第一章 山雨欲来
一
「ディーンきたぞ」
「ああ」
ヒュー、ヒュー。
崖の上から谷底を覗くディーンの飴色の細い髪の毛が、渓谷から吹き上げる風にたなびく。目を細めたその先には、白い煙を吐きながら川面をこちらに向かって近づいてくる白い商船が見える。
「よし、行くか、スティング」
「よっしゃ!」
横にいたスティングは、ポケットから取り出した白い鷹笛を口にくわえ、勢いよく吹き鳴らした。細い、だが確かな澄んだ音色が渓谷に響き渡る。
しばらくすると、断崖の両側の茂みがざわめき出した。次の瞬間、その茂みからふわり、ふわりと大小の黒い物体が空中に浮かんだかと思うと、みるみる加速し、凄まじい轟音と水しぶきを上げ、水面を次々に破壊していった。
白い商船の船室で、真っ赤なふかふかの椅子に腰かけ、古びた地図を広げていた船主のバッカは突然の爆音に、目を白黒させて、必死で机にしがみつきながら叫んだ。
「おい!何事だー!」
呼ばれた船員がよろめきながら船長室の扉を開け、
「バッカ様!賊の襲撃です!」
ドゥン!!
凄まじい音とともに再び船が大きく揺れた。
「くそ。やっぱり来やがったか!ドンキー!!」
そう叫びながらよろよろと階段を上がり、ひょっこり甲板を覗く。
次々と空から降ってくる岩石が水しぶきを上げている。甲板の一部は、破壊されて大きな穴が開いている。
「ドンキー!あの壁際だ!あそこに船を避難させろ!」
「ヘイ!」
操縦士のドンキーは、慣れた手つきで反り返った崖の下に船を進めた。そこは岸壁が反り返っていて上からの攻撃は届かなかった。
船が岸壁の影に身を隠すとしばらくして落石が止んだ。ほっと一息ついていると、川上から一隻の漁船のようなものが近づいてくるのが見える。
「来やがったな・・・あのガキども」
そう呟いたバッカは,ベルトがはじけそうなお腹をゆっさゆっさと揺らしながら船室へ戻っていった。
「クックッ。やっぱりバッカの船だぜ」
盗賊船のへりに立つディーンは、旧友にでも会ったかのように嬉しそうだ。
さらに船を近づけようと合図しようとしたその時,甲板にバッカが現れた。
来やがった、来やがった。運悪くこの渓谷を通り過ぎたバッカ殿にお悔やみの一言でも送ってやろうと、口を開きかけたディーンの表情が少し硬くなった。
バッカの後ろから真っ白な異国風の装束を身にまとった女性が出てくるのが見えた。
絹のように美しく長い黒髪が背中で結わえられ、風にゆれている。
どこかの逸話に出てくる女神のようなその造形に目を奪われるが、一点だけ違和感がある。その華奢な体つきには似つかわない細く長い剣が腰にはぶらさがっていた。
「ヒナギク殿。あれが憎たらしい賊どもです。どうかよろしくお願いします」
そう言うとバッカはそそくさと後ろに下がった。
ヒナギクと呼ばれた女がゆっくりと船の先端へと進む。波に揺れる舳先に立つヒナギクは微動だにせず、ただ長髪だけが風を受けてキラキラと光を放つ。
「なんだ?あの女・・・」
ディーンがいぶかしげにつぶやく。既に2つの船は、お互いの人の顔が視認できる距離まで近づいていた。
「おーい!バッカ!! 今日はお友達もいっしょか!」
「おーう!ガキども!!今日でおまえらは終わりだ!! 俺様をあまくみるとどんな目にあうか、身の程を知りやがれ!!奴隷民め!!」
チッ。
「今日はやけに威勢がいいじゃねーか。助っ人を呼んでチョーシに乗るなよ!」
甲板に立つヒナギクがそっと長刀に手を添えた。だが抜かない。
セミの声が深い渓谷に響く。
突然スティングがディーンの前に飛び出ると、大きな衝撃音とともにスティングが後方にはじけ飛んだ。
なんだ!?
ディーンは何が起きたのか分からなかった。
後方の船室の外壁に叩きつけられたスティングが、何とか声を振り絞る。
「ディーン下がれ・・・」
次の瞬間、サン!という音がディーンの耳元を過ぎ去った。それと同時に、ディーン達の船の帆柱が折れ、水面を打った。
「ディーン下がれ!!!」
スティングの悲鳴に似た叫び声が船上に響く。
あの女か?
そう思いながら急いで、ディーンは甲板に身を伏せながら後ろに下がる。
「おい!スティング大丈夫か?」
「ああ」
声が震えている。大丈夫、スティングがやられるわけがない。
スティングが、言葉を続けた。
「おい・・・ディーン。あれなんか、やばそうだ」
気が付けば、バッカの船がどんどん近づいてくる。
スティングは焦点が合わない瞳で、ぼんやりとあの女の姿を見た。あいかわらず、長刀に手をかけたまま、凛とすました顔で甲板に立っている。
死神ってのは、あんなに美しのかね・・・。息が、どうにも続かない。ふと、刀を握る手を見ると、真っ赤に染まっている。
ふー。
スティングは息を大きく吐いて、空を見上げた。峡谷の狭間から見える青空がとてもきれいだ。スティングはよろよろと立ち上がり、身をひきずるように船頭に進んだ。
「お、おい!」
ディーンはスティングの歩みを止めようと肩をつかんだ。
「ディーン。この船・・・沈むぞ。早く逃げろ」
「な、何言ってんだよ」
大丈夫だろ、そう言いかけたディーンを見つめるスティングの瞳は、いつもの陽気さの欠片もなく、静かに何かを語っていた。
ディーンは少し怖くなってスティングの肩にのせた手に力を入れる。そんなディーンの手を、スティングは真っ赤に染まった手でゆっくりと払いのけた。
「ディーン。お前なら大丈夫だ」
スティングはよろよろと舳先に進み、剣を構えて叫ぶ。
「ディーン!!早くいけ!おれも後から追いかける!」
次の瞬間、ギャイン!という音とともに、スティングのかまえた剣が何かと衝突する。
「ぐぁっ!!」
続けて、二度三度と襲来する衝撃に、スティングは耐えながら、
「ディーン早くしろ!!」
そう叫ぶ。
スティング!
二
パン!パン!
空に弾ける音が響き、赤色の煙幕が立ち上った。
赤色の煙を見た団員は皆、持ち場を捨てて、次々と水面へ飛び込んでいった。
渓谷の茂みに潜んでいた団員も、ザザザッと三々五々散っていく。
この赤い煙幕は団長のラインが退却の時に使うもので、この煙幕が上がった時は自分の命を守ることだけを最優先し、退避行動を取る決まりとなっている。
ディーンは、刀で身を支えながら前を睨んでいるスティングにかけ寄り、スティングの身を抱えるとそのまま前方の川に飛び込んだ。
逃げるディーン達を目掛け、ヒナギクは抜刀の姿勢をとる。その刹那、崖の上がキラリと光り、ヒナギクの顔面に向かって鋭い矢が飛来した。
ヒナギクはすんでのところで矢をかわし、崖の上に目をやる。間髪入れず、次の矢が寸分たがわずヒナギクの首筋を目掛けて飛んでくる。
あの距離から的確に射貫けるとは。
ヒナギクは感心しながら矢をかわすと、長刀を構え目にもとまらぬ速さで抜刀した。
ザン!
崖の上の雑木林が一直線に切り裂かれた。
しかし、すでにそこには人の気配は感じられず、ヒナギクが再び船に目を戻した時には飛び込んだ者達の影はどこにも見当たらなくなっていた。
「ガーハッハッ!!ヒナギク殿、どんどんやってください!ハーッハッハ!ざまーみやがれクソ野郎ども!!」
油でテカった鼻を鳴らしながら、
「おい!あの船に火をつけろ!!」
そうバッカが命令すると、船員の一人が火矢を放った。何本目かの火矢が帆に命中し、みるみる炎が船を包み込んだ行く。バッカの大きな瞳に写る炎がどんどん大きくなっていった。
燃え盛るディーン達の船を見とどけたヒナギクは,
「報酬は約束どおりもらうぞ」
ぼそっとそう言うと,船室へ消えていった。
「もちろんです。ヒナギク殿・・・」
バッカはヒナギクの背中に歪んだ笑顔で見送った。
生意気な小娘が・・・。
まあ、しかし、あの憎たらしいガキどもを撃退することができたことで、気分は上々だ。あのディーン達の悲壮に満ちた顔が頭から離れない。人生でこんなうれしい日はあるんだろうか?




