精霊の森と、悪役令嬢の「グランピング」計画
「……旦那様。いくら何でも、これはやりすぎではありませんこと?」
「何を言うんだリアーナ。森の中は木の根や石が転がっていて危険だ。君の足に負担をかけるわけにはいかない」
辺境領の北端に広がる、深い緑に包まれた「精霊の森」。
そこを進む調査隊の先頭で、リアーナは深いふため息をついていた。
なぜなら彼女は今、自分の足で歩くことを許されず、クラウスがガストン親方に徹夜で作らせた「超特注・妊婦用クッション神輿」の上に鎮座させられていたからだ。
フカフカの羽毛クッションが敷き詰められたその神輿を、最強の辺境騎士たちが四人がかりで慎重に担いでいる。
その後ろを、クラウスが血走った目で「少しでも揺らしたら減給だぞ!」と見張っているのだ。
「お母様、乗り心地はどう? ぼくが前に立って、邪魔な枝は全部切り払うから安心してね!」
神輿のすぐ前では、十一歳になり、すっかり背も伸びて少年から青年へと向かい始めているレオンが、騎士用の小さな剣を構えて頼もしく微笑んでいる。
(……はぁ。過保護な旦那様に加えて、すっかり『頼もしいお兄ちゃんモード』に入ったレオン君まで。私、悪役令嬢というより、完全に腫れ物扱いじゃないの)
とはいえ、愛する家族からの重すぎる愛情に、リアーナの口元は自然と綻んでいた。
一行が森の奥深くへと進むと、次第に空気が変わり始めた。
ひんやりとしていた森の空気が、ふわりと温かく、そして微かな硫黄の香りを帯びてきたのだ。
「皆様、止まって! 着きましたわ!」
リアーナの合図で神輿が下ろされる。
クラウスのエスコートで立ち上がったリアーナの目の前には、息を呑むような光景が広がっていた。
巨大な古代樹の根元から、こんこんと湧き出す透明なお湯。
それが段々畑のような天然の岩風呂を形成し、立ち上る白い湯気が、木漏れ日を受けてキラキラと幻想的に輝いている。
「すごい……! 本当に、森の中から熱い水が湧き出しているぞ!」
レオンが目を丸くして歓声を上げる。
「これが『温泉』ですわ。大地の奥深くの熱で温められた、ミネラルたっぷりの魔法のお湯。適度に浸かれば血流が良くなり、傷や疲労を治す『湯治』の効果がある究極のリラクゼーション施設ですのよ」
リアーナが前世の知識(温泉療法)を解説して得意げに微笑んだ、その時だった。
『……帰れ、人間の子らよ』
ふいに、森の奥から鈴を転がしたような、しかし強い拒絶を伴う声が響き渡った。
ハッとして騎士たちが剣を抜く。
湧き出す温泉の湯気の中から、淡い光を放つ無数の小さな光の玉と、その中心に立つ、半透明の美しい鹿のような姿をした「大精霊」が姿を現した。
『我らの聖域を荒らすな。人間はいつも、森の木を切り倒し、大地を汚す。これ以上近づくなら、容赦はしない』
大精霊の角から、パチパチと威嚇するような魔力の火花が散る。
「精霊よ、待ってくれ! 我々は森を荒らしに来たわけではない!」
クラウスがリアーナを庇うように前に出て叫んだが、大精霊は冷ややかな瞳で首を振った。
『嘘だ。人間の欲望には際限がない。……かつて、お前たちのその愚かな争い(大災厄)のせいで、この森も一度、炎に包まれて焼け落ちたではないか』
その言葉に、クラウスやレオンは「一度焼け落ちた?」と首を傾げた。辺境の森が大規模な火事になった記録などないからだ。
しかし、リアーナだけは違った。
彼女はハッとして息を呑み、大精霊の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
(一度焼け落ちた……それは、1回目の人生の記憶……!)
大精霊は、リアーナの姿をじっと見つめると、その冷たかった瞳に微かな驚きと、慈愛の色を浮かべた。
『……ああ。そういうことか。お前は……あの炎の夜、すべてをやり直したいと、魂の底から強く願った娘だな』
「……っ! あなたは、知っているのですか!? 私がなぜ、あの日からやり直す(回帰する)ことができたのかを!」
リアーナの問いかけに、クラウスが驚いて振り返る。
大精霊は静かに頷き、語り始めた。
『あの夜。大災厄の魔物と人間の戦争によって、この森の命も燃え尽きようとしていた。その時、遠くの氷の館から、強烈な【後悔】と【愛する者たちを救いたい】というお前の魂の叫びが、森の最深部に届いたのだ』
『我ら精霊の最後の魔力と、お前の魂の願いが共鳴し……時の川を逆流させる奇跡(回帰)を起こした。……だが、奇跡の代償として大地の魔脈は乱れ、今こうして、行き場を失った熱が温泉として噴き出してしまっているのだ』
「……そんな……」
リアーナは言葉を失った。自分が今こうして幸せな2回目の人生を歩めているのは、この森の精霊たちが最後の力を振り絞ってくれたおかげだったのだ。
「リアーナ……。君は、そんな重い秘密をずっと一人で抱えていたのか……?」
クラウスが、震える声でリアーナの肩を抱き寄せた。
1回目の人生で彼自身が死に、リアーナも孤独に死んだという事実。
それを彼女だけが記憶し、二度と同じ悲劇を繰り返さないために、一人で必死に戦い続けていたのだと、彼はようやく理解したのだ。
『人間よ。我々の魔力はもう残り少ない。魔脈の乱れを止められなければ、この森はいずれ枯れ果てるだろう。……さあ、立ち去れ』
大精霊が悲しげに目を伏せた。
しかし、リアーナはクラウスの腕の中で、力強く首を振った。
「いいえ。立ち去りませんわ!」
リアーナはクラウスの腕から離れ、大精霊の前に堂々と進み出た。その顔には、「稀代の悪女」としての不敵で、誰よりも頼もしい笑みが浮かんでいた。
「森が枯れる? 馬鹿なことを仰らないで。私に二度目の命と、この愛する家族をくれた大恩人(精霊)を、私が見殺しにするはずがありませんわ!」
『……娘よ、何をする気だ? 魔脈の乱れは、人間の魔法ではどうにもならない』
「魔法なんて使いません。私の『現代スキル』で、自然と人間が完璧に共存する究極の環境を作り上げますわ。……ガストン親方! 出番よ!」
「おうさ! 待ってましたぜ、奥様!」
後ろで控えていたガストン親方が、大量の羊皮紙(設計図)を広げた。
「いいこと、精霊たち! 魔脈の熱が暴走しているなら、私たちがその熱を正しく『循環』させてあげるわ。この森の木を一本たりとも切り倒すことなく、温泉の熱を利用した『エコ・リゾート』を建設するのよ!」
リアーナが提示したのは、前世の現代における「パーマカルチャー(持続可能な循環型環境設計)」の概念だった。
「まず、森の景観を壊すような四角い建物は作らないわ。木々の間に、球体の『ジオデシック・ドーム(ドーム型テント)』を張るの。三角形の骨組みを組み合わせることで、最小限の資材で最大限の強度と空間を作り出せるわ!」
これは現代の「グランピング(グラマラス・キャンピング)」の王道スタイルである。
「さらに、巨大な古代樹には『ツリーハウス』を設置するけれど、木に直接釘は打たないわ。
特殊な摩擦ボルトを使って、木の成長を妨げずに固定するのよ。
そして、湧き出した温泉のお湯を、森の景観に溶け込む竹のパイプで各テントの床下に通し、地熱(床暖房)として利用して魔脈の熱を穏やかに放出させるの!」
森を切り拓くのではなく、森の形に合わせて人間がお邪魔する。
その圧倒的な「自然へのリスペクト」と「緻密な建築理論」に、大精霊は目を見張った。
『……自然を壊さず、共に生きるだと? 人間に、そのような繊細な真似ができるというのか』
「できますわ。私が誰だと思っているの? この世で一番有能な、辺境伯夫人ですのよ」
リアーナが悪女らしくウインクをして見せると、大精霊はフッと優しく微笑み、その角から光の粒子を降らせた。
『……よかろう。奇跡の子よ。お前のその手腕、見せてもらうとしよう』
「ええ、任せてちょうだい! さあ皆様、世界一癒やされるマタニティ&精霊リゾートの建設、スタートですわよ!」
* * *
それから数週間。
辺境軍と職人たち、そして森の精霊たちが協力するという前代未聞の建設プロジェクトは、驚異的なスピードで進行した。
十一歳のレオンは、持ち前の身軽さを活かしてツリーハウスの足場作りを手伝い、精霊の小さな光の玉たちとすっかり仲良くなっていた。
「お母様! 見て、精霊さんたちが木の実を運んで手伝ってくれてるよ!」
「ふふっ、怪我しないように気をつけるのよ、レオン君」
リアーナは妊婦であるため重労働は避け、ハンモックに揺られながら現場の指揮を執っている。
そして完成した「精霊の森のグランピング・リゾート」は、まさに夢のような空間だった。
古代樹の間に浮かぶ、星空を眺められる透明なドームテント。
温泉の熱を利用した床暖房で、夜でもふんわりと温かい。
湧き出す温泉は、ヒノキの香りが漂う極上の露天風呂へと整備された。
その日の夕暮れ。
リアーナは、完成したばかりの露天風呂の縁に腰掛け、足だけをお湯に浸ける「足湯」を楽しんでいた。
全身浴は妊婦の身体に負担がかかる可能性があるため、現代の医療知識を持つリアーナは、安全な足湯でリラックスすることを選んだのだ。
「……ふぅ。最高ですわね。血の巡りが良くなって、足のむくみがすーっと取れていくわ」
ポカポカとした温かさに目を閉じていると、背後からザク、ザク、と落ち葉を踏む足音が近づいてきた。
「リアーナ。少し、隣に座ってもいいか?」
「旦那様。ええ、もちろん」
クラウスが、リアーナの隣に腰を下ろし、同じように足をお湯に浸けた。
夕日に染まる森の木々と、幻想的に立ち上る温泉の湯気。
しばらく無言でその景色を眺めていたクラウスだったが、やがて、リアーナの手をそっと握りしめた。
「……リアーナ。大精霊から、過去の君の記憶の話を聞いた時……私は、自分の不甲斐なさに絶望したよ」
クラウスの声は、微かに震えていた。
「一回目の人生で、私は君を愛そうともせず、孤独の中に置き去りにした。そして、この領地も君も守れずに死んだ。……そんな最低な私を、君は二回目の人生で見捨てることもできたはずなのに……どうして、私を助け、こんなにも温かい家族にしてくれたんだ?」
後悔と自責の念で押しつぶされそうになっているクラウス。
リアーナは、繋いだ彼の手を両手で包み込み、優しく微笑んだ。
「見捨てるなんて、できるはずがありませんわ。だって旦那様は、不器用なだけで、誰よりも領地と家族を想う、優しくて強い方だと知っていましたもの」
リアーナはクラウスの肩にそっと頭を預けた。
「1回目の人生の私は、ただの我儘な子供でした。でも、今の私には、旦那様を、レオン君を、そしてお腹のこの子を守る力(知識)があります。……だから、謝らないでくださいませ。私は今、世界で一番幸せな妻ですわ」
「リアーナ……っ」
クラウスはリアーナの細い肩を引き寄せ、彼女の髪に顔を埋めた。
温泉の温もりよりも熱い、彼の吐息と体温がリアーナを包み込む。
「……誓うよ。君が私にくれたこの二度目の命と、すべての愛をかけて。君が過去の記憶を思い出す暇もないくらい、これからの生涯、君を甘やかし、絶対に幸せにしてみせる」
「ふふっ。旦那様の過保護には、もう十分すぎるほど甘やかされていますわよ?」
「まだ足りない。私の愛情は、温泉の湧き水のように無限だからな」
クラウスは愛おしそうに囁くと、リアーナの顎をそっと持ち上げ、夕暮れの森の中で、深く、甘く蕩けるような口づけを交わした。
大地の温もりと、精霊たちの優しい光に包まれて。
回帰の秘密という重い過去を乗り越えた二人の絆は、もうどんなことがあっても揺らぐことはない。
お腹の新しい命とともに、悪役令嬢が作り上げる「究極の癒やし(エコ・リゾート)」は、家族と領民たちに、永遠の春のような温もりをもたらし続けるのだった。




