大災厄の足音と、悪役令嬢の「魔法鉄道(ロジスティクス)」計画
王都学園での「PTA会長」としての大改革を終え、クラウゼヴィッツ家のタウンハウスに平穏な日々が訪れていたのも束の間。
王都の朝霧がまだ晴れきらない早朝、辺境伯邸の執務室の扉が激しく叩かれた。
「旦那様! 大至急、ご確認いただきたい書状が!」
血相を変えて飛び込んできたのは、辺境領から早馬を乗り継いでやってきたヴァンス騎士団長だった。
「どうした、ヴァンス。そんなに慌てて」
ガウン姿のクラウスが眉をひそめて受け取った書状には、黒い蝋で重々しい封がされていた。
それは、かつてリアーナが「ジオラマ」のプレゼンで通商条約を結ばせた軍事大国・ガルディア帝国からの特使、ルキウス大使からのものだった。
書状を一読したクラウスの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「……旦那様? 一体、何が書かれていたのですか」
不穏な空気を感じ取り、寝室から出てきたリアーナが尋ねる。
クラウスは震える手で書状を握りしめ、重い口を開いた。
「……ガルディア帝国で、原因不明の『黒死病(疫病)』が爆発的に流行しているそうだ。
さらに、疫病に当てられた北方の魔物たちが凶暴化し、数十万規模の『大暴走』を起こして帝国の国境を食い破りつつある。
……帝国は今、滅亡の危機に瀕している。ルキウス大使からの、非公式な『SOS(救援要請)』だ」
その言葉を聞いた瞬間。
リアーナの脳裏に、強烈なフラッシュバックが襲いかかった。
――赤く燃え盛る空。逃げ惑う人々の悲鳴。
――物資が尽き、ボロボロになりながらも最前線で戦い続け、最後は魔物の波に飲まれていった銀髪の騎士の最期。
――そして、炎に包まれた氷の館で、誰にも愛されずに孤独に死んでいった「1回目の人生」の自分。
(……思い出した。これが、私とクラウゼヴィッツ領を滅ぼした原因……『大災厄』の始まりだわ)
1回目の人生では、リアーナは領地経営に全く関与していなかったため、帝国の事情など知る由もなかった。
強大な軍事国家であったはずの帝国が、疫病で内部から崩壊し、防波堤としての機能を失った結果、おびただしい数の魔物が辺境領へと雪崩れ込んできたのだ。
「……リアーナ? 大丈夫か、顔色が悪いぞ」
クラウスが心配そうにリアーナの肩を支える。
その大きく温かい手から伝わる体温が、リアーナを過去の悪夢から現実へと引き戻した。
(……駄目よ。弱気になってどうするの。今の私には、この人を、この家族を、絶対に死なせないための『知識』と『手腕』があるじゃない!)
リアーナは両手でパンッと自分の頬を叩き、顔を上げた。その瞳には、かつてないほど強烈な「悪役令嬢」としての覇気が宿っていた。
「旦那様。今すぐ王都を発ち、辺境領へ戻りますわよ。帝国が崩壊すれば、次に魔物の標的になるのは私たちの領地です。帝国が持ち堪えている間に、私たちが大軍と物資を送り込み、大災厄を『帝国内』で完全に叩き潰しますわ!」
「しかし、帝国への道のりは遠く、険しい山脈を越えねばならない。馬車で軍と物資を運べば、片道で三週間はかかる。到着する頃には、兵は疲弊し、物資も尽きてしまうぞ」
「だから、馬車なんて遅くて非効率なものは使いませんわ」
リアーナは不敵に微笑み、扇子を広げた。
「素人は戦略を語り、プロは『兵站』を語るものですわ。私たちが三週間かかる道のりを、たったの『三日』で走破する、新しい道と乗り物を作ります!」
* * *
王都から特別仕立ての馬車で辺境領へととんぼ返りしたリアーナは、休む間もなくガストン親方をはじめとする工房の職人たち、そして土魔法を使える魔導士たちを総動員した。
「ガストン親方! これが今回の図面よ! 鉄を限界まで精製して、この『レール(軌道)』を山脈に沿って敷き詰めるの!」
リアーナが広げたのは、とてつもなく巨大な「鉄の道」と、その上を走る黒い鉄の塊の三面図だった。
「レール……? 奥様、この長細い鉄の棒を地面に敷いて、どうするんで?」
「摩擦を極限まで減らすのよ。土や石畳の道では、車輪が沈み込んで馬の力が無駄になるわ。でも、鉄のレールの上に、同じく鉄で作った『フランジ(脱線防止の出っ張り)』付きの車輪を乗せれば、少しの力で信じられないほどの重量を滑るように運べるの」
現代の物流の要、鉄道の概念である。
「そして、この鉄の馬車を引っ張る動力は、馬ではありません。この『蒸気機関』よ!」
リアーナは図面の中心、黒々とした巨大な機関車の心臓部を指差した。
「水を張った密閉容器の下で、辺境領の鉱山で採れる『火の魔力石』を燃やし続けるの。
水が沸騰して水蒸気になれば、体積は約1700倍に膨れ上がる。
その爆発的な蒸気の膨張力を、ピストンとシリンダーを使って車輪を回す『回転運動』に変換するのよ!」
石炭の代わりに高出力の魔力石を使った、異世界ハイブリッドの「蒸気機関車」。
前世で工業デザインの基礎を学んでいたリアーナの知識と、ガストン親方の異世界の鍛冶技術が融合した、文字通り歴史を変える発明であった。
「蒸気の力で、鉄の車輪を回す……!? な、なんてこった……! それが完成すりゃあ、馬なんか何百頭束になっても敵わねえ、無限の力で荷物を運べるってことか!」
ガストン親方の顔が、職人としての興奮で真っ赤に染まった。
「野郎ども、聞いたか!! 奥様の頭ん中にある『鉄の竜』を現実に引きずり出すぞ! 不眠不休で叩き上げろ!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
その日から、辺境領はかつてない熱狂に包まれた。
リアーナの指揮のもと、土魔法の使い手たちが帝国の国境へ向かって一気に大地を平らに均し、その上に職人たちが昼夜を問わず鉄のレールを敷き詰めていく。
同時に、温室では解熱作用のあるハーブや、免疫力を高める野菜が限界まで栽培・蒸留され、帝国へ送るための「特効薬」と「保存食」が山のように生産されていった。
* * *
作業開始から数週間後の、ある夜。
深夜の工房で、機関車のピストン部分の微調整に立ち会っていたリアーナの肩に、ふわりと温かい外套が掛けられた。
「……旦那様」
振り返ると、少し心配そうな顔をしたクラウスが立っていた。
「リアーナ。君は昨日も一睡もしていないだろう。私が代わるから、少し休んでくれ」
「平気ですわ。このピストンの噛み合わせが1ミリでも狂えば、蒸気が漏れて出力が落ちてしまいますもの。それに……時間がありませんわ」
リアーナが焦りを滲ませて言うと、クラウスは彼女の冷え切った両手を、自分の大きな手でそっと包み込んだ。
「君が何をそんなに恐れているのか、私にはわからない。だが……君は、まるで『私が死ぬ未来』を見ているかのように、必死に私を、この領地を救おうとしてくれているのだな」
ドキリ、とリアーナの心臓が跳ねた。
クラウスの青い瞳は、何もかもを見透かしているように真っ直ぐで、そしてどこまでも深い愛情に満ちていた。
「だ、旦那様……私は……」
「何も言わなくていい。君には君の秘密があるのだろう。だが、これだけは約束する」
クラウスはリアーナの額に、静かに、誓いを立てるように口づけをした。
「私は絶対に死なない。君が私にくれた、この温かい居場所と家族を残して、逝くはずがないだろう。……君が作り上げてくれたこの『鉄の竜』と、圧倒的な物資があれば、帝国の魔物など一息に踏み潰してみせる」
不器用だった氷の辺境伯の、あまりにも頼もしい言葉。
リアーナの瞳から、張り詰めていた糸が切れたように、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……ええ。そうですわね。私が設計した完璧なインフラと、世界最強の旦那様が負けるはずがありませんわ。……絶対に、生きて帰ってきてくださいませ」
クラウスは優しく微笑むと、涙を流すリアーナを強く抱きしめ、二人は静寂の工房の中で、互いの無事を祈るように深く口づけを交わした。
* * *
そして、運命の出陣の朝。
辺境領の新たな玄関口となる駅には、何両にも連なる漆黒の貨車を引いた、巨大な蒸気機関車が蒸気を上げて鎮座していた。
『ボーーーーッ!!』
空を震わせるような、力強い汽笛の音が響き渡る。
「お父様! お母様!」
王都の学園を一時休学し、見送りに駆けつけたレオンが、涙目でクラウスとリアーナの前に立った。
彼は自分のポケットから、一番の宝物である木彫りの騎士フィギュア「アーサー」を取り出し、クラウスの手にギュッと握らせた。
「アーサーが、お父様とお母様を守ってくれるよ! だから、絶対に無事で帰ってきてね!」
「ああ、ありがとうレオン。お留守番を頼んだぞ。お前はもう、立派な次期当主だ」
クラウスはレオンの頭を撫で、リアーナも息子をきつく抱きしめた。
リアーナは戦場の「野戦病院」の指揮を執るため、クラウスと共に帝国へ向かうのだ。
「さあ、全軍乗車!! ガルディア帝国を救い、我が領地に迫る大災厄を叩き潰すぞ!」
ヴァンス団長の号令とともに、鎧を着込んだ辺境伯軍の騎士たちが、次々と貨車へと乗り込んでいく。
彼らの顔に悲壮感はない。温かい寝袋、栄養満点の食料、そして何より、自分たちを数日で戦地へ送り届けてくれる「魔法鉄道」という圧倒的なチート技術を信じ切っているからだ。
「出発進行!!」
リアーナの合図とともに、魔力石の炎がボイラーの水を沸騰させ、巨大なピストンが唸りを上げた。
ガシャン! ガシャン! と重厚な金属音を響かせながら、鉄の車輪が力強く回り始める。
「すごい……! 馬もいないのに、こんなに巨大な鉄の塊が、矢のような速さで進んでいくぞ……!」
車窓から流れる景色を見て、騎士たちが感嘆の声を上げた。
三週間かかる過酷な雪山の行軍は、リアーナの現代スキルによって、暖房の効いた快適な「三日間の列車の旅」へと書き換えられたのである。
「ふふっ。待っていなさい、ガルディア帝国。傲慢な貴族たちも、大災厄も、まとめて私の『圧倒的な兵站』でねじ伏せて差し上げますわ!」
先頭車両で風を受けるリアーナの唇には、最高に美しく、自信に満ちた悪役令嬢の笑みが浮かんでいた。
過去のトラウマを乗り越え、愛する家族の未来を守るための、大陸全土を揺るがす壮大な戦いが、今、幕を開けたのだ。




