偽りの職業
別の日、またしても俺たちは「クローバー」に集まっていた。
今夜の標的は、テーブル席で楽しそうに乾杯していた三人組のお姉さんたちだ。
ファッションは前回同様、バブリーで華やか。ソバージュヘアに肩パッド入りの鮮やかなニット、ハイウエストの革ベルトが時代を物語っている。
だが、話を聞いてみると、彼女たちは近くの総合病院に勤める看護師さんたちだった。
「えーっ、夜勤明けで超眠いのに来ちゃった〜」
「ほんとほんと、注射の失敗談とか聞いてくれる〜?」
切り込み隊長の俺が呼び込み、例の「速攻連結フォーメーション」で席を合体させた俺たちは、ありきたりな医療あるあるや仕事の愚痴で大いに盛り上がっていた。
三人組は、派手めなメイクで一番ノリが良い「真由美さん」、知的でサバサバした「恵子さん」、そして少し小柄で可愛らしく、俺の話に一番笑ってくれる「ゆかりさん」だ。
……雲行きがあやしくなったのは、桐生先輩が「ちょっとトイレ」と席を立った時のことだ。
戻ってきた桐生先輩は、眼鏡の奥の目を怪しく光らせながら、俺たちの耳元でボソッと囁いた。
「おい……ヤバいことになったぞ」
「なんですか桐生先輩、お腹でも壊しました?」
俺が尋ねると、先輩は真顔で首を振った。
「店の奥に、あの看護師さんたちの病院に通院している患者がいるらしい」
「えっ?」
「さっきトイレの前の廊下で、その患者のおばさんに呼び止められたんだ。『あ、あの……先生方ですか?』ってな」
聞けば、看護師さんたちと一緒に飲んでいる俺たちの姿を見て、すっかり「病院のドクター陣が看護師を引き連れて飲んでいる」と勘違いしたらしい。
「で、桐生先輩、なんて答えたんだよ?」
相良先輩が呆れ半分で聞くと、桐生先輩は咳払いをひとつした。
「……まあ、場を白けさせるのも悪いと思ってな。曖昧に『……うん』と答えておいた」
「うん、じゃないですよ!!」
俺たちが思わずツッコむと、桐生先輩は「よし、設定を固めるぞ。あのおばさんに怪しまれないよう、全員でドクターごっこの茶番を演じるんだ」と急にテキパキし始めた。
そして桐生先輩は、女の子たちに向かって「実はさっき奥の患者さんに先生と間違えられてな。今夜は俺たち、偽のドクターチームってことで茶番に付き合ってくれ」と小声で打ち明けた。
真由美さんたちは「ウソでしょ!? アハハ!」「ウケる! いいよいいよ、設定乗っかってあげる!」と大ウケ。
こうして、店内の視線を乗り切るための「偽職業ごっこ」という名の全力の悪ノリがスタートした。
「ゲホン……あー、改めまして。さっき奥の患者さんにも挨拶されたから言うが……実は俺は、あの病院の外科医なんだ。知性と冷静さを買われてな」
桐生先輩がキリッとした顔で眼鏡のブリッジをくいっと上げると、真由美さんは「キャー! 桐生先生〜! どおりで冷静だと思った〜(笑)」とノリノリで乗っかってきた。
恵子さんも「先生、明日オペでしたよね〜?飲み過ぎないで下さい」と茶番に乗ってくる。
「で、相良。お前は男前で弁護士っぽいから、病院の法務顧問も兼ねている弁護士だ」
「おっ、いいですね。ナイスガイな弁護士、もらった」
相良先輩が満足そうにグラスを傾け、「医療訴訟なら任せたまえ」とキザにウインク。
すると恵子さんが「わあすご〜い! 頼もしい弁護士先生だ〜!」とわざとらしくパチパチ拍手して乗っかってくれた。
「で、類だが……お前はイケメンすぎて頭にくるから、ただの患者だ」
「ええっ!? 僕だけ一般人ですか!?」
心底納得がいかない顔をする類に、
真由美さんが「え〜! 類くん患者さんなの!? じゃあ看護師の私が看病してあげる〜!」と、悪ノリの勢いで抱きついていた。
「結局、イケメンは患者でもモテるのか
力、お前は4浪している医大の苦学生だ。いつも必死な顔をしてるからピッタリだ」
「4浪の苦学生……まあ、否定はできないっすね……」
頭を抱える力に、恵子さんは「あらあら、国家試験がんばりなさいよ〜?」と、面白がってお姉さん風を吹かせている。
そして最後に、桐生先輩の冷酷な視線が俺――宮本拓海に注がれた。
「……で、拓海。お前は獣医だ」
「はぁ!? なんで俺だけ人間診てないんですか!? 病院のグループ関係ないじゃないですか!」
俺が猛抗議すると、桐生先輩は至極当然といった顔で言い放った。
「お前は日頃から種付けばかりしているから、獣医で十分だ」
「なんて事を女の子の前で!!そんなに種付けしてません」
俺の絶叫が店内にはじけ飛んだ。
真由美さんと恵子さんは「種付けってなに〜!爆笑!」「拓海くんだけ病院と関係無いジャン!」とテーブルを叩いて大爆笑している。
俺の尊厳は一瞬で崩壊した。
――だが、その大爆笑の輪の中で、ゆかりちゃんだけがクスクスと笑いながら、テーブルの下でちょんちょんと俺の袖を引っ張ってきた。
「……ねえ、拓海くん」
「なんすかゆかりちゃん……俺は獣医ですよ!ゆかりちゃんと一緒に働けないのですよ」
俺がヤケクソ気味にささやくと、ゆかりちゃんは少し首をかしげて、悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、みんな一緒には働けませんよ。だって単なる配役だからね」
ゆかりさんはキュッと距離を詰めてくると、上目遣いで俺をじっと見つめた。
「先輩たちのあんな無茶苦茶な振りにちゃんと付き合ってあげて、場を盛り上げてる拓海くん、すごく優しいなって思っちゃった」
「え……」
「嘘の肩書きでカッコつけるより、そうやってイジられてみんなを笑わせてる拓海くんの方が、ずっと素敵だよ」
「……っ!?」
不意打ちだった。
バブリーな肩パッドのニットを着ているのに、その隙間から覗く華奢な首元と、少し赤くなった頬。まっすぐな瞳に見つめられ、ドクンと心臓が跳ね上がった。
「それにね……」
ゆかりちゃんは声のトーンを落とし、俺にだけ聞こえるように囁いた。
「私、犬とか猫とか大好きなの。もし本当に拓海くんが獣医さんなら、うちのコも診てほしいくらい。……ううん、獣医さんじゃなくても、拓海くんならうちに遊びに来てほしいな」
「それ、どういう意味ですか……」
「ふふ、秘密。……ね、後でちゃんと本当の連絡先、教えてね?」
そう言って、ゆかりちゃんは悪戯っぽくウインクをした。
周りでは桐生先輩が「外科医のメスさばき」のウソ芝居を続け、相良先輩が弁護士ポーズを決め、女の子たちも一緒になって「先生〜!」と悪ノリのコントを楽しんでいる。
だが、俺の耳にはもう、そんなバカ騒ぎは届いていなかった。
顔が熱くなるのを隠すために、俺は勢いよくカシスオレンジを煽り込んだ。
偽りのドクターごっこという、みんなでのハチャメチャな悪ノリ。
そのふざけた夜の向こうに、まさか本物の恋が待っているなんて、この時の俺はまだ、知る由もなかったのだ。




