六年後の辺境都市と、悪役令嬢の「巨大ショッピングモール」
アリアが誕生したあの雪降る夜から、六年の歳月が流れた。
かつては分厚い氷と貧困に閉ざされていた辺境領は今、大陸中の誰もが憧れる「世界一豊かで美しい夢の都市」へと劇的な進化を遂げていた。
「こら、アリア! 走ると危ないぞ、転んだらお母様に叱られるからな!」
「あははっ! お兄様、おそーい! 早く早くー!」
綺麗に舗装された石畳のメインストリートを、プラチナブロンドの髪を揺らしながら一人の小さな少女が駆け抜けていく。
六歳になったクラウゼヴィッツ家の長女、アリアである。
母親譲りの美しい髪と、父親譲りの氷のように透き通った青い瞳を持つ彼女は、フリルのついた可愛らしいドレスを着ているというのに、その中身は驚くほど活発な「おてんば娘」に育っていた。
「っと、危ない!」
交差点で転びそうになったアリアの身体を、ヒョイッと軽々と抱き上げた長身の青年がいた。
「もう。だから走るなと言っただろう、アリア」
「えへへ、捕まっちゃった! お兄様、抱っこ!」
アリアを抱き上げ、困ったように、けれどこの上なく優しく微笑んだのは――十八歳になったレオンである。
少年の面影はすっかり抜け落ち、今や父親のクラウスに肩を並べるほどの長身と、鍛え上げられた広い肩幅を持つ精悍な青年に成長していた。
身に纏っているのは辺境軍「若き将軍」の証である、特注の漆黒の騎士服。
王都の令嬢たちが見れば、一瞬で黄色い悲鳴を上げて卒倒するほどの超絶美男子だ。
「さあ、お母様とお父様が待っている。今日は『あれ』の落成記念式典だろう?」
レオンがアリアを肩車して歩き出すと、街の領民たちが次々と「若将軍!」「アリアお嬢様、今日も可愛いですね!」と笑顔で声をかけてくる。
街の景色は、六年前とは全く違う。
通りには等間隔で「魔導ガス灯」が設置され、夜になっても街を明るく安全に照らしている。
各家庭には現代の「上下水道」の概念を取り入れた水路が地下に張り巡らされ、ひねれば清潔な水が出るようになっていた。
すべて、リアーナが前世の「都市計画」の知識をフル活用して整備した、完璧なインフラである。
「レオン、アリア。遅いぞ」
広場の中心で待っていたのは、クラウスとリアーナだった。
四十代に差し掛かり、ますます大人の男の渋みと圧倒的な威厳を増したクラウス。
そして、リアーナは自ら開発したハーブ化粧水と規則正しい生活のおかげで、三十代を迎えてなお、二十代前半と見紛うほどの瑞々しい美貌を完全に保っている。
「申し訳ありません、旦那様。アリアがお兄様に買ってもらった新しい『変形馬車のオモチャ』に夢中で、なかなかお家を出てくれなくて」
リアーナが扇子で口元を隠してクスクスと笑うと、クラウスは途端に顔をほころばせ、アリアをレオンの肩から自分の腕の中へと移した。
「そうかそうか。レオンの作るオモチャは、ガストン親方にも引けを取らないからな。だがアリア、今日はお母様が作った『世界一楽しい場所』のオープン日だぞ」
「ほんと!? どんなところなの、お母様!」
リアーナは不敵に微笑み、広場の奥にそびえ立つ、ガラス張りの巨大な建造物を扇子で指し示した。
「さあ皆様! 本日より、総合商業施設『フロンティア・モール』をオープンいたしますわ!」
* * *
リアーナの合図とともにテープカットが行われ、巨大なガラス扉が開かれた。
なだれ込んだ領民たちは、その内部を見て度肝を抜かれた。
「な、なんだここは!? 建物の中に、街が丸ごと入っているみたいだぞ!」
「雨が降っても雪が降っても、ここなら濡れずに一日中買い物が楽しめる!」
それは、前世の現代社会における「大型ショッピングモール」の完全再現であった。
一階には、温室で採れた新鮮な野菜や、帝国から輸入した香辛料が並ぶ巨大な「スーパーマーケット」。
二階には、リアーナがデザインしたエンパイア・ドレスや、氷蚕糸を使った最新のファッションブランドの店舗がズラリと並んでいる。
「皆様、お買い物の合間には、中央の『フードコート』でお食事をどうぞ! ビュッフェ形式で、和食からスイーツまで選び放題ですわよ!」
リアーナの案内でフードコートにやってきた領民たちは、その快適さに酔いしれた。
そして、このモールにはもう一つ、リアーナの執念とも言える「最高の現代インフラ」が隠されていた。
「お母様、アリア、お花摘み(トイレ)に行きたい……」
「ええ。レオン君、アリアを奥の『レストルーム』へ連れて行ってあげて」
レオンに手を引かれてトイレに入ったアリアだったが、そこは従来の異世界の「不衛生で臭い便所」とは全く次元が違う空間だった。
大理石でピカピカに磨かれた床。魔導ランプで明るく照らされた個室。そして何より――。
「すごい! レバーを引いたら、お水がジャーって流れて、あっという間に綺麗になっちゃった!」
「水洗トイレ」の導入である。
地下に張り巡らされた下水道と、浄化作用を持つ「水スライム」を組み合わせた、異世界最高峰の衛生設備。
これによって、多数の人間が集まる商業施設でも、悪臭や伝染病のリスクを完全にゼロに抑えることに成功したのだ。
「奥様! こりゃあとんでもねえ施設ですぜ! 他国の商人も、王都の貴族も、みんなこのモールに来たくて辺境領への移住を希望してるって話です!」
ガストン親方が、興奮冷めやらぬ様子で報告してくる。
「ふふっ。当然ですわ。衣食住のすべてが完璧に揃い、圧倒的な衛生環境とエンターテインメントがある。ここが世界で一番、最高に快適な『居場所』なのですから」
リアーナは、アイスクリームを頬張るアリアと、それを優しく見守るレオンとクラウスの姿を見て、心底満足そうに目を細めた。
* * *
しかし、そんな平和で幸せな昼下がりは、王都からやってきた一羽の伝書鳩によって打ち破られることとなる。
その日の夕刻。
辺境伯邸の執務室に、レオンとヴァンス団長、そしてクラウスとリアーナが集められていた。
「……王都からの緊急の知らせだ」
クラウスの表情は、極めて険しかった。
「一週間前、国王陛下が崩御された。……そして、以前から対立していた第一王子と第二王子の間で、王位を巡る泥沼の『後継者戦争』が勃発したそうだ。王都は今、血で血を洗う内乱状態に陥っている」
「内乱……! 王都の民はどうなっているのですか!?」
レオンが顔を青ざめさせて身を乗り出した。彼は学園時代を王都で過ごし、ジュリアンをはじめとする友人たちがいるのだ。
「民の生活など二の次になっているだろう。両陣営とも、兵力と資金の確保に必死だ。
……そして案の定、我がクラウゼヴィッツ家に対し、第一王子と第二王子の双方から『自陣営に加担し、兵力と資金を提供せよ。
さもなくば反逆とみなす』という脅迫まがいの親書が同時に届いた」
クラウスが机の上に放り投げた二通の書状を見て、ヴァンス団長がギリッと歯を食いしばった。
「ふざけた真似を……! 大災厄の時には王都から一兵もよこさなかったくせに、自分たちの権力争いになった途端、辺境領の豊かな財力と最強の軍をアテにするとは!」
「ですが、無視すればどちらが王になっても、辺境領は『朝敵』として討伐軍を差し向けられます。……お父様、どうしますか」
レオンが若将軍としての冷静な視点で問いかける。
重苦しい空気が執務室を包む中。
「――何を悩む必要がありますの?」
パチン、と。
扇子を閉じる小気味良い音が響き、リアーナが優雅に立ち上がった。
彼女の瞳には、かつて王都の夜会で腐敗貴族たちを震え上がらせた、あの「稀代の悪女」としてのゾクゾクするような冷たい炎が燃え上がっていた。
「私の愛する家族と、領民たちが笑って暮らすこの尊い居場所を、王族の泥遊び(内乱)なんかに巻き込ませると思って? ……第一王子だろうが第二王子だろうが、関係ありませんわ。どちらにも加担などいたしません」
「しかしお母様! それでは王都を敵に回すことに……」
「レオン君。王都が私たちを討伐する? 不可能ですわ。なぜなら、今の王都の経済も、食料も、医療も……すべて私たちが握っているのですから」
リアーナは不敵な笑みを浮かべ、机の上に辺境領と王都を結ぶ「鉄道網」の地図を広げた。
「いいこと? 明日から王都へ向かうすべての『魔法鉄道』を無期限で停止させます。さらに、フロンティア・モールから王都の貴族へ輸出していた化粧品、温室の食料、すべての特効薬の出荷を【完全凍結】いたしますわ」
「こ、完全凍結……!? それはつまり……『経済制裁(兵糧攻め)』ですか!?」
ヴァンス団長が息を呑んだ。
「その通りよ。たった一週間。一週間もすれば、美味しい食事と便利な生活に慣れきった王都の貴族たちは、物資不足と生活レベルの低下に耐えきれず、勝手に内乱どころではなくなるわ。……その上で、私たちが王家に突きつける条件は一つ」
リアーナは扇子の先で、地図上の「辺境領」の境界線をグルリとなぞった。
「【辺境領の完全なる不可侵・独立特権の承認】。これ以上の干渉をするなら、王都の経済を根底から干上がらせて差し上げますわよ、とね」
圧倒的な物流網と経済力を盾にした、血を流さない完璧な制圧戦術。
武力ではなく、相手の「生活水準(胃袋と快適さ)」を人質に取るという、現代の経済制裁を熟知したリアーナにしかできない、とてつもなく悪辣で、そして最高に鮮やかな反撃の一手であった。
「……ははっ! さすがはお母様だ。どんな軍略家も、お母様の頭脳には一生敵わないや」
レオンが感嘆の笑みを漏らし、ヴァンス団長も「全くです! 腕が鳴りますな!」と顔を輝かせた。
* * *
その日の夜。
子供たちを寝かしつけ、静寂に包まれた主寝室のバルコニーで、リアーナは夜風に当たっていた。
街には魔導ガス灯の温かい光が灯り、平和な夜の景色が広がっている。
背後から、クラウスの大きな腕がスッと伸びてきて、リアーナの腰を抱き寄せた。
「……本当に、君は恐ろしくて、誰よりも頼もしい私の妻だ」
四十代に差し掛かり、ますます深みを増したクラウスの低い声が、耳元をくすぐる。
「あら、旦那様。王族に逆らう極悪非道な妻で、幻滅なさいましたか?」
「幻滅などするものか。君がどんなに悪女に振る舞おうと、その根底にあるのは『私たち家族と領民を守る』という、誰よりも深い愛情だと、私は一番よく知っている」
クラウスはリアーナを振り返らせると、その腰を抱き上げ、バルコニーの手すりにそっと座らせて、自分と視線の高さを合わせた。
六年が経っても、いや、時を重ねるごとに、この男の「妻への溺愛」と過保護っぷりは増していく一方だ。
「レオンも、立派な青年に育った。アリアも、君に似てとても賢く元気に育っている。……私は、君が作り上げてくれたこの宝物のような日々を、何があっても守り抜く」
クラウスの氷のように美しい青い瞳が、夜の闇の中で真っ直ぐにリアーナを見つめる。
「王都が軍を向けてくるなら、私がすべて斬り伏せよう。だが、君の完璧な『経済制裁』の前には、私の剣の出番すらなさそうだな」
「ふふっ。旦那様は、私の隣でただドッシリと構えて、圧倒的な威厳を放っていてくだされば、それで十分ですわ。私たちは、最強の夫婦ですもの」
リアーナがクラウスの首に腕を回すと、クラウスは彼女の唇に、熱く、そして甘く蕩けるような深い口づけを落とした。
1回目の人生で「稀代の悪女」として追放され、孤独に死んだ公爵令嬢。
しかし、彼女が2回目の人生でその「悪女の手腕」を家族のためにフル活用した結果――辺境領は今、王都の権力すら及ばない「完全なる最強の独立国家」へと最後の一歩を踏み出そうとしていた。
「さあ、王都の皆様。私たちの平和な居場所を乱した罰、たっぷりと味わっていただきますわよ」
甘いキスの合間に浮かべたリアーナの微笑みは、魔導ガス灯の光よりも眩しく、そして不敵に輝いていた。




