9 初めての花文字師対決
王宮内にある、静かな庭園。
リリアーナは一人で歩いていた。
もちろん、これは囮だ。
レオンハルトたちには、敵に見えない場所で、待機してもらっている。
リリアーナは少し緊張した面持ちで、歩く姿もどこかぎこちなかった。
リリアーナは心の中で、自分を鼓舞する。
(大丈夫、レオンハルト殿下が近くにいる。だから、怖くない!)
庭園の中央あたりまで歩いた時――
――ヒュッ!!
風を素早く切り裂く音が聞こえた。
リリアーナはその音に気づいたが、矢を完全に避けるには間に合わなかった。
その時――
――カンッ!!
鋭い金属音がリリアーナの前方で響く。
毒矢はリリアーナに届くことなく、真っ二つに斬られて、地面へゆっくりと落ちていった。
リリアーナはハッと顔を上げ、エメラルドの瞳を見開いた。目の前には、白銀の剣を構えたレオンハルトがいた。
剣の装飾には、レオンハルトの瞳と同じ色のサファイアがあしらわれている。
そして、レオンハルトの青い瞳は、茂みに潜む獲物だけを見据えていた。
「……やはり来たか」
レオンハルトは短くそう呟いた。
「殿下!」
ルークが声をかける。
レオンハルトは茂みに潜む獲物から視線を外さず、リリアーナに声をかけた。
「リリアーナ。怪我はないか?」
「ありません」
「なら、予定通り作戦を続行する」
「はい!」
ここまでは計画通りだ。だから、リリアーナとレオンハルトは焦る様子はない。
ルークだけは、レオンハルトの身を案じ、緊張した面持ちでいる。
そう、こちら側だって今夜はしっかりと準備をしてきたのだ。
二人の密会という体裁を取りながら、ルークも交えて作戦会議を開き、犯人と対峙するのに最適な場所など、さまざまな策を練ってきた。
リリアーナは、昨夜の会議が始まる前の出来事を、一瞬思い出した。
レオンハルトに声をかけられ、二人きりになった時のことだ。
突然、胸元のサファイアのブローチを外して、レオンハルトはリリアーナへ渡したのだ。
「これを使え」
リリアーナは驚く。
「えっ? これは殿下の大切なブローチなのでは?」
レオンハルトは淡々と言う。
「今は君の方がこのサファイアが必要だ。そうだろう?」
レオンハルトの表情からは何も読み取れなかったが、きっと心配してくれているのだろう。
「殿下の大切なサファイアのブローチ、しばらくお借りいたします」
そう微笑みながら、リリアーナは素直にサファイアを受け取った。
リリアーナは、昨夜のことを思い出し、今隠し持っているサファイアのブローチを手の感触で確認する。
(きっと大丈夫。私はできる!)
ブローチのありかを確認したその直後――
茂みの奥から笑い声が聞こえてきた。
「ハハハッ!……なるほど」
「最初から、私を待っていたのか」
口元を歪めた黒いローブの人物が姿を現した。
顔はまだよく見えない。
レオンハルトは剣を構えたまま一歩下がり、リリアーナに言う。
「ここから先は、君の仕事だ」
反対に、リリアーナは一歩前へ出る。
「はい!」
レオンハルトは剣を納めず、敵へ向けたまま構えていた。
リリアーナに何かあれば、すぐ助けることのできる位置にいてくれている。
リリアーナにとって、それがどれだけ心強いことか……
(レオンハルト殿下には、あとできちんとお礼を伝えなきゃ)
リリアーナは、犯人をゆっくり見据える。
「あなたが、先日のパーティーで、ご令嬢を毒矢で狙った花文字師ですね」
犯人が口元に薄ら笑みを浮かべる。
「ほう。そこまで分かるとは」
そして、黒い影は――右手で陰の花文字を発動させる。
暗闇の中、敵が書いている花文字は見えにくい。
敵は、戦い慣れた花文字師だ。 きっと、これまで何度も空中に花文字を書いてきたのだろう。右手を滑らかに動かし、迷いなく文字を描いていく。
敵は目を閉じて、花文字をイメージしながら描いている。
リリアーナは目を凝らして、その一文字を読む。
一文字を確認しながら、同時に相手が使用する石は何かを確認する。
リリアーナは花文字を読み取り、ハッとした。
(この花文字は『傷』……! いったい、どんな攻撃を仕掛けてくるの?)
敵は、漆黒の闇に紛れて、隠し持っていたブラックスピネルを取り出し、石を両手で包み込み、瞬時に花文字のエネルギーを転写した。
(ブラックスピネルは、ブラックダイヤに匹敵する耐久性を持つ石。本来は、負のエネルギーや邪気を払う強力な守護石として使われる。でも、今は陰のエネルギーを転写している……! 負のエネルギーを増幅させ、石が持つ『目標達成』の力を攻撃に利用するんだわ!)
どうやら、敵の目標達成とはリリアーナを傷つけることだ。
周囲の空気が徐々に冷えていく。
その不穏な気配が、リリアーナの肌にもひりひりと伝わってきた。
敵が空中に花文字を書き終えると、黒い文字が不気味に浮かび上がった。
そして、短く唱える。
「陰花文字――『傷』」
すると、石から黒いエネルギーが放出された。
元々漆黒の輝きを持つブラックスピネルだが、そのエネルギーは殺気を放ち、矢にまとわりついている。
その瞬間――
本物の矢は毒だけでなく、傷を広げ、蝕んでいく呪いまで帯びた。
リリアーナも、陰の攻撃に対抗するために、
レオンハルトから借りたサファイアを握る。
目を閉じ小さく息を吸う。
そして静かに言う。
「花文字は……人を傷つけるための道具ではありません」
一呼吸して、神経を集中させる。
リリアーナは、まるで踊るように、優雅な手つきで空中に文字を描いた。
一瞬で花文字をイメージして、モチーフを思い描く。
亀や鳳凰のモチーフは守護。花のモチーフは浄化……
様々なモチーフを組み合わせていく。
「陽花文字――『守』」
すると、サファイアが青く真っ直ぐな光を放ち輝き出す。
強い光はやがて淡い光へと変わり、じわじわと広がっていく。
温かさを感じるくらいまばゆい光が辺り一面を照らし出す。
そして、その拡大した光は、光の結界となってリリアーナたち皆を包み込んだ。
「ははっ、そんな光など、負のエネルギーを強化したこの矢なら貫通するぞ」
「さあ矢よ、貫け!」
黒い影が花文字のエネルギーを矢に乗せて放つと、本物の矢に続き、黒い花文字も無数の矢となって光の結界へ一斉に飛んできた。
(――来たわ!結界を強化しなければ……)
「光よ、守って!」
黒い矢が光の結界に触れるたび、まばゆい光に包まれ、浄化されて還っていく。
「……馬鹿な」
「俺の『傷』のエネルギーが消えていく?」
「違います」
リリアーナは、敵をまっすぐ見据えて答える。
「消したのではありません」
「あなたの憎しみや悲しさから生まれた傷を浄化しただけです」
少し驚いたように影が呟く。
「ほう、これが陽の花文字の力か。聞いていた以上に素晴らしい! だが……守りの花文字だけで防げるのか?」
リリアーナに、不気味な笑みを向けてくる。
敵は知っているのだ。
リリアーナが王立花文字師の資格を持ちながら、これまで一度も花文字を戦闘に使ったことがないと。
リリアーナはこれまで、紙に花文字を描くこと、そして花文字を石へ転写することで、人々の幸せを願ってきたのだ。
けれど――
今は、戦いの最中だ。
相手と同じ速度で、花文字を書かなければ、相手に圧倒されてしまう。
この囮作戦を計画してから、リリアーナは直接空中に花文字を描く練習を重ねてきた。
だが、実戦では、花文字を瞬時に描くだけでなく、石へのエネルギー転写も素早く行わなければならない。
リリアーナには実戦経験が圧倒的に足りなかった。
(このままでは……敵の花文字師に押されてしまう)
浄化しても、敵の攻撃は途切れることなく押し寄せてきた。
(やはり、相手の経験値が全く違うわ。負のエネルギーも強い)
ビキッ――!!
リリアーナが張った結界に、少しずつひびが入っていく。
サファイアの光も次第に弱まり、手の中で石が震え始める。
(まずいわ、このままだと私の結界でみんなを守りきれない!)
リリアーナは、額から流れ落ちる汗を拭う暇もなく、戦いに身を投じていくのだった。




