ハーシュの挑戦
ここはアレフガルド学院の初等科クラス。
新学期の始業前という事もあり、皆どこか浮き足立っているように落ち着かなさげだ。
「あーだりー」
「ロベルト、行儀悪い」
女生徒が机にだらしなく突っ伏したロベルトを諌めようとした。
「別に授業前だし…いいじゃん…ん??」
「ちょっと、ロベルト。話聞いて………??」
教室の扉から入ってきたのは見慣れないショートカットの銀髪がよく映える女だった。
まだ幼さの残る顔立ちだが、凛とした存在感はそこだけ水面から浮き上がっているようで絵になっていた。
「誰?あの女の人?新しい先生??」
「きれー…」
その銀髪の女に次いで入ってきたのはいつも人の良さそうな笑顔のマフガニー先生だ。
先生はパンと手を一鳴らしするとハキハキと話し出した。
「はい!皆さん!春学期も宜しくお願いします!今日から一緒に実技訓練を行う高等科二年のハーシュ・マギ・ベルナルドさんです!」
ハーシュと紹介された銀髪の女は緊張のせいか、ぎこちないはにかみを浮かべてみせた。
怜悧な見た目に反して、親しみが感じられる振る舞いのせいか教室の学徒達はますますその目を爛々と輝かせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「初等科で学び直したい?」
「…はい」
リザイアは羽根つきのペンをコトリと置いてふむ、と神妙な表情を浮かべた。
「それはまた…随分と思い切った提案だな」
「夏までにどうしても魔法を使えるようになりたいんです」
リザイアは宙を仰いだ。
「それにしても初等科か…」
「…ここ数ヶ月の訓練で魔力はある程度蓄積されて来ているはずなんですがまだ魔術は発動してないんです……性別が影響しているのかもしれません」
確かに性差で魔力の扱いや感覚が違う事は一般的にも言われている事だ。女性化した後、感覚をもう一度体得すれば行使も可能になるのかも知れない。
リザイアが珍しく真面目な顔で逡巡いると目の前にハーシュの顔が迫って来ていた。
「だからもう一度一から学び直したいんです!」
「オッケー…」
「えっ………いいんですか…そんなにあっさり…?」
先ほどまでのは何だったのか、と肩透かしを食らう思いのハーシュはリザイアのやけにギラついた瞳に嫌な予感を覚えてその視線の先を辿った。自分のシャツの隙間からはだけかけた胸がその先にあったのだった。
自室での訓練に夢中で部屋着のシャツ一枚の姿でここまで来てしまった迂闊さに今更ながらハーシュは思い至った。
「グレイト…」
リザイアの鼻からたぱたぱと鼻血が漏れ出していた。
「ハーシュくん…君から教師を誘うなんていい度胸だ…しかし、今日は敢えてその誘惑に乗ってみ」
「お疲れ様でした…!!」
ぬらりと立ち上がるリザイアを尻目にハーシュは脱兎の如く理事長室から抜け出した。
何となく情けない思いになりながらも何とか言質は取った。喜んでいいものかは複雑だったが…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(とまあ、来てはみたものの…)
初等科の風景はある意味壮観だ。
「せんせー!!ロベルトが邪魔してきます!!」
「うるせー!!」
「男子達うるさい!先生の話聞きなさい!」
ここできちんと訓練なんて出来るんだろうか…?
マフガニー先生は流石に慣れた様子で、この喧騒の中でも良く通る声で注意を促した。
「ハーシュさんは病気で魔力が一時的に少なくなってしまったため、リハビリを兼ねて皆さんと一緒に学びます!!皆さんハーシュさんと仲良くお願いしますねー!!」
「は、ハーシュ・マギ・ベルナルドと言います。みんな、よろしくお願いします」
しん……
「あれっ……」
「ハーシュちゃんかわいいー!!」
「ハーシュちゃん恋人いるのー!?」
一瞬の静寂の後子供達から熱烈な歓迎の意が表されたようだ。
…ちゃん付けだけど…
…とりあえずは受け入れてもらえそう…かな?
ハーシュは一先ず胸を撫で下ろした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教室内の其処彼処からサラサラとペンと紙の擦れる音が聞こえる。
文字の書き取りをやっているだけに見えるがこれもれっきとした魔術の訓練の時間だ。
術式を何度も紙に書いて魔術発動のイメージを組み上げていく。
初等科の頃から教室の中が静まりかえるこの時間が好きだった事を思い出す。明日こそは魔術が使えるかも知れないと思いながら一心不乱に紙にペンを走らせたものだった。
魔法を発動させるには先ずは魔力、そして魔力を具象化させるための術式のイメージとイメージを想起させるトリガーとなる言葉が必要となる。
魔法の基礎は魔力の蓄積と共に術式のイメージと言葉の関係性を身体に覚えこませる事。そのためには基本的には反復練習が必要不可欠となる。
今のハーシュは絶対的な魔力量が少なく、そのために何ヶ月も魔力量の底上げの訓練を行っていたが魔術の発動には至らなかった。
そうしてハーシュが結論付けたことは性差による術式のイメージの相違だ。
ハーシュはここ数ヶ月試してみて女性となった今では男性の時の術式が使えない事がわかってきた。
男性と女性で魔法の特性が異なることは以前から提唱されていたことだったが、あくまで仮説の一つという位置付けだった。
しかし、魔力量が初等科並みになっても魔法が発動しない事に鑑みてハーシュはその事についていくらか確信を深めていた。
そして術式をまた一から学び直すため、初等科での勉強のやり直しを考えたのだ。気の遠くなるような事ではあるが、リデアとカインと冒険するという目標がある以上やるしかない。
「ハーシュお姉ちゃん、そこの術式違うよ」
「あ、ほんとだ」
本当は間違っているのではなく以前の癖で省略してあるのだが、ハーシュは一から学び直すためにそう言った癖を含めてリセットしたいと考えている。
「ありがとう。えーと、シンシア」
初等科は胸に名札が付けてある。名前を覚えるのが幾分不得手なハーシュは助かる思いだった。
「ハーシュお姉ちゃん、分からないことは何でも私に聞いていいんだからね!」
隣の席のシンシアが身を乗り出し目を輝かせて言ってきた。
「あはは…うん、ありがとう」
「ハーシュお姉ちゃんは病気で魔法が使えなくなっちゃったの?」
「そうだね。まぁそんなところかな」
かわいそーという声が聞こえる。
「それじゃあ私達がハーシュお姉ちゃんを守ってあげる!!」
「…ありがとう」
「ペチャクチャうるせーな、なにヘラヘラしてんだよ」
振り返るとロベルトと呼ばれていた少年が顔を不快そうに歪ませていた。
「いい歳こいて術式の書き取りなんて恥ずかしくねーのかよ」
「ロベルト!また意地悪言ってる!!」
「意地悪じゃねーよ、事実だよ。才能のある奴はどんどん先に行く、才能ない奴はどんなに頑張っても無駄なんだよ無駄無駄」
ロベルトのどこか突き放した様な言い方に女の子達も言い返す威勢を挫かれたようだった。
「高等科にもなって術式の書き取りやるくらいなら俺だったら辞めるね」
「…ハーシュお姉ちゃん気にしないでね!ロベルトの馬鹿はいっつも意地悪な事しか言わないんだから!」
「そうそう!」
「あ、はは…」
ハーシュは笑い過ごそうとしたが、心の中の何かがぐらつく様な感覚があった。
子供のいう事だ、深く考えるな。
ハーシュは目の前の紙に向き合い、何かにすがる様な思いで必死に書き取りを続けた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「いたた…久しぶりに肩が…」
そろそろ暗くなって図書館も閉まる時間になり、ハーシュは自室に戻るところだった。
あれから自主的な居残りで書き取り練習を続けていた。それでも自分で設定していたノルマには到達しなかった。
気持ちばかり焦るが、休まなければ明日も頑張れない。ゆっくり風呂に浸かれば凝りもほぐれるだろうか。
今日はなんか疲れたな…
廊下を曲がるところでリデアとばったり出会った。風呂上がりなのか薄着でタオルを無造作に頭に被せている。
ハーシュが一瞬ギクリとしたのは磨耗した心で上手く笑える気がしなかったからだ。
「あれ…どうしたのハーシュ?」
リデアの声の調子はいつも通りだ。少し安心する。
「え、と、なにが?」
「疲れた顔してるけど」
「え、そうかな…?」
リデアはハーシュの頭を片手で引き寄せて抱きしめた。その仕草が余りに自然だったのでハーシュは抵抗する気も起きなかった。
胸元に抱き寄せられるとふわりと石けんの香りが鼻孔をつく。香りはストレスの軽減になるんだっけ…確か。そんな事が頭をよぎる。
「…リ、デア?」
「言っとくけど」
リデアは自分の肩から胸の辺りにハーシュの頭を押し付けたまま言った。
「あたしの前で無理して笑うなんて許さないから」
「…無理なんか…」
「嘘」
胸の奥にじんとした温かいものがこみ上げるのを感じた。
「リデア…」
しばらくそうしていた。少し気恥ずかしい思いがあったが、嫌な気持ちはしなかった。
「…で、なに?ガキンチョ共になんかされた?」
リデアがあっけらかんと聞いてくる。
「いや、みんな良い子達だよ。助けてくれるし…ちょっとだけ…」
「ちょっとだけ?」
リデアの言葉に軽く険が立つのが分かった。
「…あ、いや…なんでもない…ちょっとだけガヤガヤしてるなってだけ」
「……ちょっとだけなに??」
「いや…その…」
「…良い子のハーシュくんは何度も言わなきゃ分からないのかしら?」
恐る恐る顔を上げるとリデアの凄味のある笑顔がそこにあった。
も、ものすごい怒ってらっしゃる…
「で、でも初等科の子だよ…?」
「尚更“教育”しがいがあるじゃない、腕がなるわぁ♪」
「…」
口元に凶悪な笑みを浮かべるリデアを呆然と眺める。本気なのだろうか…?
「ハーシュが言わないならしらみ潰しに1人ずつ締め上げるしかなくなっちゃうなぁ♪」
「…流石に冗談だよね…?」
「………何言ってるの?たかだか初等科一クラスでしょう?」
「…わ、分かったから…言うから…」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ロベルトってどいつ?」
初等科の皆んなは突然の予想だにしない来客に声なき悲鳴をあげた。
赤髪の魔女。
高等科の親善試合で他校の選手を高笑いをあげて散々に蹂躙し尽くしたその姿は初等科の学徒達にも鮮烈な印象を刻み込んでいたのだった。
初等科の皆んなは無言のままその視線が一点ロベルトに集中する。
皆んなの反応はどこまでも素直で従順だった。
逃げ場をなくしたロベルトは精一杯威嚇するように声を荒げた。
「だ、だったらなんだってんだよ!!!」
ニヤァとリデアの口許が歪んだ。その凶相が余りに魔女めいていたので初等科の学徒たちは軒並み恐怖に悲鳴を上げた。
「ヒィイイイィ!!??」
リデアが一歩二歩とロベルトの側に歩み寄り、その首根っこを素早く捉えた。
「な、なななななにすんだよ!!お、おおおおお俺は脅しには屈しないぞ!!」
「ちょっとこの餓鬼の面貸してもらってもいい?」
初等科一堂、頭が割れんばかりに首を縦に振った。
「いい子達ね♪」
「う、裏切り者ーーーーー!!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「で、何で呼ばれたかは分かってんの?」
「あ、あの白髪の女のことかよ…」
ハーシュは正確には銀髪だが、それはどうでもいい事だった。
「そう、分かってんなら話は早いわ。で、なんか申し開きはある??リデアおねーさんは寛大だからその暇をくれてやるわ」
「ひ、卑怯だぞ!!大人たちが寄ってたかって!!」
「別に寄ったりたかったりしてるつもりはないけど…」
リデアは声を低く落として言った。
「…なんでハーシュにあんなこと言ったの?」
「…才能ない奴に才能ないって言って何が悪いんだよ!!」
「…才能のあるなしなんて他人が決めつけていいことじゃないでしょう?」
「どんなに頑張っても無駄な事だってあんだよ!!ちくしょう…俺だって…!!」
ロベルトはそう言った後ハッとして恥じ入る様に俯いた。
リデアはロベルトのその様に少しだけ気持ちが緩むのを感じたが、手綱を握り直す様にそれを引き締めた。
「…あんたの事情を私は知らないし理解出来るなんて思い上がったことも言わない。あんたがいじけようが何しようがあんたの勝手。…でも必死に前向こうと頑張ってる奴を馬鹿にする奴があたしは大嫌いだ」
ロベルトは益々顔をうつむかせた。
「ハーシュは才能ある魔術師だったの…幼い頃に両親を失くして兄貴達からしごかれて必死になって頑張ってた、そのせいか意識が高くて正直ちょっと鼻に付くくらいのね」
リデアは別に子供をいじめたい訳ではない。ただ、自分の親友の事を理解して尊重して欲しいだけだ。
「そいつが一夜にして魔力や魔法すべてを失った…その絶望があんたに分かる?…そんなの…あたしだって…分からない」
リデアは遣る瀬無さに拳を握りしめた。
「あいつにとって今はものすごく大事な時なんだ…私やカインにとっても…分かってくれる…?」
ロベルトの方を見ると、ロベルトはいじけたような顔でこちらを見た。
「…何でそこまで大事なんだよ…」
リデアは少し相好を崩した。
「そんないじけた様な顔するもんじゃないわよ。あんたにだって居るでしょう??あんたの一歩一歩を大事に見守ってくれてる人が」
「……そんなのいねえよ…」
ロベルトの脳裏に浮かぶのは兄や優秀な同期の後ろ姿。世の中にはいつも自分よりも遥かに前を行く奴がいて、そいつが賞賛も何もかも独り占めにする。
そんなロベルトの心に重しをかけたのは両親の心無い言葉だった。
『兄さんに出来てお前に出来ないなんて事はないだろう?』
そうしてロベルトはいつしか前を向くのが億劫になってしまった。
俯くロベルトの手をリデアは掴むと無理やり開かせた。その人差し指には堅いコブの様なたこが出来ていた。
「な、なにすんだよ!やめろ!」
「努力の証を隠す必要なんてない」
リデアははっきりと言った。
「誰かよりも前に進む事が凄いんじゃない。人の価値はそんな物差しじゃ決まらない。少しずつでも、一歩ずつでも前に進める事が凄いことなんだ。尊い事なんだ」
リデアに握られた手は余りに強くジンジンと熱を持っている。ロベルトは呆然としたままその熱を受け取っていた。
「あんたの努力を貶める奴がもしいたら…私が一人残らずぶちのめしてやるから言いなさい」
リデアはロベルトの瞳の色が変わるのを見た。その素直さに感嘆する思いだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「えーっと…??」
「はい、ごめんは?」
「ご、ごめん…なさい…」
リデアから急に話があると声を掛けられて空き教室に入るとロベルトが小さくなってそこにいた。
何かを示し合せていたのか二人はごにょごにょと話してから今に至る。
いつの間にリデアはこんなにロベルトと仲良くなってたんだろう…とハーシュは不思議を通り越して感心する思いだった。
でも、ロベルトが頑張って謝る姿を見ていると許すも何もという気持ちになってくる。
ハーシュはしゃがんでロベルトに目線を合わせた。
「全然いいよ、ありがとう」
「…あ、あぁ…」
ロベルトはハーシュの屈託の無い笑顔から思わず目を逸らした。
「…何が『あぁ…』よ?何カッコつけてんの??それに何顔赤くしてんの?惚れたの?馬鹿なの?」
「あっ赤くなってねーし!!ば、バッカじゃねーの!!??」
ハーシュは二人のやり取りが兄妹のようでくすくすと笑った。
ーーーーーーーーーー
「リデア、ごめんね。僕のことなのに色々としてもらって」
「いいのよ、これは自分のためでもあるんだから」
リデアは夕焼けの廊下をタタッとスキップをするみたいに跳ねる。珍しくはしゃいでる様子だった。
「冒険楽しみにしてるから」
なんの疑いも遠慮もないリデアの物言いに、ハーシュは時々羨ましくもなる。そこまで相手の事を信頼して委ねられる事が、自分には出来るだろうか?
「…うん」
自分は、もっと早く強くならなければならない。




