春の感謝祭と、悪役令嬢の「最高のアミューズメントパーク」
辺境伯軍が春の魔物討伐から無傷で凱旋してから数週間。
分厚い氷に閉ざされていた領地からは完全に雪が消え、柔らかな日差しとともに、木々には青々とした若葉が芽吹き始めていた。
辺境伯邸の広々とした執務室。
そこでは、領地の重鎮である文官たちが集まり、毎年恒例となっている「春の感謝祭」の予算会議が開かれていた。
「ええと、今年の春の祭りは、例年通り広場での塩スープの炊き出しと、子供たちへ木の実を配るということで……予算は金貨十枚でよろしいでしょうか、旦那様」
年老いた文官が控えめに提案すると、上座に座るクラウスが頷こうとした。
しかし、その隣に座っていたリアーナが、ピシャリと扇子を鳴らして立ち上がった。
「却下ですわ」
リアーナの冷たく凛とした声に、文官たちがビクッと肩を跳ねさせる。
「な、何かお気に召しませんでしたか、奥様……」
「お気に召さないどころの話ではありませんわ。被害ゼロの歴史的勝利を収めた騎士団の凱旋祝いと、温室での野菜大豊作の祝いが重なっているのです。そんな地味でしみったれたお祭りで、この私、リアーナ・フォン・クラウゼヴィッツが満足すると思って?」
リアーナは不敵な笑みを浮かべ、バンッと机の上に分厚い羊皮紙の束を叩きつけた。
「私が設計した玩具の王都での売り上げで、領地の金庫は潤っているはずですわ。領民たちが一生懸命働いて得た利益は、最高のエンターテインメントとして領民に還元する。これが『トップ』の務めです。今年の感謝祭は、私が総合プロデュースいたしますわ!」
呆気にとられる文官たちをよそに、クラウスは口元を綻ばせ、甘く優しい声で言った。
「君がそこまで言うなら、何か途方もない計画があるのだろう。好きにしてくれ、リアーナ。予算も人員も、君の自由に使って構わない」
「ふふっ、言質は取りましたわよ、旦那様。……さあ皆様、辺境領に『最高のアミューズメントパーク』を建設いたしますわよ!」
前世で立体造形だけでなく、イベント空間のデザインにも関わっていたリアーナのクリエイター魂が、大爆発を起こした瞬間だった。
* * *
リアーナが全権を握ったその日から、領地はかつてないほどの熱気に包まれた。
「ガストン親方! 広場の横を流れる川の『水流』を利用するのよ! 水車で生み出した動力を、この巨大なギア(歯車)の比率で減速させて、回転の力に変えるの!」
リアーナが工房に持ち込んだのは、巨大な「木製メリーゴーラウンド(回転木馬)」の設計図だった。
「馬のフィギュアは、ただ回るだけじゃなくて、上下運動(クランク機構)を組み込んで本当に走っているように見せるのよ! 装飾には色ガラスを使って、キラキラに仕上げてちょうだい!」
「お、奥様……アンタの頭ん中は魔法の箱か!? 水力駆動の自動回転木馬なんて、王都の王族だって見たことねえぞ! 面白え、俺の人生の最高傑作にしてやらあ!」
ガストン親方を筆頭とする職人たちは、リアーナが持ち込む現代の「遊具設計」の概念に熱狂し、寝る間も惜しんで作業に没頭した。
さらにリアーナは、子供たちのための「巨大アスレチック施設」の建設にも着手した。
「高い所に登る遊具の下には、必ず衝撃を吸収するための柔らかい『ウッドチップ』を分厚く敷き詰めること! それから、落下防止用のネットは漁網を重ねて編み込んで、絶対に怪我人が出ないように『現代の安全基準』を徹底しなさい!」
楽しいだけでなく、安全な動線確保と危機管理。お妃教育で学んだ群衆心理のコントロールと、前世のイベント運営ノウハウが完璧に融合していた。
* * *
そして迎えた、春の感謝祭の当日。
街の中心にある大広場は、これまでの辺境領の歴史上、誰も見たことがないほど華やかな「夢の国」へと変貌していた。
「うわあああっ! なんだこれ!? お馬さんが、音楽と一緒に回ってるぞ!!」
「アスレチックだ! ネットの橋がある!」
川の動力でゆっくりと回る豪華絢爛なメリーゴーラウンドに、子供たちは目を輝かせて駆け寄っていく。
屋台には、リアーナが考案したエナジーバーをアレンジした「ハチミツとナッツの甘いクレープ」や、温室の野菜をたっぷり使った「チーズと野菜の串焼き」が並び、大人たちも信じられないほど美味しい食事に舌鼓を打っていた。
「奥様! 最高の祭りをありがとうございます!!」
「辺境伯様、奥様、万歳!!」
領民たちからの割れんばかりの歓声と笑顔。
その様子を広場のバルコニーから見下ろしながら、リアーナは満足げに扇子を揺らした。
今日は動きやすいよう、淡い春色の軽やかなドレスを身に纏い、髪には小さな花の飾りをつけている。
「……本当に、君は奇跡を起こす人だ。みんな、こんなに幸せそうに笑っている」
隣に立つクラウスが、眩しいものでも見るようにリアーナを見つめていた。
普段の堅苦しい軍服ではなく、今日は少しラフな私服の騎士服を着崩しており、その精悍な顔立ちがいつも以上に魅力的だった。
「あら、奇跡ではありませんわ。緻密な計算と、確かな技術の結晶です。それに、一番笑ってほしかったのは……あの子ですから」
リアーナが扇子で指し示した先。
巨大アスレチックの入り口付近で、レオンがモジモジと立っていた。
彼の手には、リアーナが最初に作ってあげた相棒、可動式フィギュアの「アーサー」が握られている。
レオンはこれまで、屋敷の中で大人たちに囲まれて育ってきたため、同年代の子供たちとどう遊んでいいか分からなかったのだ。
「……あの子、うまく輪に入れるかしら」
リアーナが少しだけ不安そうに呟いた、その時。
「ねえ君! それ、何持ってるの!?」
領民の子供たちが、レオンの手に握られた精巧なアーサーに気づいて集まってきた。
「すげえ! 手足が動くぞ!? 王都のすっげえ高いオモチャか!?」
子供たちに囲まれ、レオンはビクッと肩をすくめたが、すぐに胸を張って大きな声で答えた。
「ちがうよ! これは、ぼくのお母様が作ってくれた、世界で一番かっこいい騎士様なんだ! お前たちのことも、アーサーが守ってやるぞ!」
「マジかよ!? 領主様の奥様、すげえ魔法使いなんだな! なあなあ、俺たちと一緒にアスレチックで遊ぼうぜ!」
「うんっ!!」
レオンは満面の笑みを浮かべ、アーサーをポケットにしまうと、子供たちと一緒にアスレチックの網の橋へと元気に駆け出していった。
転んでも、下に敷き詰められたリアーナ特製のウッドチップのおかげで、痛がる様子もなく大笑いしている。
「……レオンがあんな風に、普通の子供と同じように友達を作って、笑う日が来るなんて」
クラウスの声が微かに震えていた。
彼はバルコニーの手すりを強く握りしめ、目を潤ませている。
「よかった。……本当に、よかったわ」
リアーナもまた、胸の奥が温かいもので満たされるのを感じていた。
1回目の人生で、誰からも愛されず、レオンの心を壊してしまった後悔。
それが今、自分の手で作り上げたオモチャと遊園地によって、完全に浄化されていくのを感じたのだ。
「リアーナ」
クラウスが、そっとリアーナの手を握った。
「私にも、君のエスコートをさせてくれないだろうか。領主としてではなく、一人の男として、この素晴らしいお祭りを君と楽しみたい」
「だ、旦那様……っ。はい、喜んで」
二人はお忍びの形で広場へと降り立ち、領民たちに混ざって祭りを歩いた。
甘いクレープを二人で分け合い、リアーナが設計した景品当てゲーム(射的)では、クラウスが騎士の腕前を遺憾なく発揮して見事に巨大なぬいぐるみを撃ち落とし、リアーナにプレゼントした。
「ふふっ、さすが辺境一の騎士様ですわね」
「君に喜んでもらえるなら、本物の魔物を狩るよりも真剣になるさ」
周囲の領民たちも、「なんて仲睦まじいご夫婦だ」と微笑ましく道を空けてくれる。
かつては「氷の辺境伯」と「我儘な悪女」と呼ばれ、触れ合うことすら避けていた政略結婚の二人は、今や誰の目にも明らかなほど、愛し合う本物の夫婦となっていた。
* * *
やがて日が暮れ、祭りは夜の部へと移り変わる。
リアーナの合図で、広場のあちこちに設置された色付きガラスのランタンが一斉に点灯し、メリーゴーラウンドが幻想的な光に包まれて回り始めた。
「わあ……綺麗……!」
子供たちの歓声が上がる中、クラウスはリアーナの手を引き、少し喧騒から離れた見晴らしの良い丘の上へとエスコートした。
星空と、眼下に広がる光の遊園地。
春の夜風が、リアーナの髪を優しく揺らす。
「リアーナ。君は本当に、この冷たかった領地に、そして私の心に、温かい春を連れてきてくれた」
クラウスはリアーナと向き合い、その両手を自分の大きな手で包み込んだ。
青い瞳が、熱を帯びた真剣な光でリアーナを見つめている。
「私は不器用で、君を傷つけたこともあった。君の素晴らしい手腕に、何度も助けられてばかりだ。……だが、これからもずっと、私の隣にいてほしい。領主の妻としてではなく、私が生涯愛し抜く、たった一人の女性として」
それは、かつて「愛を求めるな」と突き放した男からの、嘘偽りのない、真実のプロポーズだった。
リアーナの胸が、甘い痛みとともに激しく高鳴る。
「……旦那様はずるいですわ。私が悪女だということを、忘れてしまったのかしら」
リアーナは照れ隠しにツンと顔を逸らしながらも、繋いだ手にキュッと力を込めた。
「私は我儘ですわよ。この領地を、私の好きなように、もっともっと豊かに作り変えてしまいます。それに、旦那様からの愛情も、全部独り占めしないと気が済みませんの」
「ああ、望むところだ。私のすべては君のものだ」
クラウスは優しく微笑むと、リアーナの腰を引き寄せた。
驚いて見上げたリアーナの唇に、星明かりの下、甘く、そして深い口づけが落とされる。
「……んっ……」
温かい唇の感触と、クラウスの優しくて力強い腕の抱擁に、リアーナは全身の力が抜けていくのを感じた。
(ああ……私、本当にこの世界で、生きていてよかった)
味方不在で孤独だった1回目の人生。
しかし今は、自分の知識と特技、そしてほんの少しの勇気で、こんなにも美しく温かい「居場所」を築き上げることができた。
丘の下からは、レオンの楽しそうな笑い声と、オルゴールのような優しい音楽が風に乗って聞こえてくる。
「悪役令嬢」と呼ばれたリアーナの手腕は、凍てついていた辺境領を、世界で一番幸せで温かい「春の国」へと変えたのだ。




