はじまりの村
「ガハハハハハ!!ハーシュちゃん結構いけるクチじゃねえの!!」
「いいぞいいぞ~!!」
「あはははははは、あはは、あはははははは」
向こうのテーブルでハーシュが酒の回ったふやけた顔で笑っている。
一体何がそんなに可笑しいのか。きっと箸が転がっても可笑しいのだろう。
「あーっ!!??あたしの酒が飲めないってのくあああああああ!!??」
リデアはリデアで全く飲めないくせにジョッキ片手に男たちに管を巻いている。
「お兄さあん」
右隣から首筋を蛇が這うような甘ったるい声が聞こえてくる。ぞわりと声をかけられた側の右半身が総毛立つが、カインはそちらを見て見ぬふりをする。
「お兄さんってばあ、ねえねえ。もう~全然こっち向いてくれない~」
「照れてるの~??お兄さんってばかわいい~」
女性に囲まれているだけなのにさっきから肉食獣に囲まれているような威圧感を感じるのはなぜだろうか。
「おうおう!!のんれんのかカイン!!」
リデアがジョッキ片手に突っかかってきた。目つきが相当怪しいことになっている。昼間何もしてないくせにどうしてこいつはこんなに大きな態度ができるのだろうか。
それにしてもリデアが絡み酒だったとは知らなかった。今すぐ黙らせたかったが、変に抵抗しても逆効果だと思い、何も言わずやり過ごすことにした。
しかし、カインはそれがすぐさま裏目に出たことを悟った。
「おねえさんらねえ…こいつ来年王立騎士団にはいるからねえ……つばつけんならいまのうちらよ~、うえっへっへー」
リデアが冗談交じりにそう言うとその瞬間、カインは女たちの空気が変わったことを察知した。
リデアはとんでもない失言をしたのだ。
カインが周囲に目をやるとただでさえ肉食獣然としていた女たちが明らかにギラギラとした狩人の目に変わっていく。非常にまずい、が既に後の祭りだ。
「…お兄さん…かっこよくて強いうえにエリートだなんて…」
「すごおい、今夜…お部屋行っていいですかあ??」
「あたしマッサージなら得意ですよお?試してみますう?」
頼むから勘弁してくれと思いながら泳ぐ目でテーブルの向こうに目をやるとハーシュの肩を抱いている初老の男がいた。
まずカインが何より驚いたのはその男の表情だった。
人がそこまで好色性を十全に顔に表現することができるという事実に、カインは打ちのめされた。あまりの超常的な光景にまるで遥か遠い世界の出来事を眺めているような気持ちになる。
しかも悪いことにその男はどうみてもさっき挨拶を交わした村長だった。
一体この村はどうなっているんだ。カインは頭を抱えた。
「ねえねえ、お兄さあん」
「お酒進んでないですよ~飲んで飲んで~」
両隣の女たちは無遠慮なまでに体を押し付けてくる。しかもジョッキに次から次になみなみと酒を注いでくる。当然こちらのペースなどお構いなしだ。
さらに向こうのテーブルの男たちが忌々しそうにカインを睨みつけているのにカインは気が付いていた。舌打ちでも聞こえてきそうな険悪な様相だ。
別に自分としては好きでこうなっているわけではない。カインとしてはむしろ変わってくれるものならいますぐ変わってほしいくらいの気持ちだ。
…どうしてこうなった。
カインは酔いからくる頭痛とストレスで遠のきそうな意識を必死で手繰り寄せた。もしも意識が飛んだならば(貞操的な意味で)生まれてこの方経験したことがないほどのとんでもない危機に陥ることは本能的に理解できた。
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(遡ることその日の昼の時刻)
「ぎもぢわるい…」
「よしよし…」
青い顔で横になったリデアにハーシュは馬車酔いに効くという手のツボを押してあげていた。
「こんなことなら状態異常回復きちんと習得しとくんだった…ごめんねリデア…」
昨日、アレフガルド学園が長期夏季休暇に入る前日、夏学期の最終日の夜に三人は話し合い、一先ずは西のオーロラーバレーを目的地として定めることに決めた。
リデアの話ではオーロラーバレーでは空が白みだす刻限まで眠らずに、『夜明けのオーロラ』に願掛けをすれば願いが叶うということらしかった。意外なところで乙女なリデアだ。
冒険の旅とはいえ、ひと夏まるまるの旅行である。学生の身分では旅費が馬鹿にはならず、各地の村のギルドで日銭を稼ぎながら転々と西を目指すということに決まった。
しかし、行先切った途端にこれである。
「リデアが馬車に弱いのは意外だったな」
「リデアにしては意外だったね…」
「あんだらわだしをなんだとおもっでるの…」
カインは聞こえないようにため息をついたが、勘の鋭いリデアは顔面蒼白になりながらもカインの方をぎっと睨んできた。
いいからエネルギーを無駄にするな、温存しろ。とカインが思ったその時、馬車が減速し止まった。
まだ次の目的までは大分距離があるはずだった。カインが何事かと御者台に顔を出すと、目が合った御者は怯えと少しの気まずさが混じったような表情をしていた。カインは先の道に目をやるとそこには一台の馬車が止まっていた。
それにしても奇妙な様子だった。休憩するにしては周囲に見張りなども立てておらず、人影も会話をしているような様子もない。
何よりも馬が異様に興奮しており、今にも暴れださんとしているのを御者が必死になだめていた。
「何かのトラブルだろうか…話しかけないのか?」
「あ、はあ…」
御者の煮え切らない態度からは、面倒ごとを避けようとする意図が読み取れた。
このままでは埒が明かないとカインは手っ取り早く御者台から飛び降り、道の向こうの馬車に近づいていった。
「カイン!?どこ行くの」
「お、お兄さん、ああゆうのには関わらない方が…」
「関わらないもなにも、このままでは通れないだろう。リデアは呼ぶまで待機していろ」
最も、今の状態のリデアが戦力として期待できる気はしなかったが。
「ちょっとお兄さん!!」
御者の視線を背に道の先の馬車にカインは近づいていく。
「ちょっとすまないが…」
御者は明らかに有事が伺える怯えた顔だった。声を出さないように必死に唇で何かを伝えようとしていた。
…「い」「え」「お」…
逃げろ…?
と、黒い物体が御者の顔の真横を通り過ぎこちらに襲い掛かってきた。
キン!
飛んできたものは一本の手斧だった。カインはそれを剣の柄で弾く。
「ッヒャアアアアアアアアア!!!」
次いで御者の後ろの幌と馬車の両脇から甲高い声を上げて三つの影が出てきた。
殺気を隠すのがえらく下手だ。あと奇襲なのに声を上げるのは頂けない。カインは他人事のように思う。
カインは剣を鞘ごとベルトから外して正面の男のみぞおちを真っ直ぐ突いた。男の飛んでくる勢いで力を入れることなくスムーズに鞘は急所にめり込んでいく。
「オッゴエエエエエエエッ!!??」
男の悶絶する声を聞きながら、カインは驚愕の表情を浮かべる左の男からの攻撃を半身にいなして躱し、すれ違い様に手刀を首筋に叩き込む。男は声もなく倒れた。
騎士団でやらされた徒手空拳の組手がこんなところで役に立つとは思わなかった。
あっという間に形勢不利なことを悟った右の男は最初の威勢はどこに行ったのか、急ブレーキをして後ずさりをし始めた。カインは手っ取り早く男の喉笛をめがけて剣の鞘を投げつけた。剣の鞘が綺麗にめり込み男は白目を剥いて膝から崩れ落ちた。
計三人。カインは投げた鞘を素早く拾うと、馬車の中に敵がいるか確認する。人質を取られていたら厄介だがその心配はなかった。
幌を開けるとそこには猿轡をかまされた小太りの男が一人。おそらくこの馬車の持ち主だろう。
「三人ですべてか??」
カインは警戒したまま御者に聞いた。
「は、はい…」
カインはそれを聞くとベルトに剣を収めた。あとは、男たちを近くの村のギルドにでも突き出せばいい。
…リデアの出る幕もなかったな。
あとで不満を言うだろうがそれは後で聞くとしよう。
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「本当にありがとうございます!!これはほんのお礼です!!」
小太りの男は腰から折れておそらく金子の入った袋をこちらに差し出した。
「いえ、俺たちも火の粉を払ったにすぎません。結構ですよ。それじゃあ俺たちはこれで」
カインはそれに手も触れずにやんわりと断る意を示すと踵を返した。
「お、お待ちください!!私もこれでも商売人の端くれとしての矜持があります…何かしらのお礼をさせて頂けるまでは引き下がれません!!」
カインは意外と粘りを見せる商人に対してどうしたものかと思案顔をした。すかさず商人は食い下がる。
「…ひょっとして、宿をお探しですか??」
カインの数舜の沈黙を肯定と受け取ったか商人は商売人特有の笑みを浮かべていった。
「それでは、これから私の村の方にご招待させていただき歓待させて頂きます。もちろん宿代などはすべてわたくしが負担させて頂きます。それで如何でしょうか?」
思わぬ申し出にどうするか、とカインはハーシュに目で問う。商人はカインの視線を追ってハーシュにもニコニコとした商人らしい笑みを向けた。
「…えっと、リデアもあんなだし丁度いいんじゃない?」
話は決まった。
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そして、現在に至る。
「おにいさあん」
「おにいさんってばあ」
カインはストレスも酔いの回りもそろそろ限界に近づいてきていた。
あの商人も村ではそれなりに名が通っている者らしい。善意でこのような宴席を設けてくれているらしいのだが、如何せん三人には過分だった。主には酒量が、だ。
カインは自分にも相当が危機が及んでいるとはいえ、ハーシュ達の安否も気になる。それが理由でなかなかカインは退席できずにいた。
「お兄さあん、お若いのに王立騎士団って本当ですかあ?」
「すごいですね!どんな経緯で入られたんですか??入るの相当難しいって聞きますけど」
初めのうちは一々答えていたが、あまりに度を越した質問の嵐にカインは若干苛々し始めていた。自分は一片に十人と会話出来るどこぞの賢者ではないのだ。
「お言葉ですが…自分ばかりでなく皆さんの話でもしたらどうですか?…」
「えー趣味とか?」
「私はあ、趣味はガーデニングと料理かなあ」
今度は女性たちの姦しい自己アピールが始まった。
(…しまった…会話がまた…)
うんざりしつつ向こうの方を見るとリデアは未だに絡み酒を続けているようだ。というか、説教しているように見える。
ハーシュの方を見るとさっきまでハーシュの肩を抱いていた村長の顔が腫れていた。白髪の老人が神妙な表情でリデアの説教を聞いているというかなりシュールな光景だ。
あれはリデアが殴ったのだろうか…一方ハーシュは相変わらず幸せそうな笑顔で椅子にもたれている。
リデアがいれば一先ずハーシュのことは安心できそうだとカインは気を緩めた。
「ちょっと…手洗いに行ってきます…」
カインは背中にかけられる黄色い嬌声を無視して洗い場に向かった。
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カインは手水桶に水を汲むとそれを豪快に頭からかけた。
「ふう…」
少しだけ酔いが醒めた頭からぽたぽたと落ちるしずくを傍らにあるタオルで強引に拭った。
大分飲まされてしまった。
よくよく冷静になってみると、恩人であるはずの自分たちが義理で気の進まない宴席に出なければならないというのもおかしな話だ。
あそこからハーシュを連れ出して、自分もとっとと寝てしまおう。そう思い振り返るとそこに小柄な人影があった。
「かいん??だいじょうぶ??」
「ハー…シュ…」
ハーシュはにへらと締まりのない笑顔をこちらに向けた。
「…お前がな…」
「えーー??」
ハーシュは何が可笑しいのか、くすくすと喉の奥で笑った。
「ハーシュ、オレはそろそろ寝室に引き返す。お前は…」
「じゃあ…ひっく………ん……ボクが…連れてってってあげるよ」
ハーシュはふらふらとした足取りでこちらの脇の下に腕を差し込んだ。
「おい…よせ…ハーシュ…」
「いいからいいから」
酩酊した二人ではお互い支えにもならず、もつれる様な足取りで危なっかしくも二階に上がっていった。
何とか二階にたどり着くと廊下をたどり木の扉を開いた。
どうにかこうにかカインは自分のベッドに腰を下ろした。恐ろしく時間がかかった気がする。
「…ひっく………かいんおやすみ………それじゃあ……またあした…」
ハーシュはふらふらと千鳥足のまま立ち上がった。
「お、おい、また下へ行くのか??大丈夫なのか?」
「へーき、村長さんがちゅーしようとしてきたけどリデアが守ってくれたよ」
案の定の顛末だった。
「リデアに怒られてるそんちょーさん可笑しかったあ」
ハーシュは思い出したのか、くすくすと笑った。
「それじゃおやす」
カインはハーシュを手をとり引き留めた。
「…別に行くことはないだろう」
「なんで??…ひっく…」
ハーシュは桃色に染まった頬で小首を傾げた。首の下まで染まっていた。
「なんというか…あそこは危険だ…行くべきじゃない」
「じゃあ、リデアも…連れてくる?」
「いや…リデア…は…大丈夫だ…」
「…なんで?…ひっく…………リデアはよくてボクはだめなの?………なんで?……」
ハーシュは不思議そうにこちらの顔をのぞき込んでくる。
こいつは…酔っぱらってるくせにどうして余計なことを聞き流してくれない…。
「いいから…さっさと部屋に…」
そこまで言ってカインははっとした。
リデアはあの様子だとこのまま部屋に戻らずに夜を超すだろう。この村は村長でもあんな様子なのだ。ハーシュを一人部屋に置いておくのはそれなりに危険があるかもしれない。主に夜這いとか。
「………」
「カイン……??」
「…お前はこの部屋で寝ろ…」
「…へ?」
ぼんやりとしていたハーシュの黒目が見開かれる。
「オレは…床で寝る…から…」
カインは言い訳みたいに言いながらハーシュの細い腕をつかんだままベッドから腰を上げようとした。
「わっ…ちょ、ちょっと…」
一瞬、酔っぱらい同士で引っ張り合いになり、気が付けばカインはベッドに押し倒すような形になってハーシュとばっちりと目が合った。
ハーシュの頬は桃色に上気しており、両手は脱力したまま投げ出されるように広げられていた。
ハーシュのアルコールで潤んだ目の中に一瞬浮かんだものは、怯えだったろうか?
「いや…違うんだ」
弁解するような言葉が口をついて出たのはなぜだろうか。
「オレは…お前が心配だったから…」
カインはなぜか叱られるのを待つような気持になった。
恐る恐る顔を上げてハーシュの目を見ると、そこから怯えの色は消えていた。
「うん…カインの言うとおりにする…」
ハーシュはそう言って可笑しそうに微笑み、犬をなだめるような手つきでカインの頭を撫でた。
「…だいじょぶだいじょぶ……カインのこと…信じてるよ…」
ハーシュから見上げたカインの表情に一瞬苦しそうな表情が浮かんだ。
「だから…カインも安心して…」
ハーシュはぼーっとした頭のまま、それを不思議な気持ちで眺めた。
「ああ…わかったから…さっさと…寝ろ…」




