15 仕事終わりの行き先は?
ある日の夕方。
リリアーナはエリオットとともに、レオンハルトの執務室を訪れていた。
本日の業務報告を終えたエリオットが、一礼する。
「私たちからの報告は、以上になります」
「報告ご苦労だった」
エリオットは手元の書類を整え、続けた。
「殿下、明日の業務について、確認したいことがいくつかあります」
「ああ、続けていい」
「――と、その前に。リリアーナを先に下がらせてもよろしいでしょうか? この後、予定があるようなので」
「……そうなのか?」
レオンハルトはリリアーナに視線を向けた。
「はい! 本日の業務はこれで終了です。お疲れ様でした!」
リリアーナは元気よく挨拶すると、足取りも軽やかに執務室を後にした。
その後ろ姿を見送ったエリオットは、レオンハルトをちらりと見て、独り言のように呟いた。
「週に一度、早めに帰る日があるんです。行き先までは聞いていませんが、いつも楽しそうですよ」
レオンハルトは、その言葉を聞き逃さなかった。
エリオットとの話し合いを終えると、レオンハルトはすぐに側近のルークを呼んだ。
「殿下、お呼びでしょうか?」
「ルーク、リリアーナについてだが……」
「はい。どうかなさいましたか?」
レオンハルトは少しの間、考え込むように黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「彼女が週に一度、仕事の後にどこへ行っているのか、調べてくれ」
「えっ? ……は、はい! かしこまりました」
ルークは一瞬驚いたものの、すぐに頭を下げて退出した。
(あの殿下が、リリアーナ様に興味を持っている……!)
胸の内で驚きながらも、ルークは早速、リリアーナの行き先を調べ始めた。
そして、一週間後。
ルークは調査結果をまとめ、レオンハルトのもとを訪れた。
「殿下、リリアーナ様の仕事終わりの行き先が判明しました」
「そうか」
「ご報告してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
ルークは調査報告書を手に、説明を始めた。
「リリアーナ様が週に一度、仕事の後に立ち寄っている場所は……子どもたちが集まる広場でした」
(仕事終わりに、広場へ?)
レオンハルトはわずかに眉を動かした。
「そこで何をしているんだ?」
「子どもたちに花文字を教えているそうです」
「……そうか」
「はい。お金を受け取ることなく、ボランティアで教室を開いているようです。子どもたちはもちろん、付き添いの母親たちにも人気があるそうですよ」
「なるほど。分かった」
レオンハルトが淡々と答えると、ルークは少し考えてから尋ねた。
「殿下は、実際に様子を見に行かれないのですか?」
「別に……見に行く必要はない」
(では、なぜ調査を頼まれたのだろう……?)
ルークは不思議に思ったが、さらに報告を続けた。
「もう一つ。リリアーナ様は広場から帰る際、王宮の馬車を使わず、歩いて帰っているようです。広場で馬車を降りた後、馬車は王宮へ戻しているとのことでした」
「そうか……」
「ご心配なら、ご自分の目で確かめてこられてはいかがですか?」
ルークの提案に、レオンハルトは首を横に振った。
「いや、突然現れても困るだろう」
「何をおっしゃっているんですか! 殿下がいらしたからといって、困ることなどありませんよ」
(これは、もう一押しだな……)
ルークは内心でそう呟き、言葉を重ねた。
「花文字師が王都の人々とどのように交流し、どんな活動をしているのか。それを知ることも、殿下のお仕事の一つではありませんか?」
「……」
レオンハルトはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。
「分かった。今日がちょうど、その日だったな?」
「はい」
「本日の夕方、広場へ行く」
(殿下は、ご自分がリリアーナ様のことをもっと知りたいと思っていることに、まったく気づいていませんね……!)
ルークは心の中で、密かにガッツポーズをし、にやけてしまう顔を抑え込んだ。
◇◇◇
夕方の広場。
レオンハルトは、子どもたちに囲まれて花文字を教えるリリアーナを見つけた。
「ここはね、好きなお花やモチーフを描いていいのよ。自分が書きたいと思う花文字を、自由に考えてみてね」
リリアーナは子どもたち一人ひとりの作品を見ながら、優しく声をかけている。
やがて、花文字が完成すると、子どもたちは嬉しそうに作品を掲げた。
「先生、できたよ!」
「わあ、素敵ね! 自分で考えたの?」
「うん!」
「とってもいいと思うわ!」
子どもたちの笑顔が広場いっぱいに広がっていく。
その場は、穏やかで幸せな空気に包まれていた。教えているリリアーナ自身も、心から楽しそうだった。
レオンハルトはしばらくの間、その様子を遠くから眺めていた。
子どもたちの練習がひと段落し、リリアーナの手が空いたところで、声をかける。
「リリアーナ」
「? ……えっ、殿下!?」
振り返ったリリアーナは、思いがけない人物の登場に目を丸くした。
「どうしてこちらに?」
「花文字師が普段、どのように国民と関わっているのか知りたくてな。今日、見学に来た」
「そうだったのですね! では、ぜひ子どもたちの花文字を見ていってください!」
リリアーナは嬉しそうに、子どもたちのもとへレオンハルトを案内した。
並べられた作品は、どれも素直で可愛らしいものばかりだった。
上手に描こうと一生懸命な子もいれば、思いもよらない色やモチーフを組み合わせる子もいる。
リリアーナは誰かの真似をするようにとは言わず、それぞれが自分らしい花文字を描けるよう、優しく見守っていた。
(王宮以外で、リリアーナが花文字を教える姿を見るのは初めてだ……)
レオンハルトは、子どもたちと笑い合う彼女を見つめた。
(本当に楽しそうだな。子どもたちに好かれているのも、よく分かる)
「先生、またね!」
「リリアーナ先生、さようなら!」
「ええ、またね。気をつけて帰るのよ!」
花文字教室が終わり、子どもたちが帰っていく。
教材を片付け終えたリリアーナは、レオンハルトのもとへ戻った。
「殿下、本日はお忙しい中、見学に来てくださってありがとうございます!」
「いや、大したことではない」
レオンハルトは広場を見渡しながら、ふと思ったことを口にした。
「時間を忘れて練習するほど、子どもたちは花文字が好きなんだな」
「はい! みんな、本当に楽しそうに描いてくれるんです」
リリアーナは、子どもたちが帰っていく後ろ姿を見つめながら微笑んだ。
「大人になっても、自分で描いた花文字が、心の支えになることがあると思うんです。だからこそ、今の気持ちを大切にしながら、自由に描いてほしいんです」
(仕事だから花文字師をしているのではなく、本当に好きだから続けているのか……)
レオンハルトは、改めてリリアーナという人間に興味を覚えた。
(やはり、リリアーナは面白い)
◇◇◇
帰り道。
リリアーナは、花文字教室で使った教材などを両手いっぱいに抱えて歩いていた。
そのとき、髪をまとめていた淡い水色のリボンが、するりと解けた。
「あっ……!」
リボンが地面に落ちる。
けれど、両手が塞がっているリリアーナは、すぐには拾うことができなかった。
レオンハルトがそっと身をかがめ、リボンを拾い上げる。
「ありがとうございます、殿下」
リボンが解けたことで、まとめられていた髪が肩へと流れ落ちていた。
いつもとは違う雰囲気のリリアーナを見て、レオンハルトは一瞬、目を細めた。
「今は両手が塞がっているので、後で髪をまとめますね」
リリアーナがそう言うと、レオンハルトは手にしたリボンを見つめ、静かに尋ねた。
「……俺が結んでもいいか?」
「……えっ?」
「君の髪を、このリボンでまとめてもいいかと聞いている」
「えっ!? 殿下、それは恐れ多いことです!」
リリアーナは慌てて声を上げたが、レオンハルトは落ち着いた様子で彼女の後ろへ回った。
そして、慣れた手つきで髪をまとめ始める。
(えっ? 殿下、髪を結うのに慣れていらっしゃる……?)
驚くリリアーナの心を読んだかのように、レオンハルトが口を開いた。
「……昔、妹の髪を毎日のように結んでいた。まだ覚えているものだな」
(妹君の髪を、毎日……。とても妹想いのお兄様だったのですね)
幼い頃のレオンハルトが、妹の髪を結ってあげる姿を想像する。
リリアーナは、思わず微笑んだ。
「殿下の手つきがとても慣れていらっしゃったので、驚きました。殿下は何でもできてしまうのですね!」
「……そうでもない」
レオンハルトは短く答え、最後にリボンを結んだ。
「これでいい」
「はい。ありがとうございます、殿下」
リリアーナが笑顔を向ける。
レオンハルトは、その笑顔をしばらく見つめていた。
やがて、表情を引き締めて口を開く。
「リリアーナ。花文字教室を続けることは構わない。ただし、一つ条件がある」
「条件、ですか?」
「帰りは必ず王宮の馬車を使え」
「えっ!? 馬車をですか?」
「君が広場から歩いて帰っていると報告を受けている」
「……はい。馬車を待たせていては申し訳ないと思って……。それに、家までは近いですし」
「仕事をしているのに、馬車を待たせることに罪悪感を持つ必要はない。それに……」
レオンハルトは、リリアーナが抱えている荷物に目を向けた。
「両手が塞がるほどの荷物を持って歩くのは、さすがに危険だ」
「……!」
「帰りに馬車を使うこと。それさえ守るなら、広場で花文字教室を開くことに異論はない」
(確かに……。もし何かあっても、両手が塞がっていたら、すぐに対応できないわ……)
リリアーナは自分の荷物を見下ろし、納得したように頷いた。
「……分かりました。これからは、馬車で家まで送っていただきますね」
「ああ」
そのやり取りを見守っていたルークは、思わず顔をほころばせた。
(今まで、どのご令嬢とも必要最低限の会話しかされなかった殿下が、リリアーナ様には自ら話しかけている。それどころか、髪まで結って差し上げるなんて……!)
ルークは二人を見つめながら、心の中で確信した。
(殿下は、リリアーナ様のことが心配でたまらないのですね。ご本人は、まったく自覚がないようですが……)
レオンハルトの変化を嬉しく思いながら、ルークはそっと二人の後を追ったのだった。




