王都学園の憂鬱な昼休みと、悪役令嬢の「ビュッフェ」革命
王立魔法・科学学園における「昼休み」は、生徒たちの身分と財力が最も残酷に浮き彫りになる時間であった。
「ああっ、またお肉がパサパサ……。しかも、野菜はクタクタに煮込まれた謎の葉っぱだけだなんて」
学園の大食堂。視察と称して学園に入り浸っている「PTA会長(自称)」ことリアーナは、生徒たちに配給される昼食のプレートを見て、こめかみを押さえた。
高位貴族の子供たちは、専属の料理人が作らせた脂ギトギトの重たいローストミートや、砂糖をこれでもかと使った激甘のケーキを優雅に食べている。
一方、下位貴族や平民の特待生たちは、学園の厨房で作られた、塩辛いだけのスープとカチカチのパンを無言で胃に流し込んでいた。
(……最悪だわ。栄養バランスの概念が完全に崩壊している。これじゃあ、午後の授業で絶対に支障が出るわね)
前世の現代日本で、食育や栄養学の基本知識を身につけているリアーナにとって、この光景は「学習環境の放棄」に等しかった。
案の定、午後の歴史学の授業をこっそり覗いてみると、脂っこい肉と大量の砂糖を摂取した高位貴族の子供たちは、急激な「血糖値スパイク(上昇と下降)」を起こし、机に突っ伏して爆睡していたのだ。
「これでは、いくら私が万年筆とルーズリーフを与えても、宝の持ち腐れですわね」
リアーナはパタンと扇子を閉じると、レオンのいる教室へと向かった。
昼休み、レオンの机の周りには、数人のクラスメイトが集まって人だかりができている。
「す、すげえ……! クラウゼヴィッツ卿、その宝石箱みたいなお弁当は一体なんだ!?」
「めちゃくちゃいい匂いがする……!」
レオンの机の上には、リアーナが辺境領の専属シェフと一緒に考案した「特製・三段重ランチボックス」が広げられていた。
温室で採れた色鮮やかなトマトやブロッコリー。
甘辛いタレが絡んだ、肉汁たっぷりのハンバーグ(中には細かく刻んだニンジンとタマネギが隠されている)。
そして、卵焼きとふっくら炊き上がったお米(辺境領で新たに栽培を始めた穀物)だ。
「これ? お母様が作ってくれた、特別な栄養お弁当だよ。午後の授業で眠くならないように、お野菜とお肉のバランスが完璧に計算されてるんだ」
得意げにハンバーグを頬張るレオンを見て、他の生徒たちはゴクリと喉を鳴らした。
そこへ、ズカズカと割り込んできたのは、入学式の日にレオンに突っかかってきたヴェイン侯爵家のジュリアンだった。
彼もまた、学園のパサパサの肉と重たいお菓子に胃もたれを起こし、少し不機嫌そうにしている。
「ふんっ! 辺境の田舎者が、草(野菜)なんて食って喜んでるのか! 貴族たるもの、豪快な肉こそが力の源だ! そんなウサギの餌みたいなものを食べているから、お前は……ぐぅぅぅぅっ」
ジュリアンの文句は、彼自身の腹から鳴り響いた豪快な「腹の虫」の音によって強制終了された。
ハンバーグの反則的な匂いと、照り輝くソースの前に、十歳の育ち盛りの胃袋は正直だったのだ。
「じゅ、ジュリアン卿……お腹、空いてるの?」
レオンが不思議そうに首を傾げると、ジュリアンは顔をトマトのように真っ赤にして、「う、うるさいっ! 腹など減っていない!」と叫んで逃げ出してしまった。
その様子を廊下の影から見ていたリアーナは、フッと悪役令嬢らしい不敵な笑みを浮かべた。
「……決まりね。あの時代遅れで不健康な大食堂、私が『リノベーション』して差し上げますわ!」
* * *
その日の放課後。
リアーナは学園長室の扉を蹴破らんばかりの勢いで開け放ち、学園長である老魔導士の机の上に、分厚い書類の束をドンッと叩きつけた。
「が、学園長!? いえ、クラウゼヴィッツ辺境伯夫人! 突然どうなさいましたか!?」
「単刀直入に申し上げますわ。この学園の食堂の運営権を、私に譲りなさい」
リアーナの背後には、辺境領から呼び寄せた大量の新鮮な野菜と、ガストン親方が開発した最新の調理器具(火力を均一に保つ魔導コンロなど)が運び込まれている。
「しょ、食堂の運営権!? しかし、学園の食事は古くから専属の業者が……」
「その業者が、生徒たちの健康と学習効率を著しく低下させているのですわ。私が現代……いえ、最新の『栄養学』に基づいて、全員が平等に、美味しく、そして健康になれる食堂を作り上げます。もちろん、運営資金はすべて私が出しますわよ」
圧倒的な資金力(王都でのオモチャや化粧品の売り上げによる莫大な財産)と、正論という名の物理攻撃。
抵抗を試みた学園長だったが、リアーナが「もし断るなら、王室に『学園の劣悪な学習環境』を報告いたしますわよ」と扇子で脅しをかけると、ものの数分で白旗を上げた。
* * *
数日後。
昼休みの鐘が鳴り、大食堂へ向かった生徒たちは、その光景に度肝を抜かれた。
暗くてカビ臭かった食堂は、リアーナの指示で窓が大きく拡張され、明るい太陽の光が降り注ぐ清潔な空間へと変貌していたのだ。
そして何より驚くべきは、その「配膳システム」だった。
「さあ皆様! 今日からこの大食堂は『カフェテリア・ビュッフェ形式』に生まれ変わりましたわ!」
厨房の前に立つリアーナが、輝く笑顔で宣言した。
彼女の背後には、長いカウンターテーブルが設置され、そこには湯気を立てる色とりどりの料理が大皿に盛られてズラリと並んでいる。
「ビュッフェ……? なんだそれは?」
困惑するジュリアンたち貴族の生徒に対し、リアーナはルールを説明した。
「入り口でトレー(お盆)を取り、自分の好きな料理を、自分の食べられる量だけお皿に盛っていくのです。
ただし! お肉ばかり、甘いものばかりはダメ。必ず『緑の野菜』と『温かいスープ(水分)』をバランス良く選ぶこと。
貴族たるもの、自分の健康と食事のバランスくらい、自分で自己管理できなくてどうしますの!」
「じ、自分で料理を運ぶだと!? 使用人でもない我々が、そんな下品な真似……!」
反発しようとしたジュリアンだったが、カウンターから漂ってくる「ガーリックとハーブを効かせた鶏肉のロースト」や「辺境産カボチャの甘くて濃厚なポタージュ」の香りに、抗うことなどできなかった。
「……っ、一口だけだぞ!」
ジュリアンは震える手でトレーを取り、不格好ながらも料理を盛り付けて席に着いた。
一口、鶏肉と温野菜のサラダを口に運ぶ。
「――っ!!?」
ジュリアンの瞳孔が限界まで開いた。
野菜のシャキシャキとした食感と、自然な甘み。それが、リアーナ特製の「オニオン・ドレッシング」の酸味と絡み合い、無限に食べられそうなほど美味しい。重くてパサパサの肉とは違い、ジューシーで消化にも良さそうだ。
「う……うまい……! なんだこの野菜は!? 野菜がこんなに甘くて美味しいなんて、聞いたことがないぞ!」
「でしょ? 辺境領の温室で、太陽の光をいっぱい浴びて育ったお野菜だからね!」
隣の席に座ったレオンが、自分のトレーに盛ったハンバーグを嬉しそうに切り分けながら笑いかけた。
身分も派閥も関係ない。
美味しい食事の前に、生徒たちは夢中になってビュッフェの列に並び、残さず平らげていった。
驚くべき効果は、その日の午後すぐに現れた。栄養バランスの取れた、適度な量の昼食をとった生徒たちは、誰一人として「血糖値スパイク」による眠気に襲われることなく、見違えるような集中力で午後の授業を乗り切ったのである。
「素晴らしい……! 生徒たちの目の輝きが違う! クラウゼヴィッツ夫人、あなたの導入した『ビュッフェ』とやらは、魔法以上の奇跡です!」
授業を終えた教師たちが、涙を流してリアーナに感謝の言葉を述べた。
「ふふっ、当然ですわ。健全な精神と学力は、健全な胃袋から育つものですのよ」
リアーナは誇らしげに胸を張った。
時代遅れの学園の常識は、悪役令嬢の持ち込んだ「現代の学食システム」によって、見事に打ち砕かれたのである。
* * *
放課後。
見事な食堂改革を成し遂げ、上機嫌で学園の正門へと向かっていたリアーナとレオンの前に、一台の豪奢な馬車が滑り込んできた。
「リアーナ。レオン」
馬車の扉が開き、降りてきたのは、漆黒の騎士団長服を見事に着こなしたクラウスだった。
辺境の猛将としての圧倒的なオーラと、大人の男の色気を放つ彼の登場に、下校中だった他の貴族の令嬢たちが「きゃあっ……! あの素敵な殿方は誰!?」と顔を赤らめて悲鳴を上げた。
「旦那様! どうして学園に?」
「……迎えに来た。君が学園の視察に夢中になって、三日もまともに夕食を一緒に取ってくれなかったから、私が限界を迎えてしまったんだ」
クラウスは周囲の令嬢たちの熱い視線など全く気にする様子もなく、リアーナの元へ真っ直ぐに歩み寄ると、彼女の荷物をヒョイと持ち、空いた手でリアーナの細い腰をグイッと引き寄せた。
「だ、旦那様!? 生徒たちが見ていますわ……っ!」
リアーナが顔を真っ赤にして小声で抗議するが、クラウスは悪びれる様子もなく、リアーナの耳元で低く甘い声を囁いた。
「見せつければいい。君が、誰よりも愛されている私の『妻』だということを。……他の男どもに、指一本触れさせる隙など与えないよ」
クラウスのその言葉は、過保護を通り越して、もはや重度の「妻への依存」の域に達していた。
周りの令嬢たちは「あんなに美しい奥様がいらっしゃるなんて……!」と羨望の溜め息を漏らし、完全に敗北を悟っている。
「もう……旦那様は、本当に駄々っ子なんだから。レオン君、お父様が寂しがっているから、今日は早くお家に帰りましょうか」
「うんっ! お母様、今日はぼくが、お父様に学園でのお話をしてあげるね!」
夕日に照らされる王都の石畳。
完璧な美貌と手腕で学園を支配しつつある悪役令嬢は、世界で一番彼女を愛する過保護な夫と、立派に成長した息子に挟まれながら、この上なく幸せな笑顔を浮かべていた。
「さあ、次は学園にどんな改革を起こして差し上げようかしら? 王都での生活、退屈する暇もありませんわね!」
リアーナの次なる目標に向けた輝かしい瞳とともに、三人を乗せた馬車は、温かなタウンハウスへとゆっくり走り出していった。




