14 王宮直属花文字師、リリアーナの日常
リリアーナが王宮直属花文字師として働き始めてから、もうすぐ二か月になる。
結界管理にも慣れ、王族の護符となる花文字の作成や、王宮行事に使う花文字の制作も任されるようになっていた。
エリオットやセシルとも連携が取れるようになり、王宮での生活にも少しずつ馴染んできた。
そして、王宮地下書庫に通うことも、すっかり日課になっていた。
早く仕事を覚えたい。もっと多くの知識を身につけたい。
そんな思いもあるが、何より王宮地下書庫には興味を惹かれる書物がたくさんある。
リリアーナは、暇さえあればずっとそこにいたいと思うほどだった。
◇◇◇
いつも通りの朝。
リリアーナは王宮直属花文字師の部屋へ向かい、早速、依頼された石に花文字の力を転写していた。
王宮直属花文字師になったばかりの頃は、周囲の侍女や文官たちから、
「王太子殿下の婚約者候補だから、特別に任命されたのかしら」と噂され、少し距離を置かれていた。
けれど、リリアーナは誰に対しても分け隔てなく接し、一人ひとりの名前を覚え、どんな仕事にも丁寧に取り組んだ。
何より、花文字師として仕事に向き合う情熱は、普通の令嬢とは一線を画していた。
そんな彼女のひたむきな姿勢は、少しずつ周囲の評価を変えていった。
「リリアーナ様、この石に転写する花文字なのですが……」
今では、ほかの王立花文字師たちも相談に訪れるようになっていた。
リリアーナは、頼られることが素直に嬉しかった。
自分の力が誰かの役に立つ。その喜びが、彼女をさらに仕事へと向かわせていた。
◇◇◇
レオンハルトの執務室へ毎日報告に行くことも、リリアーナの日課の一つだった。
コン、コン――。
「……入れ」
(この時間は、きっと……)
予想通りの人物が、執務室の扉を開けた。
「失礼します」
レオンハルトは顔を上げる。
やはり、リリアーナだった。
毎日の報告にも、すっかり慣れてきた頃だった。
「殿下、花文字の送付について確認したいことがあるのですが」
「……」
返事がない。
「……殿下? もしかして、お邪魔でしたか? お忙しいようでしたら、出直してきます」
リリアーナが遠慮がちに尋ねると、レオンハルトは小さく息をついた。
「いや。君があまりにも仕事熱心なので、驚いていただけだ」
「それはそうです!」
リリアーナは目に力を込め、真剣な表情で頷いた。
「仕事とは、誰かのために何ができるかを考え、行動することですから。花文字師としての熱意なら、誰にも負けませんよ!」
そう言うと、リリアーナは屈託なく笑った。
(殿下は、仕事の話になると、最後まで真剣に聞いてくださるのよね)
レオンハルトは、リリアーナの持ってきた書類に目を落とした。
「この花文字は、誰に贈るものなんだ?」
「シルヴェリア共和国のエマ嬢です。個人的な約束で依頼されたものですが、念のため殿下にもご報告して、問題がなければ発送の準備に取りかかりたいと思います」
(……本当に、誰かのために動くことが好きなのだな。こんな令嬢には、今まで出会ったことがない)
レオンハルトは、リリアーナの花文字に目を向けた。
エリオットやセシルの作品とは、また違う。
伸びやかで、多彩で、見ているだけで明るい気持ちになるような花文字だった。
そこに描かれている文字は――「感謝」。
鳥や花々、虹にフラミンゴ。色とりどりのモチーフが、文字の中で楽しげに羽ばたいている。
同じ花文字でも、描く者によって、これほど雰囲気が変わるものなのか。
レオンハルトは、興味深そうに作品を眺めた。
「……分かった。エマ嬢に花文字を贈ることを許可する」
「ありがとうございます、殿下!」
リリアーナは嬉しそうに頭を下げた。
レオンハルトは、彼女が抱える書類へ視線を戻しながらも、その明るい花文字の印象を心に留めていた。
◇◇◇
そして、ある日の昼過ぎ――
レオンハルトが、王宮直属花文字師の部屋の前を通りかかった。
部屋の中を覗くと、リリアーナは花文字に夢中になっていた。
集中すると、昼食を取るのも忘れてしまうことがある。どうやら、今日もそのようだった。
「リリアーナ」
返事がない。
「……リリアーナ」
二度目に名前を呼ばれ、彼女はようやく、はっと顔を上げた。
「……はっ! 殿下!」
「昼食は?」
「……あー、えっと……」
リリアーナの視線が泳ぐ。
「……食べていないのか」
「はい……。でも、もう少しで終わるので……」
「駄目だ」
レオンハルトは、きっぱりと言い切った。
「えっ?」
「君は、自分のことになると途端に無頓着になるな。今すぐ休憩だ。食堂はまだ開いているはずだから、急いで食べてくるといい」
「はい!」
リリアーナは慌てて道具を片づけ、食堂へ向かう準備をする。
その様子を見ていた侍女たちは、顔を見合わせ、温かな笑みを浮かべた。
「最近、レオンハルト殿下がこちらのお部屋にいらっしゃる回数が増えましたよね」
「ええ……。以前は、ほとんど顔を見せなかったのに」
「お忙しいのは変わらないはずなのに、合間を縫って様子を見にいらしているみたいですね」
「……エリオット様に会いに来ているのかしら? 最近、大きなお仕事を任されているのかもしれませんね!」
侍女の言葉に、リリアーナは真顔で答えた。
「……そうですね……」
侍女たちは、思わず困惑した顔を見合わせた。
(違います、リリアーナ様……。レオンハルト殿下が会いに来ているのは、きっとあなたですよ)
仕事ではとても有能なのに、恋愛のこととなると途端に鈍感になる二人。
侍女たちは、そんな二人の関係を、温かく見守っていた。
◇◇◇
日が沈む直前。
王宮近くの薄暗い路地で、黒い影がゆらりと動いた。
「さあ、探しに行こうか」
静かな声が、夕闇に溶けていった。




