王都の商人との交渉と、悪役令嬢の「癒やしのオルゴール」
ベリントン侯爵の視察を無事に(というか完璧に)退けてから、さらに数週間。
分厚い雪に覆われていた辺境領にも、少しずつ春の足音が近づいていた。
温室から出荷される栄養満点の野菜と、ポカポカの湯たんぽのおかげで、領民たちは誰一人として冬の病に倒れることなく、活気に満ちた日々を送っている。
辺境伯邸の執務室では、リアーナが机に向かい、羽ペンを猛烈な勢いで走らせていた。
「よし、これで『立体パズル・キャッスルビルダー』の量産体制の図面は完成。
ジョイント部分の金型をガストン親方に作ってもらえば、街の木工職人だけでも均一な品質で大量生産できるわね」
前世のプロダクトデザイナーとしての血が騒ぐ。
リアーナは今、辺境領の新たな特産品として、自身が設計した「知育玩具と可動式フィギュア」のブランド化を計画していた。
農業だけでなく、工業的な特産品を生み出すことで、王都からの予算に頼らない強靭な経済基盤(お金の力)を手に入れるためだ。
「リアーナ殿。また休憩も取らずに仕事をしているのかい? 君の働きぶりには頭が下がるが、あまり根を詰めると倒れてしまうよ」
コンコン、と控えめなノックと共に執務室に入ってきたのは、夫のクラウスだった。
「氷の辺境伯」と恐れられる彼が、今や自ら銀のお盆に湯気の立つハーブティーと焼き菓子を乗せて、妻の元へ運んでくるのだから驚きだ。1回目の人生の彼が見たら、気絶するかもしれない。
「ありがとうございます、旦那様。でも大丈夫ですわ。私は自分の好きなモノづくりで、自分たちの生活を豊かにしているだけですから」
リアーナが微笑んでお茶を受け取ると、クラウスは彼女の横に立ち、その華奢な肩を大きな手でそっと包み込んだ。
「君の『好き』が、この領地全体を救っている。本当に、君を妻に迎えられて私は幸せ者だ。……だが、少しは私にも甘えてほしいのだが」
耳元で囁かれる低く甘い声。最近のクラウスは、素直になればなるほど愛情表現がストレートになり、リアーナの方が照れてタジタジになることもしばしばだった。
「だ、旦那様ったら……! 執務室でそんな、使用人に見られたら……!」
「夫婦なのだから問題ないだろう? それに、君が可愛すぎるのがいけない」
「~~っ! もう、旦那様はお仕事に戻ってくださいませ!」
真っ赤になって抗議するリアーナに、クラウスはクスッと嬉しそうに笑い、「夕食で待っているよ」と部屋を出て行った。
(もう……氷の辺境伯どころか、ただの甘々過保護旦那様じゃないの……)
火照る頬を両手で押さえながら、リアーナが幸せなため息をついた、その時。
「お、お母様……」
今度は、ドアの隙間から銀色の小さな頭が覗いた。息子のレオンだ。
「あら、レオン君。どうしたの?」
レオンはパタパタと駆け寄ってくると、リアーナのドレスの裾をキュッと握りしめ、内緒話をするように声を潜めた。
「あのね、もうすぐ、お父様のお誕生日なんだよ。だからぼく、お父様に内緒でプレゼントを作りたいの。お母様、手伝ってくれる?」
見上げる大きな青い瞳は、クラウスそっくりだ。
「旦那様のお誕生日……! それは大変、素晴らしい計画ね!」
リアーナはパンッと両手を叩いた。
領地の防衛と政務に追われ、自分の誕生日すら気に留めないであろう不器用で優しい夫。そんな彼を最高に癒やしてあげられる、世界で一つのプレゼント。
(ただのオモチャじゃダメ。疲れた大人の心を解きほぐす、極上のヒーリングアイテム……。そうだわ!)
リアーナの脳内に、前世の記憶から「ある精密機械」の構造図がフラッシュバックした。
「レオン君。お父様を癒やす、素敵な『音の出る魔法の箱』を作りましょう。私とレオン君の合作よ!」
* * *
リアーナが工房のガストン親方に持ち込んだのは、「オルゴール」の設計図であった。
「……奥様、毎回驚かされますが、今回のこりゃあ一体何ですか? 金属の筒に、無数の小さなピン……? それに、長さの違う櫛のような金属板?」
図面を覗き込んだガストンが、唸り声を上げる。
「これは『シリンダー式オルゴール』の構造図よ。この金属の筒が回転すると、表面にミリ単位で配置されたピンが、この櫛の歯(振動板)を弾くの。歯の長さや厚みによって音の高さ(周波数)が変わるから、これを計算通りに配置すれば、自動で美しい音楽を奏でることができるわ」
言うは易しだが、これを異世界の技術でゼロから削り出すのは至難の業だ。
しかし、リアーナの頭脳には完璧な「三面図」と「ギア(歯車)の比率計算」、そして「音階と金属の厚みの関係式」がすべて入っていた。
「動力は、特殊な鋼を巻いたゼンマイよ。そして、音を美しく響かせるための共鳴箱には、この領地で採れる一番木目の美しい『氷晶樹』の木材を使うわ」
「……ヘッ、相変わらず奥様の要求は職人泣かせだ。だが、このミリ単位の狂いも許されねぇ仕事、燃えねぇ職人はモグリですぜ!」
ガストンの号令のもと、領地で最も腕の立つ職人たちが結集した。
リアーナは彼らに細かな指示を出しつつ、レオンと一緒に、オルゴールの上で回転させるための「小さな木彫りの人形」を作り始めた。
「レオン君、ここの角をヤスリで丸くしてみて。そう、すごく上手よ」
「うんっ! お父様、喜んでくれるかなぁ」
「ええ、絶対に泣いて喜ぶわよ」
そんな極秘プロジェクトを進めている最中、屋敷に思いがけない客が訪れた。
王都からやってきた、大規模な商隊の主である。
「お初にお目にかかります、クラウゼヴィッツ辺境伯夫人。私は王都で『グレン商会』を営んでおります、グレンと申します」
応接室に通された恰幅の良い商人は、愛想笑いを浮かべながらも、その目には狡猾な光を宿していた。
彼の目的は明確だった。最近、辺境領から少量のサンプルとして王都に持ち込まれた「立体パズル」や「可動式木製フィギュア」が、王都の貴族の子供たちの間で爆発的な大流行の兆しを見せているのだ。
「奥様。単刀直入に申し上げましょう。辺境領で生産されているというあの素晴らしい玩具、我々グレン商会が『独占販売権』を買い取らせていただきます。もちろん、買い取り価格は相場の……そうですね、通常の木工品の1.5倍でいかがでしょう?」
グレンは「辺境の田舎貴族なら、これで飛びつくだろう」とタカをくくっていた。
しかし、リアーナは紅茶のカップを優雅に置き、冷たく美しい笑みを浮かべた。
「……1.5倍? あら、ご冗談を。あんな端金で、私の設計した『クラウゼヴィッツ・ブランド』の独占権を譲れと仰るの?」
「なっ……! は、端金とはご挨拶な! 王都の販路を持たない辺境領が、我々を通さずにどうやって商品を売るおつもりで?」
「ふふっ。王都にこだわらなくても、隣国の帝国ルートがありますわ。それに……ご存知かしら? 先日、この領地で不正を働いていた『マルトン商会』が、どうして突然王都から姿を消したのか」
リアーナの言葉に、グレンの顔色が変わった。
マルトン商会はベリントン侯爵の失脚とともに、裏帳簿を握られて完全に解体されたのだ。
その黒幕が、目の前で優雅に微笑むこの女だという噂は、王都の商人たちの間でも密かに囁かれていた。
「わ、私はマルトン商会とは無関係で……!」
「ええ、知っていますわ。だからこうして『交渉』の席を設けて差し上げたのです。独占販売権は渡しません。卸値は通常の木工品の5倍。ただし、王都での販売価格は自由に設定して構いませんわ。あなた方の商売の腕次第で、利益は青天井になる……悪い話ではないでしょう?」
圧倒的な商品力と、相手の弱みを完璧に封じ込める威圧感。
「稀代の悪女」の異名をとったリアーナの完璧な交渉術の前に、グレンは完全に呑まれ、ガタガタと震えながら契約書にサインをするしかなかった。
「……契約成立ですわね。末永いお付き合いをよろしくお願いいたしますわ、グレン殿」
(これで、領地の財政は今後10年は安泰ね。旦那様に肩の荷を下ろしてもらうための、私からの裏プレゼントよ)
リアーナは、逃げるように帰っていく商人の背中を見送りながら、満足げに扇子を鳴らした。
* * *
そして迎えた、クラウスの誕生日当日の夜。
大広間での仰々しいパーティーは避け、温かく暖炉が燃える私室で、家族三人だけのささやかなお祝いの夕食が設けられた。
「まさか、君たちが私の誕生日を祝ってくれるなんて……。領地防衛の節目としてしか考えていなかった私にとって、こんなに嬉しい日はない」
温室で採れた野菜と、最高級の肉を使った手料理を前に、クラウスの顔には幸せそうな笑みが溢れている。
「お父様、お誕生日おめでとう! これ、ぼくとお母様からのプレゼント!」
食事が一段落したところで、レオンが背中に隠していた美しい木箱を、両手でクラウスの前に差し出した。
「これは……小箱? とても美しい木目と細工だ」
クラウスが不思議そうに受け取ると、リアーナが優しく微笑んだ。
「旦那様。右横にある小さな金属のツマミ(ゼンマイ)を、カチカチと限界まで回してから、蓋を開けてみてくださいませ」
クラウスが言われた通りにゼンマイを巻き、そっと木箱の蓋を開けた。
――ポロロン、ポロン……。
その瞬間、私室の中に、信じられないほど澄み切った、優しく温かい音色が響き渡った。
水滴が落ちるような、それでいて心を奥底から包み込むような和音。それは、辺境領に古くから伝わる、春の訪れを祝う子守唄のメロディだった。
「こ、これは……!? 音が、箱からひとりでに出ているのか……!?」
驚愕するクラウスの視線の先、オルゴールの内部では、リアーナが計算し尽くした金色のシリンダーと歯車が、滑らかに回転しながら美しい音楽を紡ぎ出している。
さらに、箱の上部では、レオンが一生懸命ヤスリがけをした「小さな木彫りの人形たち」が、音楽に合わせてゆっくりとクルクル回っていた。
剣を持った銀髪の騎士。美しいドレスの女性。そして、二人と手を繋ぐ小さな男の子。
クラウス、リアーナ、レオンの三人の人形だ。
「レオン君が、旦那様の人形を一生懸命彫ってくれたのよ。私からの感謝と、愛を込めて……お誕生日おめでとうございます、旦那様」
ポロロン、と響くオルゴールの音色と、楽しそうに回る家族の人形。
いつも厳しく、領地のために己を殺して戦い続けてきた「氷の辺境伯」の青い瞳から、ポロリと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「お、お父様……? 泣いてるの? 嬉しくなかった……?」
不安そうに見上げるレオンを、クラウスは大きな腕で力強く抱きしめた。
「違う、違うんだレオン。嬉しくて……こんなに温かいものを、私が受け取っていいのかと……」
クラウスは震える声でそう言うと、片方の腕を伸ばし、リアーナの腰を引き寄せて、三人で一緒に固く抱き合った。
「リアーナ……君は、本当に魔法使いだ。冷え切っていた私の人生に、光と、音と、こんなにも温かい家族を与えてくれた。……愛している。私の命に代えても、君とレオンを永遠に守り抜くと誓おう」
不器用な男の、魂からの愛の告白。
リアーナはクラウスの広い胸の中で、安心感に包まれながらそっと目を閉じた。
「……私も、愛しておりますわ。旦那様」
1回目の人生では、孤独と憎しみの中で終わった悪役令嬢の物語。
けれど、自らの手腕と知識で築き上げたこの2回目の人生は、どこまでも温かく、優しい音色に満ちている。
オルゴールの心地よい調べが、寄り添う三人をいつまでも優しく包み込んでいた。




