にも振り返らない。


「もどってきてぇ! おねがい!もどってきてぇ……!」


 チャイムが鳴った。


 俺は反射的に自販機の陰に飛び込んだ。廊下を走る足音、教室に戻る生徒たちのざわめき。息を殺して、ぎゅっと膝を抱える。スカートの裾がひらりと膝の上で揺れて、俺はそれだけで泣きそうになった。ちいさな指で、スカートの縁をぎゅっと握りしめる。


「うぅ、うぅ……」


 しばらくして、廊下が静かになった。授業が始まったらしい。遠くから、先生の声がぼんやりと聞こえてくる。


「……よし。いまのうち、だよね」


 俺は小さく息を吐いて、自販機の陰から顔を出した。ちょこん、と首だけ突き出す。誰もいない。廊下は、日の光の中でしんと静まり返っている。


 とにかく、学校を出るしかない。俺は小さな足音を殺して、廊下を昇降口のほうへとぱたぱた急いだ。革靴じゃない、白い小さな靴が、廊下の板をぺたぺた鳴らす。


 階段を降りて、廊下の角を曲がって、あと少しで昇降口――というところで。


「あ、樹く……」


 後ろから声がした。


 俺は文字通り、飛び上がった。ふわ、っと、実際に少し浮いたと思う。


「ふぁっ」


 変な声が出た。


 視線の先に、月菜がいた。手にプリントの束を持っていて、たぶん、先生に頼まれて職員室にでも行っていた帰りだったのだろう。俺を見て、一瞬「樹くん」と言いかけて、それから声が止まった。


 目が、まん丸に見開かれる。


 次の瞬間、その大きな瞳がぱあっとキラキラ輝いた。


「ルナちゃんっ!!」


「わ、わ、わっ、つきなおねえちゃぁん!」


「ルナちゃん! なんで、なんでここにいるの!?」


 月菜はプリントを胸に抱えたまま、ぱたぱたと小走りで駆け寄ってきた。声を潜めているつもりなんだろうけど、興奮しきっていて、全然潜まっていなかった。


 目の前でしゃがみ込んで、俺と目線を合わせて、両手で俺の頬を、そっと包み込んでくる。


「わぷっ」


 月菜の手のひらは、あったかかった。ふわあ、と、頬から熱がじんわり広がってくる。女子に何されてるんだ、と自分に言い聞かせようとしたけれど、この体の頬は、その熱を素直に受け止めてしまう。桜色が、もっと桜色になっていくのが、自分でもわかった。


「あ、あのね、その、まいご、で。ちかくに、きちゃったの」


「迷子!?」


「うん。まいご、なの」


 我ながら、無理があった。しかも「まいご、なの」と言った瞬間、目にじんわり涙が滲んだ。演技じゃない。この体の涙腺は、勝手にゆるむ。ちいさな指で、目の縁をこしこし擦った。


「わ、わ、泣かないで、ルナちゃんっ、大丈夫だからっ!」


 月菜はぱっと立ち上がって、ハンカチを取り出して、俺の目元をそっと押さえてくれた。ふわりと、月菜のシャンプーの匂い。


「ふぇっ……ありがと」


「うんうん、大丈夫、大丈夫だからね」


 月菜は、俺を見下ろしながら、なぜか自分もちょっと目をうるうるさせている。もらい泣きしそうになっている。感度が高すぎる。


「あのねっ、わたし、今ね、同じクラスの男の子を、探してたの」


「え」


「同じクラスの、樹くんっていう男の子。朝、挨拶したんだけどね、その後、なんか、ちょっと元気なかった気がして。心配で、見に来たら、席にいなかったの。ルナちゃん、見かけてないかな」


 俺は、口を開けたまま、動けなくなった。俺の話じゃないか。


「あ、あのねっ、つきなおねえちゃん」


「うん?」


「そのっ、おとこのひと、なら、だいじょうぶ、だと、おもう、よ?」


「え?」


「さっき、るなね、みたの。ぐ、ぐあいが、わるそうで、もう、おうち、かえったって……」


 我ながら、なんという苦しい嘘。制服の男子高校生の顔なんか、ルナが知っているはずないのに。しかも噛みまくった。噛みまくって、最後の「かえったって」が、涙声になってしまった。


「早退……」


 月菜の顔が、また少ししゅんとなった。


「そっか。うん、それなら、おうちで休んでるほうが、いいよね」


「うん。きょうは、そっとしといてあげたほうが、いいと、おもうの」


「うん、そうする」


 月菜は少し寂しそうに、それでも納得したように頷いた。その顔を見ていると、胸の奥がぎゅっとなる。


 


 キーンコーンカーンコーン。


 チャイムが鳴った。


 俺は、時間を気にしなかった自分を呪った。今のチャイム。今の、って。


「……おわっ、ちゃった?」


「……授業、終わったね」


 俺と月菜は、顔を見合わせた。廊下の遠くから、扉の開く音、椅子を引く音、生徒たちのざわめきが一気に押し寄せてくる。


「……ふぁ」


 俺は反射的に、月菜のスカートの裾を、きゅっと掴んだ。体のほうが勝手に、いちばん近くにある「安心できるもの」を掴みにいっていた。女の子のスカートをだ。

 月菜が、ちらりと自分のスカートの裾と、それを掴む俺のちいさな指を見て、なぜか喜んでいるようだった。


「ル、ルナちゃっ……」


 直後だった。


「うそ、なにこの子!?」

「かわいい……かわいい、めっちゃかわいい!」

「え、なにこの子、お人形さんみたい!」

「まつげ長っ、ほっぺ赤い、髪ふわふわ、なにこれ実在するの!?」

「月菜! 月菜、何か知ってるの!?」


 どっと、廊下に生徒たちが溢れ出してきた。俺と月菜は完全に囲まれていた。


「え、月菜の知り合い!? 妹? 妹なの!?」

「違うよねぇ、月菜、こんな可愛い妹いたら自慢するよねぇ!?」

「え、ちょっと、この髪、地毛? 触っていい? ねえ触っていい?」

「なんでこの子ここいるの、月菜、月菜ってば!」


 わっと押し寄せる質問の波に、俺は完全に固まった。掴んだスカートに、さらにぎゅうっと力がこもる。


「ふぇっ……ふぇぇ……」


 目の縁から、ぽろっと、大粒の涙がこぼれた。ほんとに、こぼれた。演技じゃない。人が多すぎて怖い。この体には、人混みは、怖すぎる。


「あっ、ちょっ、みんな、押さないでっ! 押さないでっ! この子泣いちゃうからっ!」


 月菜は俺を庇うように前に出て、両手を広げて、真っ赤な顔で必死になっている。空いた片手で、俺の頭を、ぽん、と抱き寄せて、自分のお腹のあたりに引き寄せてくれた。制服の、少し硬いブレザーの生地。あったかい。安心する。


 俺は、その中に、ぐしっ、と顔を埋めた。


「ふぇぇ、こわいよぉ……」


「うぅっ、ずるいっ、月菜だけずるいっ!」

「わたしにも抱っこさせてぇーっ!」


 外野が、なんかもう、大変なことになっていた。


「ルナちゃん、逃げるよ!」


「つ、つきなおねえちゃん!?」


 月菜に手を引かれて、俺たちは学校の外へと駆け出した。

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