シンデレラエキスプレス
1985年夏、金曜の深夜。
職場近くの居酒屋で終電ギリギリまで飲んでいた俺と力は、店の時計を見て青ざめた。
「おい力! やばいぞ、あと三分! 走るぞ!」
「お、おう!」
夜の街を猛ダッシュし、ホームへ滑り込んだ瞬間に発車ベルが鳴り響く。
俺は滑り込むように電車のドアへ飛び乗った。
ハァハァと肩で息をしながら振り返る。
「ハぁ……ハぁ……力、なんとか間に合……」
隣に力はいない。
プシュー、と音を立ててドアが閉まる。
ガラス窓の向こう、ホームの上にぽつんと立っていたのは力だった。
力はなぜか満足気な満面の笑みを浮かべ、大きく手を振って俺を見送っていた。
「……は? おい、力!? なんで乗ってないんだよ!?」
俺の叫び声も空しく、電車は走り出す。遠ざかっていくホームで、最後まで嬉しそうに手を振り続ける力の姿。
あいつは一体、何を考えているんだ――? 呆然としながら、俺は一人で寮へ帰るしかなかった。
◆
翌日、土曜の昼下がり。
休日だった俺は、昼間から「オーキッド」へ足を運んだ。
夕方5時までは「喫茶の部」として、夜より安くビールが飲めるのだ。
俺は大瓶のビールを注文し、昨夜の力の「ドヤ顔見送り」を思い出して溜息をついていると、カランコロンと店のドアが開いた。
入ってきたのは、昨日とまったく同じ服を着た力だった。
「よっ、拓海! 早いな!」
すこぶる爽やかな顔で隣に腰下ろし、同じくビールを注文する。
「……お前、昨日と同じ服じゃないか。なんで電車に乗らなかったんだよ?」
「いや〜、拓海が反対方向の電車に飛び乗ったと思ってさ。『あいつ間違えてやんの!』って可笑しくて、手を振って見送ったんだけどさ……」
力はビールをゴクゴクと飲み干し、不思議そうに目を丸くした。
「そのあと俺が乗った電車が、急に反対方向に走り始めてビックリしたんだよ!」
「当たり前だろ!!」
俺は思わずカウンターを叩いた。
「お前が乗った向かい側が上り線(正解)で、俺が乗った方が下り線だ! なんで確認しねぇんだよ!」
「いや、お前が間違えたと思って高くくってたからさ。それに『この電車は本日の最終電車です』ってアナウンスしてるしさぁ。乗ったら案の定、終点の見知らぬ駅に運ばれて、タクシー代もないし参ったよ」
「で、どうしたんだよ」
「それがさ、後ろから『おい、大迫じゃねえか?』って声をかけられたんだよ。二宮さんに」
「……二宮さん?」
俺たちが働く研究所には、大きな工場が併設されている。
二宮さんはその併設工場で長年現場を仕切っているベテラン作業員さんだった。
「二宮さんも同じ電車だったらしくてさ。『しょうがねぇなぁ』って自宅に泊めてくれたんだよ。立派な持ち家でさ、奥さんも優しくて綺麗でさぁ」
力は手酌でビールを注ぎ足しながら、満足そうに目を輝ませた。
「でさ、今日の朝だよ。奥さんが朝ごはん作ってくれてさ! 炊きたてのご飯にアツアツの豆腐のみそ汁、脂ののった鮭の塩焼き! もう美味くておかわり三杯もしちゃったよ」
「お前……ほとんど面識の無い、人様の家で朝から三杯もおかわりしたのか……」
「二宮さんも『若い奴がいっぱい食うのは気持ちがいい』って笑ってたぞ。奥さんも『いつでもおいで』ってさ!」
力は胸を張り、幸せそうに笑った。
昨日、終電のドア越しに見せたあの満面の笑み。
あれは「お前だけ先に帰れ」という優しさでも何でもなく、「お前、電車間違えてるぞ!」という俺への嘲笑の笑顔だったのだ。
結果的に間違えていたのは自分の方だというのに。
どこまでもバカで、どこまでも人に恵まれる男。
「お前なぁ……今度二宮さんにちゃんとお礼言っとけよ」
「おう! 今度、奥さんにケーキ持って行くよ。そうすると、あの美味いめしをまた食わしてもらえるから」




