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創世紀  作者: 首藤
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2021年



2021年、5月。


高校三年生の陽川捏は、このゴールデンウィーク期間に家を飛びだして、1人で羽田空港第三ターミナルまで来ていた。

もちろん、旅行をするためである。行き先は、イタリア中部に位置するフィレンツェである。しかし、フィレンツェは一時的に滞在するだけであり、本来の目的地は中東地域である。中東地域に向かうことは、もちろん家族に伝えていない。


高校生最後の年に海外旅行をしようと思い至ったのには、複数の理由があった。


フィレンツェに行きたいのは、見てみたい芸術品や古代ローマ時代の品々がフィレンツェのウフィツィ美術館にあるので、寄ってみることにしたのである。

そして中東地域に向かう理由は大きく分けて2つだ。一つはメソポタミアなどを中心とした、中東地域で栄えた古代文明に興味があるためであり、どうしても遺跡をこの目で見たかったからだ。


そしてもう二つ目は、“創世紀”の謎が解けるであろう地域だからである。


この“創世紀”は、聖書で有名な“創世記”ではない。筆者が“創作論”に対しての自論を書いただけの、無神論者の本である。いや、“神への冒涜を詰め込んだ本”といえば、わかりやすいだろうか?

ほとんどが“genesis”という人物を主人公とした童話のような内容であり、それが面白いのだ。


“創世紀”は全てラテン語で書かれてあるが、少し拙いというか、文法に間違いがあるので、まあ、当たり前といえば当たり前だが、ラテン語が使用されていた時代に書かれたものではないように思う。大方、誰かによって語り継がれていたものが本になったのだろう。僕はそう推測していた。


この創世紀の謎はさまざまだが、最大の謎はやはり「作者」であり、そしてなぜこんなものが“世界各地で見かけるのか”も、不思議に思っていた。


僕が創世紀と出会ったのは、中学生のときだ。父が外交官なので、小さい頃から世界各国を転々としていたところを、たまたま“創世紀”を見つけたのだ。不思議な古書だったので、幼いながらに興味を持った僕は1ヶ月もしないうちに創世紀を2冊とも読み終えた。


読んでいる途中、僕は大変驚愕した。なぜなら、この世界で僕と同じ思想を持っている人間は他にいないと思っていたからである。


創世紀を読み終わってからも、父の仕事の都合であらゆる国に足を運んだのだが、その中で創世紀を見かけた国は7カ国だった。


創世紀は無神論者の本なので、興味を持って読もうと思う人間は早々いないだろう。なので各地に“創世紀”があるのはかなり不思議だった。まるで、僕の後をついてきているようで不気味だった。


もっと深く知りたいと思った。自分が謎に思っていることを解き明かしたかった。

だから隙を見て、今日という日を待ち侘びていたのだ。

これでようやく謎が解けると、本気でそう思っていたのだ。




僕はチェックインを済ませたあと、保安検査場を通過して、出発ロビーまでやってきた。そのあと食事をして日本食へ別れを告げたあと、パリ行きの飛行機に乗った。最初の目的地であるフィレンツェに行くには、パリを経由しないといけないからである。


旅行はどんな条件下でもワクワクするものだが、この時ばっかりは、この世に生まれてから1番ドキドキしていたと思う。東京からパリまでは14時間、パリからフィレンツェは1時間もかからない程度なので、フライト時間だけでも約15時間はかかる長旅だが、そんなことはお構いなしに、僕は覚悟を決めて日本を旅立った。






陽川捏は無事にフィレンツェに到着した。


飛行機内はかなり快適だった。機材トラブルや遅延も特になく、海外旅行にしては幸先の良い出だしである。


経由地であるパリでは、トランジット時間が2時間程度だったので、暇つぶしに本場のラデュレのマカロンを購入した。日本にもラデュレの店舗は存在するが、やはり本番のマカロンは大きく甘味料も違うので、日本人には少し重たいような気がした。


フィレンツェの現地時間はすでに18時を迎えていた。

飛行機から見えた夕焼けは、日本とは比べものにならないほど赤く、記憶に残る強烈な色だった。日本の夕焼けは淡く綺麗だが、ここでの夕焼けは赤一色に染まるような感じだ。


飛行機をあとにして荷物を受け取り、入国審査をした。入国審査にしてはあまりに甘く適当だったが、通れたのでよしとしよう。


滞在先のホテルに向かうため、空港を出てすぐ横にある停留所で路面電車を待った。5月のフィレンツェは、日本よりも寒い。それに日が沈んでしまったので、暖かい日差しは味方してくれない。代わりに街灯が周囲を照らしてくれていた。その場には、自分だけしかいなかった。


路面電車に乗車すると意外に空いていたので、すかさず座席に座った。周囲を見渡すと、夜だからなのか、ガラの悪そうな青年が多く、観光客らしい人はほとんどいない。そして何やら視線を感じる。スリの標的にされているのだろうか。


少し警戒しながらも、僕は終点・ウニタ広場に到着した。ちなみに、スリの被害には遭わなかった。

降りてすぐ見えてきたのは、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会だった。フィレンツェを代表する、中世に建てられた教会だ。

まじまじとみたい気持ちはあるが、すぐにホテルに向かわないと行けなかったので、僕は中世の頃からある石畳の道を駆け足で歩いた。キャリーケースはガタガタと悲鳴をあげていた。


フィレンツェの街並みは中世の頃から変わっていないので、街のほとんどが歴史的建造物だ。日本でいうところの京都、といえば伝わるだろうか。まるで自分が中世にタイムスリップしたのかと錯覚するほどだ。とても懐かしい気持ちになる。


路面電車を降りたウニタ広場から徒歩15分ほど歩いてようやくホテルに到着した。そのホテルもまた、中世のころにできた建造物を改修してできたホテルだった。


チェックインを済ませたあと、僕はすかさずベッドにダイブした。1人なのでシングルベッドの部屋かと思っていたのだが、なぜかダブルツインの部屋に通された。今回は家族と来ているわけではないので、空いたベッドをみて友人でも連れてくるんだったな、とどこか寂しい気持ちになった。


夜ご飯を買いに、ホテルのすぐ隣にあるスーパーに寄ってサラダとパン、そしてジェラートを買った。本当はレストランで食べたかったのだが、疲れているので明日どこかに寄ろうかと思う。


ホテルに戻って軽い夕食をとったあと、体が冷えていたのでシャワーを浴びることにした。本当はお風呂に入りたかったが、ここは日本ではないので仕方がない。


お風呂に入って髪の毛を乾かしたあと、僕はまたベッドに飛び込んだ。


正直、この間で絶対にトラブルが起こると思っていたので、無事に到着できたことに安堵していた。この先も、何事も無く終わってくれたら良い。

意識が遠のいていく。このまま寝てしまいそうだ。


朦朧とする意識の中、僕の名前を呼んでいるのが聞こえた。声の主が誰なのかはすぐにわかった。しかしそれが幻聴であることも、すぐにわかった。僕はそのまま眠りについた。


[newpage]


窓から差し込んでくる光が鬱陶しくて、目が覚めてしまった。スマホの画面を開くと、時刻は午前7時半になっていた。とくに夢を見ることもなく、爆睡したようだ。

本来ならば8時に起きる予定だったのだが、目が覚めってしまったので仕方なくベッドから起き上がって、外出する準備をした。朝ごはんは、昨日買って残ってしまったパンを口にして終わった。


現在時刻は午前8時半。フィレンツェでの滞在期間は一泊二日なので、そのままホテルをチェックアウトして、ウフィツィ美術館へ向かうためにホテルを出発した。夜の飛行機を予約しているので、ウフィツィ美術館には夕方ごろまでしか居られないが。


キャリーケースを駅に置いて、散歩がてらフィレンツェの街を歩いた。夜とは違って、観光地らしい活気にあふれている。それと同時に目に飛び込んでくるのはやはり、建造物のほうだ。フィレンツェにある建造物はほとんどが近代以前に作られたものであり、またその大半は元々貴族が住んでいた屋敷か、宗教施設だったものである。


イタリアは何度か来たことがあるが、フィレンツェは初めて来たので他の地域と比べてかなり人が穏やかだ。夜はそうでもないが。


途中、ジェラート屋があったので寄ってみることにした。なにせ本場のジェラートなのだ。美味しいに決まっている。そう思い、僕はチョコ味とマンゴー味のジェラートをカップで頼んだ。日本円で約700円ほどだが、ボリュームがあり食べ応えがあった。なにより舌触りが滑らかであり、クリームが多めに入っているのにちゃんと素材の味がする。日本で食べるジェラートとこんなにも違うのかと感動した。


ジェラートに満足したところで、ウフィツィ美術館に向かうべく、再び足を動かした。やはり目に入ってくる光景は日本では味わうことのできない非日常的な光景であるため、歩くたびに胸が高鳴った。


一歩前に進むたびに周囲の歴史的建造物をじっくり見てしまうので、徒歩で15分ほどでウフィツィ美術館到着する予定だったのが30分ほど遅れてしまった。


ここウフィツィ美術館は、元々は16世紀に建てられた行政機関の事務局だった。しかし時を重ねるごとに増築され、現在ではヨーロッパ屈指の近代建築となっている。メディチ家が所有していた美術品を2500点以上所蔵しており、時代は古代から近代にいたるまで、幅広い時代の美術品を展示している。


その中でも僕がみたいのは、古代ローマの彫刻や古代ギリシャの彫刻である。それだけのためにここまでやってきたのだ。


僕は早速チケットを購入して、回廊へと進んだ。ウフィツィ美術館にはかなり人がいる、という話を聞いていたのだが、周囲には人があまりいないように思う。中に入って荷物検査を終えると、軽い足取りで前へ進み、長い階段を登った先で出迎えてくれたのは、古代ローマ時代の皇帝の彫刻だった。中には僕も見たことの無いものもたくさんあって、ここの展示物だけで一体どれ程の創作者が生命活動を燃やして、作品を作り上げたのだろうかと考えてしまって、胸の高鳴りが止まらなかった。


それから僕は、途方もないくらいに広いウフィツィ美術館を彷徨い続けた。どう考えても、夕方までに回りきれないだろう。仕方ないので、すこし駆け足で作品を見ることにした。


次に入った部屋は薄暗く、宗教画が点々と展示されていた。僕は入念に絵画を見つめた。どれも新約聖書を元に描かれたものであり、聖母マリアをモチーフに描かれたものが多いような気がする。


どんどん奥へと進んでいく。気が付けばこの空間には、僕だけが残っていた。


どうしてだろうか。この部屋は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が多く展示されているので、人がたくさんいてもおかしくはない。たまたま人がいない時間に来られて良かったと思う反面、少々不気味でもあった。


やがて僕は、レオナルド・ダ・ヴィンチが未完成のまま残したという「東方三博士の礼拝」の前まで来た。

この絵画を目当てに来たわけではないが、なぜかその場から離れられなかった。絵画については著名な学者が評論をしているので、誰の言葉も借りずに個人の感想を言うならば、


“”完成されるはずだったものが未完成のまま終わっているということは、この絵画はまだ、描き手によって制作……物語が進められていることを望んでいるのかもしれない。“”


僕は、この絵画からはそういう類の切望を感じた。


僕が「東方三博士の礼拝」に夢中になっていると、先程まで僕だけだった空間に、フードを被った、1人の男性が入ってきた。それだけなら気にせずにいたのだが、その男性はだんだんと僕に近づいて、こう言った。



「ーーーー今世では、はじめましてですね。“陽川捏さん”」


僕の目の前まできた男性は、フードを取って、僕にとって聞き慣れた言語でそういってきた。


その顔は、青年というには幼く、少年というには大人びた、白髪の中にある黒髪のくせっ毛が特徴的な、アジア人の顔立ちをした男の子だった。


「俺、あなたのことをずっと探していたんですよ。」


流暢な日本語に、思わず戸惑ってしまう。僕を日本人だと思っている上での発言だ。新手の宗教勧誘だろうか?それにどうして僕の名前を知っているのか。思わず尋ねたくなったが、僕はこの少年に関わったら厄介なことになりそうだと感じたので、無視して早くの場を離れようとする。


「え!?ちょ、ちょっと!なんで逃げようとするんですか!!」


「“”宗教勧誘か?あいにく僕は宗教に興味はない。ガキは大人しく帰ってママの温かい手料理でも食ってろ“”」


僕はイタリア語で少年にそう言い返した。すると少年は僕を追いかけるのをやめた。なにかに気がついたようで、深刻そうな顔をしていた。


「……捏さん…もしかして“前世の記憶”がないんですか?」


「はあ?」


少年がそういうので、僕は笑いを堪えていたつもりが吹き出してしまった。あまりにも手の込んだ設定と演技に、思わず拍手を送りたくなった。


「前世であなたが僕に手を差し伸べてくれたことも!八十葉先生を一緒に倒して世界をやり直したことも全部!忘れちゃったんですか!?“生徒会長”!」


少年は非常に困った様子で、切羽詰まった表情をしながら大声で僕を捲し立てた。そんなに大きな声を出されては周囲の視線がこっちに集まるだろうが!と思ったが、周囲には僕と少年だけだったので、まあ、よしとした。とにかく僕は「人違いじゃないのか」と彼を一蹴した。すると少年は涙を浮かべて、その場を立ち去ろうとする。しかし、彼がこの世の終わりのような顔をしていたので、僕はようやく彼が嘘をついていないと確信した。仕方がないので、彼の一芝居に付き合うことにした。


「待て」


僕は少年を腕を掴んだ。しかし少年はそれに驚きもせず、ただ俯いたまま動かず、小さな声で言葉を発した。


「なんですか。全て覚えていないのなら、あなたに用はありません。」


「僕が君に用があるんだ。なぜ僕の名前を知っている」


先ほどから1番気になっていたことを少年に尋ねた。すると少年は、素直に答えてくれた。


「言ったでしょう。俺には前世の記憶がある。その前世で、俺とあなたは師弟のような関係だったからだ」


返ってきた言葉は、あまり腑に落ちないものだった。しかしそれ以上詮索するつもりはなかったので、僕は次の質問を投げた。


「なぜ僕がここにいるのがわかった?」


「もういいですよね、離してください。俺にはやらないといけないことがあるんです。」


少年は話を遮って、僕の手を振り払った。どうやら只事ではないらしい。彼はこの先、なにか大きな出来事を生むような気がした。見ず知らずの少年だが、間違った道を歩もうとしている子供を放っておくほど、僕は冷酷ではない。


「やることって?」


「記憶のないあなたには関係のないことです。」


まあそう言われればそうなのだが、僕はそう含みのある言い方をされると気になって仕方がなくなるのだ。


「僕の記憶の有無はどうでもいい。困っているなら大人を頼れよ。こども1人で解決できないことだってある」


少年はようやく僕の顔を見た。


「ーーーーーじゃあ、僕を助けてください。捏さん」


少年は、真剣な面持ちで助けを求めてきた。思わず声が出そうになった。なぜなら僕は旅行中であり、この少年は助けを乞う相手を絶対に間違えているからである。それにあまり面倒ごとには巻き込まれたくないのだが、これも何かの縁だ。この少年を見捨てるわけにはいかないなと思った。


「君の場合、助けを乞う前に要件を言うべきだと思うけど?」


「……“創世紀”という本を探しているんです。あれは、危険なものだから」


「…ふうん。創世紀か」


これは驚いた。僕が今ここにいるのは創世紀の謎を追うためであり、目の前にいる少年も創世紀を追っているようだった。それに、まさかこの世で創世紀を知っている人が僕以外にもいたなんて。顔には出さなかったが、僕は内心とてもびっくりしていた。


「捏さんは創世紀をご存知なんですか?」


「僕も創世紀の謎を追うためにここにいる」


そうカミングアウトすると、少年は大きく目を見開いて驚いていた。


「…一応もう一度お聞きしますけど…、あなたは、前世の記憶を持っていないんですよね?」


少年は恐る恐る僕に聞いてきた。


「……あなたは前世で、完全な記憶力と情報収集能力を持っていた。その上、コマンド能力である【捏造】を駆使して周囲の人間を、いや世界に絶対的な嘘をついてきた。だから誰もあなたの真実を知らない。でも、今世では違う。あなたがついた嘘は、いつかどこかでバレますよ。それでも本当にあなたは、前世の記憶を持っていないなんて言うんですか?」


少年は途端に饒舌多弁になり、僕に真実を明かすよう促した。




やはり主人公には敵わない。




「ーーーーさすが主人公、とでもいうべきか?創希」


僕は笑って、目の前の少年に…

“天城創希”にそう言った。やはり“主人公”には敵わない。僕がどれほどの嘘をついたとしても、彼にはバレてしまう。前世の頃から変わっていない。そんな姿に僕は、かつて親友だった存在と重ねてしまった。


僕の言葉を聞いた創希は、当然ながら驚いていた。


「僕が記憶を持っていることは、墓場まで持っていけよ。」


僕がそういうと、創希は小さく頷いた。僕は誰も言葉も信頼していないのに、周囲は僕を信頼する。なんとも皮肉なことだろうか。

気がつけば、僕たちしかいなかった部屋に人が入ってきた。いくら日本語とはいえ、あまり周囲に聞かれたくない話だったので、場所を変えようかと創希に提案した。


「長いこと話し込んじゃったな。場所を変えよう。」


そう言って僕は、創希の手を引っ張った。



僕と創希は部屋をあとにして、ウフィツィ美術館の長い長い廊下をひたすらまっすぐ歩いた。廊下には古代ローマの彫刻が並んでおり、上を見てみるとメディチ家の重要人物が描かれた天井画が僕たちを見下ろしている。その天井画はまるで、システィーナ礼拝堂の天井画のようだった。


「あの、どこに行くんですか?」


創希は少しだけ困った顔をして、僕に聞いてきた。


「さあ?どこに行くべきなんだろうね」


僕は漠然とした返事をした。本来なら創希に割く時間はないのだが、僕が前世の記憶を持っていることを彼に明かした以上、一緒に行動してもらわねばならない。なぜなら僕が今こうして旅行しているのは、もう一つ、別の目的があるからである。

それは、『創世紀が聖典となることを止めること』だ。

どこのどいつかは知らないが、創世紀を聖典として、新たな宗教的組織を作ろうとしている人物がいるのは明白だった。そして恐らく、その人物は「前世の記憶」を持つ者たちに執着している。だから僕は誰にも記憶があることを言うつもりはなかったし、暗躍するために必要な嘘だった。

正直、なぜ今世でも宗教なんかと対峙しなければならないのかとも思う。ちゃんと“人として”生まれたのならば人として生きたいと思っているし、全てを忘れて平凡な暮らしをしたいと心から願っている。それは前世での僕の願いでもある。それでも危険を犯してまで創世紀を追うのは、前世の因縁を断ち切りって、人として生を歩みたいからだ。


「君は“前世の記憶を持っているのか”って尋ねられたことはあるか?」


「僕も、一度だけ髭を生やした中東系の男の人に声をかけられたことがあります。…流石に怪しくて逃げ出しましたが」


流石に創希もそういう不審者への対応はできるようだった。“あれは危険なものだから”と言っていたので、創世紀が発端で新興宗教ができることを知っているのだろう。そして大方創希に話しかけた男は前世の記憶持ちで、早期の顔を知っている何者かと言うところまで推測できる。


「………あの、いくつか確認したいことがあります。捏さんは、なぜウフィツィ美術館に来たんですか?」


「完全な趣味だ。そんなに深い意味はないよ」


僕は彼に微笑んでそう答えた。決して嘘ではない。ウフィツィ美術館にやってきたのは、古代ローマや古代ギリシャの芸術品が多く展示されているので、僕にとってルーヴルよりもはるかに行く価値のある場所だった。しかし、ここに来たのは創世紀への解釈を深めるためでもある。ここにはメディチ家が集めた宗教画が多く所蔵されている。創世紀は聖書の創世記と類似性があるので、見て損はないと思ったのだ。先ほどの絵画然り、だ。


「君はどうしてここに?」


「…両親の都合でローマに住んでて。今日は気分転換しに1人でフィレンツェに来たんです。そしたら捏さんがいたので…」


創希の容姿はどう見ても中学生ほどの見た目であり、日本から1人でこんなところに来るとは到底考えられず不思議に思っていたので、それを聞いて腑に落ちた。それが嘘じゃなければ、の話だが。


「捏さんはどこで創世紀を見つけたんです?」


「イギリスだよ。不思議な古書だったし気になって手に取ったら、前世で一般的だった思想が書かれてあったから驚いたよ。」


創世紀には、僕らが前世で対峙した“八十葉始”もとい“ロゴス”の思想がずらりと書かれてある。例えば、

『神は人間の想像から生まれた』『本来この世で神と呼ばれるべきは“創作者”である』『人間は想像上の在もしない存在を巡って争い続ける、この世で最も幻想に溺れている生き物』などという思想だ。否定はしない。むしろ共感のできるものだ。

その思想が今無神論という形で広まり、対立を生んでいる。僕は前世の二の舞になることを望んでいない。人が人である以上、空想は永続する。それは仕方のないことだ。

自分が人として生きるためにも、早いこと前世での因縁を絶ちたいのだ。


しかし肝心な創世紀の作者がわからないのだ。八十葉かもしれないし、僕と同じく前世の記憶を持つ第三者かもしれないし、もうこの世にいないのかもしれない。

だからそのモヤのかかった謎を解くために、僕はここにいる。


「…さっきはどうして僕に嘘をついたんです?」


「君と関わったら厄介なことになりそーだったし」


「…相手が菅原さんだったとしても、あなたは嘘をついたんですか?」


僕は適当に返事をしたのだが、創希が突然そんなことを言い出すので、思わず僕は動かしていた足を止めてしまった。すると創希がなにか変なことでも言ってしまったのだろうかと、申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ていた。

菅原ーーーーーー菅原初。前世で僕と共に生きた、唯一の友人のことだ。彼とは前世で死別して以来、一度も会っていない。いや、再会できたとしても僕は前世のような関係を築くつもりはない。彼は僕に時間を割いたことで、僕と共に生きたせいで死んだのだ。一度ではない。二度もだ。だから今世で彼がどこかで生きているのなら、僕のことは忘れて幸せに暮らしていてほしい。


「相手が初でも、僕は同じようにしていただろうよ」


「…そうですか」


気がつけば僕たちは廊下の端っこまで来ていたようだった。窓からはグラツィエ橋が見えている。気がつけば時刻は15時ごろになっており、そろそろここを出ないと飛行機の搭乗に乗り遅れることが安易に想像がついた。


「さっきは場所を変えて、なんて言ったけど…僕このあと中東に行くから、飛行機乗らないといけないんだよねー」


「えっ、え?」


先ほどまで張り詰めた空気感で会話をしていた僕たちだが、僕が創希にそう言うと、創希はまだ話は終わっていないとでもいいたげな様子で僕を見ていた。


「ああ、ここで別れるつもりはないよ?君にも着いてきてもらえばいいだけの話だし」


「はあ!?何言ってるんですか?!」


「だって僕と話足りないだろ?」


「そんないきなり中東に行くなんて無理ですよ!?」


前世で僕にさんざん振り回されていた創希がこんなことを言い出すなんて、と思ったが、僕の無茶振りが度を越しているのは自分でもわかっている。その上で僕のわがままを通すのだ。


「パスポートとか荷物を家に取りに行かせるとなると、数日後現地集合かなあ」


「ちょ、ちょっと!話を進めないでくださいよ!行けませんよ!僕は明日学校があるし、両親にだって説得できるかどうか…」


創希は腕でバツを作って僕に訴えてきた。どうやら前世のころと違って創希には融通が効かないらしい。


「えーー諸々の旅費は全部僕が出すのに!着いてきてよー!ここで僕が駄々を捏ねて(捏だけに)騒いだっていいんだよ?」


「それあなたが恥をかくだけですよね!?無理です!というか嫌です!」


ここまで自分の意思表示ができるようになったのかと思わず感心してしまうほどには、彼の成長を感じた。前世の頃から創希を見てきている僕にとってそれは感慨深いものだった。ここまで拒否をされては仕方がない。


「……わかったよ。じゃあ連絡先教えてよ。どうせイタリアにはまた来るだろうし」


「わかりました。…イタリアがお好きなんですか?」


「好きだよ。ここに来るたび良い縁があるからね」


イタリアは、前世ではモイラとエンリルと出会った場所だ。ヴェネツィアのターミナル駅でモイラが僕にお金をせびってきた(そんなことはない)ことが発端となり、次第に友人となっていったのだ。そして今世ではこうして創希と再会しているので、僕は不思議な縁が集まる国だと勝手に解釈している。


「君が1番理解しているだろうけど、前世の記憶を持っている以上、前世で縁のある奴らには気をつけたほうがいいよ。君は1番八十葉の近くにいたし、前世で八十葉を殺したのは君自身だからね。創世紀を書いたのも、宗教を作ろうとしている輩も、前世で八十葉の信者だったやつかもしれない。」


「……はい。わかってます。」


「僕はもうすぐ成人して法律上は大人になるわけだけど、君はまだ子供だ。何かあったらすぐ連絡するんだよ。」


「捏さんも、気をつけてくださいね。俺たちは、“人間”なんですから」


創希は僕をまっすぐ見つめてそう言った。窓からは暖かい日差しが差し込んでいる。創希は照らされて、さながらスポットライトに当てられているかのようだった。目の前にいるのは紛れもなく主人公であり、どうしようもないほど人と物語を動かす存在なのだと思った。


[newpage]


それから僕たちはウフィツィ美術館を出て、特に別れを惜しむなんてことはなく、あっさり解散した。

僕はフィレンツェからダヴィンチ空港に向かうため、預けていたキャリーケースを回収して、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅にやってきていた。気がつけば夕暮れ時になっており、青かった空はだんだんと赤色に染まっていく。非常に短い滞在だったが、創希と出会ったことでより濃い旅行となった気がしていた。


現在時刻は16時過ぎ。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅からダヴィンチ空港までは高速電車…いわゆる新幹線のような電車で約2時間半かけて向かうこととなる。空港に到着するのは18時半だが、飛行機は22時に出発する深夜便なので乗り遅れることはないだろう。途中ローマで乗り換えるので、コロッセオを外観だけ見ることはできるものの、僕はすでにコロッセオを見ているので、また来る機会があったら行こうかな、なんて考えていた。


列車の窓からは、ちょうど夕焼けが見えていた。昨日と変わらず真っ赤な空が広がっている。前世でも何度か見たことのある光景だ。

前世と今世の歴史を比較してみると、やはりこの世界は八十葉や僕が歴史に干渉しなかった世界だからか、知らない歴史や事実が多くある。“知らないこと”ほど怖くて、興味を惹かれるものはない。

僕は前世で、全てを知る情報能力と、一度見たことは絶対に忘れない記憶力を持っていた。記憶力のほうは今でも健在だが、前者は持ち合わせていない。なので自分にとって“学ぶ”ことは、娯楽になりつつあった。

それでも何かが満たされない。その欲求不満の原因は明白だった。


ーーーーー隣に初がいないだけで、僕の人生はつまらないものになってしまうのだ。


お前に会いたいと、何度そう思ったことだろう。僕のその感情は、あまりにも矛盾していて、滑稽だと思えた。


どうこうしているうちに、ダヴィンチ空港に到着した。時刻は18時半すぎである。

オンラインチェックインを済ませ、荷物を預けて手ぶらになったところで、出発ロビーを散策することにした。もちろんお目当てはご飯である。せっかくイタリアに来たのだから、イタリア料理を食べないという選択肢はない。


空港のレストラン街は、ちょうど夕飯時だからか大勢の旅客で賑わっている。しかし、僕が美味しそうだと思った入ったお店は奇跡的に空いていたので、すぐにご飯を食べることができた。


僕はリゾット、ポテト、ジェラートを注文した。日本で食べるものとは違って濃い味付けになっており、お酒が進みそうだなと感じた。ポテトはどこの国に行ってもあまり変わらないが、ここのお店は味付けにトリュフ塩を使用しているようだった。トリュフの原産地はイタリアやフランスに多いからだろうか?トリュフの風味がじゃがいもとほどよくマッチしており、何個でも食べれそうな中毒性があった。


メインディッシュを食べ終わった僕の目の前に現れたのは、食後のジェラートだった。ストロベリー味である。こちらはフィレンツェで食べたものとは違ってクリームや牛乳の味が強かったが、それはそれで美味しかった。


イタリア料理に満足したところで、時刻は20時を回っていた。なので僕は保安検査場を通ってセキュリティチェックを終えたあと、少し早いが搭乗ゲートへ向かった。ダヴィンチ空港は羽田空港よりはるかに大きいので、到着してから良く歩いている気がした。


ここダヴィンチ空港から中東地域であるバグダードまで、まずイスタンブールを経由しなければならない。バグダードに到着するのは現地時間早朝6時なので、この移動で寝なければ睡眠不足で体力が持っていかれると思い、僕は仮眠をするため待合室の上等な椅子に座った。気絶するように眠りこけていたのか、スマホを見てみると時刻は搭乗開始時刻の10分前だった。1時間半は爆睡していただろうか。少しだけ重たい頭を起こして、ゲートに並ぼうとした。


すると、重たいどころか、まるで焼かれているかのごとく頭に激痛が走った。部分的にではなく、脳全体が悲鳴を上げているかのような痛みだ。


「…っ、うっ、はあっ、あ」


耐え難い頭痛に襲われて平然としていられるはずがなく、僕は再び座り込んで頭を抱えた。心臓が動くたび、それに呼応するように痛みがひどくなっていく。頭がぐるぐるしてきたぼくは、体勢をかえて、あおむけになった。しかしいたみはおさまらない。悶えたくなるほどくるしい。

いたい、いたい、だれかたすけて

そうねがっても、だれもぼくにてをさしのべない。じぶんで、なんとかしなければならない。ただでさえ強烈な頭痛におそわれているのに、孤独すらかんじなければならないのかと、我ながら哀れだと思った。この頭痛は、今はじめて起こったものではない。物心ついた時から唐突に現れる、嵐のような頭痛だ。数分すれば落ち着く。今回もそうであることをねがって、痛みがやむのをひたすらまった。

必死に耐えること数分が経過した。痛みが治ったころには搭乗が開始されており、僕は逃げるかのように急いで機内へ向かった。


飛行機内に入り、自分の席を探して座ると、ようやく気分が落ち着いてきた。先ほどの頭痛は原因こそ不明だが、前世で持っていた情報能力の弊害だと勝手に思うようにしていた。


ここからイスタンブールまでの飛行時間は約2時間半。東京から沖縄までの飛行時間とほとんど同じである。深夜便ということもあって2時間半きっちり睡眠に使うつもりでいたが、先ほどの頭痛で目が覚めてしまい、どうしても眠れそうになかった。


飛行機は通常通り離陸し、イスタンブールへ向かった。飛行機の窓から見える夜のイタリアは何度か見たことがあるが、この時は目が霞んで見えて、あまり良いものとは思えなかった。


考え事をしているうちに、僕を乗せた飛行機はイスタンブールに到着していた。時刻は午前0時半である。

次の飛行機は午前4時に出発予定なので、トランジット時間が約3時間ほど余っている。


イスタンブール空港はとにかく広く、一つの街を形成しているようだった。SFものの雰囲気にも近い気がする。とにかく広いので飽きることはなく、また寝られる場所も多くあるので、睡魔が僕を襲うまでは散歩をすることにした。


空港内のギフト品売り場には、中東らしい変なお土産から、ヨーロッパにある有名な絵画をモチーフとした商品がずらりと並んでいる。イスタンブール空港は世界一位を誇る世界的なハブ空港であり、トランジットで利用する旅客も多いため、様々な国のものが売られており、不思議な空間を形成していた。僕はアフリカ民族が着ていそうな木製のネックレスを手に取った。なかなかに気分が上がるので、購入することにした。


そうしているうちにどんどん眠くなってきたので、空港内のラウンジにあるシャワーを借りて体を清めたあと、搭乗ゲートの手前にあるソファで眠ることにした。これから待ち受けている波乱の旅に思いを馳せながら、僕は意識を飛ばしたのだった。


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