王都への帰還と、悪役令嬢の「完璧なるドレスアップ」
辺境領に温かく豊かな春が訪れ、領民たちが笑顔で農作業に精を出す平和な日々。
すっかり「温かく幸せな家」となった辺境伯邸の執務室に、一羽の王室専用の伝書鳩が舞い降りた。
その手紙を読んだクラウスは、眉間に深いシワを寄せて重いため息をついた。
「……王都から、夏の『建国記念夜会』への招待状だ。……いや、これは招待状という名の『召喚状』だな」
「まあ。今年は辺境伯である旦那様にもお声がかかりましたのね」
紅茶を淹れながら尋ねるリアーナに、クラウスは苦い顔で頷いた。
「先日の春の魔物討伐を、我々が『被害ゼロ』で乗り切った報告が王家に届いたのだろう。辺境軍の力に王家が注目し始めた証拠だ。だが……」
クラウスは立ち上がり、心配そうにリアーナの肩を抱き寄せた。
「王都は、君を『稀代の悪女』として追放した因縁の場所だ。あのベリントン侯爵のように、我々を快く思っていない貴族たちも大勢いる。
彼らは確実に、我々を嘲笑うために手ぐすね引いて待っているはずだ。
君に、あんな毒蛇の巣窟のような場所で嫌な思いをさせたくない。……私が、君が体調不良だと言い訳して断ろう」
不器用で、妻を溺愛するがゆえのクラウスの提案。
しかし、リアーナはパチンと扇子を鳴らし、最高に美しく、そしてゾクゾクするような「悪役令嬢」の笑みを浮かべた。
「何を仰いますの、旦那様。逃げるなんて、私のプライドが許しませんわ」
「リ、リアーナ……? 目が、完全に獲物を狙う肉食獣になっているのだが……」
「ベリントン侯爵の一件で、王都の貴族たちは辺境領を『貧しくて惨めな土地』だと見下しています。
だったら、教えて差し上げなければなりませんわね。私たちが今、どれほど豊かで、幸せで、圧倒的な力を持っているかを」
リアーナの脳内では、すでに前世のクリエイター魂と、お妃教育で叩き込まれた「完璧な社交戦術」がフル回転を始めていた。
「王都の連中に、辺境の底力を見せつける『最高のデビュー戦』にして差し上げますわ! さあ、大忙しになりますわよ!」
* * *
王都へ出発するまでの一ヶ月間、リアーナは再び「現代スキル」を爆発させた。
今回のターゲットは「服飾」と「美容」である。
王都の貴族女性たちの間では、今、息が詰まるほどきつく締め付けるコルセットと、これでもかとフリルや宝石を縫い付けた「重くて過剰なドレス」が流行していた。
しかし、前世でデザインを学んだリアーナから見れば、それは「素材の良さを殺す、ただの足し算のファッション」だった。
「ガストン親方の奥さん! 領地で取れた最高級の『氷蚕糸』で織ったシルクを持ってきてちょうだい! 今回のドレスは『バイアスカット』で仕立てるわ!」
裁縫職人たちを集めたリアーナは、自らハサミを握りしめた。
「ば、ばいあす、ですか?」
「そう。生地を縦横に切るのではなく、斜め45度の角度で裁断するのよ」
前世の現代ファッションで用いられる「バイアスカット」。
布を斜めに切ることで、生地に自然な伸縮性が生まれ、過剰なコルセットや装飾がなくても、女性の身体の曲線を水が流れるように美しく見せることができる魔法のカッティング技術だ。
「装飾は最小限。氷蚕糸のシルクが持つ、雪の結晶のような圧倒的な『光沢』と『ドレープ(ひだ)』だけで勝負するわ。本物の美しさは、引き算から生まれるのよ!」
さらにリアーナは、温室で育てた大量のバラとハーブを厨房に持ち込んだ。
「料理長! 一番大きな鍋に水とバラの花びらを入れて火にかけて! その蒸気を、ガストン親方に作ってもらった銅管に通して、氷で急激に冷やすのよ!」
これは「水蒸気蒸留法」という、現代のアロマオイル抽出技術の再現であった。
鍋から立ち上る蒸気に香りの成分を乗せ、それを冷やして液体に戻すことで、純度100%の「ローズウォーター」と「精油」を抽出するのだ。
これを領地で採れた蜜蝋や良質な植物油と緻密な分量で配合し、リアーナは最高級の「保湿スキンケアクリーム」と「艶出しリップバーム」を完成させたのである。
「これで、王都の分厚い白塗り化粧とはお別れよ。内側から輝くような、自然な艶肌メイクを教えてあげるわ」
* * *
そして迎えた、王都への出発前夜。
完成した衣装の最終フィッティングのために私室に現れたリアーナを見て、クラウスは完全に言葉を失い、持っていたワイングラスを落としそうになった。
「……リアーナ。君は、女神か何かの生まれ変わりなのか……?」
そこに立っていたのは、王都の派手な令嬢たちとは一線を画す、息を呑むほど洗練された美女だった。
コルセットを外した自然なウエストライン。歩くたびに、夜空の星を溶かしたような深いネイビーブルーのシルクが、バイアスカット特有のしなやかさでリアーナの身体に沿って滑らかに揺れる。
肌は蒸留水とオイルで磨き上げられ、内側から発光するように白く瑞々しい。唇は自然なバラ色のリップバームで潤い、色っぽく艶めいていた。
「もう、旦那様ったら大げさですわ」
照れて微笑むリアーナに、クラウスはフラフラと近づき、その細い腰をガシッと抱き寄せた。
「……駄目だ。やはり夜会に行くのはやめよう」
「えっ? どうしてですの!?」
「こんなに美しすぎる君を、王都の他の男どもに見せたくない。私だけのものにして、この部屋にずっと閉じ込めておきたい……」
本気で嫉妬に目を潤ませるクラウスに、リアーナは顔を真っ赤にしながらも、彼の胸元をツンと指で小突いた。
「馬鹿なことを仰らないでくださいませ。それに、旦那様だって……すごく、素敵ですわよ」
リアーナがデザインした、現代のタキシードをベースにした細身でスタイリッシュな騎士服。
クラウスの長身と鍛え上げられた肩幅を完璧に引き立てており、冷たかった「氷の辺境伯」の威圧感は、今や「大人の男の圧倒的な色気」へと変わっていた。
「お父様、お母様! ぼくの服もかっこいい!?」
そこへ、クラウスと同じデザインの小さな礼服を着たレオンが、パタパタと走ってきた。
胸ポケットには、相棒の木製フィギュア「アーサー」が顔を出している。
「ええ、レオン君。世界で一番かっこいい小さな騎士様よ」
リアーナがレオンを抱き上げると、クラウスも二人をまとめて抱きしめた。
「……わかった。君たちの騎士として、誰にも指一本触れさせないと誓う。三人で、王都に乗り込もう」
* * *
数日後。王都の王城、大広間。
建国記念の夜会は、国中の有力貴族たちが集まり、絢爛豪華なシャンデリアの下で華やかな音楽と嘲笑に包まれていた。
「聞いたかしら? 今日はあの『悪女リアーナ』が、辺境の野蛮な夫を連れて来るそうですわよ」
「辺境の土にまみれて、さぞかし薄汚れたドレスを着てくるのでしょうね。せいぜい笑って差し上げましょう」
かつてリアーナを虐げていた派閥の令嬢たちが、扇子で口元を隠しながらクスクスと笑い合っている。
その時。
会場の重厚な扉が、重々しい音を立てて開かれた。
「――北方の守護者、クラウゼヴィッツ辺境伯爵。同夫人、リアーナ様。ご子息、レオン様のご入場です!」
案内人の声が響き、三人が赤絨毯の上に姿を現した瞬間。
数百人の貴族で埋め尽くされていた大広間が、水を打ったように静まり返った。
誰もが、目を疑った。
野蛮で無骨だと見下していた辺境伯は、王族すら霞むほどの洗練された礼服を見事に着こなし、息を呑むほどに精悍で美しかった。
そして、その隣を優雅に歩くリアーナ。ゴテゴテとした装飾を一切削ぎ落とし、布の芸術とも言えるバイアスカットのドレスを纏った彼女は、圧倒的な気品と、内側から溢れ出すような艶やかな美貌を放っていた。
「な、なんなのよ、あのドレス……! どうなっているの!?」
「それに、あの透き通るような肌……! 辺境は乾燥して肌がボロボロになるはずじゃ……!」
嘲笑しようと待ち構えていた令嬢たちは、自分たちの重苦しいフリルのドレスと、ひび割れそうな白塗り化粧がひどく野暮ったく思えて、恥ずかしさに顔を真っ赤にした。
そこへ、先陣を切って嫌味を言いに近づいてきたのは、かつてリアーナを「公爵家の恥」と追い出した張本人、義理の姉のセリアだった。
「お、お久しぶりね、リアーナ。ずいぶんと『地味』なドレスですこと。やはり辺境では、宝石の一つも買えなくて? 貧乏って可哀想ね」
震える声で精一杯の嫌味を言うセリア。
しかし、リアーナは立ち止まり、フッと「王者の笑み」を浮かべた。
お妃教育で王太后から叩き込まれた、本物の威厳だ。
「お久しぶりですわ、お義姉様。宝石? あら、私の愛する旦那様や領民たちが紡いでくれたこの『氷蚕糸』の輝きは、どんなダイヤよりも美しく価値がありますのよ。本物の美しさがわからないなんて、相変わらずお可哀想な方」
「なっ……! き、貴様、辺境に飛ばされて身の程を知ったかと思えば……!」
激昂して手を振り上げようとしたセリアの前に、スッとクラウスが立ちはだかり、氷のような鋭い視線で射抜いた。
「私の妻に、これ以上無礼な口を利くなら、容赦はしない。辺境の剣の切れ味を、ここで試してみるか?」
その圧倒的な殺気と、妻を守る男の迫力に、セリアは「ひっ!」と悲鳴を上げて腰を抜かした。
「お母様にいじわるする人は、ぼくとアーサーがやっつけるぞ!」
レオンも小さな剣の柄に手をかけ、クラウスの真似をして堂々と前に出る。
その完璧な「家族の絆」と洗練された振る舞いに、周囲の貴族たちは完全に気圧され、道を開けることしかできなかった。
「……見事な入場であったぞ、クラウゼヴィッツ辺境伯。そして、リアーナ夫人」
そこへ、会場の奥から現れたのは、国王とその横に立つ王妃であった。
「春の魔物討伐での完璧な指揮、見事であった。……そして、王妃が先ほどから、夫人の美しさから目が離せないとうるさくてな」
国王が苦笑すると、王妃が目を輝かせてリアーナの手を取った。
「リアーナ。あなた、すれ違った時にとても素晴らしい香りがしたわ。それに、その滑らかで美しいお肌……一体、どんな魔法を使っているの?」
リアーナは、待っていましたとばかりに優雅なカーテシー(淑女の礼)をしてみせた。
「魔法などではありませんわ、王妃様。これは辺境領で採れたハーブから『水蒸気蒸留法』で抽出した、我が領地特製の美容液でございます。もしよろしければ、王妃様にも後日、特別にお贈りいたしますわ」
「本当!? ええ、ぜひお願いするわ! もし可能なら、王室御用達として買い取らせてちょうだい!」
その瞬間、会場の貴族たちから「おおっ……!」とどよめきが上がった。
「あの『貧しい辺境領』の品が、王室御用達に……!?」
「それに、あんなにも美しくなれるなら、いくら出しても買いたい……!」
かつてリアーナを追放した貴族たちは、今や先を争うように辺境伯夫妻に取り入ろうと色めき立った。
しかし、リアーナは群がる貴族たちを一瞥すると、パタンと扇子を閉じ、冷たく言い放った。
「あら、皆様。私どもの特産品は、辺境領を心から愛し、尊重してくださる方としかお取引いたしませんわ。王都の流行など、私たちがこれから全て塗り替えて差し上げますから、どうぞご覚悟を」
完全に立場が逆転した瞬間だった。
「稀代の悪女」は、その圧倒的な知識と特技、そして手腕によって、王都の社交界を瞬く間に制圧してしまったのである。
* * *
夜会の終盤。
バルコニーに抜け出したクラウスとリアーナは、王都の夜景を見下ろしていた。
「……本当に、君には敵わないな。王家の心まで掴んで、これからの辺境領はますます忙しくなりそうだ」
呆れたように笑うクラウスは、リアーナの肩に自分のジャケットを優しく羽織らせた。
「ふふっ、言ったでしょう? 私の居場所は、私の手で最高のものに作り上げるって。でも……王都よりも、やっぱり私たちの領地の方がずっと空気が綺麗で、落ち着きますわね」
リアーナが寄り添うと、クラウスは彼女の髪にそっとキスをした。
「ああ。私たちの『家』に帰ろう。……レオンも、すっかり疲れて寝てしまったしな」
クラウスの腕の中には、力尽きてスヤスヤと眠るレオンが抱かれている。
味方が誰もいなかった氷の邸は、今やリアーナの手によって世界で一番温かく、豊かな場所になった。
そして、この三人の家族の絆を壊せる者は、もうこの世界のどこにもいない。
「さあ、帰りましょう。私たちの、大切な居場所へ」
リアーナの美しい微笑みは、夜空の月よりも明るく、輝いていた。




