王都の悲鳴と、悪役令嬢の「サプライチェーン(供給網)支配」
クラウゼヴィッツ辺境領が、王都へ向かうすべての魔法鉄道と物資の輸出を「完全凍結」してから、わずか二週間後のこと。
王都は、かつてないほどの阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「いやぁぁぁっ! 私の肌が! カサカサにひび割れていくわ!」
「嘘でしょう、辺境領の『特製・高保湿ハーブ美容液』のストックがもう切れたの!? これがないと、夜会のドレスが着られないわ!!」
貴族街のあちこちから、令嬢や夫人たちの悲鳴が上がっている。
さらに深刻なのは、騎士団や兵士たちの兵舎であった。
「くそっ、今日の配給も塩水のようなスープと石のように硬いパンか! 辺境領の『レトルト・シチュー』と『フカフカの白パン』が食いてえ……!」
「俺なんて剣が折れたのに、替えの刃(辺境領の規格化パーツ)が届かなくて、丸腰で警備に立たされてるんだぞ!」
第一王子と第二王子による王位継承の泥沼の内乱。
彼らは自陣営の勝利を確信していたが、いざ戦争を始めようとした途端、自分たちの足元が完全に崩れ去っていることに気づいたのだ。
現代社会において、戦争を持続させるのは兵士の数ではない。「兵站」と「経済力」である。
王都の貴族たちは、この数年間で辺境領がもたらす「極上の快適さ(ソフトパワー)」に完全に依存(依存症レベルまで)しきっていた。
それが突然すべて絶たれたことで、軍の士気は暴落し、貴族たちは「美容液と美味い飯を寄越さないなら、どちらの王子にも支援などしない!」とストライキを起こす始末であった。
「……おのれ、辺境の成金どもめ! たかが田舎貴族が、王家の内乱に乗じて我々を脅迫するとは!」
第一王子の腹心である新任の財務大臣・バルーク伯爵は、ギリッと歯を食いしばった。
彼は第一王子の命を受け、辺境領を「武力による反逆罪」で脅し、物資を強制的に徴発するため、数百の精鋭騎士を引き連れて辺境領へと乗り込むことになった。
しかし、魔法鉄道が動いていないため、彼らは極寒の雪山を「馬車」で三週間もかけて越えなければならなかった。
* * *
「……はぁ、はぁ……。着い、たぞ。ここが辺境領の……な、なんだ、ここは!?」
ボロボロになり、凍傷寸前で辺境領の関所にたどり着いたバルーク伯爵と王都の騎士たちは、目の前に広がる光景に腰を抜かした。
極寒の地であるはずの辺境領。
しかし、目の前に広がる巨大な都市は、雪を溶かす地熱システムによって道路が完全に乾き、等間隔に並んだ魔導ガス灯が、街全体を黄金色に温かく照らし出している。
巨大なガラス張りの「フロンティア・モール」からは、楽しげな音楽と、肉の焼ける暴力的に美味しそうな匂いが漂ってきていた。
「これが……辺境の田舎領地だと……? 王都よりも、ずっと明るくて、豊かではないか……!」
「ああっ、伯爵様! あそこの屋台で売っている湯気を立てた肉まんじゅう、一口だけでいいから食べさせてください……!」
飢えと寒さで限界に達していた王都の騎士たちが、武器を放り出して泣き崩れる。
「ええい、情けない声を出すな! 我々は王家の名代だぞ! ……辺境伯邸へ向かう! 武力で脅してでも、この街の物資をすべて奪い取ってやる!」
バルーク伯爵が空元気で叫んだ、その時だった。
「――おやおや。お客様には温かいスープの一杯でもお出ししたいところですが、強盗を歓迎する趣味は我が領にはありませんね」
凛とした、しかし絶対的な威圧感を伴う若い男の声が響いた。
バルーク伯爵が振り返ると、そこには漆黒の特注騎士服を纏い、純白のマントを翻す一人の美青年が立っていた。
十八歳に成長した、辺境軍の若き将軍・レオンである。
彼の背後には、最新鋭の装備に身を包んだ辺境軍の騎士たちが、一糸乱れぬ動きでズラリと並び、王都の騎士たちを完全に包囲していた。
「なっ……! き、貴様はクラウゼヴィッツ家の長男!」
「ようこそ、我が『独立国』へ、バルーク伯爵。……父と母が、城の謁見の間でお待ちです。
雪山の長旅で、さぞお疲れでしょう。その重く冷え切った剣は、こちらでお預かりいたしますよ。
どうぞ、武装を解いて身軽な姿でいらしてください。温かい部屋へご案内しますから」
レオンの氷のように透き通った青い瞳に見下ろされ、王都の精鋭騎士たちは誰一人として剣を抜くことすらできず、言われるがままに武装を解除された。
* * *
クラウゼヴィッツ辺境伯邸、大謁見の間。
「……よく来ましたね、王都の使者殿。随分と道中、お疲れのようですが」
上座の玉座に優雅に足を組んで座っていたのは、三十代を迎えてなお、いや、大人の余裕を纏ってさらに神々しいほどの美しさを放つリアーナだった。
彼女の隣には、四十代に差し掛かり、大人の男の渋みと底知れぬ覇気を完成させたクラウスが、まるで最強の魔王のようにドッシリと腰を下ろしている。
「ク、クラウゼヴィッツ辺境伯! 並びに夫人! 王家の内紛につけ込み、物資の供給を止めるとは何事だ! これは明らかなる国家への反逆! 今すぐ鉄道を動かし、すべての物資を第一王子殿下へ献上しろ! さもなくば、討伐軍が……!」
「討伐軍? どこの誰が、どうやってこの領地へ来るというのです?」
リアーナはパチン、と扇子を鳴らし、哀れむような目でバルーク伯爵を見下ろした。
「王都には今、まともに機能している剣も、兵士に食べさせる食料もないはずですわ。……いいこと? 現代の戦争において、武力は絶対ではありません。
真の権力とは『サプライチェーン(供給網)』を握っている者の手にあるのです」
前世の現代社会で、資源や半導体の供給網を絶たれた大国がどれほど簡単に機能不全に陥るかを、リアーナは知識として熟知していた。
「私は武力を使わずとも、ボタン一つで王都の経済を止め、生活インフラを破壊できる。
……あなたたちが私たちを討伐するのではなく、私たちがあなたたちを『生かしてあげている』のですわよ。立場をわきまえなさい」
「ひっ……!」
リアーナの冷酷な正論と、彼女から放たれる「稀代の悪女」としてのすさまじいオーラの前に、バルーク伯爵は膝をガクガクと震わせた。
「……私の妻の言う通りだ」
クラウスが、低く、地鳴りのような声で口を開いた。
四十代の彼が放つ威厳は、若い頃の尖った冷気とは違う、逃げ場のない深い海の底のような圧倒的なプレッシャーだった。
「我が辺境領は、これより王家のいかなる干渉も受けない『完全なる不可侵の独立特権(大公国としての地位)』を要求する。
第一王子だろうが第二王子だろうが、この条件を飲み、条約書にサインをした方にのみ、物資の輸出を『再開してやる』。
……選べ。サインをして国を保つか、このまま飢えと寒さで滅びるかをな」
クラウスが机の上にドンッ、と分厚い「独立承認の条約書」を投げ捨てる。
背後に控えていたレオンが、腰の剣の柄に手をかけ、冷ややかに微笑んだ。
「王都の皆さんがどうなろうと知ったことではありませんが……僕の学園時代の友人たち(ジュリアンたち)には、美味しいものを食べさせてあげたいですからね。賢明な判断を期待していますよ、伯爵」
圧倒的なカリスマを放つ大人の夫。冷酷で完璧な頭脳を持つ美しき妻。そして、最強の武力を持つ若き息子。
この家族に、付け入る隙など一ミリも存在しなかった。
「……あ、ああっ……!」
完全に心がへし折られたバルーク伯爵は、床に這いつくばり、震える手でその条約書を受け取るしかなかった。
かくして、王都の泥沼の内乱は、リアーナの仕掛けた「血を流さない経済制裁」によって、辺境領の【完全独立(クラウゼヴィッツ大公国の誕生)】という最高の果実をもたらす結果となったのである。
* * *
その日の夜。
王都の使者を追い返し、完全な勝利を手にした辺境伯邸の主寝室。
リアーナは、鏡の前で丁寧に化粧を落とし、艶やかなプラチナブロンドの髪をブラシで梳かしていた。
三十代という年齢を迎えても、彼女の肌は自社開発の美容液のおかげで真珠のように滑らかで、むしろ若い頃にはなかった大人の色香が匂い立つように備わっていた。
背後から、コツ、コツと静かな足音が近づき、鏡越しにクラウスの姿が映った。
「……今日も完璧な手腕だったな、私の大公妃殿下」
クラウスの大きな手が、リアーナの肩を優しく、そして所有を主張するように撫でる。
四十代になったクラウスは、目元に微かな渋み(シワ)を刻み、それがかえって彼の顔立ちを恐ろしいほどセクシーに引き立てていた。
銀色の髪を後ろに流したその姿は、どんな若い貴公子も束になっても敵わない、極上の「イケオジ」である。
「あら、旦那様。大公妃だなんて、まだ条約のサインはされていませんわよ?」
「時間の問題さ。あの様子では、明日には王子たちが泣きついてくるだろう」
クラウスはリアーナの首筋に顔を近づけ、深く息を吸い込んだ。
「……んっ……旦那様、くすぐったいですわ」
「君が美しすぎるせいだ。……三十を超えて、君はますます美しさに磨きがかかっている。
今日の謁見の間でも、あの若造の使者が、恐れながらも君の姿に魅了されて見惚れていたのを、私が見逃すはずがないだろう」
「もう。旦那様は、相変わらず嫉妬深いんですから。……あのバルーク伯爵は、レオン君と同じくらいの年齢でしたのに」
リアーナがクスクスと笑いながら振り向くと、クラウスの青い瞳が、少しだけ熱を帯びて細められた。
「私が嫉妬深いのは今に始まったことじゃない。……だが、どれだけ年を重ねようと、君を誰にも渡さないというこの執着だけは、消えるどころか深くなる一方だ」
クラウスはリアーナの身体をひょいと抱き上げると、そのままふかふかのベッドへと優しく押し倒した。
「きゃっ……! だ、旦那様、アリアが急に起きて入ってくるかもしれませんわよ?」
「アリアなら、レオンが自室で新しい絵本を読み聞かせて、すっかり寝かしつけてくれたよ。レオンは本当に、立派な兄貴分になったからな。……だから、今夜は誰にも邪魔はさせない」
大人の余裕と、抗えないほどの深い包容力。
若い頃の「過保護でオロオロする不器用な夫」から、時を経て完成された「妻のすべてを甘く支配する完璧な夫」へと進化したクラウスの魅力に、リアーナの心臓が高鳴る。
「……ずるいですわ、旦那様。年を重ねて、そんなに格好良くなられるなんて」
リアーナが頬を赤らめながらクラウスの胸板に手を添えると、クラウスは低く喉の奥で笑った。
「君が私を、こんなにも欲張りな男に育てたんだ。責任は取ってもらうぞ、私の愛しい悪女」
「ええ。望むところですわ。私が作り上げた最高の旦那様ですもの……存分に、愛して差し上げますわ」
甘く、そしてどこまでも深く蕩けるような大人の口づけ。
魔導ランプの優しい光に包まれた寝室で、世界一豊かで強大な「独立国」の主となった夫婦は、時が経っても色褪せることのない、極上の愛の時間を紡ぎ続けるのだった。




