3 リリアーナの瞳に映るもの
王太子レオンハルトが姿を現し、皆の前に立つ。
レオンハルトの隣には国王も立っていた。参列者が一斉に頭を垂れる中、国王は静かに壇上へと歩を進めた。
国王はレオンハルトと同じ漆黒に近い濃い藍色の髪を後ろへ流し、穏やかな笑みを浮かべる。
レオンハルトが年齢を重ねるときっとこんな風貌になるのだろう。
国王の佇まいには、長年国を治めてきた者だけが持つ威厳があった。
「本日はよく集まってくれた」
静まり返った会場に、落ち着いた声が響く。
「あなたがたは、それぞれ名門の家に生まれ、日々教養を磨き、この国を支える家の一員として育ってきた」
「まずは、この場へ足を運んでくださったことに、王家を代表して心より感謝申し上げる」
一呼吸置き、国王は七人の令嬢を見渡した。
「本日の会は、単に王太子妃候補を選ぶためだけの場ではない。互いを知り、この国の未来について考える、大切な第一歩である。どうか肩肘を張らず、それぞれの魅力を見せていただきたい。本日は短い時間ではあるが、実りある一日となることを願っている」
緊張をほぐすように笑顔で語りかける国王の姿に、令嬢たちはいくらか緊張を解いた。
本日の主役であるレオンハルトも、国王に続いて前に一歩出る。
「本日は来ていただき感謝する」
レオンハルトはその一言だけだ。
当然、会場が静まり返る。
(えっ、それで終わり?)
令嬢たちの誰もが内心そう思う。
レオンハルトも周囲の困惑した雰囲気に気づいたのか、もう少しだけ言葉を続ける。
「本日は短い時間ではあるが、互いを知る機会になれば幸いだ。よろしく頼む」
レオンハルトは一礼して、笑みも浮かべず無表情で元いた位置に下がる。
噂には聞いていたが、これが冷徹王子と言われる所以なのだろう。
(本当に噂通り、必要最低限しかお話しされない方なのね。でも……声は思ったより優しいわ)
開会の挨拶が終わった後、側近のルークが静かにレオンハルトへ近づいて、小声で言う。
「殿下、もう少し笑顔をお見せになった方がよろしいかと」
レオンハルトは表情一つ変えず、答える。
「努力はしている。……早く済ませたい。一人ずつ挨拶して回るぞ」
(令嬢たちに笑顔は全く伝わっておりませんが……)
ルークは心の中でため息をついた。
こうして、婚約者候補の令嬢たちが集うパーティーが始まった。
レオンハルトは令嬢たちと、一人ずつ話すようだ。
しかし、どこからどう見ても事務的にしか見えない。
そんなレオンハルトに対しても婚約者候補の令嬢たちはみんな完璧である。
だが……どこか皆、作られた笑顔に見えるのはリリアーナだけだろうか。
ソフィアもエマも順番が来るとレオンハルトと会話をしていた。
どんな内容を話しているのかまでは分からなかった。
そして最後、リリアーナの番が回ってきた。
(あぁ、やっと。話したらすぐ帰ることができるのかしら)
そんな不敬なことを考えながら、今日初めてレオンハルトと直接対面した。
「ルミナリア王国王太子のレオンハルトだ。今日はよろしく頼む」
「初めまして、レオンハルト殿下。本日はお招き頂きありがとうございます。ローゼンベルク公爵家令嬢のリリアーナ・エメリア・ローゼンベルクでございます。お会いできて嬉しく思います。以後お見知り置きを」
(そつなくこなせたはずだわ、よくやった私!)
内心そんなことを思って初めての挨拶を交わす。
「……」
「……」
王族である殿下と何を話せばいいのか、リリアーナは分からない。
公爵家令嬢のリリアーナは、一般的な教養と礼儀作法は身につけている。
だが、社交界にはほとんど出たことがないため、夜会での会話や駆け引きの経験は、他の令嬢たちに比べて圧倒的に少ないのだ。
そんな風に焦りながらも、リリアーナの視線はレオンハルトの顔ではなく、あるものに集中していた。
「……?」
流石のレオンハルトも、沈黙が長いと感じたようだ。
普段なら令嬢に質問すらしない受け身のレオンハルトだが、沈黙に耐えきれず発言する。
「俺の衣装に何かついているだろうか?」
その一言がこれだ。
すると、リリアーナは予想もしなかった言葉を返してくる。眩しいほど目を輝かせ、レオンハルトを見つめながら。
その瞬間――
リリアーナの瞳は綺麗なエメラルドグリーンなのだと、レオンハルトは初めて気づく。
「殿下、その胸元のサファイア、とても美しいですね。どちらの鉱山のものですか?」
「……」
レオンハルトは一瞬、言葉を失い固まる。
普段は冷たい印象を受けるサファイアの瞳も、この時ばかりは一瞬丸くなる。
それに気づいた側近のルークは、レオンハルトの様子に苦笑する。
(あの殿下が素の表情をお見せになった。こんな公の場で。これは面白い!)
ルークも、リリアーナが普通の令嬢とは何か違うと感じ取ったようだ。
(リリアーナ嬢と言ったか。社交辞令でも、俺を褒める言葉でも、自分を売り込む言葉でもなく、石の話を振ってくるとは……どういう令嬢だ? 確かローゼンベルク公爵家の娘と言っていたな。あの有名なローゼンベルク家にこんな変わった令嬢がいるとは)
(……しかし、俺の身につけている石に興味がいくのか? 質問された内容があまりにも意外すぎる)
今夜、レオンハルトは初めて心の中で笑ったのだ。
リリアーナはハッと自分の失態に気づく。
「大変失礼いたしました! ブルーサファイアの色がとても美しかったので。ブローチも丁寧に手入れされているように見えて。殿下がこの石を大切にしているのがよくわかります……。って、石の話ばかりして申し訳ありません!」
(あぁ、やってしまった! 殿下との会話に石の話を持ち出すなんて……お父様に叱られる……)
内心ヒヤヒヤするリリアーナ。
しかし、レオンハルトの返答は予想外のものだった。
「……身につけているサファイアのブローチを褒められたのは初めてだ。ありがとう」
「……身に余るお言葉でございます、レオンハルト殿下」
そうして、初めての会話は幕を閉じたのであった。
その後は自由歓談となり、ソフィアとエマの元へ急ぎ足で向かう。
「この場でそんなに走ってはいけませんよ」
ソフィアに笑顔で嗜められながらも、リリアーナは気にしない。
「はぁ……ようやく乗り切ったわ! レオンハルト殿下に石の話を持ち出してしまったけれど、怒られはしなかったの。ちょっと失敗したけれど、大丈夫よね?」
「ふふっ……リリアーナらしいわね。だからレオンハルト殿下とお話しされている時に、リリアーナはキラキラとした瞳になっていたのね。私はてっきりレオンハルト殿下に夢中になったのかと思ったわ」
「ソフィアの意地悪〜! そんな風にならないって、あなたがよく知ってるじゃない」
「私も、最初はそうかと思ったわよ。でも、リリアーナの視線の先を見ていたら、レオンハルト殿下ご本人じゃなくて、サファイアのブローチだったことに気づいて……ふふっ、思わずソフィアと笑っちゃったけれど」
「エマもそんなこと言わないで〜!」
そんな風に二人に揶揄われて、少し頬が赤くなるリリアーナだった。
レオンハルトは、そんな三人のやり取りを横目で眺めていた。
「王太子妃の座に、全く興味がないのは本当なのだな」
そんな風に呟いたレオンハルトの言葉を、ルークは逃さずに聞き取った。
「殿下の地位やお顔ではなく、身につけている石に興味を持つリリアーナ嬢。大変興味深いですね」
「おい、ルーク……からかっているな」
「いえ、殿下が興味を持つご令嬢は初めてなので、応援したくなったのですよ」
「……やっぱりからかっている」
これ以上はレオンハルトの機嫌を損ねると思い、ルークは発言を控えた。それでも、主君を微笑ましく見つめる目には、楽しげな色が浮かんでいた。
(殿下が初めて興味を持ったご令嬢。リリアーナ・エメリア・ローゼンベルク様。殿下にどんな変化をもたらしてくれるのだろうか)
不謹慎にもそんなことを思う、側近のルークであった。
◇◇◇
その頃――
王宮の外れでは、黒い外套を纏った男が静かに笑っている。
「……ようやく始まったか」
その手には、黒い花文字が刻まれた石がある。
「さて、計画を進めようか」
静かな呟きだけが、誰にも聞こえることなく夜風に消えていった。




