結婚一周年と、悪役令嬢の「完璧なる都市計画(ジオラマ)」
辺境領に、再び白い雪が舞い降りる季節がやってきた。
しかし、一年前のあの凍てつくような暗く冷たい冬とは全く違う。
街の広場には活気が溢れ、領民たちは温かい湯たんぽと羽毛の防寒着に身を包み、笑顔で冬の訪れを歓迎している。
領主の館もまた、隙間風一つないぽかぽかの環境で、柔らかな暖炉の光に包まれていた。
執務室の窓からその景色を見下ろしながら、リアーナはそっと目を閉じた。
(……あの日から、ちょうど一年ね)
1回目の人生で誰にも愛されず、炎の中で孤独な死を迎えた後、奇跡のようにこの辺境伯邸に向かう馬車の中で目を覚ました「回帰」の日。
「愛を求めるな、干渉するな」と冷酷に言い放った氷の夫。心を閉ざして震えていた義理の息子。敵意に満ちた家臣たち。
そのすべてを、前世の「クリエイターとしての特技」と「お妃教育の知識」でひっくり返し、世界で一番温かい居場所に変えてみせたのだ。
「リアーナ。どうした? 窓際など、冷えるだろう」
不意に背後から温かい大きな腕に包み込まれ、リアーナはハッと目を開けた。
すっかり愛妻家(というより過保護な大型犬)と化した夫、クラウスが、彼女の肩に自分の分厚いカーディガンをふわりと掛け、そのまま背中から抱きしめてきたのだ。
「旦那様。もう、仕事中ではありませんか」
「少し休憩だ。君が美しすぎるから、つい成分を補給したくなってね」
首筋にすりすりと顔を埋めてくる辺境一の猛将に、リアーナはクスッと笑ってその頭を撫でた。一年ですっかり夫婦のスキンシップも板につき、今ではリアーナの方から甘えることも増えていた。
「お父様、お母様! お客さんが来たよ!」
そこへ、扉をバタンと開けてレオンが飛び込んできた。6歳になり、すっかり背も伸びて活発になったレオンは、騎士の見習い服を着こなしている。
「お客さん? 王都からの使いは予定になかったはずだが……」
クラウスが眉をひそめると、息を切らしたヴァンス騎士団長が駆け込んできた。
「旦那様、奥様! 隣国の『ガルディア帝国』から、特命全権大使が到着いたしました! 大規模な通商条約の締結を求めての、電撃訪問です!」
「ガルディア帝国の大使だと……?」
クラウスの表情が、一瞬で「領主」の厳しいものへと切り替わる。
ガルディア帝国は、辺境領の北東に位置する軍事大国だ。
これまで辺境領は貧しく、彼らにとっては「ただの緩衝地帯」でしかなかった。
しかし、リアーナの手腕によってこの一年で爆発的な経済成長を遂げた辺境領の噂を聞きつけ、旨い汁を吸おうと擦り寄ってきたに違いない。
「旦那様、どうやら一筋縄ではいかない狸がやってきたようですわね」
リアーナが扇子を広げてニヤリと笑う。
「ああ。帝国の外交官は傲慢で有名だ。我々を田舎者と見下し、不当に安い関税で商品を買い叩こうとしてくるだろう。……リアーナ、交渉は私が矢面に立つ」
「何を仰いますの」
リアーナはパタンと扇子を閉じ、最高に美しく、自信に満ちた「悪役令嬢」の笑みを浮かべた。
「私の設計した大切な特産品たちを、安い値段で買い叩かれるなんてプライドが許しませんわ。旦那様、今回の交渉の『プレゼンテーション』、私に一任していただけないかしら?」
前世で数々のコンペを勝ち抜いてきたトップデザイナーの血が、再び激しく騒ぎ出していた。
* * *
数日後。
辺境伯邸の大広間に通されたガルディア帝国の特命大使・ルキウス伯爵は、豪華な調度品や暖かな室温に内心驚きつつも、表面上はわざとらしく鼻で笑ってみせた。
「いやはや、辺境の田舎領地と聞いておりましたが、随分と『背伸び』をされているようですな、クラウゼヴィッツ辺境伯。しかし、我が帝国の洗練された文化に比べれば、やはり土の匂いが拭えませんな」
ルキウス伯爵は、野蛮な武将と我儘な妻を言葉巧みに丸め込み、独占貿易の不平等条約を結ばせる気満々だった。
「本日は我が辺境領へようこそ、ルキウス大使」
上座から静かに声をかけたのは、クラウスではなく、美しく洗練されたドレスを纏ったリアーナだった。
「早速ですが、通商条約の件。私どもが求める関税率は『一律二十パーセントの帝国側負担』。
そして、我が領の特産品である美容液と知育玩具、印刷技術の供与については、完全な価格決定権をこちらが持つものといたしますわ」
リアーナが提示した条件に、ルキウス大使は目を見開き、そして腹を抱えて大笑いした。
「はっはっは! これは傑作だ! 辺境の奥方が、随分と強気な寝言を仰る! いいですか、我が帝国と取引『していただく』だけで光栄に思うべきですぞ。そのようなふざけた条件、我が皇帝陛下が飲むはずが……」
「あら、そうかしら? では、これを見ても同じことが言えまして?」
リアーナがパチンと指を鳴らすと、大広間の中央に掛けられていた巨大なベルベットの幕が、ガストン親方たち職人の手によって一気に引き下ろされた。
「……なっ、なんだ、これは!?」
ルキウス大使は、椅子から転げ落ちそうになりながら絶叫した。
そこにあったのは、巨大なテーブルの上に広がる「辺境領の未来図」――リアーナが前世の空間デザイン能力を極限まで引き出して作り上げた、超精密な『1/100スケールの巨大ジオラマ(建築模型)』だった。
「ただの地図ではありませんわ。これが、我が領地が向こう五年で完成させる『マスタープラン』です」
リアーナが解説を始めると同時に、ジオラマの中に魔法のような仕掛けが発動した。
地下に埋め込まれた水路の模型に本物の水が流れ、精巧に作られたミニチュアの水車がカラカラと回り始める。
さらに、オルゴールのぜんまい技術を応用した歯車によって、農業用のアームや、トロッコの模型が自動で動き出したのだ。
極めつけに、色ガラスと反射板を使ったイルミネーションが点灯し、温室や大浴場の模型がキラキラと美しく発光する。
「ここが温室とスパを結ぶ新たな観光保養地。そしてこちらが、川の動力を利用した全自動の木材加工・印刷工場エリア。すべて、緻密な構造力学と流体力学に基づいて設計済みですのよ」
「ば、馬鹿な……! こんな精緻で論理的な都市計画、帝国の宮廷建築士ですら描けないぞ……! それに、この本物のように動く模型は一体……!」
圧倒的な「視覚情報」の暴力。
さらにリアーナは、印刷技術で作らせた美しく読みやすい「図解入りのパンフレット(インフォグラフィック)」を大使の前に突きつけた。
「我が領の生産予測と経済成長率のグラフですわ。王都からの注文だけで、すでに五期連続で黒字。……おわかりかしら? 私たちは、帝国に媚びる必要など全くありませんの。
むしろ、この最新技術の恩恵を受けられない帝国の方が、十年後には時代遅れの田舎国になってしまうのではないかしら?」
「あ……うぅっ……!」
完璧なデータと、未来を見せつける圧倒的なプレゼンテーション。
大使は完全に気圧され、額から滝のような汗を流しながら、震える手でリアーナの差し出した「帝国側が圧倒的に不利な(こちらが有利な)条約書」にサインをするしかなかった。
「……交渉成立ですわね。帝国との素晴らしい架け橋になってくださるルキウス大使の決断に、心より敬意を表しますわ」
リアーナがにっこりと悪女の微笑みを向けると、大使は「ひぃっ!」と悲鳴を上げて逃げるように帰っていった。
「「「奥様、万歳!!」」」
大広間に控えていたガストン親方やヴァンス団長、文官たちから、割れんばかりの歓声が巻き起こる。
「稀代の悪女」の異次元のプレゼン能力は、大国の外交官すら赤子の手をひねるように圧倒してしまったのである。
* * *
その日の夜。
外交の大成功を祝う宴が終わり、邸が静寂に包まれた頃。
リアーナはクラウスに手を引かれ、寝室に続くバルコニーへと連れ出されていた。
夜空からは、ふわり、ふわりと、美しい粉雪が舞い落ちている。
防寒対策の施されたバルコニーには優しい暖房の風が流れ、二人の体を心地よく温めていた。
「見事な交渉だった。あの傲慢な帝国を相手に、あそこまで完璧な勝利を収めるとは……私の妻は、本当に世界一の策士だよ」
クラウスは優しく微笑むと、リアーナの手を取り、その手の甲に恭しく口づけをした。
「ふふっ。私はただの、モノづくりが好きな我儘令嬢ですわ。……それに、旦那様が背後でドッシリと構えて、あの強烈な威圧感で大使を睨みつけてくださったおかげです」
「私はただ、君の美しさと才能に見惚れていただけだがね」
甘い言葉をさらりと口にするクラウスに、リアーナは頬を赤らめて視線を逸らした。
すると、クラウスは少しだけ真面目な顔になり、懐から小さなビロードの箱を取り出した。
「リアーナ。……今日は、私たちにとって特別な日だ。君は、覚えているだろうか」
「特別な日……?」
「一年前の今日。君が馬車に乗って、この極寒の辺境領に嫁いできた日だ。そして……私が君に対して、『私に愛を求めるな』などという、万死に値する暴言を吐いた最低な初夜でもある」
クラウスの言葉に、リアーナは目を丸くした。
彼は、あの日からちょうど一年が経ったことを、しっかりと覚えていてくれたのだ。
「私は不器用で、君の優しさや計り知れない才能に気づこうともせず、自ら分厚い氷の壁を作っていた。……だが、君は逃げ出さず、その手で一つずつ、私の心を、レオンの心を、この領地を、温かく溶かしてくれた」
クラウスはビロードの箱をカチャリと開けた。
中に入っていたのは、春の魔物討伐の際に彼が自ら雪山で採掘し、職人に頼んで削り出させたという、透き通るような美しいサファイアのネックレスだった。
彼の瞳と同じ、氷のような、けれどどこまでも深く温かい青色。
「リアーナ・フォン・クラウゼヴィッツ。私の、たった一人の愛する妻。……一年前は最悪のスタートだったが、どうか今日、もう一度だけ、私と結婚してくれないか」
雪が舞うバルコニーで、辺境の猛将が、まるで一人の少年のように頬を染めながら、真摯に愛を乞うている。
その真っ直ぐすぎる愛情に、リアーナの瞳からポロリと温かい涙が溢れ出した。
「……旦那様はずるいですわ。そんな風に言われたら、悪女たる私も、絆されるしかありませんわ……」
リアーナが涙ぐみながら微笑むと、クラウスは彼女の首にそっとサファイアのネックレスを着け、そのまま彼女の身体を力強く、そして壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
「愛している、リアーナ。私の命も、この領地も、すべて君のものだ」
「私も……愛しておりますわ、クラウス様」
夜空から降り注ぐ雪は、イルミネーションの光を反射してキラキラと輝いている。
重なり合う二人の唇は、どんな魔法の湯たんぽよりも、どんな極上のスパよりも、お互いの心を熱く、甘く蕩けさせていった。
「お父様、お母様! 雪降ってるよー!」
バルコニーの窓ガラスの向こうから、レオンがパジャマ姿でアーサーのフィギュアを振り回しながら無邪気に笑いかけてくる。
クラウスとリアーナは唇を離すと、顔を見合わせて幸せそうに吹き出し、窓を開けてレオンを二人の輪の中へと招き入れた。
冷え切っていた辺境の邸は、一年の時を経て、愛と笑顔が絶えない「世界で一番温かい居場所」になった。
悪役令嬢と呼ばれた彼女の手腕は、これからもこの愛する家族とともに、世界を驚かせ、豊かにし続けていくことだろう。
(第一部・完)




