20 信じる心
リリアーナたちがレオンハルトの元へ向かっているその頃――
レオンハルトは、地下通路の奥で敵の剣士と対峙していた。
「どうして王宮の情報を盗んだ? 目的はなんだ?」
レオンハルトが問いかけても、敵は答えようとしない。それどころか、問答無用で剣を振り下ろしてきた。
レオンハルトは焦る様子もなく、身軽に剣をかわす。
「全員、下がっていろ。俺一人で十分だ」
そう告げると、レオンハルトは護衛騎士たちとルークを後方へ下がらせ、敵の剣士と一対一で対峙した。
王国一の剣士と称されるレオンハルト。しかし、目の前の敵も相当な腕前のようだ。剣を交える様子を見守るルークは、肌でそれを感じ取っていた。
レオンハルトの強さは、躊躇なく踏み込む大胆さと、相手の予想を超える剣さばきにある。
だが、その戦い方には危うさもあった。
たとえ自分が負傷しても、敵を捕らえられれば構わない。そんな、まるで自分の身を顧みない戦い方なのだ。
ルークは、そんなレオンハルトの姿を何度も目にしてきた。
それでも、慣れることはない。むしろ、いつも内心では気が気ではなかった。
(ご自身を守るための剣技は……恐れながら、まだ未熟ですね)
レオンハルトは相手の剣をかわしながら、攻め込むタイミングをうかがっていた。
わざと急所を狙われる位置に踏み込み、敵が生み出すわずかな隙を突く。
そして、絶好の機会を見つけたレオンハルトは、一気に相手の懐へと飛び込んだ。
しかし、敵もその動きを予想していたようだった。
口元に、にやりと笑みが浮かぶ。
「殿下!」
ルークが思わず叫んだ。
レオンハルトも、これ以上踏み込むのは危険だと瞬時に判断し、身を引く。
だが、わずかに遅かった。
敵の剣先が、レオンハルトの肩をかすめた。
「殿下! 肩が……!」
ルークの声に、レオンハルトはちらりと自分の左肩を見やる。
「大丈夫だ。ただのかすり傷だ」
護衛騎士たちは、レオンハルトから指示がないため、援護に入れずにいた。
レオンハルトにとって、一人で戦うことは当たり前になっていたのだ。
そしてルークは、以前からそんなレオンハルトの身を案じていた。
レオンハルトが敵と一進一退の攻防を続けていた、そのとき――。
リリアーナたちが、ようやく到着した。
リリアーナはルークのもとへ駆け寄る。
そして、レオンハルトの戦い方を初めて目にしたリリアーナは、思わず息を呑んだ。
レオンハルトの剣筋は、確かに美しい。
無駄のない動きも、敵の隙を見極める判断力も、見事なものだった。
けれど――。
(どうして……ご自身を守ろうとなさらないの?)
敵の攻撃を避けることよりも、敵を倒すことを優先している。
まるで、自分が傷つくことなど少しも気にしていないかのようだった。
リリアーナは、たまらず叫んだ。
「レオンハルト殿下! ご自身も守ってください!! 守りながら戦うのです。ご自分を大切にして! 殿下ならできるはずです。ご自身を信じてください!」
その声を聞いたレオンハルトの動きが、ほんの一瞬止まった。
なぜだろう。
その言葉だけが、不思議なほど胸に残った。
剣戟の音が響き渡る中でも、リリアーナの声ははっきりと耳に届いていた。
(守る……? 俺が? 自分を?)
一瞬、遠い記憶の中にある幼い子どもの声が、脳裏をよぎる。
『生きていてね』
誰の声だったのか、もう思い出せない。
それでも、不思議と胸の奥が熱くなった。
そして、リリアーナの言葉を聞いてから、レオンハルトの戦い方が変わったことは、誰の目にも明らかだった。
無謀に踏み込むことが減り、敵との距離を見極めながら、攻撃を受け流していく。
その変化に、ルークも驚きのあまり目を見開いた。
(今までは、敵を倒すことだけを考えていた。けれど今回は違う。ご自身を守りながら、生きて勝つための戦い方になっている……)
ルークはこれまで、レオンハルトは守りの剣技が未熟なのだと思っていた。
しかし、そうではなかった。
意識すれば、身を守るための技術も使える。今までは、ただ自分を守ることを考えていなかっただけなのだ。
(リリアーナ様の言葉で、こんなにも戦い方が変わるなんて……。やはり、リリアーナ様は殿下にとって特別なお方なのですね)
そのとき、レオンハルトは敵との距離を保ちながら、左のポケットに無意識にそっと触れた。
そこには、リリアーナからもらったオニキスの原石が入っている。
誰にも気づかれないほどの、ほんの小さな仕草だった。
だがその瞬間、ポケットの中では、石に刻まれた花文字『信』が淡く光っていたのだ。
(『信じる』か……)
オニキスが、ほんのりと温かい。
まるで、石に込められた想いが、ようやくレオンハルトの心に届いたかのように。
レオンハルトは、ふっと息を吐いた。
そして、ようやくルークに指示を出した。
「騎士団の二人も加勢させろ。三人で敵の体力を削り、一気に倒す」
「分かりました、殿下。二人とも、殿下に加勢しろ!」
「はい! 殿下とともに敵を倒します!」
二人の護衛騎士が加勢に入る。
レオンハルトの指示のもと、二人の護衛騎士も互いの動きを確かめながら敵を追い詰めていった。
(レオンハルト殿下の一声で、戦い方が変わった……)
リリアーナは、三人の連携を見つめながら思った。
(お一人で戦うのではなく、仲間を信じて、力を合わせて戦っていらっしゃる)
一人が敵の注意を引きつけ、その隙に残る二人が攻め込む。
無駄のない連携に、リリアーナはレオンハルトの戦略と統率力を改めて感じていた。
そして、何よりも――。
(よかった……。もう、無茶な戦い方はしていないわ)
リリアーナは、ほっと胸をなで下ろした。
一方、レオンハルトは初めて、仲間を頼り、背中を預ける感覚を肌で感じていた。
自分一人で戦うことが当たり前だった。
誰かに背中を任せることなど、考えたこともなかった。
けれど今は、仲間が自分を支えてくれている。そのことを、確かに感じていた。
(こんなふうに……俺も、部下や仲間を頼り、信じることができるのか)
やがて、レオンハルトは二人の騎士と連携し、敵を無力化することに成功した。
敵の身柄を確保すると、ルークが地下牢へ連行するために動き出す。
その途中、ルークは思い出したようにリリアーナの方へ振り向いた。
「リリアーナ様。殿下は肩を負傷していらっしゃいます。治療をお願いできませんか」
「えっ!? レオンハルト殿下、本当ですか!?」
リリアーナは慌ててレオンハルトのもとへ駆け寄った。
そこで初めて、肩から血がにじんでいることに気づく。
「肩から血が……! 早く手当てを!」
「大丈夫だ。大したことはない」
レオンハルトは、何でもないことのように答えた。
「大丈夫ではありません!」
「大丈夫だ。自分のことは自分が一番よく分かっている」
そう言った瞬間、レオンハルトはリリアーナの表情が変わったことに気づいた。
今にも泣き出しそうな顔をしている。
(……なぜだ? 俺の怪我なのに、どうしてリリアーナがそんなに辛そうな顔をするんだ?)
レオンハルトには、リリアーナの気持ちが分からなかった。
一方、リリアーナはレオンハルトの肩の傷を真剣に見つめていた。
(痛くないなんて、絶対に嘘よ……。きっと、いろいろな痛みを経験しすぎて、我慢することに慣れてしまっているのだわ)
彼がどれほどの痛みを抱えてきたのか、リリアーナには分からない。
それでも、自分の傷を軽く扱う彼を見ていると、胸が苦しくなった。
「……お願いですから、ちゃんと治療を受けてください」
リリアーナの声は、先ほどよりも少しだけ小さくなっていた。
そうしてリリアーナは、レオンハルトとともに、二人で治療室へと向かうのだった。




