ナンパ成功率100%
宮本拓海、64歳。
新入社員だった23歳の頃、俺は仕事終わりの大半を「オーキッド」に入り浸って過ごしていた。
だが、あの頃会社の先輩たちと飲んだ記憶だけは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
会社の人間だからといって、飲み会で仕事の話なんてほとんどしなかった。
当然、酒の席で説教や仕事論を語りたがる種族もいたが、俺たちはそういう連中とは絶対に群れなかった。
今夜は、あの怒濤の飲み会の話をしよう。
◆◆◆
1985年、夏。
世間では「花金」なんて言葉が躍っていた。
当時はまだ完全週休2日制では無く土曜出勤もある時代。
だからこそ「明日が休みの金曜日」ともなれば街の熱気は異常で、誰もがその夜に命を懸けて遊んでいた。
ここは地方都市の繁華街に有る洋風居酒屋「クローバー」
店内の有線からは、この夏デビューしたばかりというTUBEの『ベストセラー・サマー』が勢いよく流れていた。そのBGMに負けない熱気で、生ビールの大ジョッキをあおる男5人組がいた。
5人組とはいつもの同期の3人組(俺、力、類)に加え、席にいるのは先輩二人。
一人は、相良海人さん。
百八十八センチの高身長に、彫りの深い男前。どこからどう見てもトレンディドラマの主演男優なのに、中身は酒と女子が大好きなギャップの塊のような先輩だ。
そしてその隣で、静かに眼鏡の奥の目を光らせているのが、入社五年目の桐生律先輩。
知的でクール、仕事も完璧。
全員、底なしの酒豪。そして――全員、今夜のナンパに命を懸けている。
……はずなのだが、まだ作戦開始前ということで、テーブルの上では実にくだらない雑談が繰り広げられていた。
「おい類、聞いたぞ。お前、近所の喫茶店のママさんに気に入られて、毎回サンドイッチタダで食ってるらしいな。マダムキラーか?」
桐生先輩がニヤニヤしながらタバコに火をつける。
「いやいや、たまたまですよ。そんなこと言ったら、拓海だって隠れて何かしてるみたいですよ」
類が涼しい顔で俺に矛先を向けた。おい、余計なこと言うな。
「あ、そうだ拓海。お前、恵美の友達と上手くやってるみたいだな」
相良先輩が枝豆を口に放り込みながら言った。
「恵美って……あの『ヤッたのにこの態度』の人ですか? 先輩、まだ会ってるんですか?」
「バカヤロー!」
間髪入れずに相良先輩のおしぼりが飛んできた。俺がそれをヒラリとかわしてドッと笑いが起きた、その時だ。
◆
「よし……標的確認」
桐生先輩が眼鏡のブリッジをクイッと上げた。視線の先には、四人掛けのボックス席に座る、OL風のお姉さん三人組。
当時の流行をしっかりと纏った、華やかな三人だった。
一番手前の女性は、首元で大きなリボンを結んだボウタイブラウスに、膝丈のプリーツスカート。前髪を軽く内巻きにした清楚なお嬢様風コンサバスタイルだ。
真ん中の女性は、細かくパーマをかけたボリュームのあるソバージュヘア。鮮やかなミントグリーンのニットに、幅の広い太ベルトでウエストをギュッと絞り、メリハリを強調している。
奥の女性は、パステルピンクのアンサンブルニットに、濃い太眉とローズ系の口紅が映える大人っぽい雰囲気。
三人とも、当時の「ちょっといいところのOLさん」そのものの装いだった。
「桐生先輩、今日の勝率は?」
俺が尋ねると、桐生先輩は重々しく頷いた。
「99.8%だ。残り0.2%は彗星が直撃する確率だと思っていい」
出た。根拠ゼロの桐生数字。
だが、俺たちには成功率ほぼ100%を誇る『伝説のナンパ必勝フォーメーション』がある。今夜もそれを発動させる時が来たのだ。
「拓海、行け。切り込み隊長の仕事だ」
「アイアイサー!」
俺――宮本拓海は、持ち前のノリと適当さだけを武器に、席を立った。
「やあやあお姉さんたち! こんばんはーっ!」
満面の笑みでターゲットのテーブルに突撃する。
一瞬、「なによこの人」という警戒の表情が走る。
だが、ここで引いたら切り込み隊長の名がすたる。
「いや〜、実はあっちで友達と飲んでるんだけどさ、あまりにも眩しい席があると思ったら、お姉さんたちが輝いてたから我慢できなくて! 1分だけでいいから話聞いて!」
「えー、なにそれウケる〜。ナンパ〜?」
よし、掴みはオッケーだ。
警戒心が少し緩んだ瞬間に、俺は「カード」を切る。
「実はさ、俺たち寂しく男5人で飲んでるんだけど、みんなで楽しく飲まない? 連れにすっごい男前がいるんだよね。ほら、あそこ」
俺が親指で指し示した先で、類と相良先輩が完璧なタイミングでこちらを振り向き、グラスを軽く掲げて爽やかに微笑んだ。
「……ッ!?」
お姉さんたちの目の色が変わった。
ソバージュの彼女も、ボウタイブラウスの彼女も息をのんでいる。
俺は背中で、仲間に『Go』のサインを出す。
次の瞬間、力と類が飛んできた。
力がお隣の空いていたテーブルをぐぐっと引き寄せ、俺たちの席と一瞬で連結させる。
さらに間髪入れず、相良先輩と桐生先輩が俺たちの残りのグラスとジョッキをサッと持ち寄り、
「君はここね」「お姉さんはこっち」
と鮮やかな手つきで座り位置を指定し、流れるように席替えを完了させていく。
お姉さんたちの間に自然に俺たちが割り込み、あっという間に即席の合コン会場が完成した。
そう、女の子に「断る隙」も「考える時間」も与えない。これこそが、俺たちのナンパ成功率ほぼ100%のカラクリなのだ。
桐生先輩がグラスを掲げ、知的な笑みを浮かべた。
「ささ、俺たちの奇跡の出会いに! かんぱーい!」
「も〜……なにこの強引な人たち〜!(笑)」
お姉さんたちは呆れながらも爆笑し、華やかなグラスを合わせる。
昭和六十年、夏。
バブルの足音と、グラスがぶつかる高い音。
俺たちの、短くも眩しい青春の夜が、賑やかに更けていった。




