第三章 第一話
新津氏の本拠地である倉戸は活気に溢れた城下町である。
町から程近い場所に港があり、海を越えた物や情報を容易に得ることが出来たためだ。
到着したのはまだ日の高い時分で、あちこちで商いの声が響き、人の往来も盛んであった。
これ程多くの人の中で過ごした経験の無い真琴は、その光景に目を輝かせた。
「すごいです!」
「僕は目が回りそうだよ……人が多すぎる」
真琴とは反対に、うんざりした表情の春。
そんな二人の後ろに立った夏野は、苦笑しながら二人の肩を軽く叩いた。
「二人とも面白いほど正反対だな。まあ、俺からしたらどっちも可愛い妹弟だが」
「おい!」
「ん? どうした、春。兄ちゃんに言いたいことでも?」
「……何もない」
「文句が無いなら、とりあえず宿探しだ。落ち着き先が決まれば、あとは自由にこの辺りの見物もできる」
「はい!」
程なく宿も見つかり、夏野と真琴は店の見物に出ることにした。
春はというと、一人で宿に居残りである。
あんな人込みの中はまっぴらだと、断固拒否されてしまった。
「春とも一緒に見て回りたかったのにな」
「まあ、春にだって疲れが出てくる頃だからな。少し休ませてやろう」
「……そうですね」
残念そうな真琴をちらりと窺い、夏野はそっと息をついた。
眷属である春が人間が多い場所を嫌うのも当然なのかもしれない。
だが、恐らく理由はそれだけではない。
自分たちの前では平然を装っているが、その顔色は日増しに悪くなっている。
夜は一応眠っているのだが、疲れは抜けることが無く蓄積したままのようだった。
「そういえば、真琴はいつから春と一緒にいるんだ?」
ずっと気になっていた。真琴は春についてどこまで知っているのか。
春は真琴が自分の正体を知らないと言っていたが、本当なのか。
さりげなく、事も無さげに尋ねて真琴の答えを待つ。
「実際に会ったのは、真白が消えてからです。だから、ほんの一月前。……でも、前から真白に話だけは聞いて知ってました。春は優しいから、きっと私も仲良くなれるよって」
「……そうか」
真琴は俯いてしばらく考え込んでいたが、やがてその顔を上げた。
「前にも少しお話ししましたけど、私、真白が消えるまでの記憶がはっきりしてないんです。覚えていることもあるし、忘れていることもあって、自分でもとてももどかしい。……自分がそうなんだから、会ったばかりの春はもっとそうですよね。だから春がここまで私を助けてくれただけで十分だし、これ以上無理をしないで欲しいんです。夏野さんは、どうしたら春が元気になれると思いますか?」
やはり真琴も春の不調に気づいていたのだ。
だが春自身の言葉によれば、彼の体調が回復する術は社に戻る他ない。
それを真琴に告げることは出来ないし、もちろん春自身も良しとしないだろう。
そう考えた夏野は、小さく笑って見せた。
「そうだな。まずは真琴が安全な所まで逃げきることじゃないかな。あいつの中ではそれが何よりも大事で、気を張りすぎているんだと俺は思う。態度はでかいが、まだまだ子供だからな。真琴は安全だと分かれば、安心して元気になれるよ。それに追手だっていつまでもお前を探し続けてもいられないだろう? いつかきっと諦めるはずだ。……真白を探す旅は、一旦それを待ってからでもいいかもしれないな」
「そう、なのかな……」
困ったような表情を見せる真琴に、夏野は大きく頷いた。
「追われることと追うこと、対のようだが精神への負担は格段に違う。本来、お前達は後ろを振り返る必要はないはずだし、真琴だって思い出せない過去を気に病む必要も無いんだ。余計な心配事を抱えた今の状態で真白を探し続けることが良いとは、俺には思えない。一度立ち止まることも必要じゃないか? その上で、振り向かずに真白を探しに行けるようになったら、その時は俺も手伝うよ。約束する」
「はい、ありがとうございます」
真琴がようやく笑顔を見せた。
前にも思ったけれど、やはりその笑顔は花が咲いたように感じられる。
今の自分の言葉はただの詭弁に過ぎないのに。
それでもこうして喜ばれると、流石に後ろめたい。
気まずさを隠すべく、夏野は傍の店に目をやった。
そこに並べられていたのは珍しい色合いの手拭いで、つられてそちらを見た真琴も歓声を上げる。
「すごく綺麗な色!」
「珍しいだろう? 海のずっと向こうから入って来たもんだからな。ここらには無い植物で染めてあるんだよ」
店の男の言葉に真琴が目を輝かせている。
これまでずっと村、というよりお社しか知らなかった娘にとって、その言葉はさぞかし夢の様に響いているだろう。
いつか、真琴も実際に行くことが出来るだろうか。
いや、そうあって欲しい、と。
そんなことを考えながら眺めていて、ふと一枚の手拭いが目に留まった。
濃淡のある桃色の可愛らしい手拭い。
真琴に似合いそうだと思って何気なく手を伸ばす。
雑念があったからか、同時に真琴が手を伸ばしていたのに気付くのが遅れた。。
「「あ」」
意図せず触れた手に、互いに驚き慌ててしまう。
「す、すみません」
「あ、いや、俺こそすまない」
真琴に言葉を返しながら、夏野は何故自分が狼狽えているのか分からなかった。
目の前で真琴が赤くなったりするから意識してしまうのだと思う一方で、触れた指先が妙に熱く感じられる。
-子供相手に一体何をやってるんだ、俺は-
そんな二人を、少し離れた店の陰からじっと見つめる男がいた。
厳しい視線が凝視するのは夏野の顔。
巧妙に気配を消しているため、往来を行く者達も彼の姿に気付いていない。
そして夏野もまた気づかなかった。
男はこの国の忍び方の隠密。
以前夏野の国に潜入したことがあり、そこで夏野を見知っていたのだ。
薄く笑って彼は身を身を翻した。
無論、このことを自分の主に伝えるためである。
***
そんなことは露ほども知らぬ夏野と真琴は、春への土産の菓子と先程の手拭いを持って宿に戻った。
もしかして寝ているかもと、真琴は音を立てぬようにそっと襖を開ける。
部屋の中では春が窓辺に寄りかかって外を見下ろしていた。
「……春!」
真琴が少し慌てた声で呼び掛けると、春は驚いたようにこちらを振り返った。
「なんだ、戻ったのか。どうかしたの?」
「う、ううん、何でもない。あ、これ、お土産のお菓子だよ、一緒に食べよう!」
「真琴は外で食べてきたんじゃないの? 食いしん坊だな」
「だって全部美味しいんだもん。あんまり意地悪言うと、私が全部食べちゃうぞ」
「……やっぱり食いしん坊じゃないか」
笑う春に合わせて真琴も笑って見せたが、その心の中は不安で満ちていた。
先程の春はとても儚げで、今にも壊れてしまいそうに見えたから。
だからその名を慌てて呼んでしまった。
そんな不安を感じたのは夏野も同じだったようで、振り返ると目が合った。そして小さく頷く。
「で、あんたの方はどう? 情報収集はできそうなの?」
夏野に対する口調も常より少しだけ緩やかで、今はそれすらも心配の種になる。
「ああ。市の辺りで探りを入れてみたが、ここのところ城で大きな動きはないらしい」
傭兵でも募っててくれればいいんだがな、と。
努めて夏野は普段通りの調子で話した。
自分にまで心配されたとあっては、春の性格では却って無理をしかねないと思ったからだ。
「……頼りにならないな、もっとしっかりしろよ」
「相変わらず春坊は厳しいな。とりあえず今日は、真琴の初めての市見物もできたんだから良しとしておいてくれ」
「だから、春坊はやめろって言ってるだろ!」
「分かった分かった」
多少調子を取り戻したらしい春に、夏野と真琴はほんの僅かではあるが安心した。




