プロローグ2 長い夜
ダビデ陥落の報がランド王国の首都セントランドに届いてから一週間後、大将軍バウムが南方遠征から帰還した。北賊軍の総兵20万という先の報告は、ランド王国の大臣、将軍そして国王までも恐怖の底へと突き落した。ランド王国の兵力は、多く見積もって10万程度である。到底太刀打ちできるものではなかった。加えて強兵で知られるカナン軍をいとも容易く打ち破った事実は、ランド軍全体を不安で包み込むには十分だった。
主だった者が再び壁画の間へ集められた時には、前回の緩み切った表情とは一転して、みな目は虚ろで、先の見えない不安と恐怖が部屋中に渦巻いていた。
「それではお集まりの皆に、作戦本部指揮補佐を命じられたこのバンガードが、北賊討伐戦の作戦を言い伝える」
骸骨が皮をかぶったようなバンガードが一歩前に出て、神経質にギラつく目で皆を見渡した。
「北賊軍は現在カナンの首都ダビデに滞留しており、最新の報告ではその数およそ30万と報告されている。その・・」
「ふ、増えてるではないか! 数日前は20万という報告だったではないか!」
悲鳴にも似た左大臣ケンネルの声が部屋に響き渡る。
「ケンネル様、落ち着いてください。今から作戦を説明しますので」
バンガードの慇懃だが冷たい言葉に、ケンネルは言葉を飲み込んだ。
「こちらの軍は、バウム様の私兵を含めても10万程度、いかに我が軍が精鋭と言えど、さすがに数が足りませぬ」
バンガードは恐怖でひきつる一同の顔をゆっくり見渡すと、
「そこで、隣国のペジティア、と共同戦線を設けます」
おお!一部の者の表情には希望の光が灯った。
「ペジティア軍は8万。我が軍と合わせればおよそ20万。敵が30万と言えど、寄せ集めの雑軍。20万の精鋭で当たれば決して倒せない相手ではありません」
それまで暗い表情で話を聞いていた諸侯が顔を上げ、周囲と顔を見合わせている。確かに光明は見えたような気もする。しかし、依然として圧倒的な戦力差の前に、皆の不安は拭えずにいた。
「さらに!」
その戸惑いを察したように、バンガードは一際声を大きくして言葉を続けた。
「帝国からの援軍、いや最終的には、帝国と共同戦線を構築いたします!」
おお!
この提案は、皆の不安を吹き飛ばすのに十分であった。帝国全土の兵を合わせれば、その戦力は100万を超える。さらに帝国には、このユークリド大陸にその名を轟かせる武人が幾人も存在する。帝国さえ味方につけば大丈夫という思いが皆に広がった。
「バンガード、肝心の帝国との話し合いは進んでいるのか?」
モクレン将軍の問いかけに、
「はい」
と自信満々に答えたバンガードだったが、実のところ、まだなにも手を付けていなかった。帝国にとっても脅威となっているこの未知の敵に対し、帝国が協力を惜しむ訳はないとバンガードはたかをくくっていた。バンガードは言葉を続けた。
「すでに、ペジティアのジーク国王とは会談を済ませ、現在は我がバウム将軍とペジティア軍総統のハン将軍とが協同で作戦を立案中である」
ペジティアか・・・。帝国を動かさなければ、恐らく無理だ。
イーグは、バンガードの言葉・態度に不安が増す一方だった。
ペジティアには不思議な聖剣がある。通常聖剣、妖剣のたぐいは、その人と剣の奇跡的な相性によってその能力を開花する。しかし、ペジティアに伝わる聖剣は、血統を要件とする。
確か、今は扱える者が途絶えているという話だったが・・・。そうなると、ペジティアにはそこまで期待はできない、とイーグは思った。
会議はバンガードの報告後、二、三の質問があってそのままお開きとなった。会議前は、絶望に打ちひしがれていた諸侯の顔は、壁画の間を出るころには一様に安堵の表情に変わっていた。それがイーグの不安を一層大きくしていた。
ランド王国は、永らく平和な時代が続いてきた。最近の大きな戦争と言えば、70年前のペジティア王国、エン王国との間で起きたオイル戦争が最後で、戦争を知る現役の将軍は少ない。若干30歳で将軍の地位まで上り詰めたフィスは、名門グレース家の生まれで、軍養成学校創設以来の天才として、学校での模擬戦では無敵の強さを誇った。軍に配属されて以降も数々の戦功を挙げてきたが、周辺蛮族との小競り合い、魔物退治などがほとんどで、大きな実戦の経験はない。他の武将、文官にいたっては、位の高い家系の役職をそのまま継承した者がほとんどであった。その最たる例が、国王室政務室長バンガードであった。バンガードが生まれたタイジュ家は建国以来要職を担ってきた名家中の名家であり、バウム大将軍のコルク家とは遠戚にあたる。このように、約束された高い位に悠々と居座ってきた今の上級職の多くは、危機管理能力が驚くほど低く、この急変する直面してなお、自分の名誉と地位を保身することで頭がいっぱいだった。
バンガードの曖昧な説明を鵜吞みにし、安堵している今のランド国軍に、イーグの不安は大きくなるばかりだった。イーグは以前からカナン軍の強さには一目置いていた。中でも、カナン王国最強と謡われたライカ将軍の強さは、若き頃に参加した高位魔獣シンバス討伐戦の際に目の当たりにしていた。そのカナンが瞬く間に占拠され、ライカの居所も不明という事態が、イーグには未だに信じられなかった。しかし、客観的事実だけを集めて整理してみると、クロノス軍があのカナン軍よりも圧倒的に強いと想定すべきである。そうなると、この陣容、この志気、この兵力で、たとえ帝国の援軍があったとしても勝てるかどうかは、何度考えても“難しい”という答えにしかならなかった。
イーグは、ランド国には珍しいいわゆる成り上がりである。最も大きな功績は、ランド王国の北東に位置するカンザス湖に、突如現れた高位魔獣シンバスの討伐である。高位魔獣シンバスは身の丈10メートルほどもある一角獣で、その角からでる赤色の熱線はすべてを溶かし、口から吐く青色の炎は、炎すら焼き払うと言われる伝説の魔獣である。
シンバスは突如としてカンザス湖に出現すると、あっという間にカンザス湖沿岸の3つの町を壊滅させてしまった。その勢いはとどまる事をしらず、カンザス湖南岸に位置するランド王国は大きな脅威に晒された。カンザス湖はランド王国、カナン王国、ペジティア王国にまたがることから、ランド国王ワークレッド8世は、カナン王国、ペジティア王国に協力を仰ぎ、協同の討伐隊を編成した。
その時のカナンの代表が、若くして「王の剣」の称号を得たライカ25歳であった。一方、ランド王国の代表は、雷鳴スウリケ将軍で、イーグはその下の百人長として参加した。戦いは壮絶を極め、精鋭で編成された討伐隊8000人の内、生きて帰ってきたのが300人余りでしかなかった。当時、北国最強と謳われたスウリケ将軍も、最後はシンバスの吐く青色の炎に焼かれて炭となってしまった。その時の戦いでイーグは片目、片腕を失いながら最後にとどめを刺した事から、救国の英雄として百人長から一気に将軍へと駆け上ったのである。しかしこの戦いの最大の功労者は、シンバスの角を折ったライカであることはその場にいた者(ほとんどは息絶えたが)、特にイーグが一番よく分かっていた。
イーグは自分の部屋で夜遅くまで一人じっと考え込んでいた。壁に立て掛けられた長剣に写るろうそくの燈が、ゆらゆらと煌めいていた。




