序幕
あのあと、菅原初はなぜか陽川捏の買い物に付き合わされた。
彼はもともと古本まつりで本を大量に買うつもりでいたらしく、キャリーケースまで持参していた。しかも、古事記・日本書紀や、日本各地にある伝承を研究した本、ギリシャ、エジプト、ローマ、アナトリア、メソポタミア…など、挙げたらキリがないのだが、世界史でいうところの古代史に関係するの本も購入していた。
「買いすぎた!めちゃくちゃ重い!」
「目についたものから買うからだよ、捏…」
この数時間でお互いの名前を呼び捨てにするほど仲が良くなった。前世と同じ呼び方になった…というべきだろうか。捏が先のことを考えず行動してしまうのも、また前世から同じで変わらなかった。
現在時刻はとっくに17時を回っており、そろそろ夕飯のことを考えなければならないなあ、なんて思っていたら、捏が「美味しいお店を知ってるからついてこい」と言い出したので、ついて行くことにした。
「…で、来たかったお店はここで合ってるんだよね?」
「ああ、合ってるけど。どうかしたか?」
「大学生が入るようなお店じゃない気がするんだけど」
訪れた場所は、政治家が密談をするような料亭だった。
当然、大学生のバイト代でポンと出せるような金額のお店ではないだろう。
「安心しろ。お金は僕が出すから。」
「君にご飯を奢るっていう概念が存在したのが意外だ。なにも安心はできないんだけど…」
「出会って1日も経ってないのにそんな軽口が叩けるなんてな」
「出会って1日も経ってない相手に料亭に連れてくる人がそれをいうの?」
「………まあどーこう言わず入った入った!」
捏に押されるまま料亭に入った。すると、来るのを待ち侘びていたかのように女将が玄関で出迎えてくれた。そのまま流れるように個室へ案内され、席についた。途中、女将と捏が芸者を呼ぶか否かと話す声が聞こえたが、聞かなかったことにする。
「一応聞くけど、捏って学生だろう?いつもこんな感じなのかい…?」
「まあほら、色々あるんだよ…色々な。知り合いに政治家がいるから、ここはそいつに教えてもらっただけだ」
「その説明で納得する人いないと思うけど」
「まあ僕が稼いだお金で何をしてようがいいだろ。」
「あんまり危ないことするのやめなよ?」
他愛のない会話が進んでいく。それと同時に出される会席料理はどれも言い表せないほど美味しく、量も丁度良いためぺろりと食べられてしまう。それにしても、捏は一体なぜこんな個室で食事をしようなんて考えたのだろうか。
「…捏。君が言っていた“前世”についてだけど」
「…おう」
意を決して、その話を振ってみる。出会ってすぐに“前世”という言葉が出るあたり、捏はなにか知っているのだろうか?今までの捏の反応を見る限り、捏に前世の記憶があるとは到底思えないが、仮に、前世と同じく【捏造】の能力が関係してくるのなら、私に嘘をついている可能性は否めない。
「こんなことを聞くのは野暮だと思ってるんだけど…君は前世の記憶は持ってるのかい?」
「はあ、持ってるわけないだろ、そんなもん」
やっぱり捏は記憶を持っていなかった。わかりきっていたことだったが、心のどこかでは、君にもあの頃の記憶があることを願っていた。そんな都合の良いことは起こりえないのだ。
「お前“も”僕に前世の記憶の有無を聞いてくるんだな」
「…“も”?って…誰か他にも聞いてきた人がいるの?」
「ああ。初対面なのに、僕の顔を見るなり驚いて、僕の名前を叫んでいた。マジでいい迷惑だったよ。今となってはソイツらも友達だけど。前世の記憶がうんぬんかんぬんって話もされた」
「その人の名前、聞いてもいいかい?」
「モイラとエンリル。前世の名前らしい。今世ではあだ名みたいなもんだが」
これは驚いた。モイラとエンリルという人物は、前世でも陽川捏の友人だ。彼らもこの世で生まれ変わって、前世の記憶があるのだという。そんな偶然があっていいのだろうか。
「…これは、驚いたなあ。」
「…それで、モイラとエンリルが僕にこう言ってきたことがあった。」
“ーーーー菅原初のことも、憶えていないのか?”
捏は、私と出会う前にすでに名前だけ知っていたらしい。だから私が名前を名乗ったあと、態度を変えて共に行動するよう提案したのか。なるほど、これでようやく辻褄が合った。捏は基本的に他人に興味がないから納得だ。
「お前も僕の顔を見るなりびっくりしてただろ。それだけなら良いけど、お前の名前を聞いた瞬間に確信したんだ。お前もモイラやエンリルと同じく、“前世の記憶”なるものを持っているってな」
そこまでバレていたのか。今世でも捏の洞察眼は鋭いなあと感心していると、捏が続けてこう呟いた。
「それに…そう、僕が聞きたかったのは創世紀についてだ。お前、創世紀の存在をどこで知った?」
捏が1番聞きたかったことは多分そこなのだろう。先ほどよりも幾分か真剣な表情で私にそう問うてきた。捏は創世紀を全て持っていると話していたが、捏も一体どこで見つけたのだろうか。
「中国にある雑貨屋でたまたま見つけたんだ。中学生の頃の話だから…今から7年前くらいかな。上巻と中巻しかなかったし、当時はラテン語なんてわからなかったけど…なぜだろうね、読めないのに読めるような気がして買ったんだ。」
「その時の店主の容姿は覚えてるか?」
なぜそんなことを聞くのだろう?と疑問に思いつつ、自分の記憶の奥深くにある情報を必死に探した。
「長髪で派手な紫色の髪をしていた気がするけど…」
「ほー…なるほど…なるほどなあ」
捏は妙に納得した様子だった。なにか見覚えがあるのだろうか。
「なにか心当たりがあるのかい?」
「知り合いの考古学者がそんな奴でさ。まさかそんな偶然があるのか信じがたいが…そいつも創世紀を持っているからな…」
知り合いに考古学者がいるなんて、知らなかった。政治家といい考古学者といい、今世では意外にも捏の交友関係もなかなか広いみたいだ。
「考古学者の知り合いもいるんだね」
「僕、一応大学院で考古学を専攻してるから…」
「ん?大学院?」
大学院…ということはつまり、私より年上ということになる。私より数年早く生まれていたのか、捏は。
「私より年上なのか、君は!?」
「そんな驚くことか!?今年で23になる、お前はいくつなんだよ」
「21だけど…」
「…前世でのお前と僕は、同い年だったのか?」
捏は、どこか哀愁を感じる声色で聞いてきた。
前世での私たちは、紀元前のころからの付き合いだったので、途方もない月日を共に過ごしていると年齢差についてあまり気にしたことがなかった。しかし、同じくらいの年であったことは確かだ。そう考えると、たかだか2年の差…ではあるのだが。
「同い年って言っていいのかわからないけどね。君とは紀元前のころからの付き合いだったし、あんまり気にしたことなかったなあ」
「前世での僕はやっぱりクソジジイだったんだな」
「それでいったら私もクソジジイってことになるからね?」
捏は笑いを堪えながらご飯を口にした。正直、捏の言動から勝手に年下か同い年だと思い込んでいたのでびっくりだ。
「……初、創世紀の下巻は上中と違って著者の“読者”への憎悪がとにかくひどいから、呑まれないようにしろよ」
「憎悪?」
「上巻と中巻だと童話らしいというか、よく“genesis”ってやつが出てくるだろ」
「ああ、そうだね。」
genesisは、ラテン語で“創世記”という意味だが、“創世紀”では人名として扱われており、かつその人物が“創世紀の主人公”として登場する。
「下巻からはgenesisが主人公じゃなくなるんだ。いや、主人公という概念が本から消える…って言った方がいいのか。著者の視点からみた、不特定多数の読者に対する愚痴が永遠と書き込まれてる。著者は読者にそういった感情を持っていたのが痛いほど伝わってくる」
「…まあ、創世紀は“創作”に対する自論を書き連ねている本だから、著者がそういった話を書くのも不思議じゃないけど…創世紀は、“神はいかにして生まれたのか”という問いから始まるし」
創世紀の序文は、
「神とは、古くから人々が精神的支柱として来た存在である。ではその神はいかにして生まれたのだろう?無論、人間の創作からである。」
という一節から始まる。
創世紀の著者は「創作者」と「神」をイコールで考えており、「創作者は」という主語からはじまる文章がなにかと多い。しかし、文章から伺える古代文明への博識さや物事への高い追求心は、本物だと思える。
「…ねえ、そういえば、創世紀の著者は誰なんだい?」
「それは…」
“誰にもわからない”
捏はそう答えた。
創世紀自体は貴重な本であり、所持している者も少ないのだろうが、著者もいつ書かれたものなのかすらわからないのに、自分をここまで虜にするのはなぜなのか気になって仕方がなかった。
「この世界を狂わせるかもしれない本なのに、著者も出版された時期もわからないのは不気味だけどな」
「世界を狂わせる?この本が?」
「そうだ。なぜか人を魅了する力がある。争いの種になるくらいにはね。この前のテロだってそうだ。あれは紛れもなく、創世紀が生み出した“無神論者”という名の信者がやったことだ」
テローーーー数ヶ月前に欧州で起こった宗教組織による大規模テロ事件のことだ。たしか、過激派による自爆テロだと報道されていたはずだ。
「表向きは自爆テロだと言われていたが、あれは違う。現場には創世紀があったらしい。焼け跡から見つかったのにも関わらず、目立った外傷もなく状態がよかったそうだ。」
「…だんだん規模の大きい話になってきたね?」
「創世紀はすでに、誰かにとっての聖典になってんだよ。それこそ聖書の創世記と同じように。」
どうやら創世紀は、私が思っている以上に複雑で懐疑的な存在らしい。ラテン語で書かれてあるから現代では広まりにくいものなのではと思っていたが、思想への共感は言語の壁を越えるものなのかと思わず感心してしまった。
「だからこんな政治家が密談するような場所で話を?」
「一応な!念のためだから!」
捏がこんなお店を選んだ理由がなんとなくわかった。本の話からこんなにも規模の大きい話になるとは思わなかった。なかなかに衝撃的な話が多い一日だったが、ずっと探していた本を見つけることができ、会いたかった人と会えた上に、会席料理の品々を楽めたのだから、この日の出来事だけは死ぬまで覚えているだろう。
「じゃあ、そろそろ出るか。もう21時だしなあ」
「そうだね。」
料亭から出るとすっかり暗くなっていたが、休日ということもあり街は多くの人で賑わっていた。しかし菅原初と陽川捏は帰路に就こうとせず、なんとなく高野川の河川敷を歩いていた。ここを歩いた先は、高野川と賀茂川の合流地点があり、鴨川へと続いていく。そこは陽川捏がかつて前世で暮らしていた地域であり、2人はよくここで落ち合っていた。
「ご馳走になってしまって申し訳ない」
「いーの、僕の気まぐれに付き合ってくれたお礼。ところで初、お前どこに住んでんの?」
「銀閣寺あたりだよ。大学が近くて。ここからは歩いて帰れちゃう。捏は?どこに住んでるの?」
「奈良。」
「へえ、捏らしいな」
「実家は東京だけどな」
古本まつりでは古代史の本ばかり買い漁っていたし、考古学を専攻していると言っていたので奈良に住んでいることは意外ではなかったが、実家が東京なのは意外だった。
「じゃあ実家を飛び出してきたんだ」
「…出た…というか…縁を切ってきたんだ」
「えっ」
「別に家庭環境が悪かったわけじゃない。だけど…僕にとってあの家は、窮屈だったから」
「…そっか」
人の家庭の事情を深掘りする趣味はないが、捏があまりにも気まずそうに話すので、ただ頷いて聞くことくらいしかできなかった。
時間の流れは早いもので、目の前にはすでに駅舎が見えてきていた。今度はいつ会えるだろうか。捏はまた自分に会ってくれるのだろうかと考えていると、捏がとんでも無いことを言い出してきた。
「なあ初、僕の家に来ないか?」
「……ええ?」
今は午後21時半をすぎている。ここ出町柳駅から奈良まで、往復最低でも2時間はかかる。ここで奈良に行く選択をしてしまえば、私は確実に終電を逃すだろう。しかし私は、あろうことか捏の家に行きたい気持ちの方が勝っていた。なぜ、と言われても明確な答えは見つからないだろう。ただ私は、捏のことをもっと知りたいと思っている。捏に前世の記憶がない以上、仲を深める絶好の機会でもある。なにより捏から家に来ないかと提案されるのはかなり、いやごく稀なことだ。彼の気まぐれであったとしてもだ。そうなると返事はただ一つだ。
「…いいの?お邪魔しても。」
「ああ、お前とはもっと話がしたい。」
そう言われたら、ついていく他ないだろう。
そう思いながら、私は捏と一緒に出町柳駅をでて、今から奈良へ行くことにした。
電車に揺られること1時間。
私と陽川捏は近鉄奈良駅を降車して、徒歩10分圏内にある捏の家へ向かった。
奈良の夜はいつ来ても静寂だった。前世で捏と1度目の再会を果たした場所も奈良だ。そして、私が人として…創作者として死を遂げた場所も、奈良である。
ひとり勝手にノスタルジーに浸っていると、あっという間に捏が住むマンションに到着した。捏はオートロックを解除したあと、エレベーターで7階まで上がり、1番隅っこの角部屋まで案内してくれた。ここが捏が今住んでいる家らしい。
「なにもないけど、入ってどーぞ」
「お邪魔するよ」
部屋の中は意外にも綺麗だった。捏は前世だとすぐに部屋を散らかすタイプだったから、よく私が片付けをしていた。だから今世でもそうなのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「部屋綺麗だね?それに広い」
「2LDKだし、リビング18畳あるから」
「いい部屋に住んでるねえ」
捏の家は、学生が一人暮らしするには十分すぎる間取りだった。リビングの他に書斎まであり、かなり充実しているようだ。
「それに僕、なにかと外に出ることが多くて帰れてなくて。だから散らかってないってのもある」
アクティブなのは捏らしいが、帰れていないと聞くと心配になる。おそらくお金には困っていないのだろうが、不用心そうなのでハラハラする。
「ちゃんと家に帰りなよ?不良じゃないんだし」
「わかってるって。海外行ってると家事とかやらないんだよ」
「海外?」
「ああ。中東地域の古代文明に興味があって。良くその辺に行くんだ。だからなかなか帰って来れない時期がある」
中東。人類史上もっとも早くに文明が栄えた地域だ。しかし現在の国際情勢でいうと、渡航が困難だったり、危険視されるような地域ばかりだ。
「…気をつけなね?ホント」
「言語はわかるし、そこまで危険な場所は行ってないから平気だ」
「中東地域の言語がわかるの?すごいね」
「言語は基本現地調達するようにしてるんだ。コミュニケーションにもなるし、なにより面白い。僕は“記憶力が良い”からね」
捏の記憶力は今世でも健在だったようだ。高い言語能力を持ち、コミュニケーション能力もある。前世の捏とはまた違ったものを感じて、なんだが寂しさを感じた。自分の記憶の中にいる捏は、もうこの世には存在しないのかと。
「…記憶力は良くても、前世の記憶はないのにね」
「なんだよ急に。というか僕、お前らが言う前世の記憶の話、半信半疑で聞いてるんだからな?」
「…べつに、信じなくてもいいさ。まるっきり過去の話だからね。ただ…私が知っている捏と今の君に差異があるから、私が知らない捏をみると、なんとなく…寂しくて…」
「……なんだよ。まるでもっと僕のことが知りたくて、妬いているみたいな良い草をーーーー」
「そうだって言ってるんだよ、捏」
真剣な顔でそういうと、捏はびっくりした表情で私の顔を見た。捏からすれば私は今日あったばかりの、関係の浅い友人だが、私は違う。前世での君を、知っている。人の感情に疎くて、無意識に人の心を傷つけてしまう無神経さは変わっていない。だが私は、そんな変わらない捏を見てどこか安心している。
「…へえ?僕のことがそんなに知りたいの?」
「だからここまで着いてきたんだよ。別に君はそれを悪いようには思ってないだろ?むしろ嬉しく思っている」
「………」
図星なのか、すこし恥ずかしそうな様子で俯いた。本当に素直じゃない。
「捏も私に興味があってここまで連れてきたんだろ?君が会ったばかりの人を家に入れるなんてこと、ほとんどないからね」
「…な、なんでだろう…お前にはなにもかも見透かされているような気がして、スンゲェ癪だ…」
「あはは、本当に素直じゃないよね君は」
捏は驚いた様子で悪態を吐いた。自分でも性格が悪いとは思うが、いつも捏が言動の主導権を握っているからこそ、こうして捏を揶揄うのは楽しい。
「どこから君に知ってもらおうかなあー。前世での君と私の旅路は途方もないくらいに長いからなあ」
なにせ前世での私と捏は紀元前…いわゆる“神代”と呼ばれる時代からの付き合いなのだ。そこから約2000年以上も一緒にいる分を語るとなると、1日では終わらないだろう。
「…お前は、前世で僕と一緒にいて楽しかったのか?」
捏は照れくさそうな顔をして、そんなことを言ってきた。
「当たり前だろ?楽しくなきゃ一緒にいないよ」
「……そうか」
捏は嬉しそうにするわけでもなく、ただ顔を俯かせてそう呟いた。私と捏はほぼ同じ身長で顔もはっきり見えるはずなのに、今の捏の表情はどんな感情で、何を考えているのか全く汲み取れなかった。
「じゃあ、君と私が出会うまでの話からはじめよう。まだ人と神が共生していたころのお話しだ。」
かくして、菅原初は陽川捏に、前世の頃の話を語り始めた。それはそれは長く、空想に翻弄された悲惨な物語だった。




