第二章 第四話
翌朝目を覚ました真琴は、昨夜のことを全く覚えていなかった。
倒れた時のことも、記憶は曖昧であるらしい。
「戦っている人達の姿に心が揺さぶられたのは覚えているんです。……とても悲しくて、苦しくて。でもその後、何か……もっと強く思ったような気がするんですが」
「無理に思い出す必要も無い。無事に目が覚めたのなら十分だろう」
「夏野の言う通りだ。本当によかった……全然起きないから、昨日はものすごく心配したぞ」
「その割には、那央は気持ちよさそうに寝てたけどね」
平然と嘯く春。
体調が悪そうには見えないが、恐らくそう装っているだけだろう。
夏野は皆に分らぬように、そっと溜息をついた。
「ちょっと待て、春。それは言うなって。……だって俺もよく分からないんだ。今までこんなこと無かったのにいつの間にか眠っててさ。でもやっぱり言い訳だよな。ごめん、真琴」
「え? いいえ、全然そんな。むしろちゃんと眠ってくれた方がいいです。ご心配をおかけしてごめんなさい」
那央と真琴は互いに頭を下げあったが、その拍子に真琴の腹が大きな音をたてた。
「す、すみません。私ったら、こんな時に」
恥ずかしがる真琴に、夏野は笑って頷いた。
「真琴はそれくらい元気な方がいい。簡素なものだが食べられる者は用意したから、まずは腹ごしらえだ。その後、大丈夫なら出立の準備をしようと思うんだが」
「大丈夫です。よろしくお願いします」
春も夏野も、真白については一切触れなかった。
昨夜の最後に、夏野は春から念押しをされていた。
真琴には、もともと二人が一の体を共有していたことは決して漏らさぬこと。
真白が既にいないことを、決して悟られぬこと。
なるべくあの村から遠ざかり、真琴が自由に生きて行ける場所まで連れて行くこと。
-それじゃ、真琴はずっと真白を探し続けるぞ。村からの追手に怯え真白も見つからない、では真琴の心は休まらないだろう-
-いつか僕から話す。真琴にも……僕にも、覚悟が出来たら-
それが正しい事なのかどうかは分からない。
ただ、今は夏野自身も考える時間が欲しかった。
「ここを出たら、東に向かう」
「東、ですか……」
携行用の米団子に味噌玉、あとはこの辺りで採取した山草という簡素な朝飯。
それを口にしながら、夏野は説明した。
「ああ、そうだ。このまま北に向かえば国に帰れるが、そちらには先に那央に報告に行ってもらう。俺達は少し寄り道をして、軽く東の情勢を探って行きたい。東は今、その多くが新津氏の領地となっているんだが、城下町はかなり栄えていてな。人の出入りも多いから、左程怪しまれずに入り込めると思う」
一夜遅れを取った分、早く親父殿に戦況を報告してもらう。
そしてあわせて真琴と春のことも先に説明しておいてもらいたい。
そんな夏野の思惑はきちんと伝わったようだった。
夏野をちらりと見て頷いた後、那央は少し遠慮がちに笑って真琴に話しかけた。
「あそこは陸路と水路の合流点だから、人も物も次々と集まってくるんだ。……真琴はそんな大きな町を見たことが無いだろう? きっと驚くし、楽しいはずだよ」
「そうなんですか?」
目を輝かせる真琴に春が冷静に釘を刺す。
「何度も言うけど、遊びじゃないからね。那央も無駄に期待させるなよ」
「うん、ごめんね、春」
「悪かった」
真琴とともに春に神妙に頭を下げる那央。
多少喧嘩っ早いところもある那央だが、春に対しては不思議と素直に応じることが多い。
実は那央にはまだ、春の正体については話していないのだが。
春の纏う、どこか言葉にし難い雰囲気を肌で感じているのかもしれない。
夏野はそう思った。
「まあ、余裕があれば町見物もいいかもな。ついでにこの先は周囲に怪しまれぬよう、俺達は兄妹弟という体にしておこう。国が滅ぼされ士官先を求めて放浪している俺と、その妹弟だ。出来るな?」
「はい」
「……不満だけど仕方がない」
「春ったら。すみません、夏野さん」
「夏野さん、もしばらくは禁止だ。兄なんだから」
「あ、すみません。えっと……お兄、様?」
「それも少し堅苦しいな。兄ちゃん位でちょうどいいだろう」
「……お兄ちゃん」
そうだなと頷く夏野。
照れて声が小さくなる真琴を横目に、春がわざとらしく息を吐いた。
「何だ、春も練習してみたいのか?」
「!! ……冗談を言うな。僕は絶対そんな呼び方はしない」
「そうか、残念だな。ちなみに俺はお前のことは春坊と呼ぶぞ」
「却下だ!!」
聞いていた真琴と那央が噴き出した。
***
「じゃあ、俺はこっちへ」
分かれ道で立ち止まった那央が、名残惜しそうな顔をして皆を仰ぎ見た。
腕に乗せている疾風も、主の気持ちを察するかのように小さく首を傾げている。
「親父殿によろしく伝えてくれ」
「分かった。皆も気をつけてな。……真琴は特に、無理するなよ」
敢えて名を呼ばれた真琴は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って頷いた。
「はい、ありがとうございます! 今度お会いできる時までには、もっと元気になれるように頑張ります!」
「あ……うん。そうだな、頑張れ」
気の毒なほど耳を赤く染め、那央は疾風と共に、国への道を駆けて行った。
と、ため息をついた春が呆れたように真琴に言う。
「真琴、余り思わせぶりな態度を見せちゃ駄目だよ。あいつ、完全に勘違いしてるぞ」
「え? 何? 何の話?」
「……子供だな、真琴は」
「ちょっと、春! 何なの、もう」
そんな二人の横で、夏野は声を立てて笑った。
「夏野さんも、笑わないでください!」
「ああ、すまない。悪気がある訳じゃないんだ。真琴も那央も初々しくて微笑ましいと思ってな」
「……?」
「那央は本当に真琴のことが好きなんだよ。真琴はまだ分からないかもしれないが、もしそう思われるのが嫌じゃ無かったら、これからもあいつと親しくしてやってくれないか? あいつのことは俺が自信を持って保証する」
真琴は初めに驚いて、次に顔を真っ赤にして、最後に何度も首を横に振った。
「嫌だなんてそんな……。那央さんがいい人なのは私、よく分かってます。……でも、その、好きとかそういうのはまだ、分からなくて」
「急いで答えを出そうとする必要は無いんだよ。真琴だっていつか、那央のように好きだと思う相手が出来るだろう」
「……そう、なんでしょうか」
「もちろん。その相手が那央だとしたら俺は嬉しいが、そうじゃなくても構わないんだ。それは真琴の自由なんだから」
「……はい」
そう言葉を交わしながら、夏野と真琴が同時に感じた微かな胸の痛み。
だが二人ともそれには気づかないふりをして歩き始めた。
真琴は那央へ、そして夏野は真白へ。
きっとその違和感は、相手への見つからない答えを探しているから。
それぞれ、口には出さずにそう思っていた。
ただ一人、春はその光景を複雑な表情で見つめていたが、やがてそっと目を伏せると二人の後を追った。




