飢餓の城塞と、悪役令嬢の「完璧なる兵站(ロジスティクス)」
辺境伯軍が魔法鉄道によってバルバロッサ要塞に到着し、野戦病院の環境を劇的に改善してから数日が経過した。
隔離と徹底した衛生管理のおかげで、要塞内で猛威を振るっていた疫病(黒死病)の感染拡大は完全に制圧された。
しかし、砦の外では依然として、大災厄によって凶暴化した魔物たちの波状攻撃が続いていた。
「くっ……! 剣が刃こぼれして、使い物にならん!」
「腹が減って、力が出ない……。配給の黒パンは石のように硬く、スープはただの塩水だぞ……」
最前線の城壁で戦う帝国兵たちの士気は、限界に達しようとしていた。
魔物の大群を要塞内に侵入させないよう、日夜剣を振り続けているものの、彼らの武器はボロボロに欠け、極度の飢餓と疲労によって立っているのすらやっとの状態だったのだ。
指揮所で報告を受けたバルデス将軍が、苦渋の表情で天を仰いだ。
「……兵士たちの気力が持たん。武器を修繕する鍛冶師も、まともな食料も、この要塞にはとうに尽きているのだ」
そこへ、プレハブの仮設病院の視察を終えたリアーナが、扇子をパチンと鳴らしながら現れた。
「あら、将軍。随分と暗い顔をしていますわね。野戦病院のベッドは空き始めましたのに」
「クラウゼヴィッツ夫人……。医療の面ではあなたに救われました。しかし、戦うための武器と食料がありません。このままでは、兵士たちは戦う前に餓死してしまいます」
将軍の悲痛な訴えを聞き、リアーナは呆れたように小さくため息をついた。
「将軍。あなたたちは、私が辺境領から『何』に乗ってやってきたか、忘れてしまったのかしら?」
「えっ……? て、鉄の竜(蒸気機関車)ですが……」
「そう。あれはただの乗り物ではありませんわ。毎日、決まった時間に辺境領から新鮮な物資を運び続ける『無限の補給線』ですのよ」
リアーナが不敵な笑みを浮かべた直後。
『ボーーーーーッ!!』
山脈の方角から、再びあの力強い汽笛の音が響き渡った。辺境領を出発した「補給列車(第二便)」が、わずか三日のスピードで要塞に到着したのだ。
「さあ皆様! 反撃の準備ですわよ! 私の用意した『極上の兵站』を存分に味わいなさい!」
* * *
リアーナの号令で、列車の貨車からおびただしい数の木箱が運び出され、城塞の中庭に積み上げられた。
「まずは武器の補充よ! 刃こぼれした剣を持った兵士は、一列に並びなさい!」
リアーナの指示に、帝国兵たちがボロボロの剣を持って並ぶ。
彼らは「新しい剣を配ってくれるのか?」と期待したが、木箱から出てきたのは、剣の『刃の部分だけ』が大量に詰まった束だった。
「いいこと? これはガストン親方の工房で作られた『規格化』された替え刃よ」
リアーナは兵士の剣を受け取ると、柄(持ち手)の根本にあるピンを外し、刃こぼれした部分をカシャンと抜き取った。
そして、木箱から新しい刃を取り出し、再びピンで固定する。
たった十秒で、新品同様の鋭い剣が完成した。
「な、なんだこれは!? 鍛冶師が熱して叩き直さなくても、一瞬で剣が元通りに……!」
驚愕する帝国兵たち。
異世界の武器は職人が一本ずつ手作りするため、刃と柄のサイズがバラバラであり、壊れれば丸ごと修理に出すしかなかった。
しかし、リアーナは前世の「工業製品の規格化(互換性パーツ)」の概念を導入し、全く同じサイズの刃を大量生産させていたのだ。
「柄の部分は壊れにくいのだから、刃だけを交換式(カートリッジ式)にすればいいのよ。これなら、戦場でも一瞬で武器を新品にできるわ」
「す、すげえ……! これならいくらでも戦えるぞ!」
さらにリアーナは、飢えに苦しむ兵士たちの前に、コロンとした「ガラス瓶」が大量に入った木箱を開けさせた。
中には、たっぷりの肉と野菜が煮込まれたシチューのようなものが詰まっている。
「次は食事よ! その瓶の蓋を開けて、中身を鍋に空けて温めなさい!」
言われた通りに兵士たちが瓶の中身を鍋で温めると、広場に食欲をそそるスパイスと肉の強烈な香りが立ち込めた。
「こ、これは……王都の高級レストランの匂いだ……! しかし奥方、こんな生肉や野菜の煮込みを辺境領から三日もかけて運べば、普通は腐ってしまうはずでは……!?」
バルデス将軍が驚愕の声を上げる。
「これは『瓶詰め(加熱殺菌保存)』という技術よ」
リアーナは得意げに扇子で口元を隠した。
「ガラス瓶に調理済みのシチューを詰めて、蓋を軽く閉めた状態で沸騰したお湯でグツグツと煮沸するの。そして瓶の中の空気が抜けた(真空状態になった)瞬間に蓋を完全に密閉すれば、中の菌は死滅し、数ヶ月経っても絶対に腐らない『極上の携帯食』が完成するのよ」
前世における「ニコラ・アペール」の瓶詰め発明と、レトルト食品の概念である。
温められた熱々のビーフシチューと、保存用の硬パンではなくフカフカの白パン(これも密閉保存されて運ばれてきた)を配られた帝国兵たちは、一口食べた瞬間、あまりの美味しさにその場で泣き崩れた。
「う、うおおおおんっ! うめええええっ! 涙が出るほどうめええ!」
「肉が柔らかい! 野菜が甘い! 俺たち、こんな美味いものを食べて、まだ戦ってもいいのか!?」
「ええ、腹が減っては戦はできませんもの。お腹いっぱい食べて、私の大切な旦那様の盾となって、魔物どもを蹴散らしてきなさい!」
リアーナが悪女らしく微笑むと、帝国兵たちは「うおおおおっ! クラウゼヴィッツ夫人のために!!」と、これまでにない異常な士気と熱狂で、最前線へと駆け出していった。
* * *
圧倒的な「兵站」の力で、要塞の空気が絶望から希望へと反転した、その時だった。
「ええい、どけ! この薄汚い平民ども!」
城塞の奥の安全な貴族専用エリアから、豪華な甲冑を着込んだでっぷりと太った男が、数人の護衛を引き連れて偉そうに歩いてきた。
帝国の軍務大臣、ギルバート公爵である。
彼は大災厄が始まって以来、最前線で戦うバルデス将軍たちを見捨て、ずっと安全な部屋に引きこもって震えていた臆病者だ。
ギルバート公爵は、兵士たちが食べているシチューの匂いを嗅ぎつけると、目を血走らせてリアーナの前に立ちはだかった。
「貴様が、辺境伯の妻だな! 見たこともない鉄の乗り物と、美味そうな食料を持ち込んでいると聞いたぞ!
すぐにその物資と、乗り物の全てを我が帝国軍――いや、この軍務大臣である私の『管理下』に置く手続きをしろ!
辺境の女が、帝国の陣地で勝手な真似をすることは許さん!」
自分は何一つ戦わず、安全になってから美味しいところだけを奪い取ろうとする、典型的な腐敗貴族の振る舞い。
バルデス将軍が顔を真っ赤にして怒鳴ろうとしたが、リアーナはそれをスッと手で制した。
「……私の物資を、あなたの管理下に置くですって?」
リアーナは冷たく、絶対零度の視線でギルバート公爵を見下ろした。
「ええ、そうです! 我が帝国の威信にかけて、貴様ら辺境の田舎貴族から物資を『徴発』してやるというのだ! 逆らうなら、帝国への反逆罪で……」
「馬鹿も休み休み仰いなさい」
ピシャァァンッ!! と、リアーナが扇子を激しく閉じる音が響き、公爵がビクッと肩を震わせた。
「あの魔法鉄道を動かせるのは、私の領地の機関士だけ。そして、この瓶詰め食料の製法を知っているのも私だけですわ。……いいこと? 補給線を握っている者が、戦場の支配者です」
リアーナは一歩前に出て、公爵を威圧した。
「私が『物資の供給を止める』と一言命じれば、この要塞は明日には飢餓地獄に逆戻りします。
……あなたの命の綱は、今、この私が握っているのよ。帝国への反逆罪? 上等ですわ。明日から野草でも食べて飢えをしのぎなさいな」
「なっ……! き、貴様、たかが女の分際で、この私を脅す気か! 衛兵! この女を捕らえろ!」
ギルバート公爵が金切り声を上げたが――周囲の帝国兵たちは、誰一人として動かなかった。
それどころか、チャキ、チャキ、と無数の剣が鞘から抜かれる音が響いた。
バルデス将軍をはじめとする歴戦の帝国兵たちが、全員、ギルバート公爵に切っ先を向け、リアーナを護るように立ちはだかったのだ。
「な、なんだお前たち! 上官への反抗か!」
「黙れ、ギルバート公爵。我々を飢えと病から救い、戦う力を与えてくださったのは、帝国ではなくクラウゼヴィッツ夫人だ!」
バルデス将軍が静かに、しかし凄まじい怒気を込めて言い放つ。
「夫人の髪の毛一本でも傷つけようとするならば、このバルデスが相手になるぞ!」
「「「クラウゼヴィッツ夫人に手出しはさせん!!」」」
死線を共にした兵士たちの殺気に囲まれ、ギルバート公爵は「ひっ……!」と情けない悲鳴を上げてその場にへたり込み、泡を吹いて気絶してしまった。
「ふふっ。私の圧倒的な物量と胃袋を掴む手腕の前に、肩書きだけの権力なんて紙切れ同然ですわ」
リアーナは優雅に微笑み、帝国兵たちに「さあ、シチューが冷めてしまいますわよ」と声をかけた。
* * *
その日の夕刻。
リアーナの規格化された武器と、完璧な栄養補給を受けた辺境・帝国の連合軍は、要塞に迫っていた魔物の大群を見事に押し返し、大勝を収めて帰還した。
「旦那様!」
城壁の門が開き、先頭で帰ってきたクラウスの姿を見つけるなり、リアーナはパタパタと駆け寄った。
クラウスはリアーナの姿を確認すると、魔物の返り血で汚れた漆黒のマントを素早く脱ぎ捨てて部下に渡し、清潔な騎士服の状態で、飛び込んできたリアーナを強く抱きとめた。
「ただいま、リアーナ。……驚いたよ。私が最前線で剣を振るっている間に、君は帝国兵たちの『胃袋』と『心』を完全に支配してしまったようだな」
クラウスは愛おしそうにリアーナの髪を撫でながら、低く甘い声で笑った。
「バルデス将軍から聞いたぞ。あの愚かな公爵を、圧倒的な威厳で一蹴したそうだな。……私が助太刀する隙もなかった」
「あら。旦那様には、最前線で私のために最高にかっこよく戦っていただくという、大切な役目がありますもの。それに、私の兵站を完璧にするには、旦那様が前線を維持してくださることが不可欠ですわ」
リアーナが見上げて微笑むと、クラウスの青い瞳が熱を帯び、彼女の腰を抱く腕の力がさらに強くなった。
「……君は本当に、恐ろしいほど有能で、誰よりも美しい私の妻だ。私以外の男たちが、君のその魅力に気づいて惹きつけられていくのが、誇らしくもあり……猛烈に嫉妬してしまうよ」
「だ、旦那様……っ。皆様が見ていますわ……」
周囲では、バルデス将軍や帝国兵たちが、圧倒的な強さを誇る二人のイチャイチャぶりを、まるで神話の英雄夫婦でも見るかのような羨望の眼差しで見つめている。
「構うものか。君が私のすべてだと、世界中に見せつけてやるさ」
クラウスはリアーナの顎をそっと持ち上げ、夕日に照らされる要塞の中庭で、深く、そして甘く蕩けるような口づけを交わした。
かつて、疫病と飢餓に苦しんでいた絶望の要塞。
しかし今は、リアーナの持ち込んだ「魔法鉄道」と「規格化・保存食」という現代インフラによって、誰もが笑顔で腹を満たし、希望に満ちた活気を取り戻している。
「大災厄」を完全にねじ伏せるまで、悪役令嬢の無双と、過保護な夫の溺愛は、戦場であろうと止まることはないのだった。




