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第四章 第三話

如月家の朝は早い。

誠一郎が夜明け前に登城するためだ。

どんなに床につくのが遅くなろうとも、彼は決して寝過ごすことが無い。

今朝もまた他の日同様に、平然とした顔をして朝飯を平らげると、まだ暗い中を出て行った。


そんな誠一郎を見送り、起き出す様子の無い春の部屋の襖を開けて。

夏野は目の前に広がる光景に思わず笑ってしまった。


確かに部屋の中央に敷いていたはずの布団。

それが部屋の奥まで引き寄せられ、同じように引き寄せた真琴の布団と並んでいた。

その布団に入って、手を繋いで眠っている真琴と春。

余程疲れたのか、遅くまで眠れなかったのか、二人とも夏野の気配に気づくことなく眠ったままだ。


少しだけ迷うと、夏野は音を立てぬように注意深く廊下に腰を下ろした。

二人の寝姿を眺めていると、昨夜の誠一郎との会話が脳裏に蘇ってくる。



-親父殿……今、何と?-



それは夏野が改めて二人の状況を説明した後のこと。

誠一郎に嘘をつき通すのは不可能だと分かっていた。

それ故に包み隠さず、今自分の知っていること全てを話した。


盃を手にしたまま夏野の話を無言で聞いていた誠一郎は、聞き終えると一気に酒を飲みほした。

続けて、その視線で夏野にも促す。

自分の前に置かれた盃を手に取り、夏野は自分の口元へと運んだ。

二口、三口で空となった盃を確認すると、誠一郎はゆっくりと口を開いた。


「余り深入りはするな」


静かに、だが揺るぎなく伝えられる。

それは命令であった。

夏野の手が止まり、そしてまっすぐに誠一郎を見つめる。


「親父殿……今、何と?」

「深入りをするな、そう言ったんだ」

「らしからぬお言葉ですね。背を押していただけるものとばかり」

「相手が悪い。お前の手には追いきれない」


誠一郎は溜息をつくと、傍らの徳利に手を伸ばした。

酒を注ごうと身を乗り出した夏野を、もう片方の手で押し止める。


「お前の性格は十分理解しているし、あの二人が気の毒だとも思う。だがな、人外の力となれば話は別だ。お前の身に何が起こるかも分からん」

「先程二人を引き合わせたではないですか。その正体がどうであれ、真琴も春も我々と何ら変わりません」

「あの二人自体はな。……人は己の理解を超えた力に否応無く引き寄せられるものだ。その村の連中が特別なのではなく、むしろ人の持つ業なのだと私は思う。問題なのはその力とどう向き合うかだ。力に魅入られてしまえば、そこから逃れる術は恐らく無い。何を捨てても力を求め、願い続けるだろう。そんな奴らに追われるあの二人に、お前一人がどこまで責任を負える? いつまでも守り続けて行くことなどできんだろうが」


夏野は目を伏せ、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。


「いつまでも守ってやりたいとは思っていますよ。叶うならば」


その言葉を聞いた誠一郎は、真っ直ぐ夏野を見つめたまま告げる。

その顔に浮かぶのは喜びでも哀れみでも怒りでも無く、ひたすらに我が子を思う親の情であった。


「あの二人を、お前が守れなかったと思ってる親や弟の代わりにするな」

「!!」

「……お前自身の逃げ道にもするな」


言葉を失う夏野に、だが誠一郎は容赦をしなかった。

ここで夏野の言い分を認めてしまえば、恐らく彼はいつか自滅するだろう。

だから中途半端に許すことはできないと、そう思っていた。


「夏野。お前が今生きている理由は、あの二人や弟の中には無いんだ。それが分からぬうちは、あの二人に深入りすることは許さん。分かったな」

「…………」

「夏野」

「……はい」


 ***


思い返して、夏野は苦笑を浮かべた。

やはり誠一郎には敵わない。

厳しいのではなく、それは深い優しさだ。

分かっているけれど。

それでも自分は目前の答えに手を伸ばせずにいる。

未だ愚かしく闇の中でもがき続けていると、そう思った。


その時、真琴の布団がもそもそと動いた。

夏野の場所からは顔が見えないが、目覚めたようだ。

ややあって起き上がり、眠そうに辺りを見回した真琴と目があった。

驚いたかと思うと、真琴は慌てて布団の上で居住まいを正した。


「夏野さん! おはようございます……私、寝坊してしまいましたか」

「いや、違う。まだ早いから大丈夫だ。二人ともあんまりよく寝てるもんだから、どうも立ち去り難くなってな」

「み、見てないで起こしてください!」

「うん、悪かった」


少しもすまなそうではなく、むしろ可笑しそうに笑う夏野。

真琴は恥ずかしさを隠すように隣の春に声を掛けた。


「春、もう朝だって」

「……うん、分かってる」


呟くように答えると、春は彼らしからぬ緩慢な動作で起き上がった。


「春?」

「具合が悪いんじゃないのか?」


心配そうな二人をゆっくりと見比べる春。

どこかぼんやりとした表情が、ふっと和らいだ。


「ただ単に眠いだけだ。二人して同じような顔で心配するなよ。……何だか、すごく似てきたね、あんたたち」

「えっ!」

「そうか? よく分からんな」

「似てるよ。馬鹿みたいに人の心配ばっかりしてるところ」


春は小さく笑った。

嘘ではなく、本当にとても眠かった。


 ***


三人が朝飯を食べ終えるのとほぼ同時に、柚葉が訪ねてきた。

まるでどこかで様子を窺っていたかのような頃合いである。

いや、本当に見ていたのかもしれない。彼女は忍びなのだから。


そんなことを思っている真琴に歩み寄ると、柚葉はにこにこしながらその手を取った。


「今日は私が町を案内します。よろしくね!」

「こちらこそよろしくお願いします」


丁寧に頭を下げてから辺りを見回す真琴。


「あの、那央さんはご一緒じゃないんですか?」

「うん。昨日も結局遅くまでしごかれてたし、今朝も朝から特訓中。真琴に会いたいのにって泣いて悔しがってた」


そう言って声を上げて笑う。

真琴はどう返してよいか分からず、曖昧に笑みを浮かべた。


「ま、那央のことは放っておいても大丈夫だから。二人とも準備が出来たら早速行こうか」

「あ、はい」


頷く真琴の横で春が顔を顰めた。


「ちょっと待てよ。二人って誰のこと? 僕なら行かないよ」

「我儘言わないの。春だけ置いてくって訳には行かないんだから。夏野だって色々忙しいんだからずっと一緒になんていられないのよ」

「あんた、出かけるの?」


春は柚葉ではなく夏野を見上げて尋ねた。


「そうだな。ちょっと出てこようと思ってる。しばらくここを離れてたから、挨拶がてら」

「じゃあ、僕はあんたについて行く」

「え?」

「ちょっと、春!」


慌てたのは真琴と柚葉で、夏野は黙ったまま一度瞬きをした。


「俺と来ても別に楽しいことはないぞ」

「……構わない。柚葉といるよりましだから」

「こら!」


柚葉は春の頬をつねろうと手を伸ばしたが、ふわりと避けられてしまう。

那央と同様に柚葉も春の正体は知らされていない。

そんな柚葉には、特段素早い動きでも無いのになぜ避けられたのかが分からなかった。

ただ、間近で見た春の真剣な目に、不思議と心のどこかが納得する。

夏野の方をちらりと窺えば、彼もまた穏やかだが真摯な目をして頷いた。


「まあ、たまには男同士もいいかもしれんな。多少むさ苦しいが仕方ない。……柚葉、真琴を頼む」

「こっちだって女同士で美しく華やかに過ごしますから! ね、真琴」

「え? あ、はい。そうですね」


答えるや否やで柚葉に引きずられるように手を引かれる。

真琴は振り返って夏野に頭を下げた。


「春のことよろしくお願いします」

「気にするな。真琴も少し心配事は忘れて楽しんで来るといい」

「はい。……春も、無理しないでね」


春は困ったように肩を竦めて笑って見せた。

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