二度と戻らない時間
「か、カインくん!!」
「…なんだ」
「あ、あの…先週の試合凄くかっこよかったです!!こ、これは気持ちです!!受け取ってください!!」
「ああ…ありがとう」
女生徒は顔を真っ赤にしながら走り去って行った。何となく微笑ましい。
「良かったね」
「負けた試合で騒がれるのも複雑だが」
「これで何人目だろうね」
「…さぁ…」
「そうだよね。試合でのカインカッコよかったもんねー」
「そうか?」
「可愛い子だったね」
「……そうか?」
カインとしてはハーシュの余所余所しさの方が気になった。しかし、それよりもカインはハーシュに言わなければならない事があった。
「なぁ、ハーシュ…」
「なに?」
「…」
「…どうしたの??」
「…いや…なんでもない」
「…ふぅん」
ハーシュは不思議そうにカインを見上げるだけだった。
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移動教室の移動時間のことだった。
「悪いな、急に呼び出したりして」
「話ってなに?」
「…コルゴンさんに王立騎士団に入らないかと誘われた」
…
「ええぇぇぇぇぇ?!まじで?!」
王立騎士団と言えば魔法科と剣士科の双方で最も志望者の多い就職先の1つで、内定が決まればそれだけで将来への好待遇が約束される。スカウトされる事などは夢のまた夢だ。
「なんでお前にはこうもすんなり言えるんだろうな」
そう言ってカインは小さくため息をついた。
「…なんか良くわかんないけどすごい心外な気がするから殴ってもいい?…」
まぁ、誰のことを言ってるのかは言わなくても分かるけど…。リデアは心の中で独りごちた。
「それで、その事で一体なにを迷ってんのよ、願っても無いチャンスじゃない」
「問題は時間だ」
「時間??」
「コルゴンさんは再来年異動する事が決まっているそうだ。権限が騎士団内にある内に話を付けたいということで、一年間早く卒業しないかと誘われている」
「…だから?」
「忘れたのかリデア?…ハーシュとの3人の約束」
「覚えてるわよ」
「だったら…」
「馬鹿じゃないの」
リデアの辛辣な言葉にカインは目を見開いた。
「…ハーシュのためにこんなチャンスを手放そうっての?たかだか学生同士の思い出作りのために?」
「おい、リデア…!俺は…」
「そんな甘っちょろいこと言うようならあんたとは金輪際絶交だ」
そう言うとリデアは振り返りさっさと行ってしまった。話し合いが決裂してしまいカインは目を手で覆った。
しかし、リデアが移動教室の先とは全く別方向にずんずんと向かっていく様子を見てさしものカインも慌てた。
「…おい!どこへ行くつもりだ!リデア!」
カインから差し出された手を肩で払うとリデアは全速力で駆け出した。
「どこへ行くと聞いている!?」
「あんたには関係ない!」
「関係なくないだろう!」
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「…ざけるな!」
「あんたが…!!」
教師が今日の題目について話し始めた矢先に教室の外で言い争う声が聞こえた。
「何?喧嘩?」
「男女?なになに?痴話喧嘩??」
そこでハーシュははたと気がついた。
(あれ?でもこの声って…)
ガタン
二つの影が教室の扉から転がり込んできた。
見るとそれはリデアとカインで二人とも何故か肩で息をしていた。
剣士科の有名人二人が入ってきたことで教室内は騒然としたのち、当然の如くハーシュにも視線が集まる。
「ど、どうしたの…二人とも」
「何でもない…行くぞリデア、授業の邪魔になる」
『凍える天神』
カインは驚きの顔で自らの両足が教室の床に凍結されているのを見た。
「リデア…!?お前正気か!?」
「り、リデアちゃん…学内での魔法行為は禁止され…」
「あ゛?何です?」
「…いえ…なんでもないです…」
『赤髪の魔女』ことリデアの本気のメンチにポムデリア先生も小さくなるばかりだった。
「ハーシュ!!」
「どうしたのリデア…?…」
「カインがコルゴンさんに王立騎士団にスカウトされた」
「え?」
「おい!リデア!!一体なんのつもりだ!」
カインの意思とは反して教室内は色めき立つ。
「ほんと…?すごいねカイン!!」
「それでね、ハーシュ…その都合でカインは今期で学園からいなくなるかも知れない」
「…え…」
教室内のどよめきが更に増した。
「そうなの?」
反対にハーシュの目からは感情がすっぽりと抜けてしまったように見えた。
「カイン?」
「……そうだ」
「……そっ、か……」
ハーシュは無言だった。
「ご、めん、ちょっとトイレ行ってくるね」
「ハーシュ!」
カインの呼び止めにも応じずハーシュは逃げる様に教室の外へ出て行った。
「リデア!!一体どういうつもりだ!!」
「…何が?」
「何がだと…!?…お前……!…………?!」
そう言ったリデアの目には有無を言わさない静かな怒りがこもっていた。
「ハーシュが自分のためにこんなチャンスをあんたがみすみす逃して、それで本当に喜ぶとでも思った?」
「だからと言って今言う事ではないだろう!ハーシュの気持ちはどうなる!」
「今言わなくていつ言うのよ?あんたにとっての時間はハーシュにとっても限られた時間なのよ?」
カインは口を噤んだ。
「あと私が……言いたくてあんな事言ったとでも思った?」
カインが顔を上げた時、リデアは既に教室の外だった。その表情はカインからは見えなかった。
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草木が、小川が夕陽に染まりかけていた。
出来るだけ足音を立てないように小川のほとりに近づいて行く。すると案の定ハーシュが膝を抱えてそこにいた。
しばし耳を傾けると小川の水のせせらぎに混じって微かにしゃくり上げる音がする。それでリデアの胸は微かにチクリと痛んだが、それを振り払うように声をかけた。
「ハーシュ」
「…リデア?」
振り返ったハーシュは慌てて顔を袖で隠したが、赤い目までは隠せてはいない。
「落ち込んでる時はここに来るからさ、ハーシュ」
そう言ってリデアはハーシュの隣に腰かけた。
「…ごめん」
「…謝らなくていいよ…私も悪いし…」
ハーシュはふるふると首を横に振った。
「リデア、少し目赤い?」
「…今のあんたには言われたくないけどね」
リデアも鼻をすすった。
「…リデア…カインと何かあった?」
「…別に…いつも通りだよ」
「…そう…」
ハーシュは自分の膝に額を押し付けた。押し殺した嗚咽が漏れる。
「…どうして泣いてるのよ」
「…じ、自分が…情け…なくて…」
ハーシュは袖で目元を拭った。
「カインの事祝いたくて…でもどんどん先に行っちゃうカインが…寂しくて…それにひきかえ僕は魔力だって初等科並みに落ちちゃって…頑張っても頑張っても全然魔法使えるようにならないし…約束だって…守れ…」
「ハァァァシュ!!」
「へぶ!?」
リデアはハーシュの左右の頬を両手で張った。
「そんな事私達が気にするとでも思った!?」
「そんなこと…」
「思った?」
リデアの目が真っ直ぐハーシュの瞳を射抜いてくる。
「思わないよ…!!」
ハーシュの目から今度こそ大粒の涙がこぼれ出てきた。
「…馬鹿ハーシュ」
「うううぅあああああああああぁぁ…!!!」
ハーシュの嗚咽が響いた。
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もう随分と暗くなってしまっていた。
門限ももう過ぎているかも知れないが二人とも口には出さなかった。
ハーシュの静かな呼吸が聞こえてくる。
「…泣き止んだ?」
「…うん…リデアも?」
「私は泣いてない」
「…うそつき」
リデアはハーシュを抱える両手に少しだけ力を込めた。
「はいはい、じゃあ今日はもう遅いから戻って寝なさい」
「…うん」
ハーシュはのろのろと立ち上がると脚を引きずるように部屋へと歩いていく。
途中二人とも会話はなかった。
その静けさが心地よくもあるし、お互いの不安の象徴であるようにも思えた。
いつまでも一緒にはいられない。そんな当たり前の事にようやく三人は向き合わなければならないのだ。
「じゃあ、私こっちだから」
「…うん…あのさ……リデア…」
「なに」
「ありがとう」
「…なんてことないよ」
ハーシュは泣き顔のまま少し笑うと、少し鼻をすすりながら、またのろのろと寮の部屋へと戻っていった。
「ハーシュ!!!」
リデアの声がハーシュを呼び止めた。
「夏になったら、冒険に行こう!!私達待ってるから!!」
「え…」
「危険な旅かもしれない…でも絶対に私達がハーシュを守るから…!だから…」
リデアは自分が出来うる限りの強さで笑った。
「だからハーシュはそれまでにヒールくらい使えるようになりなさい!!!!」
ハーシュに返事は言えなかった。後から後から涙が溢れてくるばかりだった。
ハーシュは思った。
一刻も早く強くならなければ。
二人との約束を守るために。
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ハーシュは夕陽の中で一心不乱に本を読んで何度も詠唱を試行錯誤して繰り返していた。
「…挨拶はいいのか?グラストン」
「あんなに集中しているのに、無碍には出来んさ」
コルゴンはたまにグラストンが垣間見せる分別に肩透かしを喰らう。
「…なぁグラストン」
「なんだ」
「ハーシュはいい友を得たな」
グラストンは満足そうに笑みを浮かべた。
「違いない」
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「リザイア先生」
学園長室で執務の最中だったリザイアは珍しい来客に作業の手を止め、驚きに眉を上げてみせた。
「なんだ、ハーシュくん。珍しいじゃないか?どうした??」
ハーシュは思い詰めた様に俯いた後、リザイアの目を見て言った。
「リザイア先生に…折り入って相談したい事があります」
決して老いることの無い美しさと言ったものがファンタジーの中の概念としてある一方で
今この瞬間しかないからこそ美しいものというものは現実の中にもあります。
その儚さに想いを馳せる事の方が最近は多いです。
…まぁだからなんだという話ですが。




