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第五章 第三話

 歪んだ景色が元に戻れば、そこは既にあの一室ではない。

 真琴は辺りを見回した。

 鬱蒼と草木が茂り、空には既に月が浮かぶ。

 まだ日が落ち始めたばかりであったはずなのに。


「春……ありがとう。無理させて、ごめんね」


 傍らに横たわっている春に顔を近づけ、その耳元に小さく呟いた。

 そして次に自分の胸に手を当てる。


「真白も、ありがとう」


 振り返れば、この森を抜けた向こう側に明かりが見えた。

 真琴の胸には、あれはお社だという確信がある。


 夏野と同じように春を背に負ってみる。

 力はいるが、どうにかふらつかず歩けそうだった。

 春はまだ、目を覚ます気配がない。


「待っててね、春。もうすぐ楽になるからね」


 返事は無くとも頷いて、一歩ずつ社に向かって進んでいった。


 ***


 月明りの下でもよく分かる、見慣れた鳥居をくぐって参道を歩く。

 外に神官の姿は無いが、拝殿には明かりが見えた。

 時折ずり落ちそうになる春を背負い直し、真琴は歩き続ける。


 そして―。


「すみません、どなたか……どなたかおられませんか」


 明かりのある拝殿の前で立ち止まり、声をかけた。

 自分の声が、静まり返った夜の闇の中に吸い込まれていく。

 その不吉な感覚に、だが真琴は揺るぎない顔で前を向いた。


「こんな夜分に誰か。明日出直して……」


 しばらくして声が聞こえ、その後現れた神官にはもちろん見覚えがあった。

 何度か話をしたこともある年若い神官は、真琴の姿を認めて驚愕した。


「ま、真白、様……?」


 呼びかけは問いかけのようでもあった。

 目の前に立つのが真白であるか、()()()であるかが分からないのだろう。

 真琴は真っすぐに神官を見つめて宣言した。


「私は真白ではありません。逃げ出した罰はあとで必ず私自身が負います。だから―」

「!! ……そ、そこにいなさい」


 真琴の話を遮るように告げた神官は、顔を引き攣らせながら、足早に奥に消えた。


 彼を待つ間、背の春の様子を窺おうとした真琴は、肩にかかる春の手を見て息を飲んだ。

 慌てて春を背から降ろして確認する。

 真琴の腕に抱えられた春の体全体が、淡い光を放っていた。

 恐る恐るその頬に触ってみると、先程よりもずっと温もりが感じられた。


 ―やっぱり、お社に戻ってきたから―


 真琴の口元が綻んだ。

 きっともうすぐ目を覚ましてくれる、そんな気がした。

 あとは自分が決着をつけなければならないことだ。


 真琴の耳に、慌ただしく近づく複数の足音が聞こえてきた。

 真琴は春を抱く腕に力を込め、前を見上げる。


 と、拝殿の扉が勢いよく開いた。

 中から出てきた三人の神官が、真琴を見てやはり驚きの表情を浮かべる。

 先程の年若い神官はその中にはいなかった。

 一番上の職分を有する年配の神官が一歩前に出た。


「真白様ではないというのは確かか」

「はい。私は……ここを逃げた時と同じ、()()()()()()です」


 神官が眉を顰めた。その目は何故戻ってきたのかと問うていた。


「私はどんな罰もお受けします。もう絶対に逃げたりしませんから、お願いします。今はこの子を……春をどうか責めずに、ここで休ませてください!」


 真琴の必死の叫びに対する神官たちの表情は、困惑、だった。


「その子供は一体何者だ?」

「……え?」


 心臓を掴まれたかのような衝撃が走る。

 真琴は言葉を失い、腕の中で眠る春に視線を落とした。


「春はこのお社の神官でしょう? あなたたちこそどうして分からないんですか」


 神官達は互いに顔を見合わせ、そしてそれぞれが無言で首を振った。


「お前の話は全く分からぬ。春などという神官はここにはおらぬ」

「そ、んな」


 真琴は漸く気づいた。


 春はずっと真白と一緒にいたけれど。

 それは実際には()()()()()()()()()()()()からだ。

 真琴の記憶は今も歯抜けのように所々が失われたままで、彼らがどんな出会い方をしたのかは分からなかったけれど。

 春の、たった一人の仲間だったのだ。

 そんな彼女を失ってどんなに辛かっただろう。

 それでも自分に力を貸してくれた。


 「春……ごめんね」

 

 俯き呟いた真琴に、戸惑いを見せながらも神官が再び声をかけた。


「それにしても、自ら戻ってくるとは……。我らにとって必要なのは真白様ただお一人のみ。未だ隠れたままでおられるのならば、多少強引にでもお戻しせねばならぬ」


 そう言って、神官達が近づいてくる。

 月明りを弾き、彼らの手元で鈍く光るのは刀。

 この社に、御神刀以外でこのような武器があるとは思いもよらなかった。


 真琴は春を後ろにそっと横たえると、意を決して立ち上がった。

 微かに震える拳を強く握り、同じように微かに震える足に力を込める。


「例え私を殺しても、真白は決して戻りません。真白は、この村のためだけに生きて、力を使い果たしてしまったんです」

「!!」

「あなたたちは間違っています。真白は……真白はこの村を支えるための道具じゃない。自由に生きることもできないのに、笑って、村のために命を賭したんです。なのに……そんなに必死に生きたその身が限界を迎えて、心だけになってしまっても……まだ、あなたたちは真白を利用しようとしている。……そんなの、真白が可哀想です」

「真白様が亡くなられたというのか? 御心だけが残ったと? ……とても信じられる話ではない」

「でも本当なんです。もっと真白の望む生活ができていたら、今だって私の隣でにこにこ笑ってくれていたはずなのに」

「……お前はこの村の暮らしぶりを知らぬのだ。寄る辺も無く閉ざされた村。ならばそこに住まう人間が神に救いを求めるのは必定」

「…………」

「それにお前とて、真白様の命を削った末に存在出来ている厄介者ではないか。お前がいなければ、真白様はもっと長くお元気でおられたのかもしれない」

「!!」


 刀を構えた神官達がにじり寄ってくる。

 だが引くわけにはいかなかった。

 後ずさりすることができないように、そのために春を後ろに寝かせたのだ。

 何があってももう二度と逃げないと決めたのだから。


「話を、もう一度ちゃんと聞いてください!」

「聞く必要など無い。真白様のお力はかつてのどの巫女よりも強大。ならばお前が消えればもしかすると真白様が戻られるかもしれない。その可能性が零ではないとしたら、我らはそこに賭ける」


 話し合う余地は無いようだった。

 抑えきれない恐怖に伏せたくなる目に、必死に力を込める。


「例え話を聞いてもらえなくても……例えここで殺されても、私は最後まで絶対に諦めません」

「お前の生き様には同情もするが、村のためだ。耐えてくれ」


 そう宣告する神官の声の合間に、遠くで玉砂利を素早く踏む音が混じる。

 誰かがこちらに近づいているのか。


 その声が、名を呼んだ。


「真琴!」

「!!」


 目を開けた真琴の前に飛び込んできた背中。

 その着物の柄も、その声も。

 もう会えないと思っていた人のものであった。


「……夏野さん!」

「遅くなってすまない。もう、大丈夫だ」


 刀を構え、振り返らぬままの言葉。

 だがその言葉が彼女の心を震わせる。


「どうして・・・」

「分からない。でも今ここいる、それだけで俺は十分だ」


「余所者まで村に引き入れるとは……。やはり()()()は村に仇名す者なのだな」


 その時、またも玉砂利の音が聞こえた。

 振り返れば今度は、鎌や鍬を持った村の男達の姿がある。

 それを先導しているのは、ここで最初に会った年若い神官だった。


「村の者をつれてまいりました」

「助かった。余計な邪魔が入ったのでな。……余所者よ、諦めてはどうだ」

「それは出来ない。というより、お前たちもさせないだろうが」


 そしてちらりと後ろを振り向いた夏野。

 淡く光る春を見て、僅かに目を細めた。


「真琴。春を抱えて、決して俺から遠くに離れるな」

「はい」


 そして、月夜の下での攻防が続いた。


 神官自ら言っていたように、この村に生きる彼らには普段武器を手にする必要がない。

 それ故まともに刀を振れる者などいる訳もなく。

 そんな彼らの攻撃を防ぐこと自体は、夏野にとって左程難しいものでは無い。

 問題は相手を傷つけずに応戦し、同時に真琴と春にも注意を払うことだった。


 彼らは驚くべき執念で、払っても払っても起き上がりこちらに向かってきた。

 

 ―こいつらは何なんだ。きりがない―


 それ程までに真白の力に焦がれるのか。

 そしてそのためならば。

 神に捧げた己が手を汚そうとも。

 真琴の命を踏みにじろうとも構わないと言うのか。

 

 夏野の胸に湧き上がる怒りが一瞬の油断を招いた。


 脇をすり抜けた村人が、真琴に向かって叫びながら鎌を振り上げる。


「真琴!」


 振り返った夏野は見た。


 春を庇おうと咄嗟に両手を広げた真琴。

 そしてその後ろで、目を見開いた春。


 直後。轟音とともに辺りが弾け、全ての者が吹き飛ばされた。

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