スキー合宿
1986年1月。当時、テニスとスキーは若者にとって絶対に外せない“必須科目”だった。
翌年公開の映画『私をスキーに連れてって』で空前の大ブームを迎えることになるのだが、すでにこの頃からゲレンデの熱気は沸騰していた。
……まあ、スキー自体の思い出はまた別の機会にするとして。今回はスキー合宿の夜、俺——拓海が打ち立てた「豪快(?)伝説」について語るとしよう。
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その週末、研究所と工場の合同企画でスキー合宿が開催された。合宿といっても体育会系の過酷なものではなく、実質ただのスキーツアーだ。
当時の俺たち“新人類”世代にとって、休日に会社の人間と旅行に行くなど本来なら御免被りたいところ。しかし相手がスキーとなれば話は別だ。自由参加にもかかわらず、バス1台がしっかり埋まる人数が集まった。
集合は金曜22時、会社前。サービス残業を終えた俺たちにとって、絶妙な出発時刻だった。
参加者の中には工場総務の女子社員たちも混ざっている。当時は「社内結婚・寿退社」が当たり前の時代。男子社員にとって女子社員は魅力的であると同時に、うっかり社内結婚でもしようものなら一生会社に縛り付けられる“甘い罠”でもあった。
実際、当時いた10人の女子社員のうち9人が社内結婚で去っていったのだから笑えない。
「会社愛 家電も妻も 自社製品」
(出典:第一生命保険株式会社「サラリーマン川柳」/作者:職場のサラ吉)
まさにこの句の通り。だからこそ、いくら可愛い娘がいても軽率に動くわけにはいかない。非常に慎重な立ち回りが求められる時代だったのだ。
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バスに乗り込むと、同期トリオ——俺と豪快な大迫力、イケメンの一条類——は、女子たちのすぐ後ろの席を陣取った。下心はないので、逆に堂々としたものだ。
車内にはビールが積み込まれており、女子側もノリノリ。狙いはもちろんイケメンの類だ。
「ねえ拓海さんたちって研究所でしょ? プライド高くて付き合いにくいって評判ですよ〜?」
総務の佐藤さんがからかうように振り返る。俺は即座に首を振った。
「滅相もない! 連日サービス残業続きの奴隷だよ。『プライド』なんて高尚な言葉、とっくに捨てたね!」
自虐全開の返しに車内は大爆笑。
そのまま勢いで始まったのは、まさかの「山手線ゲーム:今まで付き合ってきた異性の名前」という超危険なゲームだった。
手拍子に合わせて「ヒロシ!」「タカコ!」と名前が飛び交う中、佐藤さんの順番が回ってくる。
「タクミ!」パンパン!
車内が一瞬、静まり返った。
「えっ!?」
俺が目を見開くと、佐藤さんは小悪魔的にクスッと笑って口元を隠す。
一気に巻き起こる冷やかしの嵐。「お前ら怪しいぞ!」「拓海、いつの間に!」
(これはマズい、社内結婚の蜘蛛の巣だ……!)
俺は無駄に自意識過剰な警戒心を極限まで高めていた。
◆
翌日、ゲレンデで思いっきり滑った後は夜の大宴会だ。
「宮本さんの滑り、豪快でかっこいい〜!」
「あの急斜面、直滑降みたいに滑ってたよね!?」
女子社員からの絶賛の嵐。いわゆる“ゲレンデマジック”も手伝い、俺は完全に調子に乗っていた。
ふと見ると、テーブルには空のお櫃。そこへ酔っ払った先輩が、あろうことかビールをドボドボと注ぎ始めた。
「これ飲めるやつ、いるか!」
周囲がざわつく中、モテてイイ気になっていた俺は即座に買って出た。
「そんなの朝飯前……いや、晩飯後か!」
ご飯粒がぷかぷか浮かぶカオスなビールを、俺は豪快に飲み干した。
思えば前回の「焼きそばの油」といい、俺は毎回ろくでもないものが混ざった酒を一気飲みしている気がする。
◆
……豪快な伝説を作った、はずだった。
翌朝、ゲレンデに集まった女子社員たちの視線が、なぜか氷のように冷たい。
「俺、何かしたか……?」
困惑する俺に、類がニヤニヤしながら衝撃の事実を告げた。
「拓海、昨日の宴会でさ——『俺は総務の伊藤さんが好きだー!』って大声で叫んでたぞ」
冗談じゃない。俺は泥酔して記憶をなくすタイプではないし、宴会の記憶だってハッキリある。
しかし、なぜかその“叫んだ場面”だけがキレイにスポットで消え去っているのだ。
伊藤さんは確かに綺麗な人だったが、恋愛感情なんてこれっぽっちもない。
本当に好きならとっくに告白しているはずだ。俺はあんな恥ずかしいセリフを言った覚えはないし、今でも誰かのハメ込みだと思っている。
……まあ、今となっては言えることだが。
あの「伊藤さん好きだ大叫び事件」のおかげで、俺は女子社員たちの“社内結婚という名の蜘蛛の巣”にかかることなく、無事に逃げ切ることができた。
あれは俺の無意識が発動した、完璧な危機回避能力だったのかもしれない。……と、俺は今でもそう強がっている。




