追憶
「エ…エンリルくん、モイラくんは久方ぶりである…が……!!な、なんであなたがここに!?」
「私が聞きたいよ、藤野くん」
「名前をご存知ということはやはり記憶がおありなんですな?!」
なぜか私以上に2人が動揺している。ただの大学生にびっくりしているおじさん2人という絵面は側から見たら面白いのだろうが、私は特段面白くない。
宇野利友と藤野律郎は前世だと政治家をやっており、2人とも立場上は総理大臣のような役職についていたはずだ。議会でよく糾弾されていた。今世でもやはり政治家なのだろうか?あまりニュースなどでは見ないので、大きな役柄は背負ってなさそうである。
特に藤野くんとは、前世では深い関わりがある。前世の私には、更級薫という女の子の養子が1人いた。この藤野律郎という男と薫は結婚していたので、ようするに藤野くんと私は、前世だと義父と義理の息子、というなかなかに複雑な関係になるのだ。
「す、すみませんが今は急いでいるんです!今世でお会いできたのは嬉しい限りですが!」
「ああ、気にせず急ぐと良いよ。また折り入って話をしよう。君たちとはまたどこかで会えるような気がするからね」
ではまたどこかで、と藤野が言うと、宇野利友と一緒に玄関へ消えていった。
「…嵐のように去っていきましたね?」
モイラは戸惑った様子でそう言った。エンリルとモイラは、前世で捏と共に藤野律郎と宇野利友と対立関係になったことがあるので、少し気まずそうな様子でその場に立ちすくんでいた。あの2人がなぜあんなにも大急ぎでお店を出たのか全く検討がつかないが、やはりこの世界で…昨日を境に、私の中で何かが動き出していることだけは確かだった。
気を取り直して、私たち3人は個室へ向かった。案内された部屋は3人で使用するには広すぎるのではと思うほどの大広間だった。漆塗りのテーブルの上には、お品書きと飲み物のメニューが置かれてあった。
「ここは鰻重が美味いから、俺はそれ頼むけどお前らは自由に選んで良いぞ。」
「じゃあ私も鰻重を頼もうかな…モイラくんは?」
「じゃあ俺も鰻重で…」
注文が決まったところで、エンリルくんが女将を呼び寄せた。せっかくなので鰻重を選んでみたのだが、食べるのは何年ぶりだろうか。もしかしたら今世で鰻重を食べたのは1、2回程度かもしれない。嫌いというわけではなくむしろ好きな部類に入るのだが、実家や今の住居周辺に鰻屋がないので行く機会がないので、エンリルくんには感謝だ。
注文してから、大体15分ほどだろうか。3人分の鰻重が部屋に運ばれてきた。四角い漆器の中には、タレで見事なまでに輝いているうなぎが並んでおり、自分の食欲が刺激された。みんな揃って「いただきます」と言ったあと、鰻重にはすぐに手をつけず、まずは隣にあるお吸い物からいただいた。お吸い物はかつお出汁が主役と言わんばかりの味であり、今まで食べたお吸い物の中で1番と言えるくらいには美味しかった。そして、メインである鰻重を食べてみる。口に運んだ瞬間、うなぎが蕩けて味覚を刺激した。タレが甘塩っぱくて濃いめの味付けになっているので、ご飯とよく合う。とてもおいしい。そう思っているのはどうやら私だけではないらしい。エンリルくんとモイラくんの方を見ると、今にも頬が落ちそうな顔で、幸せそうに食べていた。それを見て、今世では2人とも平穏に暮らせているのだろうと思った。
お腹がある程度膨れてきたところで、エンリルが一言呟いた。
「…やっぱ、“前世”の話すんなら、メシが美味くて誰にも聞かれなさそうな場所、だよなあ」
「そうだね、エンリル。………初さん、俺たちはあなたに聞きたいことが山ほどあります」
先ほどの幸福感溢れる軽やかな雰囲気とは一転して本題に入ると、2人は真剣な様子で私を見つめてきた。私は思わず目を逸らしてしまったが、再び2人の方を見た。私も、君たちに聞きたいことがある。
「…初、単刀直入に聞くけどよ、お前は今世で捏と会ったことはあるのか?」
いきなり出てきた“捏”という名前に、少しだけドキッとした。本当にいきなりだなあ、全く。エンリルくんには物怖じしない、肝が据わっているところがあるのをすっかり忘れていた。
「会ったよ。昨日ね」
“”き、昨日!?!?!?“”
エンリルくんとモイラくんは2人して大声を上げた。昨日の今日だし、捏も性格上「私に会った」なんて2人に事細かに連絡はしないだろうから、私と捏が今世で出会っていたことは本当に今知ったのだろう。
「古本まつりでたまたま会ってね。そのまま捏にご飯をご馳走してもらって、捏の家に行ったんだ。」
「ちょっと待てアイツ距離の詰め方おかしいだろ!あの捏が!?メシを!?奢る!?」
その辺については私もそう感じていた。捏に記憶がないとはいえ、私の名前を聞くな否や態度をころっと変えて、一緒に来るよう提案し、ご飯も奢ってくれたのだ。あの捏が。
「いや、私もびっくりしたよ?いくら捏に前世の記憶がないからって、ご飯を奢ってくれるなんてさー。」
「…………初さん…。」
モイラくんが深刻そうな顔をして私の名前を呟いた。そう。そうなのだ。捏には前世の記憶がない。私も最初は、自分の記憶の中にだけいる存在なのだとばかり思っていた。それは捏だけではない。エンリルくんやモイラくん、先ほど遭遇した藤野くんや宇野くんもだ。前世の記憶と呼んでいるそれは皆、私が創り出した幻想だとばかり思っていた。だがそれらの存在が実在していたことをようやく知れた。それは大変喜ばしいことだった。しかし、今世で出会えて嬉しいはずなのに、どこか寂しさを覚えている自分がいた。唯一、お互いの気持ちも見ている景色も共有し合える大切な存在だったのだ。いくら自分を誤魔化しても、喪失感は拭えない。
「いや、良いんだよ。そんな顔をしないでくれ…。」
2人も前世で捏と友人だったから、私と同じくらいの虚しさがあるはずだ。私が知らないだけで、捏と共に過ごした日々は過去に囚われ続けていた2人にとって、豪快で愉快さで溢れたものだっただろう。それなのに、私にばかり気を使わせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになった。咄嗟に笑顔を作って和ませようとしたが、どうやらそれがより一層重苦しい空気を生んでしまったようだった。
「…俺たち、ずっと初を探してたんだ。初と捏が会えば、捏の記憶が蘇るんじゃないかって。日本だけじゃなくて、世界中どこを探しても見つからなかったから…この世にいないのもだと思ってた。だからこうして出会えただけでもスッゲー嬉しい。」
そうエンリルくんが言った。捏を探すのならまだしも、私のことを探していただなんてびっくりだ。
「捏と君たちは、どこで出会ったの?」
「エジプトです。5年くらい前に、中東地域で紛争が起きたのを覚えていますか?」
「ああ、日本ではあまり報じられてなかったけど、宗教的な対立から起こったものだったよね?」
「はい。でもあれは、よくある一神教からなるものじゃなかったんです。ここ数年で一気に拡大した、“無神論派”と、宗教側の対立で起こった紛争なんです。」
無神論。神は存在しないという考え方だ。これは“創世紀”の最大のテーマであり、また前世の私が持っていた考えでもある。私だけではない。前世で関わってきた“創作者”は皆、無神論者といえよう。なぜなら創作者は、神や神話は人の手でよって作られた空想上のものに過ぎないと考える者が大半を占めていたからだ。その考えを確固たるものにするのが、“神話を書いた創作者”だ。今世で語り継がれている神話は、前世だと作者が存命である場合が多かった。目の前にいるモイラくんやエンリルくんもそうだ。
そして、捏も神話を書いた創作者の1人である。
私が古本まつりで“稗田阿礼”という人物を探していたのは、捏との類似性が多く見られたからだ。稗田阿礼は、この国最古の物語である「古事記」の編纂に原初から関わっていて、かつ記憶力の優れた官人であったと伝わる。私からすればその言い伝えは、捏の存在を歴史上の人物に置き換えたような感覚になるものだった。
「その紛争が起こったとき、近隣の空港は全部封鎖されてエジプトかイスタンブールに来ないと航路で日本に戻れないって事態になったんだ。」
「…まさかとは思うけど、捏は紛争が起こったときその地域にいて、なにかしらの方法でエジプトまで来たってこと?」
「ご名答です、初さん。」
確かに中東地域によく行くとは言っていたが、まさかあのとき現地にいたとは。5年前だから、捏はまだ高校生のはずだ。肝が座りすぎているなんて話じゃない。死にに行っているようなものだ。
「まったく捏は…何をやってんだか」
「俺たちもびっくりしたんだ。まさか捏とエジプトで会うなんて」
「…というか、2人はどうしてエジプトに?」
「……創世紀がエジプトにあるって話を聞いて飛んできたですよ。ありませんでしたけどね」
なんだか奇妙だ。そんなに実例を聞いたわけじゃないが、前世で関わりのある人たちと出会うときはなにかと“創世紀”が関わっているように思う。捏と出会ったときも、私が古本まつりで創世紀を探していたからだ。
「…なんだか奇妙だね」
「俺もそう思います…」
「というか“アイツ”にまだ会ってねえところもなーんか無性に腹立たしいんだよな」
「アイツ?」
「ロゴス!八十葉始!名前を口にしたくもねえ!」
なぜ今まで忘れていたのだろうか。前世で最も敵対した諸悪の権化ーーーー八十葉始の存在を。
八十葉は、私と捏の仲を引き裂いて、私を殺した挙句にその遺体からもう一度“私”という存在を創った、倫理もなくとても同じ人とは思えないほど残酷な性格をした創作者だ。創作者だけの世界を作るだなんて夢のような話をあと一歩というところで達成し損ねた、罪深い創作者。尊敬するに値しない、哀れな存在だ。
「…私、八十葉の存在を今思い出したよ」
「マジ?まあ忘れても良いと思うぞあんなヤツ」
そう辛辣な言葉を吐かれても仕方がないほど、八十葉は前世での行いが悪い。世界を創り変えようとしたのだから当然だ。今世で生きていたとしても、悪に染まらず、純粋に創作をしていてほしいものだ。
「創希くんにも会ってないんですよね…」
創希ーーーーーーー天城創希のことか。
この子の存在も今まで忘れていた。八十葉が執着していた、“主人公”という立場にあった齢15歳の少年だ。この子はgenesisの生まれ変わりであり、前世での世界を動かす重要な存在だった。しかし、今世では一度も会ったことはない。
「まってくれ。短絡的な考えかもしれないけど、“創世紀”って八十葉が書いたものではないのかい?」
「それがなあ、違うっぽいんだよ。でも絶対に俺たちと同じ前世の記憶を持ってる。じゃないとあんな“創作者”視点の内容で、主人公にgenesis…創希をおいたりしないだろ?」
八十葉は前世で「新たな創世記を創る」と言っていたらしいのでもしかしたらと思ったが、やはり違ったらしい。
創世紀は、だれがどこで書いたもので、いつ出版されたのかもわからない、謎だらけの本だ。言語もラテン語であり、普通の人なら読むこともできない。しかし今の話で、私たちと同じく“前世の記憶”を持つ人間が書いたのかもしれないということがわかった。それだけでもかなり重要な情報だった。
「で、創世紀の何が危ないかって、争いを生んでることなんだよ。だから早急に世界中に散らばってる創世紀を回収しないと、かなりヤベーことになる。それこそさっき話した紛争とか、あと数ヶ月前のテロとかな」
「国家規模で動くかも、なんて噂もありますしね…」
「だからみんな創世紀を集めたがってるのか。合点がいったよ」
「紛争のときもテロのときも、現場には創世紀が置かれていたらしい。特に目立った外傷もなくだぞ?気持ち悪いと思わねえ?」
「………創世紀に書かれている無神論という思想が新たに宗教のようなものを生んでいるのは、なんという皮肉なんでしょうね…。盲信は良くありませんね、本当に。」
複数の謎が解けたところで、また新たな謎が出てくる。なぜそこに創世紀があったのか。なぜ皆、創世紀を追うのか。
気になるのはやはり“創世紀は一体なんなのか”という話だが、私個人の最大の謎は、“なぜ今まで八十葉と創希くんの存在を忘れていたのか”だ。私は捏と違って完全な記憶力を持つわけではないが、人並み以上には記憶力に自信がある。創世紀を見つけたとき、読んだとき、考察したとき。あの時点で八十葉と創希くんを連想させる要素はたくさんあったはずだ。なのに、思い出せなかった。それが私にとって1番衝撃だった。
話は進み、ご飯も食べ終わったので今度は3人でかき氷を注文した。奈良ではかき氷が有名らしく、このお店にもかき氷があったので食べることにした。先ほどのシリアスな空気から段々と軽やかな雰囲気を取り戻して、2人は捏の愚痴を吐くようになった。息を吸うごとに捏の悪口が出てくるので、今世でも捏は、2人に迷惑をかけているらしかった。
「マジでアイツ、破茶滅茶なんだよ!今日だって捏に呼び出されたから日本まで来たんだぜ!?なのにこっちきた途端全く連絡つかねえからさあ!」
「それは……大変だったね?」
モイラくんとエンリルくんが日本にやってきたのは、捏に呼び出されたからだったのか。昨日までは私と一緒にいてくれていたので、連絡を取り合う暇がなかったのだろうかと少々申し訳なく思った。しかし今日は私も捏と連絡を取り合っていないな、とふと思い出した。
「本当ならニューヨークとか、ワシントンあたりで落ち合うのが3人の距離的に良いんですけどね…。捏、アメリカ来れないので」
「え?そうなの?」
「あいつアメリカ出禁なんだぜ!?!?」
「はあ!?」
アメリカ出禁って、どういうことだ。なにか犯罪でも犯したのか?捏は…。中東で何かしらの組織と関わってるとか…いや、そんなことはありえないはずだ。多分。捏のことだから、関わっていそうではあるが。
「厳密にいうと、中東への渡航履歴があるからビザが発行できないってだけですけどね。何度も行ってるから審査厳しいんだと思います」
「まあ、そりゃあそうか…。びっくりしたあ」
「だから俺たちがわざわざ日本に来てるだぜ?なのに!扱い酷すぎねえ!?報連相くらいしろっての!」
エンリルくんは相当捏への鬱憤が溜まっているようだ。手で机をガンガンと叩いて今にも大暴れしそうな勢いだった。
「エンリル!ガンガンしないで!うるさいでしょ!それにもうそろそろお店出ないといけないし…」
まるで母親が子供を叱るみたいな言い方で、モイラくんはエンリルくんに叱りつけた。するとエンリルは物音をたてるのをやめて静かになった。しかし、捏への腹立たしさは全く消えていない様子だった。捏は人を振り回すところがあるから気持ちはわかる。だが捏は、前世で連絡が途絶えることはあまりなかったかに思う。何かあったのだろうか?
「もうそんな時間なのか!?出る準備しねえとな」
「時の流れは早いねえ…。ご馳走になっちゃったな。ありがとう、エンリルくん」
私は、なんの含みもないただ純粋に感謝を述べた。するとエンリルくんは目を丸くして、照れくさそうに笑った。
「良いってことよ。それにこうして初と話せてスッゲーよかった。捏がお前を信頼してる理由がなんとなくわかった気がするし。」
それは一体どういうことだろうかと思ったが、聞くのは野暮なので心の内に留めておいた。
私たち3人は荷物を持ってお店を出た。お会計のときに見えた金額は、大学生のアルバイト代2ヶ月分ほどだった気がするが、見なかったことにした。相手のご厚意でご馳走になったものを、貨幣と厚意の価値を同等に考えたくないからだ。
「さーて、どうすっかなあ。初はこの後暇なのか?」
「暇だよ。長期休暇中だしね。」
「じゃあ、一緒に観光するのはどうですか?初さんが良ければ、ですけど!」
ちょうど奈良市内を観光しようと思っていたので、ありがたい提案だった。捏に鍵を渡さないといけなかったが連絡がつかないので、夕方まで探索しようと考えていたからだ。
「もちろん、一緒に行こう。」
「やったああああああ!!どっから行く!?やっぱ奈良公園か!?」
「はしゃぎすぎだよエンリル!」
友人とご飯を食べたり遊びに行くことはほとんどなかったので、こういうお誘いは本当に嬉しかった。今までの交友関係は広く浅い関係で終わることが多く、特段友人が少ないというわけでもなかったが、前世の記憶を持つ者同士であり、共通の友人がいることも相まって、仲を深めることができて大変嬉しく思った。
こうして私たちは、奈良公園や春日大社など、付近の観光地を巡って奈良を楽しんだ。もしかしたら私の人生は、昨日から始まっているのかもしれないと思うほどには、濃い時間を過ごすことができた。




