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第三章 第三話

 それより少し前。

 夏野は先を行く男と話しながら、城への道を歩いていた。

 鹿島忠典と名乗ったその男は、見かけに違わず豪胆で人好きのする男であった。


「そうか。体の弱い弟を抱えての旅は随分苦労したろう。しかし、お前の腕ならもっと早くに士官先が決まりそうなもんだがな」

「多少なりと自負もありますが、なかなか条件が折り合わず……弟の病に良い環境をと求めるうちに、随分遠くまで流れてまいりました」

「ならこの国はいいぞ。街が大きくなりゃ自然と人も集まる。医者も薬師も大勢いるからな。……どうだ、真剣にここに落ち着くことを考えてみないか」

「私の気持ちなどとうに決まっております。問題は受け入れていただけるかどうか」

「俺は気に入ったがな。もっと腹を割って話せる時間が欲しいもんだ」

「僭越ながら、私も同じように感じております」


 気負った様子もなく笑う夏野に、鹿島も目を細めて頷いた。

 辺りを見回せば、民で賑わう通りを既に過ぎ、行き交う者もまばらな程度。

 そして忍び方の策により配下の兵が潜む場所は、このすぐ先だった。


 今しがたこの隠密に語った言葉は嘘ではない。

 違う立場で出会えればよい同僚になれた気もするが、こればかりは仕方がない。

 自分にとって最優先はこの国と我が主の繁栄と安寧なのだから、と半ば強引に自分の迷いをねじ伏せる。

 そして夏野、と呼びかけようとしたが、それより先に遠くから声が聞こえた。


「……え、真琴?」


 さしもの夏野も驚いた。

 宿で待っているはずの真琴がここまで自分を追いかけてくるとは何事か。

 良い話ではあり得ない。

 考えられるとすれば、春か。


「お前が話していた妹か?」

「はい。……どうしたんだ、真琴」


 息を切らせて目の前まで走ってきた真琴は、なかなか言葉が話せない状態だった。


「これを使え」


 鹿島が水の入った竹筒を差し出す。


「すみません。さあ、真琴」

「は……い」


 鹿島に向かって頭を下げて竹筒を受け取った真琴は、水を飲んで息を整える。

 そして夏野に真剣な顔で告げた。


「お、お兄ちゃん。春が、倒れたの。早く戻って」


 夏野に衝撃が走る。

 真琴の顔は長い距離を走ったにも関わらず青ざめていて、決して冗談ではないと分かる。

 恐らくかなり状況は悪いのだと。そう夏野は思った。


「鹿島様。大変申し訳ありませんが、一度弟の様子を見て来てもよろしいでしょうか。すぐに戻りますので」

「そりゃ、やむを得んだろう。詳しい話は改めてにしようぜ。……気をつけて行けよ」

「ありがとうございます」




 走り出す後ろ姿が角を曲がって消えてもなおしばらく見送り。

 そしてようやく鹿島は溜息をつき、荒々しく頭を掻いた。


「……仕方ねぇだろ、緊急事態なんだから」


 いつの間にか背後に近づいていた忍び方の男が、呆れたように鼻を鳴らす。


「何を甘いことを。殿の御為となるべく動くのが我らの務めではないか」

「分かってるよ。分かっちゃいるが、人には向き不向きってもんがあるんだ。とやかく言うなら初めから俺に頼むな。やはり騙し討ちは好かん。堂々と戦っても、俺はあいつに負けはしない」

「腕自慢をしろと言っているのでは無い。確実に始末しろと言ったのだ。こちらとて他に手が空く者があればお主には頼まぬ。……このまま奴を逃がすわけには行かぬ故、失礼する」


 そう言って再び音もなく消えた男に対しては思わず舌打ちが出た。

 忍び方を束ねるあの男は万事がこんな調子だ。

 単純に好き嫌いで言えば、敵であるはずの夏野の方が余程好ましく感じられる。

 同じ隠密だと言っても雲泥の差だと、直情径行な鹿島は思うのだ。


 そもそも夏野を信用させるために仕込んだ人攫いというのも気に入らない。

 夏野が咄嗟に取った行動が的確であっただけで、場合によっては無関係な子供が巻き込まれる危険さえあったというのに。

 あの男はそれすら必要な犠牲だというのだろう。

 思い返すとどんどん腹立たしさが増してくる。


「夏野、そんな奴にやられるんじゃねぇぞ」


 ***


 そんなことを思われているとは露知らず。

 夏野は走りながら振り返り、後ろの真琴に言った。

 かろうじて着いてきているものの、その息は荒く相当に無理しているのが分かる。


「真琴は歩いて戻って来い。俺が先に行って春を見ておくから大丈夫だ」


 そう言ったが、逆に真琴は手を伸ばして夏野の袖を強く引いた。


「駄目です! 大丈夫じゃ、ないから!」

「……?」

「あの人たち、夏野さんのことを全部知ってます。あの道の先で大勢で待ち伏せしてるから……あのまま進めば、そこで夏野さんは殺されてしまいます」

「!!」


 驚いた夏野が足を止めると同時に、すぐ傍の路地から声がした。


「二人とも、こっちだ」

「春!」

「お前、倒れたんじゃなかったのか?」

「聞いたろ、多分すぐに追手が来る。荷は全部持ってきたからこのまま出よう。いいね、真琴」

「うん。……ありがとう、春」


大通りを避け、三人は目立たぬように街を抜けた。

 もちろん街道には出ず、足場の悪い山中を進む。

 真琴の手を引く春。そしてその後ろに追手を警戒する夏野が続く。


「二人とも、無理させてすまなかったな」

「いいえ、夏野さんが無事で本当に良かったです」


 休む間もなく辛いはずなのに、真琴は振り返って嬉しそうに笑った。

 つられるように微かに口元を綻ばせた夏野。

 だがすぐにその笑みを消し、足を止めずに問いかける。


「……どうして分かった?」


 夏野とて、完全に鹿島を信じた訳では無い。

 出来過ぎた出会いに疑念はあったが、それでもあの男自身には惹かれるものがあった。

 例え罠であったとしても、卑劣な手段を使うようには見えなかった。

 だから切り抜けられると判断したのだ。


 だが、宿にいて自分が鹿島と共にいることすら知らないはずの真琴は断言した。

 自分はあの道の先で殺される、と。


「そんなの、今はいいだろ。後で話せよ」


 苛立ったように振り返る春を真琴が止める。


「未来を視る力を持っていたのは真白です。……これは私の力じゃない、真白のものです」

「…………」


 夏野の反応に、真琴は薄く笑った。


「ご存知でしたか。……春から、ですね」


 そして自分の胸に手をあてて、俯いて続ける。

 二人に聞かせるというよりは、自分自身に告げるために。


「どうして忘れたんだろうな。誰より傍にいたのに。ごめんね、真白。……春も、ごめんね。ずっと一人に背負わせて」


 そう言って、顔を上げて春を見る。


 春は目を瞠った。


 そこにあるのは様々な感情を含んだ悲し気な笑顔だった。

 今までの、何も知らずに自由に目を輝かせていた真琴ならば、決して見せない顔。

 痛みを知ったその顔は、同じく痛みを一人で抱えた真白と全く同じで、春は眩暈を感じた。


 

 その時-。


「来る。伏せろ!」


 夏野が短く叫び、二人を背にして刀を構えた。


 その直後に刀に何かが当たっていくつも鈍い音を立てる。

 下に落ちたそれらを見れば、忍の使う飛び道具だと分かる。

 飛んできた方向に視線をやれば、木の上に忍び装束の男が一人。

 さらに前方にはゆっくりとこちらに歩いてくるもう一人の忍。


「お前一人ならば我らに追いつかれることも無かったろう。足手纏いを切り捨てられぬのがお前の敗因だ。その甘さはあの男にも通ずるものがある。……反吐が出るな」


 夏野から少し間を取って立ち止まった男が冷笑した。


「この一件を仕組んだのはお前か」

「あいつに考えられる策な訳がなかろう」

「……安心したよ」


 夏野の見立ては間違いではなかったということだ。

 鹿島ならばあんな回りくどい手段はとらずに正面から挑んでくるはずだ。

 短い間の会話でも十分に分かる。

 彼は勝ち負けではなく、その身の在り方を重んじる人間だろう。


 だがこの男は明らかにそうではない。

 だからこそ、真琴と春を絶対にここから逃がさなくてはならない。


「春。すまんが真琴を頼む。後から必ず追いつくから。振り返らずに走れ」

「……分かった。やられるなよ」


 春は半ば強引に真琴を立たせて、引きずるように走り出した。


 それを追いかけようとする木の上の忍びに、足元の飛び道具を掴んで投げつける。


「間違えるなよ、お前らの狙いは俺だろうが」

「どう見てもお前に勝ち目はない。そうまでしてあいつらを助けるか。……理解ができんな」

「理解などいらんが、一つだけ教えてやろう。生憎俺は勝ち目がないとは思っていない」


 言うと同時に、正面の男の間合いに飛び込んで刀を振るう。

 が、あるはずの手応えは感じず、逆に背後に移動した男からの蹴りを寸でのところで交わす。

 体勢を立てなおす間もなく、もう一人の男からは飛び道具が放たれる。

 咄嗟に刀で受け止めたが、そのうち一つが頬を掠める。


 -さすがに厳しいか-


 二人を相手にするのは難しい。となれば、一人を先に倒すしかない。


 覚悟を決めて、夏野は木の上の男に狙いを定めた。


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