王都からの嫌な客と、悪役令嬢の完璧な「氷の祭典」
「ああっ! お父様、そこじゃないよ! そのブロックは、お城の屋根になるパーツだもん!」
「む……? そうなのか? だが、この絶妙なカーブは、城壁の角にぴったりフィットすると思ったのだが……」
暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てる辺境伯邸の私室。
分厚い絨毯の上に座り込んだ北方の守護者クラウスは、眉間に深いシワを寄せ、真剣な顔で小さな木製のブロックと睨み合っていた。
その横で、息子レオンが「ちがうよー!」と笑いながら、クラウスの手からブロックを奪い取って正しい位置へとカチリとはめ込む。
「ふふっ、旦那様。城壁の角のパーツは、こちらの少し丸みを帯びた方ですわ。レオン君の言う通り、それは屋根の装飾パーツ。ほら、裏側に小さなジョイントの溝があるでしょう?」
ソファに優雅に腰掛け、紅茶を傾けながらクスリと笑うリアーナ。
三人が夢中になっているのは、リアーナが最近工房で作らせた「立体パズル・キャッスルビルダー」だ。
前世の現代日本で大人気だった知育玩具をベースに、リアーナの「空間認識能力」と「立体造形の知識」をフル活用して設計した異世界オリジナル・ブロック玩具である。
単なる四角い積み木ではなく、凹凸のジョイントを組み合わせることで、精巧で巨大な城を組み上げることができる魔法のようなオモチャだ。
「……なるほど。このジョイント構造、考えれば考えるほど合理的だ。リアーナ殿、君の頭脳は一体どうなっているんだ? 建築士ですら、ここまでの図面は引けないぞ」
「あら、ただの趣味ですわ。レオン君の空間認識力を鍛えるには、平面より立体のほうが良いと思いまして。ね、レオン君」
「うんっ! ぼく、お父様よりお城作るのうまいよ!」
得意げに笑うレオンの頭を、クラウスが「負けたよ」と優しく撫でる。
温室の完成から数週間。新鮮な野菜をたっぷり食べているおかげで、レオンの頬はふっくらとピンク色になり、クラウスの顔色も見違えるほど良くなっていた。
1回目の人生では考えられなかった、温かくて甘い家族の団欒。この幸せな時間が、いつまでも続くと思っていた――その時だった。
コンコン、と切羽詰まったノックの音が響き、騎士団長が足早に部屋に入ってきた。
「旦那様、奥様。お寛ぎのところ申し訳ありません。王都より、早馬で書状が届きました。……『視察団』が来るそうです。明後日には、この屋敷に到着すると」
「視察団だと? 今年の監査は秋に終わったはずだが。一体誰が来るというんだ」
「それが……ベリントン侯爵です」
その名を聞いた瞬間、クラウスの顔からフッと温もりが消え、辺境伯としての厳しい「氷」の表情に戻った。
「……ベリントン侯爵。よりによって、あの男か」
「旦那様、ベリントン侯爵とは、どのような方なのですか?」
リアーナが尋ねると、クラウスは苦々しい声で答えた。
「王都の財務を牛耳る派閥のトップであり、私を目の敵にしている男だ。そして何より……先日君が捕らえた横領犯、執事補佐トーマスと結託していた『マルトン商会』の裏のパトロンでもある」
「まあ。では、今回の視察の目的は……」
「視察というのは建前だろう。マルトン商会を潰された腹いせに、この領地の『粗』を探しに来るに違いない。辺境領の管理が行き届いていないと難癖をつけ、王家に報告して私の防衛予算を削る気だ」
極寒の辺境領は、ただでさえ「貧しくて惨めな土地」と王都の貴族たちから見下されている。
これまでの隙間風だらけの屋敷と、貧相な食事のままだったら、間違いなく侯爵の格好の餌食になっていただろう。
「申し訳ない、リアーナ殿。せっかく君が整えてくれた屋敷に、嫌な客を招き入れることになってしまった。君やレオンには絶対に危害は加えないよう、私が彼を相手する。君たちは奥の部屋に……」
クラウスが庇うように言うと、リアーナはパタンと扇子を閉じ、スッと立ち上がった。
その顔に浮かんでいたのは、不安でも恐怖でもない。
1回目の人生で社交界を震え上がらせた「稀代の悪女」としての、ゾクゾクするほど美しく、そして好戦的な笑みだった。
「何を仰いますの、旦那様。私はこの辺境伯邸の『女主人』ですわよ? 大切な領地に泥棒猫が上がり込もうとしているのに、奥に引っ込んでいるなんて私のプライドが許しませんわ」
「リ、リアーナ殿……? なんだか、背後に黒いオーラが見えるのだが……」
「ふふっ。マルトン商会のパトロンですって? 上等じゃありませんか。王都からの嫌な客には、一生忘れられない『最高の歓迎』をして差し上げましょう」
リアーナの瞳に、前世の「イベントクリエイター」としての闘志と、お妃教育で培った「完璧な社交術」の炎がメラメラと燃え上がっていた。
* * *
翌日から、リアーナは屋敷と街の職人たちを総動員して、前代未聞の「迎撃準備」を開始した。
「ガストン親方! 街の北にある氷湖から、一番透明度の高い氷柱を切り出してきてちょうだい! サイズは私の描いた図面の通りに、ミリ単位でお願いね!」
「お、奥様! 今度は氷ですか!? 一体何を作るおつもりで……!」
「決まっているでしょう? おもてなしのための『氷彫刻』よ」
リアーナの手に握られていたのは、巨大なドラゴンやペガサス、そして美しい騎士たちの姿を多角的に捉えた、完璧な「三面図」だった。
前世で1/7スケールの精巧なフィギュアを作り続けてきた彼女の脳内には、あらゆる骨格や筋肉の動きが3Dデータとしてインプットされている。
それを1/1スケールの等身大で、しかも氷で再現しようというのだ。
「ただ彫るだけじゃないわ。氷の屈折率を計算して、一番光を美しく反射する角度で表面をカットしていくの。それから、金属職人たちにはこれを作ってちょうだい」
次にリアーナが差し出したのは、お椀型にカーブしたピカピカの金属板(パラボラアンテナの原理を応用した反射板)と、色付きガラスの設計図だった。
「ランタンの光をこの反射板で一点に集め、色ガラスを通すことで、色鮮やかな光の束を作るのよ。それを夜の氷彫刻に当てれば……極寒の夜は、魔法の空間に変わるわ」
「ヒィッ……! 奥様の頭の中は、本当にどうなってるんだ!? 面白すぎるぜ、野郎ども、徹夜で仕上げるぞ!!」
職人たちの士気は最高潮に達していた。リアーナの「現代の空間演出スキル」と「光学の知識」が、ファンタジー世界の職人技術と融合し、途方もない計画が形になり始めていた。
* * *
そして、運命の視察当日。
吹雪が荒れ狂う中、ベリントン侯爵を乗せた豪華な馬車が辺境伯邸の門をくぐった。
「チッ……本当にここは、いつ来ても反吐が出るほど寒くて惨めな土地だ」
分厚い毛皮のコートに身を包んだ侯爵は、ガチガチと歯を鳴らしながら馬車を降りた。
(クラウスめ、マルトン商会を潰して私の資金源を断った恨み、今日こそ晴らしてやる。どうせ屋敷の中も氷室のように冷え切り、粗末な食事しか出せないのだろう。そこを徹底的に突いて、領主失格の烙印を押してやる!)
侯爵が意気揚々と玄関の扉を開け放った、次の瞬間。
「……は?」
ブワァッ、と。
まるで春の陽だまりのような、優しくて温かい空気が侯爵を包み込んだ。
隙間風など一切ない。エントランスは床暖房(温室と同じダクトシステムを屋敷にも一部導入済み)によって隅々まで温められ、凍えていた侯爵の身体を一瞬で解凍してしまった。
「よ、ようこそおいでくださいました、ベリントン侯爵様」
出迎えたメイド長のマーサをはじめとする使用人たちは、冬だというのに血色が良く、パリッとした制服を着こなして完璧な礼の姿勢をとっていた。
「な、なんだこの暖かさは!? お前たち、一体どれだけの薪を無駄遣いしているんだ! 予算の浪費だぞ!」
侯爵が難癖をつけようと怒鳴ったその時、優雅な足音とともにリアーナが姿を現した。
「あら、浪費だなんて心外ですわ、侯爵様。私共は独自の『熱循環システム(ダクトとパッキン)』を用いておりますので、消費する薪の量は、王都の貴族邸の半分以下でしてよ?」
「なっ……! き、貴様は……『稀代の悪女』と王都を追放された、リアーナ公爵令嬢……!」
「今はクラウゼヴィッツ辺境伯夫人ですわ。長旅でお疲れでしょう、ささ、お食事の用意ができておりますわ」
リアーナは完璧な淑女の笑みで侯爵を食堂へと案内した。
そこに待ち受けていたのは、クラウスとレオン、そして――テーブルの上に並べられた、色鮮やかな「緑色の野菜」のフルコースだった。
「な……ば、馬鹿な! 真冬の辺境に、なぜこんな瑞々しい小松菜やカブがある!? 魔法使いでも雇ったというのか!?」
侯爵は椅子から転げ落ちそうになりながら叫んだ。
「魔法など使っておりません。私共が建設した『温室』で領民たちが丹精込めて育てたものですわ。さあ、冷めないうちにどうぞ」
侯爵は震える手でスープを口に運んだ。
――美味い。悔しいが、王都の一流シェフの料理よりも、野菜の甘みが引き立っていて圧倒的に美味い。
(くそっ、これでは『領民が飢えている』という報告書が書けないではないか……! いや、まだだ。まだ何か粗があるはずだ!)
食事が終わると、リアーナは「食後の運動に、お庭をご案内いたしますわ」と侯爵を中庭へと誘った。
外はすでに日が落ち、真っ暗な闇に包まれている。
「ふん! この極寒の夜の庭に、一体何があるというのだ! 嫌がらせか!」
侯爵が吐き捨てた瞬間。
「点灯!」
リアーナの号令とともに、中庭を取り囲んでいた数十個のランタンが一斉に幕を外された。
「――っ!!!!」
侯爵は、そして背後で護衛についていたクラウスでさえも、その光景に息を呑んだ。
闇夜に浮かび上がったのは、巨大で、息を呑むほど美しい「氷の彫刻群」だった。
今にも空へ飛び立ちそうな躍動感を持つ巨大な氷のドラゴン。剣を構える精悍な氷の騎士たち。
それらが、リアーナの設計した「反射板と色ガラス」を通した青や紫、黄金色の光に照らし出され、まるで命を宿しているかのようにキラキラと幻想的な輝きを放っているのだ。
「な、なんだこれは……! 光が……色が……氷の中で踊っている……!」
現代のプロジェクションマッピングやイルミネーションの知識を持つリアーナだからこそ生み出せた、異世界初の「光と氷の空間演出」。
その圧倒的な美しさと芸術性の前に、侯爵は完全に言葉を失い、へたり込んでしまった。
リアーナは、光り輝く氷のドラゴンの前で、扇子を広げて侯爵を見下ろした。
その姿は、夜の闇と光を支配する「女王(悪役令嬢)」そのものだった。
「いかがかしら、侯爵様。これが、あなたが『惨めで貧しい』と見下した辺境領の底力ですわ。……ああ、そうそう」
リアーナはスッと目を細め、懐から一冊の小さな手帳を取り出した。
「先日捕らえた執事補佐トーマスの部屋から、面白いものが見つかりましてよ。マルトン商会から『王都の某侯爵様』への、多額の不正送金の記録です。……もし、今回の視察で『辺境領に問題がある』なんて嘘の報告書が王家に提出されたら……私、間違えてこの手帳を国王陛下に送ってしまうかもしれませんわ」
「ひっ……!!」
侯爵の顔から、一気に血の気が引いた。
完璧な領地経営を見せつけられた上で、汚職の決定的証拠まで握られている。完全なる「詰み(チェックメイト)」だった。
「も、問題など……何一つない! 辺境伯領は、完璧に統治されている……っ! すぐに王都へ帰って、陛下にそう報告する!」
侯爵は逃げるように屋敷へと駆け戻り、翌朝、日の出と共に逃げるように王都へ帰っていった。
* * *
嫌な客が去った夜。
静寂を取り戻した中庭で、ライトアップされた氷の彫刻たちは、まだ静かに輝き続けていた。
「……本当に、君には敵わないな。まさかあの狡猾なベリントン侯爵を、一晩で震え上がらせて追い返すとは」
隣に立つクラウスが、呆れたような、それでいて心底惚れ込んだような声で呟いた。
「ふふっ。言ったでしょう? 私は悪女ですもの。私の大切な家族と領地を脅かす輩には、容赦しませんわ」
リアーナが誇らしげに胸を張ると、クラウスはそっと彼女の肩を引き寄せ、分厚い自分のコートで彼女の身体を包み込んだ。
「だ、旦那様……っ?」
「君は、私が護るべき妻なのに……いつも君の方に救われてばかりだ。私は、君の夫として頼りないだろうか」
クラウスの青い瞳が、イルミネーションの光を受けて切なげに揺れている。
不器用な男の、真っ直ぐすぎる愛の言葉。
リアーナは顔を真っ赤にしながらも、クラウスの胸元にそっと寄り添った。
「……そんなこと、ありませんわ。私がこうして自由に手腕を振るえるのは、旦那様が私を信じて、最強の騎士として後ろ盾になってくださっているからです。私たちは、夫婦で、チームですもの」
「リアーナ……」
クラウスの大きくて温かい手が、リアーナの頬をそっと包み込む。
氷の彫刻が放つ幻想的な光の中、二人の影は静かに、そして甘く重なり合った。
「お母様の手腕は、本当にすごいな……」と、窓からこっそり覗いていたレオンが、アーサーのフィギュアの目を両手で隠しながらクスクスと笑っていることなど、二人はまだ知る由もなかった。




