12 揺るがぬ意志
オニキスは、揺るがぬ意志を宿す石。
『石は、持ち主の心を映すんだよ』
幼い頃、先生は静かにそう教えてくれた。
あの頃のリリアーナは、その言葉の本当の意味を、まだ理解できていなかった。
強い心は、石の力を引き出す。
けれど、心が闇に染まれば、石もまた、その闇を映し出す。
そして時に、その力は人々を惑わせ、世界を混沌へと導いてしまう。
信じることは、誰かを信じることだけではない。
自分自身の心と向き合い、自分の選んだ道を信じ抜くことでもある。
リリアーナはこれから、数々の困難を通して、その大切さを知っていく。
自分を信じ、互いを信じ、迷いながらも前へ進む二人。
その信じる心が、やがて二人の運命を、そしてこの国の未来を、大きく変えていくことになるとは、まだ誰も知らなかった。
◇◇◇
王宮は、平和を取り戻しつつあった。
暗殺未遂事件は解決し、再び穏やかな時間が流れている。
誰もが、この平穏な日々が続くとそう思っていた。
ただ一人を除いては――。
王宮の静かな廊下を、黒衣の男が歩いていた。
誰とも目を合わせない。
誰にも気づかれない。
男は懐から黒い石を取り出した。
艶のある漆黒の石――ブラックスピネルだ。
男は小さく呟いた。
「潜入成功。第二段階へ移行する」
◇◇◇
暗殺未遂事件が解決し、リリアーナが王宮直属花文字師に任命されてから約一週間後。
レオンハルトとリリアーナは、王都の街を歩いていた。
側近のルークも、少し離れて二人に付き従っている。
今回の外出は、国王からの指示によるものだった。
「今回の一件、ご苦労だった。二人とも、少し肩の力を抜く時間も必要だろう。レオンハルトはもちろん、リリアーナも王宮直属花文字師として、これから忙しくなる」
国王はそう言ってから、穏やかに笑った。
「今日は公務を兼ねて王都を視察してくれ。急ぎの案件はないから、街の活気や今の流行りなどを肌で感じてくるといい」
公務半分、休暇半分。
そんな国王の指示を受け、レオンハルトとルークと共に、リリアーナは王都を歩いていた。
半分は公務とはいえ、レオンハルトの黒髪は目立つ。そのため、髪色だけは王都に馴染むダークブラウンに変え、変装していた。
髪の色が普段よりも柔らかくなるだけで、何となく雰囲気まで和らいで見える。
もっとも、当の本人はいつもどおり無表情で歩いていたが。
しばらく歩いていると、リリアーナが一軒の石屋を見つけた。
「わぁ……!」
ドレスの裾を踏まないように気をつけながら、子どものように駆け寄っていく。レオンハルトとルークが一緒にいることなど、すっかり忘れてしまったようだ。
ルークは苦笑した。
「殿下、リリアーナ様に置いていかれます。急ぎましょう」
「……ああ」
二人が追いつく頃には、リリアーナは店先に並んだ石に夢中になっていた。
店内には、色とりどりの石が並んでいる。
リリアーナの瞳は、石を一つ見るたびにキラキラと輝いた。
「この石はムーンストーンで……」
「こちらはターコイズです。成功や繁栄という石言葉があるんですよ」
「それから、この石はとても貴重で……」
リリアーナは、石の説明を始めると止まらない。
レオンハルトは、そんな彼女を横目で見つめていた。
(本当に、石のことになると別人だな)
彼も一緒に石を眺めていたが、ふと、一つの黒い石に目が留まった。
リリアーナも、レオンハルトの視線の先にある石に気づく。
そして、その石を優しく見つめる。
「これは、オニキスという石です」
「強い人が持つ石ではないんです」
「……」
レオンハルトは口を挟まず、リリアーナの続きを待った。
「弱い自分を認めながら、それでも前を向こうとする人。そんな人が持つと輝く石だと、私は思っています」
リリアーナはレオンハルトの方を振り返り、微笑んだ。
「殿下、少しだけお待ちいただけますか?」
そう言うと、リリアーナはオニキスを手に取り、店員のいる方へ向かった。
その後ろ姿を見送ったレオンハルトは、オニキスの二つ隣に並ぶサファイアに目を移した。
(石には想いが宿る、か……)
先日、リリアーナから聞いた言葉を思い出す。
彼は自分の胸元に飾られた、妹の形見であるサファイアのブローチにそっと触れた。
事件解決後、リリアーナから返してもらったものだ。
それ以来、このサファイアは以前にも増して輝きを放っているように感じられた。
数日前の出来事を思い返していると、リリアーナが戻ってきた。
「殿下、これは私からの感謝の気持ちです。受け取ってください」
リリアーナの手には、先ほどのオニキスがあった。
「……どうしてオニキスを?」
「ええと……オニキスは、他人の悪意から身を守る石とも言われていますし……。何となく、殿下にはこの石が似合う気がしたので」
リリアーナは、心の内を隠すように微笑んだ。
「あっ! 今、花文字を書いてエネルギーも転写しますね」
そう言って、リリアーナは先日の戦いで習得したばかりの、空中に花文字を描く技法を使い、文字を描き始めた。
(リリアーナの花文字を、こんなに近くで見るのは初めてだな……)
レオンハルトは興味深そうに、空中に描かれていく花文字を見つめた。
(何の文字だ? ……『信』か?)
その予想は正しかった。
「陽花文字――『信』。光よ、信じる力を!」
リリアーナはそう唱えると、オニキスを両手で包み込むように握りしめた。
目を閉じ、両手から溢れる淡い黄金の光を、石の中へと注ぎ込むようにイメージする。
やがて光が静かに収まると、リリアーナはほっとしたように息をついた。
「どうぞ、殿下。喜んでいただけると嬉しいのですが」
レオンハルトは気に入ってくれるだろうか。
少し不安を感じながらも、リリアーナはオニキスの原石を差し出した。
レオンハルトは、素直にそれを受け取った。
(受け取ってくださったということは、少しは喜んでもらえたのかしら?)
リリアーナは胸の内で、そっと願った。
(オニキスを選んだ本当の理由……。殿下には、自分を信じ、仲間を信じ、そして未来を信じてほしい。ご自身では気づいておられないけれど、殿下は多くの人に必要とされ、皆に支えられているお方だから。どうか、自分の存在を軽んじないでほしい)
リリアーナは、そんな願いをオニキスの原石にそっと託したのだ。
もちろん、その願いを口にすることはできなかった。
レオンハルトはオニキスを手にしたまま、リリアーナを見つめていたが、やがて視線を店内へと移した。
「では、礼だ」
そう言って、店に並ぶ石を次々と見ていく。
そして、迷うことなく、オニキスの二つ隣に並んでいた石を手に取った。
深く澄んだ青。
それは、レオンハルトの瞳と同じ色をしたサファイアだった。
リリアーナは「えっ?」と目を見開いた。
「……サファイアですか?」
「ああ。君に似合うと思った」
レオンハルトは石屋の主人に、「彼女に似合うように」と頼み、サファイアをシンプルなペンダントに加工してもらった。
そして、出来上がったペンダントをリリアーナにそっと差し出した。
「すごく素敵なペンダントです! わざわざ加工してくださったんですか?」
「身につけられる方が、花文字師としても動きやすいだろう」
(私が花文字師として働くことも考えてくださったんだ……)
リリアーナは、レオンハルトが婚約者候補第一位としてだけでなく、花文字師としての自分をも受け入れてくれているようで、とても嬉しくなった。
(でも……きっと殿下は、ご自分の瞳と同じ色の石を贈る意味をご存じないのね)
そう考えたリリアーナは、素直にプレゼントを受け取った。
「殿下、とても綺麗なサファイアのペンダントをありがとうございます。殿下の瞳の色とよく似ていますね。青く澄んだ素敵なサファイア……大切にします」
その言葉に、レオンハルトはほんのわずかに目を細めた。
だが、彼が何を思っていたのか、リリアーナには分からなかった。
一方、二人のやり取りを見守っていたルークは、内心で頭を抱えていた。
(――殿下!? 自分の瞳と同じ色の石を贈る意味……。はぁ、もちろん分かっていませんね)
少なくとも、ルークにはそう思えた。
◇◇◇
リリアーナは、ふと幼い頃のことを思い出した。
「昔から、好きな人には自分の瞳と同じ色の石を贈るんだ。離れていても、いつでも傍にいる……そんな願いを込めてね。だから、石はアクセサリーに加工することが多いんだ。毎日、身につけてもらえるように」
「それなら、先生も贈ったことがあるの?」
アイリスは、少しだけ目を細めた。
「……さあ。昔のことだから、もう忘れてしまったよ」
◇◇◇
リリアーナは、胸元で小さく揺れるサファイアに触れ、そっと微笑んだ。
リリアーナは、まだ知らなかった。
この時の贈り物が、二人の運命を静かに結び始めていたことを。
そして、このサファイアに込められた本当の想いを知る日が、いつか訪れることも――。




