大災厄の終焉と、悪役令嬢の「白夜の照明戦術(サーチライト)」
辺境・帝国連合軍がバルバロッサ要塞を拠点に反撃を開始して、さらに十日が経過した。
リアーナの「規格化された武器」と「圧倒的な兵站(食料補給)」によって、帝国兵たちの士気は最高潮に達し、大災厄の魔物たちは徐々に国境の深い谷底へと追い詰められていった。
しかし、最終決戦を前にして、要塞の作戦会議室には重苦しい空気が漂っていた。
「……偵察部隊からの報告によると、谷底に追い詰めた魔物たちが、巨大な『大喰らい(ベヒーモス)』を筆頭に数万の群れを形成し、今夜、最後の特攻を仕掛けてくるようです」
バルデス将軍が、巨大な地図を指差しながら苦渋の表情で語った。
「今夜は、月明かりすらない新月です。魔物たちは暗闇でも目が見えますが、我々人間は松明の僅かな光しか頼るものがありません。暗闇での乱戦になれば、いくら腹が満たされて武器があろうと、甚大な被害が出ます……!」
闇夜の戦闘。それは、人間の軍隊にとって最も恐れるべき絶望的なシチュエーションである。
1回目の人生の記憶――炎と暗闇の中で、魔物の波に呑まれて死んでいったクラウスの姿が、リアーナの脳裏にチクリとフラッシュバックした。
しかし、今の彼女は「何もできなかった公爵令嬢」ではない。
「……何を暗い顔をしていますの、皆様」
リアーナはパチンと扇子を鳴らし、会議室の沈黙を破った。
「暗闇が怖いなら、昼間のように『明るく』すればいいだけではありませんか」
「ク、クラウゼヴィッツ夫人。しかし、どれだけ松明を焚いても、広大な戦場を照らすことなど不可能です」
「松明なんて、原始的なものは使いませんわ。私の『鉄の竜(蒸気機関車)』は、ただの運び屋だと思って?」
リアーナの瞳には、前世のクリエイターとしての知的好奇心と、愛する夫を絶対に死なせないという執念の炎が燃え上がっていた。
「ガストン親方を呼びなさい。これより、『白夜作戦』を開始いたしますわ!」
* * *
その日の夕刻。
要塞の城壁の上に、リアーナの指示で奇妙な巨大装置がいくつも設置されていた。
さらに、要塞の前に敷かれた線路の上には、蒸気機関車の「先頭車両」が切り離されて配置されている。
その車両の正面にも、巨大なガラス張りの装置が取り付けられていた。
「奥様、おっしゃる通りにパラボラ型の反射板を磨き上げ、中心に最大級の『光の魔力石』をセットしやした!」
煤で顔を真っ黒にしたガストン親方が、自信満々に報告する。
「ご苦労様、ガストン親方。第一部の視察の時に作った『氷のイルミネーション』の原理の特大版よ。……曲面鏡の焦点に強烈な光源を置くことで、光の束が拡散せず、何キロも先まで届く真っ直ぐな『光の柱』になるわ」
前世の現代戦術における「探照灯」の概念である。
さらに機関車に積まれたものは、蒸気機関のタービンを回して光の魔力石に魔力を過剰供給させる、超巨大な投光器であった。
やがて、太陽が完全に沈み、新月の漆黒の闇が戦場を包み込んだ。
『グルルルルッ……!』
『ギャァァァァッ!!』
谷底から、地鳴りのような魔物たちの咆哮が響き渡る。
暗闇に紛れ、人間の視界を奪った状態で一気に要塞を食い破ろうとする数万の魔物の大群が、漆黒の波となって押し寄せてきたのだ。
城壁で構える帝国兵たちが、見えない恐怖に思わずゴクリと息を呑んだ。
その時。
最前線に立つクラウスが、剣を天高く掲げた。
「恐れるな! 我らの背後には、戦場の女神がついている!! ……リアーナ、頼む!!」
指揮所で戦況を見つめていたリアーナは、力強く頷き、総員に号令をかけた。
「全機、点灯!!」
ガチャンッ!! と、城壁と機関車のスイッチが一斉に押し込まれた。
次の瞬間――。
「「「――ッ!!!!??」」」
漆黒の闇夜が、文字通り「消滅」した。
機関車と城壁に設置された数十基の巨大なサーチライトから、何十万ルーメンという凄まじい光の束が放たれ、眼下の戦場を『真昼』のように白日の下に晒したのだ。
「ギ、ギャァァァァッ!!?」
「グルァァァァッ!?」
突然の強烈な光の暴力に、暗闇に特化していた魔物たちの網膜が焼かれ、彼らはパニックに陥り、目を押さえて地面にのたうち回った。
光の束は逃げ惑う魔物たちを正確に照らし出し、暗闇という彼ら最大の武器を完全に無力化してしまったのだ。
「な……なんだ、この圧倒的な光は……! 昼間より明るいぞ!!」
バルデス将軍をはじめとする帝国兵たちは、背後から放たれる神々しい光の柱に驚愕し、そして、歓喜の雄叫びを上げた。
「魔物どもが丸見えだ! しかも目眩ましで動けなくなっているぞ!!」
「女神の光だ! クラウゼヴィッツ夫人の魔法が、俺たちを照らしてくれている!!」
リアーナがトランシーバー代わりの魔導具で、クラウスに通信を入れる。
『旦那様! 視界は完全に確保いたしましたわ! あとは、辺境の猛将の力、存分に見せつけていらっしゃい!』
『ああ。愛しているよ、リアーナ!』
光の柱のど真ん中、漆黒の甲冑を纏ったクラウスが、まるで光の神の化身のように輝きながら最前線へと飛び出した。
「全軍、突撃ぃぃぃっ!! 大災厄に、終止符を打つぞ!!」
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
リアーナの「白夜作戦」によって、戦局は一方的な蹂躙劇へと変わった。
目潰しを食らい、同士討ちを始める魔物の大群を、栄養満点で体力を持て余した連合軍が次々と刈り取っていく。
そして、戦場の中央。
山のように巨大なボス魔物「大喰らい(ベヒーモス)」が、サーチライトの光に怒り狂い、機関車に向けて突進しようとした。
「させんッ!!」
クラウスが、地を蹴り、驚異的な跳躍でベヒーモスの頭上へと飛び上がった。
月明かりのない夜空に、銀色の髪と、リアーナのサーチライトの光を受けて煌めく剣の軌跡が、美しい十字を描く。
「我が妻の光(居場所)を脅かす者は、この私が全て斬り伏せる!!」
ズバァァァァンッ!!
凄まじい轟音とともに、クラウスの剣がベヒーモスの巨大な首を両断した。
ドスゥゥゥンッ……!! と、大地を揺らして巨体が崩れ落ちる。
ボスの討伐を知らせる歓声が、昼間のように明るい戦場に木霊した。
――1回目の人生で、リアーナを絶望の底に叩き落とした「大災厄」。
それは、リアーナ自身の「現代の知識」と「圧倒的な兵站」、そして彼女が誰よりも愛する「最強の夫」の剣によって、一人の犠牲者も出すことなく、完全にねじ伏せられたのである。
* * *
夜が明け、本物の朝陽が戦場を照らし始めた頃。
魔物の死骸が片付けられ、勝利の歓声に沸くバルバロッサ要塞の門前に、最前線からクラウスが帰還した。
「旦那様……!」
指揮所から駆け下りてきたリアーナは、ドレスの裾が汚れるのも構わず、彼のもとへ走った。
クラウスは剣を放り投げると、リアーナの細い身体を両腕でしっかりと受け止め、そのままグルリと宙に抱き上げた。
「リアーナ……っ。勝った。君の光が、私の命を、そして数万の兵士の命を救ってくれたんだ」
「旦那様……っ、クラウス様……っ!」
クラウスの温かい体温と、力強い鼓動。
1回目の人生の記憶の中で、炎に包まれて冷たくなっていった彼の姿が、今、完全に温かい現実の光によって上書きされ、消え去っていくのを感じた。
リアーナの瞳から、安堵と喜びに満ちた大粒の涙が溢れ出し、クラウスの胸元を濡らす。
「泣かないでくれ、私の女神」
クラウスは優しくリアーナを地面に下ろすと、手袋を外した大きな手で、彼女の涙をそっと拭った。
そして、周囲で何千人という兵士たちが見守る中、誰の目も憚ることなく、リアーナの唇に深く、長く、愛に満ちたキスを落とした。
「愛している。君が私の妻でいてくれるなら、私は神にでも悪魔にでも打ち勝ってみせる」
「……私も。愛しておりますわ、私の世界一の騎士様」
要塞中から、割れんばかりの拍手と指笛、「クラウゼヴィッツ辺境伯ご夫妻、万歳!!」という大歓声が巻き起こる。
こうして、ガルディア帝国を滅亡の淵から救った「辺境の悪役令嬢」の伝説は、大陸全土へと轟くこととなったのである。
* * *
数日後。
大災厄の完全鎮圧を受け、ガルディア帝国の皇帝自らがバルバロッサ要塞へと赴き、リアーナとクラウスに最大の感謝と「同盟の証」を捧げた。
「我が帝国は、クラウゼヴィッツ家への永遠の不可侵と、鉄道および物資の専売特権を約束しよう。辺境領はもはや一介の領地ではなく、我ら帝国と対等なる『大国』である」
皇帝の宣言により、辺境領は王都からの干渉すら受け付けない、事実上の「超・独立経済圏」としての地位を確立したのだ。
そして、すべての後処理を終えた二人は、魔法鉄道に乗って、愛する家族の待つ王都のタウンハウスへと凱旋した。
「お父様! お母様!」
玄関の扉が開くや否や、飛びついてきたのはレオンだった。
「おかえりなさい! ぼく、ずっとアーサーにお祈りしてたんだよ!」
「ただいま、レオン。お前が立派に留守を守ってくれたおかげで、無事に帰ってくることができた」
クラウスがレオンを高く抱き上げ、リアーナもその背中を優しく撫でた。
激動の戦場から、温かく、甘い香りのする「日常」への帰還。
これこそが、リアーナが何よりも守りたかった「居場所」だった。
* * *
その夜。
レオンを寝かしつけた後、リアーナは寝室のベッドで、クラウスの腕の中にすっぽりと包まれていた。
「……信じられないな。つい数日前まで、血みどろの戦場にいたというのに。こうして君の温もりと甘い香りを感じていると、すべてが夢だったかのようだ」
クラウスが、リアーナのプラチナブロンドの髪を指に絡めながら、愛おしそうに囁く。
「夢ではありませんわ。私たちが二人で、そして家族みんなで勝ち取った現実ですもの」
リアーナがクラウスの胸板に顔をすり寄せると、クラウスは彼女の身体をさらに強く抱きしめ、首筋や肩に熱いキスを何度も落とした。
「……リアーナ。私は、君にいくら感謝しても足りない。だから、これからの生涯をかけて、君のすべてを愛し、甘やかし、絶対に手放さないと改めて誓わせてくれ」
過保護な夫の、重すぎるほどの愛情表現。
リアーナはくすぐったさに身をよじりながらも、ふと、自分の下腹部にそっと手を当てた。
「だ、旦那様……。私を甘やかすのは大歓迎ですけれど、あまり激しく抱きしめられると、困ってしまうかもしれませんわ」
「……え? どこか、具合でも悪いのか!?」
過保護スイッチが入ったクラウスが、バッと身を起こして慌てふためく。
リアーナはクスクスと笑い、クラウスの大きな手を引き寄せて、自分の下腹部へとそっと重ねた。
「具合が悪いのではありませんわ。……まだ確証はありませんけれど、もしかしたら、この辺境領に『新しい家族』が増えるかもしれない、ということですのよ」
「――っ!!」
クラウスの動きが、完全にピタリと止まった。
彼の青い瞳が限界まで見開かれ、そして、ゆっくりと、その目からポロポロと涙が溢れ出した。
「ほ、本当か、リアーナ……? 私と君の、子供が……?」
「ええ。野戦病院で色々な薬草を調合していた時に、自分の体の変化に気づきましてよ。……旦那様? なぜ泣いていますの?」
「いや……嬉しくて……っ。愛する君が、私にこれほどまでの幸せを与えてくれるなんて……っ!」
最強の騎士が、まるで子供のように声を上げて泣きながら、リアーナのお腹を壊れ物のように優しく撫で、そしてリアーナの唇に、何度も何度も感謝のキスを降らせた。
「……ああ、忙しくなりますわね」
リアーナは夫のキスを受け入れながら、窓から見える星空を見つめて幸せなため息をついた。
大災厄を乗り越え、最強の領地と完璧な家族を手に入れた悪役令嬢。
しかし、彼女の次なる戦いは「異世界における現代マタニティ・子育て環境の構築」。そして、思春期を迎えるレオンとの絆の再確認である。
「稀代の悪女」の幸せな手腕発揮は、新しい命の誕生とともに、さらなる波乱と愛に満ちたステップへと進んでいくのだった。
(第3部:帝国動乱と物流革命編・完 ~第4部:マタニティ&リゾート開発編へ続く~)




