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王都学園への入学と、悪役令嬢の「PTA会長」宣言

極寒の辺境領にリアーナが嫁ぎ、持ち前の特技と現代知識で領地を「世界一温かく豊かな居場所」へと作り変えてから、およそ五年の歳月が流れていた。


季節は春。


王都の一等地にあるクラウゼヴィッツ辺境伯家のタウンハウス(王都別邸)では、朝からただならぬ緊張感が漂っていた。


「……レオン。本当に、本当に行くのか? 辺境領の屋敷から、王都の学園まで毎日馬車で通う特別許可を王家に申請してもいいのだぞ」


「お父様、いくらなんでも辺境から王都まで毎日通うのは無理だよ。それに、ぼくはもう十歳になったんだから、立派な騎士になるために学園でしっかり学ぶんだ」


玄関ホールで、真新しい漆黒の学園制服に身を包んだレオンが、呆れたように笑って答える。


十歳になったレオンは、父親であるクラウス譲りの銀髪と青い瞳を持つ、息を呑むほど美しく精悍な少年に成長していた。


かつて心を閉ざして震えていた小さな男の子の面影はない。今や彼は、辺境領の誰もが認める、優しくて誇り高い次期辺境伯である。


「レオンの言う通りですわ、旦那様。子供の成長をいつまでも邪魔するような過保護な父親は、嫌われてしまいますわよ?」


階段の上から優雅に降りてきたリアーナが、扇子で口元を隠しながらクスリと笑った。


今日のリアーナは、学園の入学式に「保護者」として出席するため、上品でありながらも隙のない、洗練されたボルドー色のシルクドレスを身に纏っている。


五年の歳月は彼女の美貌に大人の色気と圧倒的な余裕を加え、まさに「完璧な女主人」の風格を漂わせていた。


「嫌われたくはないが……レオンだけでなく、リアーナまでこの毒蛇の巣窟のような王都の社交界に再び身を置くことになるかと思うと、私は心配で夜も眠れん……」


長身を丸めて本気で落ち込む「氷の辺境伯」の姿に、使用人たちは微笑ましく肩を揺らしている。辺境の猛将は、今やすっかり「妻と息子を溺愛しすぎるパパ」へと変貌を遂げていた。


「大丈夫ですわ。辺境領の経営はガストン親方やヴァンス団長たちが完璧に回してくれていますし、私たちの今の拠点はここ、王都のタウンハウスです。レオン君の学園生活は、この私が全力でバックアップいたしますわ」


リアーナはクラウスの頬にそっとキスを落として宥めると、レオンの手を取った。


「さあ、行きましょう。辺境領の誇りを、王都の皆様に見せつけてさしあげますわよ」


■ 腐敗した王都学園と、時代遅れな貴族たち


王都の中心にそびえ立つ「王立魔法・科学学園」。


国中の高位貴族の子息令嬢が集まるこの場所は、豪華絢爛な彫刻と歴史あるレンガ造りの校舎が特徴だが……一歩足を踏み入れたリアーナの第一印象は、決して良いものではなかった。


(……空気が重いわね。それに、カビ臭い。歴史を重んじるのは結構だけれど、採光窓が小さすぎて廊下が暗すぎるわ)


前世の空間デザイナーとしての視点が、無意識に学園の構造的な「粗」を指摘してしまう。


入学式の会場となる大講堂へ向かう道すがら、リアーナとレオンに向けられる視線には、明らかな「棘」があった。


「ご覧なさい、クラウゼヴィッツ辺境伯家の息子ですわよ」


「最近、辺境領はオモチャや化粧品を売って小金稼ぎをしている『成金』らしいですわね。由緒正しきこの学園に、土の匂いがする田舎者が馴染めるのかしら?」


扇子の陰からクスクスと下品な嘲笑を向けてきたのは、王都の保守派貴族の筆頭であるヴェイン侯爵夫人と、その息子であるジュリアンだった。


彼らは、リアーナの手腕によって急成長した辺境領に激しい嫉妬を抱いているのだ。


「おい、辺境の田舎者」


ジュリアンが、取り巻きの少年たちを引き連れてレオンの前に立ち塞がった。


「お前、剣くらいしか振ったことがないんだろう? この学園の授業は高度だぜ。羽ペンの持ち方すら知らない田舎者が、俺たちの足手まといにならないように気をつけるんだな!」


意地悪く笑うジュリアンに対し、リアーナが「悪役令嬢」としての反撃の口を開こうとした――その瞬間だった。


「ご忠告、感謝いたします。ジュリアン卿」


レオンは全く動じることなく、背筋をピンと伸ばし、王族すら見惚れるような完璧で優雅な礼(一礼)をしてみせたのだ。


「辺境で培った実学が、歴史ある学園でどこまで通用するか、私自身も楽しみにしているのです。ジュリアン卿のような立派な先輩方から、多くのことを学ばせていただきたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします」


一瞬の隙もない、完璧な貴族の対応。

煽って怒らせようとしていたジュリアンは、完全に空振りに終わり、逆に自分の幼稚さを浮き彫りにされて顔を真っ赤にした。


「ち、チッ……! 口の減らない生意気な奴だ!」


逃げるように立ち去る侯爵夫人と息子を見送りながら、リアーナはレオンの頭を誇らしく撫でた。


「完璧な対応だったわ、レオン君」


「お母様に教えてもらった『相手を逆上させずに完封する社交術』の通りにしただけだよ。あんなの、辺境の冬の魔物に比べたら全然怖くないしね」


ニコッと笑う逞しい息子を頼もしく思いつつも、リアーナの瞳の奥には、静かな、しかし激しい炎が燃え上がっていた。


(私の愛する息子をコケにしたこと、絶対に後悔させてあげるわ。それに……この学園の環境、少し『教育的指導』が必要みたいね)


■ 非効率な教室と、魔法の「万年筆」


入学式が終わり、保護者同伴での「オリエンテーション(授業風景の視察)」が始まった。


教室に入ったリアーナは、生徒たちの学習環境を見て、こめかみを押さえた。


「これは……ひどいわね」


生徒たちの机の上には、重たいガラスの「インク壺」と、大きな羽ペン。そして、分厚く重い羊皮紙を綴じたノートが置かれている。


教師が黒板に書いた文字を写すたびに、生徒たちは羽ペンをインク壺に浸さなければならない。少しでも手が滑れば、ボタッとインクが落ちてノートが汚れ、手が真っ黒になる。


さらに、分厚い羊皮紙のノートはページを入れ替えることができないため、授業ごとに情報が乱雑に混ざり合い、復習するには極めて非効率的な構造をしていた。


(インクを浸す動作によるタイムロス。汚れた手を気にするストレス。そして情報の整理ができないノート。こんな環境で『高度な授業』だなんて、笑わせるわ)


前世の現代日本で、機能的な文房具に囲まれて育ったリアーナにとって、この光景は「学習効率の死」を意味していた。


「レオン君。あなたには、あんな不便な思いはさせないわ。今日のために、お母様とガストン親方で開発した『秘密兵器』を使いなさい」


リアーナは鞄から、細長いシックな金属のケースと、革張りのバインダーを取り出し、レオンの机に置いた。


「これは……?」


「『万年筆』よ。羽ペンと違って、インク壺を持ち歩く必要はないわ」


リアーナが設計した万年筆。それは、内部にインクを貯蔵するタンク(カートリッジ式)を備え、ペン先の極細の溝を通ってインクが自然と供給される「毛細管現象(もうさいかんげんしょう)」の仕組みを、異世界の職人技術で完全再現した超精密文房具だった。


「キャップを外して、そのまま書いてごらんなさい」


レオンが半信半疑で金属のペン先を紙に滑らせると……。


「すごい……! スラスラ書ける! インクをつけてないのに、文字が途切れないよ!」


一切引っ掛かりのない滑らかな書き心地に、レオンの青い瞳がキラキラと輝いた。手が汚れる心配も皆無である。


「そして、ノートはこっちを使いなさい。これは『ルーズリーフ』といって、紙の端に等間隔の穴が空いているの」


リアーナは革のバインダーの金属リングをカチリと開き、一枚の紙を外してみせた。


「辺境の木材パルプを改良して作った、インクが滲まない薄くて丈夫な紙よ。これなら、間違えたページだけを捨てたり、魔法学と歴史学の授業のページを後から自由に並べ替えたりできるわ。情報整理のスピードが、何倍にも跳ね上がるはずよ」


万年筆とルーズリーフ。


現代では当たり前のこの文房具革命は、インクと格闘している他の貴族の子供たちから見れば、まさに「魔法」のような光景だった。


「な、なんだあいつのペンは!? インク壺がないのに、ものすごい速さでノートをとっているぞ!」


「それにあの紙……真っ白で薄くて、リングから取り外しているわ!」


先ほどレオンを馬鹿にしていたジュリアンたちも、インクで手を真っ黒にしながら、信じられないものを見るような目でレオンの手元を凝視していた。


(ふふっ。どんなに歴史や伝統をひけらかしても、圧倒的な『便利さと合理性』の前では平伏すしかないのよ。


王都の貴族たち、辺境の現代スキル(文房具)の力、存分に味わうといいわ)


リアーナは扇子を優雅に揺らしながら、悪役令嬢としての満面の笑みを浮かべた。


■ タウンハウスの夜と、過保護な夫の独占欲


その日の夜。


王都のタウンハウスの寝室で、リアーナは今日一日の出来事をクラウスに報告していた。


「……というわけで、レオン君は万年筆とルーズリーフのおかげで、初日から教師も驚くほどの完璧なノートを作成してのけましたわ。ジュリアン卿の悔しそうな顔といったら、見ものでしたのよ!」


楽しそうに笑うリアーナ。


しかし、ベッドの縁に腰掛けるクラウスの表情は、どこか不機嫌そうに曇っていた。


「旦那様? どうなさいましたか。レオン君の活躍が嬉しくないのですか?」


「レオンの活躍は誇らしい。……だが、私が気に食わないのは、君の方だ」


グイッ、と。


クラウスの大きな手がリアーナの腕を掴み、そのままベッドの上へと引き寄せた。


「きゃっ……! だ、旦那様!?」


リアーナが驚いて見上げると、クラウスが上から覆い被さるようにして、熱を帯びた青い瞳で見下ろしていた。


「今日、学園の入学式で……王都の他の貴族の男どもが、君の美しさに見惚れて、いやらしい視線を向けていたのを私は知っている。あのヴェイン侯爵でさえ、君のドレス姿から目を離せていなかった」


「そ、それは……私が辺境領の女主人の威厳を見せるために、少し気合を入れてドレスアップしたからですわ! 別に、他の殿方を誘惑しようなんて……!」


「わかっている。君が私だけを愛してくれていることは。……だが、私の理性が嫉妬で焼き切れそうになるんだ。こんなに美しくて有能な妻を、王都の連中の目に晒さなければならないなんて」


クラウスは低く甘い声で囁くと、リアーナの首筋に顔を埋め、独占欲を示すように少しだけ強めのキスを落とした。


「んっ……っ、だめですわ、旦那様……明日も学園の視察が……」


「視察など行かなくていい。君は、私とこのベッドに閉じこもっていればいいんだ」


「ふふっ……駄々っ子のようなことを仰らないで。私は『PTA会長(保護者のトップ)』として、あの時代遅れで非効率な学園を、私の手で最高に居心地の良い場所へリノベーションしなければならないのですから」


リアーナがクラウスの銀髪を優しく撫でながら悪戯っぽく笑うと、クラウスは観念したように深いため息をつき、リアーナの唇に深く、甘い口づけをした。


「……勝てる気がしないな。君がその気になったら、王都の学園など一ヶ月で君の支配下(ルール)に置かれてしまうだろう」


「ええ、ご期待くださいな。まずは文房具。次は……そうね、あの栄養バランスが最悪で美味しくない『学食(カフェテリア)』の改革から手をつけて差し上げますわ!」


辺境領を制覇した悪役令嬢の次なるターゲットは、王都の貴族学園。


時代遅れの伝統と身分差別がはびこるキャンパスに、リアーナの持ち込む「現代スキル」が、前代未聞の嵐(リノベーション)を巻き起こそうとしていた。

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