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第三章 第四話

 春に手を引かれて走り続けていた真琴は、目前の背に向かって懇願した。


「春、待って。少し、止まって」


 まるで社を逃げ出した時と同じようだと、春は思った。

 そしてやはりあの時と同じように告げる。


「駄目だよ。いつ追いつかれるか分からないんだ。もう少し、頑張って」

「ごめん、本当にもう足が……わっ!」

「真琴!」


 木の根に足を取られ、真琴の体が一瞬宙に浮いた。

 慌てた春が振り返り腕を伸ばしたが間に合わず、真琴は地に倒れ込んだ。


「大丈夫? 怪我は?」

「……うん、大丈夫」


 膝や肘に擦り傷が出来たが、ひどい怪我ではない様だった。

 立ち上がって体や着物についた土をはらう。


「私は平気だけど……夏野さん、大丈夫かな」


 ぽつりと呟く。

 張り詰めた気が緩んだのか、涙で景色が歪んで見えた。


「泣かないで。僕達があそこにいたって足手まといになるんだから、仕方ないことだろ」

「分かってる。……でも、もう何も見えないの。夏野さんが……殺される、未来だけじゃなくて、助かる未来も。それが、とても怖い」


 春は目を瞠り、迷った末に口を開く。


「……真白だって、常に知りたい未来が見えていた訳じゃ無かったよ。でも見えなくても、どんな形でも、未来は必ず存在してる。それにあいつ……夏野は、後で必ず追いつくって言ってたんだ。……信じてやりなよ」


 ぶっきらぼうに、だが春は初めて“夏野”と彼の名を呼んだ。

 これまでは頑なに名を呼ぼうとしなかったのに。

 その事実に気づいた真琴は泣き笑いの顔で頷いた。


「よし。泣き止んだなら、もう少し頑張って先を急ごう」

「うん、分かった」



 そして歩き出して間もなく、真琴の目の前に不意に出来た影。

 頭上を飛ぶ鳥が作ったものだろうと何気なく空を見上げて。

 その視界を悠々と横切っていく鷹に、真琴は目を丸くした。


「……疾風!」


 その声に春も足を止めて空を見上げた。

 目を凝らせば、それは確かに疾風のようだった。

 真琴が何度も名を呼ぶと、疾風はやがて気づいたのか真琴の下に降りてきた。

 差し出した腕に乗った疾風の足元を除くが、文らしきものはついていないようだ。

 だとすると、やはり那央も共に来ているのではないだろうか。

 そして疾風がどこかに降り立ったと見たならば、那央はきっとそこに来るはずだ。


「下手に動かない方がいい。ここにいよう」

「うん」


 実際にはそれ程長い時間ではないのだろうが、もどかしさを感じる。


 -早く。お願い、那央さん……早く!-


 

 

 さすが忍びというべきか、足音は全くしなかった。

 不意に草をかき分けて現れた那央が驚きの声を上げた。


「……真琴、春も! お前達、どうしてこんな所にいるんだ? 夏は?」


 顔を見合わせる真琴と春。

 大丈夫、また希望は消えていない-。


「お願いします、夏野さんを助けに行ってください!」


 那央の目の色が変わる。

 真剣な表情で二人を見つめ、低く問いかける。


「簡潔に話せ。何があった?」


 ***


 夏野は肩で息をしながら、刀を構えて立っていた。

 複数の傷から出血があり、着物が赤く染まっていた。

 そのすぐ傍らには、飛び道具使いの男が倒れている。

 こちらも傷はある者の致命傷ではなく、伸びているだけだ。


「そいつをさっさと殺せば、お前自身がそこまで傷つくこともなかった。先程の餓鬼共のみならず、命を狙う敵にまで情けをかけるとは。全く救いようのない馬鹿だな」


 確かに飛び道具の男を殺さずにこの状態にするために手間取った。

 その間、無為にこちらの男の攻撃を受けてしまったのは事実だ。


「……お前の仲間だろう。随分と薄情じゃないか」

「我らは戦闘力を削ぐような無駄な感情は持たない。目的を果たすために必要とあらば、俺もそいつも死など厭わん。だからと言って簡単に死ぬつもりもないがな」

 

 言うや、男は手中に隠していた手裏剣を夏野に向かって投げつけた。

 避けた一瞬のうちに、またも背後に回り込まれたる。

 刀が間に合わず、男の蹴りを腕で受け止める。


「……っ!!」


 強い衝撃に思わず後ずさりして膝をついた。

 慌てて顔を上げれば、男がこちらを見下ろしている。

 夏野は痛みを堪えて、敢えて笑ってみせた。


「…随分と虚しい生き方だな。少なくとも俺は御免だ」

「戯けたことを。虚しいのはお前の方ではないか」

「……?」

「親を見殺しにした主君というのは、どれだけ時が経とうと憎いものなのか?」

「!!」

「なぜここでお前の正体がばれたか教えてやろう。俺はかつてお前の国に潜り込んだことがあるのだ。そこで、主君の背に殺意に満ちた目を向ける男を見た」


 お前だよ、と。

 冷笑を浮かべた男の顔が、夏野の目に映る。


「臣下であるはずの男が何故そんな目をするのか。俺自身も興味が湧いたし、もしもこちらに寝返るならば我が主にとっても吉。色々と探らせてもらったよ」

「…………」

「お前は真に従えぬ主に諂い、己が心さえ欺いている。一方で、それ程憎い主であろうと、その後ろ盾を失えばお前は生きられない。そんな矛盾を抱えたお前の剣が今以上に強くなることなど有り得ない。となればお前の生き様こそ虚しさそのものだろう」

「……黙れ」


 そう呟いた夏野の顔を窺い、男は冷笑を強める。

 夏野の顔つきから、明らかに先程までの余裕が失われていたからだ。

 その怒りを含んだ目を、男は確かに違わず覚えていた。

 飄々としているように見せて、夏野の本質はこちらなのだと思わされる。

 寝返りさせられていればそれなりの戦力となったろうがやむを得ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 


「図星を刺されて動揺か。それで自滅するも運命。どうせお前など生きていても誰一人救えなどしない。あの餓鬼共も……大事な弟もな」

「黙れと言ってるんだ!」


 力任せに振るった刀を、男はこともなげに避けた。

 息もつかず第二、第三撃を繰り出すものの、いずれも男に傷をつけることは出来なかった。


「くそっ!」

「最早お前は敵以下だ。いつまでも付き合っておられぬのでな。ここで終わりにさせてもらう」


 そう言い捨てた男の一方の拳には、いつの間にか鋭い刃を幾重にも縫い留めた道具が握られている。

 そのまま夏野の懐に飛び込み、その手で夏野の体を薙いだ。

 いや。薙いだはずであったが、その寸前に男の目の前から夏野の体が消えた。


「……!!」


 男が微かに眉を顰める。


 夏野の背後から音も気配も無く現れた人物が、鉄の手甲で攻撃を受け止めていた。

 真横に突き飛ばされた夏野が、振り返って驚いた声を上げる。


「那央!」

「やられ過ぎだろ、夏。やっぱり俺がいないと駄目だな、お前」


 不敵に笑う那央に、男は鼻白んだ。


「忍びか」

「うちのが随分可愛がってもらえたようで。……でも忍びには忍びを。じゃないと不公平だろ」


 言ってもう一度笑った。

 次の瞬間、対峙する両者の間で爆発が起きて辺りに白煙が立ち込めた。


 煙幕をはって逃げるつもりか。

 男は舌打ちをして彼らを追うべく足を一歩踏み出した。

 と、両足の腿付近に極僅かな痛みを感じる。


「……?」

「まだ逃げてないんだな、これが」


 揶揄うような那央の声が自分の足元から聞こえる。


「そのまま逃げても、あんたはすぐ追いついてきそうだからな。用心用心」

「……!!」


 痛みを感じた足から急激に力が抜けて、男はその場に跪いた。


「毒は得意分野でね。死にはしないと思うが、しばらく安静にしてろよ」


 そして今一度爆発が起こった。

 煙が一層厚さを増し、辺りは何も見えなくなった。

 しばらくしてその煙が引いた時、夏野と那央の姿はどこにもいなかった。

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