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Sランク冒険者が闇バイト無双  作者: ヒナツキスバル
第一章 池袋に堕ちた冒険者
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牛丼一杯で重いんだよ

「それで……今日は撮影ですか?」


コンビニの軒下で、ソウシは紙コップを両手に抱えるレンへ尋ねた。


店内から漏れる白い明かりが、霧雨の降り続く夜道をぼんやりと照らしている。冷たい外気の中、二人の持つコーヒーからは細い湯気が立ち上っていた。


「撮影?」

聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返したあと、レンは真顔で答えた。


「俺は魔王を討つため、その居城で戦っていた」


 少しの間を置いて、ソウシは聞き返した。


「はい? ……魔王?」

「ああ。奴は、追い詰めたところで魔力核を暴走させて自爆した。その衝撃で空間に裂け目が生じ、気づけばこの地にいた」

滔々と語るレンの顔は、真剣そのものだった。

冗談を言っている様子も、ソウシの反応を楽しんでいる様子もない。


コーヒーを口にする合間にも、その鋭い目は遠くを見るように夜の雨へ向けられていた。


ソウシは返答に困り、曖昧な笑みを浮かべた。


「えーっと……つまり、異世界から来た勇者って設定ですか?」

「設定とはどういう意味だ?」

レンが眉を寄せる。

「俺は冒険者のレン。アルディア王国へ戻る方法を探している」

「……な、なるほど……」


ソウシは、どう返せばよいのか分からなくなった。


ここまで役へ入り込んだコスプレイヤーもいるのかもしれない。

撮影中でなくとも、キャラクターを崩さないことを信条としているのだろう。そう考えれば、一応は説明できる。だが、レンの話し方には芝居がかった誇張がなかった。本当に、自分が体験した出来事を説明しているようにしか見えない。


ふと、紙コップを持つレンの手が目に入った。

節の目立つ、ごつごつとした指。

皮膚には、古いものから新しいものまで、無数の傷が刻まれている。

スマートフォンや参考書を触ってきたソウシの白く細い手とは、まったく違う手だった。


「仲間たちも、向こうに残してきた」

レンの声がわずかに低くなる。

「俺には戻らなければならない理由がある」

その言葉とともに、紙コップを包む指へ静かに力が込められた。


鎧についた無数の傷も、黒ずんだ血の跡も、近くで見るほど生々しい。

特殊な加工や血糊だと思っていた。

だが、ここまで徹底して作り込むものだろうか。

雨で濡れているせいだけではない。鎧の隙間から見える衣服も裂け、古い血がこびりついている。


――ひょっとして、この人、マジでヤバいんじゃないの?


話を信じたから、ではない。

何か事件に巻き込まれた人物か、現実と空想の区別がつかなくなっている人物ではないのか。

ソウシの心臓が、誰かの手に握られたように強く脈打った。


「えっと、レンさん……でいいんですよね?」

「ああ」

「スタッフさんとか、仲間の人に連絡できないんですか?」


「通信魔法は試した。しかし、この世界からは誰にも届かなかった」

「通信魔法……? スマホは?」

「スマホ?」

レンは怪訝そうな顔をした。


「あの通信用道具のことか? 俺は持っていない」

その反応も、演技には見えなかった。


ソウシがスマートフォンをわずかに持ち上げて見せても、レンの目には、見慣れた道具を見る者の気配がない。


「それに、俺はこの国の貨幣も身分証明も持っていない。先ほど換金所へ行ったが、冒険者ギルドへの加入を断られた」

「……換金所? 冒険者ギルド?」

「金と白金を扱う店だ。あそこは冒険者ギルドと通じているのではないのか?」


「それ、普通の買取屋じゃないですか?」

「……普通の買取屋?」

レンは、初めて聞かされた事実のように目を見開いた。どうやら、相手は本気で分かっていなかったらしい。


ソウシはますます頭が痛くなってきた。

スマートフォンもない。

金もない。

身分証明書もない。

今夜泊まる場所すらない。


目の前の男の話が真実かどうかは別として、このまま放っておいてよい状態ではないことだけは確かだった。


「も、もし困ってるなら、交番とか……」


そこまで口にして、ソウシは止まった。

交番まで案内すれば、おそらく自分も事情を聞かれる。

この鎧姿の男をどこで見つけたのか。

なぜ連れてきたのか。

本人は何者なのか。

そんな説明に付き合っていたら、あーにゃんの配信に間に合わなくなる。


ソウシはポケットからスマートフォンを取り出し、時刻を確認した。

配信開始まで、もうほとんど余裕がない。

配信に遅れること、それだけは絶対に避けたい。


ソウシはそこで初めて、自分が想像以上に面倒なことへ巻き込まれつつあると気づいた。


           ◇


「と、とりあえず」

ソウシは、声が上ずらないよう慎重に話し始めた。


「外にいるよりは、雨風がしのげる駅の中にいた方がいいんじゃないですか? 野宿してる人も駅の中が多いですよ」

「そうか……」


レンは顎へ手を当て、真剣に考え込む。

「あの巨大な運搬拠点の中には野営基地があると……。有力な情報、感謝する」


――ホームレスと同じような扱いをされているのに、怒らないのか?

それどころか、レンは心から礼を言っているようだった。


ソウシは、先ほど出会ったばかりの不審な男に対して、なぜか良心の呵責を覚え始めていた。


俺には関係ない。

俺が助けなければならない理由もない。

そもそも俺はしがない浪人生で、誰かを助けている余裕なんてない。

自分の家賃と生活費にさえ困っているのだ。


ソウシは、その良心とやらをぐっと飲み下そうとした。


俺には、俺の生活がある。


「……よ、良かったら駅まで送っていきますよ」

「すまない」

迷いのない感謝を返され、ソウシはますます居心地が悪くなった。

「それと、これ」


ソウシは、自分が差していたヨレヨレのビニール傘を差し出した。

錆びた骨組みを見て、一瞬だけ手を止める。

捨てても惜しくないような古い傘だったが、今夜も自分を雨から守ってくれていた物だ。


「ボロいんですけど、良かったら使ってください。俺、折りたたみがもう一つあるんで」

そう言って、リュックから黒い折りたたみ傘を取り出してみせる。


レンは傘の古さなど気にした様子もなく、両手で丁寧に受け取った。

「重ね重ね、感謝する」

「いや、もういいですから」


それは、どうしても飲み下せなかったソウシの良心を保つための、唯一の贈り物だった。


           ◇

      

二人は、それぞれの傘を差して池袋駅東口へ向かった。


レンは譲り受けた傘を、見慣れない武具でも確かめるように一度眺めたあと、慎重に頭上へ広げた。


並んで歩いてはいるが、別々の傘によって二人の距離は自然に開いた。


雨音と足音ばかりが続き、会話が減ったことは、ソウシにとって幸いだった。


明治通り沿いへ着くと、ソウシは横断歩道の向こう側を指さした。

「じゃあ、あそこが駅の入り口なんで」

「道案内、感謝する」

レンは深々と頭を下げた。


ソウシは内心、ほっとしていた。

レンと名乗る男が狂人なのか、本当に異世界から来たのかは分からない。

だが、そういうことは、もっと余裕のある人間と一緒にやればいい。

少なくとも、俺みたいなモブのところじゃない。


ここまで連れてきたのだ。

傘も渡した。

これ以上は自分の責任ではない。

そのときだった。


キキーーーッ!

プーッ、プーッ!


突然、目の前の通りに急ブレーキとクラクションの音が響いた。

ソウシは音の方へ顔を向ける。

レンが、赤信号の横断歩道を外れ、堂々と車道を斜めに渡り始めていた。


「ちょっ、何やってんだよ、アンタ!」

思わず叫ぶと、レンは車道の途中で振り返った。

「?」

「『?』じゃないよ! 赤信号!」

「赤い灯りなら見えていた」

レンは何を責められているのか分からないように答える。

「だが、あれは鉄の馬車へ停止を命じるものではないのか?」

「歩行者も止まるんだよ!」

「徒歩の者にまで命令するのか?」

「するよ! みんな従ってるよ!」


横断歩道の手前には、信号が変わるのを待つ人々が並んでいる。だがレンは、それを見てもなお納得しきれない様子だった。

「それにしても無礼な馬車だ。接触する距離ではなかったというのに、あれほど警告を鳴らすとは」

「おかしいのはアンタだよ!」


ソウシの怒鳴り声に、周囲の人々が二人の方を振り返った。

急停止した車の運転手も、窓越しに何かを叫んでいる。


さらに、SNSでレンの勇者姿を見ていた者もいるのか、スマートフォンを向けながら人が集まり始めた。

「あれ、さっきバズってた人じゃない?」

「やっぱ本物いた!」

撮影音が鳴る。

ざわめきが広がっていく。


ソウシは近くの交番が視界へ入り、顔を青くした。

「ここは交番も近いし、騒ぎを起こすとまずい……」

このままレンを一人にしたら、駅へ入る前に事故を起こすかもしれない。それどころか、別の騒ぎへ発展する可能性もある。


ソウシは自分の傘を持ち直すと、レンの腕をつかんだ。


「一旦、こっちに隠れて人混みを避けよう」

ソウシは逃げることを諦め、レンを連れてその場を離れた。


           ◇


ソウシはレンの腕を引き、人通りのない裏路地を進んだ。

駅前の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。

濡れた路地には二人の足音と、傘を打つ雨音だけが響いた。


ソウシの胸はまだ早鐘のように鳴っている。

もう少しで本当に事故になるところだった。

レン本人は避けられたと言っていたが、そんなことは問題ではない。

運転手や周囲の人間には、鎧姿の男が突然車道へ飛び出したようにしか見えないのだ。


そのときだった。


「ぐううぅぅ……」


張り詰めていた空気を壊すような、ひどく緊張感のない音が響いた。

ソウシは足を止め、レンを振り返った。

レンも自分の腹へ視線を落としている。


「……腹、減ってんの?」


「……そういえば、魔王城へ突入する前に食べたきりだ」


「…………」


ソウシは何も言えなかった。

魔王城が本当に存在するかはともかく、少なくとも相当長い時間、何も食べていないらしい。

そのまま駅へ放り出すのは、さすがに後味が悪すぎる。


かといって、悠長な食事に付き合う時間はない。

安くて、早くて、すぐに食べられるもの。


数分後。


二人は、裏路地を抜けた先にある牛丼屋へ入っていた。

明るく暖かい店内へ黒い鎧姿のレンが入ると、食事中の客たちが一斉に視線を向けた。

ソウシはそれに気づかないふりをし、レンをカウンター席へ座らせる。


「牛丼、二つ」


急いで注文を済ませる。

ほどなくして、湯気を立てる牛丼が二人の前へ置かれた。

甘辛い香りが立ち上り、レンの視線が丼へ吸い寄せられる。


ソウシが箸を手に取ると、レンは怪訝そうな顔でそれを見つめた。

二本の細い棒と、牛丼と、ソウシの手元を順番に見比べている。

用途を分析しているようだったが、答えにはたどり着けないらしい。


「……はいはい。使えないのね」


ソウシは箸の持ち方を一から説明する気力を失い、店員を呼んでスプーンを一つ頼んだ。

レンは渡されたスプーンを見て、ようやく食器だと理解したように頷く。

二人はしばらく、無言のまま牛丼を食べた。


ソウシは時刻が気になり、急いで箸を動かした。

対してレンは空腹だからといって、がつがつとかき込むことはなかった。

まるで戦場で差し出された貴重な食事を受け取ったかのように、一口ずつ静かに、ゆっくりと味わっている。


温かい肉。

甘辛い汁を吸った米。

湯気とともに立ち上る香り。

最初の一口を含んだ瞬間、レンの目がわずかに見開かれた。

それでも何も言わず、噛みしめるように食べ続ける。

鎧姿の男が、スプーンで牛丼を一粒ずつ大切に口へ運んでいる。

その異様な光景を、近くの客たちがちらちらと見ていた。


ソウシは呆れながら横目でレンを見た。

これほど空腹なら、もっと勢いよく食べてもよさそうなものだ。

だが、その丁寧な食べ方を見ていると、不思議と急かす気にはなれなかった。


レンは米粒一つ残さず食べ終えると、スプーンを置いた。

それから姿勢を正し、ソウシへ深々と頭を下げる。

「名も知らぬ親切な方、すまぬ。恩に着る」

レンは顔を上げ、改めてソウシを見た。

「そういえば、まだ名を聞いていなかった」


「……秋山ソウシ」

大げさに名乗るのが気恥ずかしく、ソウシはぶっきらぼうに答えた。


「ソウシか。覚えた」

レンは一度その名を口にし、正面からソウシを見据える。

「この恩は必ず返すと約束する。困ったことがあれば言ってくれ」

「牛丼一杯で重いんだよ……」

ソウシは視線をそらし、小さく漏らした。


レンにとっては大真面目な誓いらしい。

冗談を言っている様子は、まるでなかった。

だがレンが感じている恩は、牛丼だけではないのだろう。


コーヒー。

傘。

道案内。

信号の意味。


ソウシにとっては、その場の成り行きで行ったことばかりだった。

それを一つ残らず大切に受け取られると、かえって居心地が悪い。


ソウシはスマートフォンの時刻を確認し、慌てて立ち上がった。

「それより、俺、急いで帰らないといけないから」

「ああ」

「これから本当に別行動ね。危ないことしないでくださいよ。近所で事件起こされたら困るから」

「承知した」


レンが素直に頷く。

ソウシは今度こそ終わりだと、自分へ言い聞かせた。


          ◇


牛丼屋を出ると、霧雨はまだ降り続いていた。


レンは店先で、ソウシから譲り受けたヨレヨレのビニール傘を開く。


ソウシも黒い折りたたみ傘を差し、改めて駅の方角を指さした。


「……じゃあ俺、急ぐんでもう行くけど、本当に気をつけてくださいよ。それでなくても、この辺り危ないんだから」

「承知した」

「この道を渡って、まっすぐ行くと、突き当たりが駅だから」

「ソウシ、感謝する」

「分かったから。じゃあ」

これ以上礼を言われる前に、ソウシは足早にその場を離れた。


今度こそ、本当に終わりだ。

傘も渡した。

コーヒーも牛丼も奢った。

駅までの道も教えた。

これ以上は、自分の責任ではない。


スマートフォンを確認すれば、あーにゃんの配信開始時刻が目前まで迫っている。

急げば、まだ間に合うかもしれない。

ソウシが歩調を速めた、そのときだった。


少し離れた背後から、小さな人々のどよめきが聞こえた。

足を止める音。

戸惑う声。

そして、またしてもスマートフォンの撮影音。

嫌な予感がして、ソウシは振り返った。


レンは、ヨレヨレのビニール傘を差したまま、剣を抜いていた。


片手に傘。

もう片方の手には、雨に濡れて鈍く光る長剣。

抜き身の剣を低く構え、周囲を警戒しながら堂々と歩みを進めている。

通行人たちは顔を引きつらせ、レンを避けるように道の端へ寄っていた。


「ちょ、ちょちょちょ!! 何してんの!?」

ソウシは慌ててレンのもとへ駆け戻った。

レンは声に気づき、落ち着いた様子で振り返る。


「ソウシか。また会ったな」

「また会ったなじゃないよ! なんで物騒なモン出してんの!?」

「すでに夜更けだ」


 レンは当然の判断を説明するように答えた。

「何があるか分からぬ危険な土地だという、貴殿の助言に従った」

「は?」


「最大限の警戒をしながら、運搬拠点へ向かおうとしていた」

「一番危ないのはアンタなんだよ!!」

ソウシの叫びが夜道へ響いた。

しかしレンには、なぜ責められているのか分からないらしい。


「抜剣することで、周囲の敵への牽制にもなるだろう。危険地帯を歩く際の心得だ」

「ダメなんだって! 日本じゃ、そんな刃物を持ち歩いてたら捕まるの!」

「刃物ではない。剣だ」

「そういう問題じゃない!」


ソウシは周囲から剣を隠そうと、反射的に刀身の腹へ手を添えた。

「とにかく下げて! しまって!」

触れた瞬間、ソウシの顔から血の気が引いた。


ずしりとした重量。

雨に冷えた金属の硬さ。

指先から腕へ伝わる、作り物にはない感触。

刃へ直接触れていないにもかかわらず、肌が粟立つような鋭さを感じた。

鉄の匂いすらする。


――やっぱり、これ、偽物じゃない。


コスプレ用の薄い金属や樹脂とは明らかに違う。

これは実際に物を斬るために作られた、本物の武器だ。


わけの分からない状況。

異世界から来たと言い張る、変なコスプレ姿の男。

どう見ても本物らしい、抜き身の剣。

そして、刻一刻と迫るあーにゃんの配信時間。


周囲では、レンに気づいた人々が再び足を止め始めている。

スマートフォンを向ける者もいれば、距離を取りながら誰かへ連絡しようとする者もいた。

このままでは、本当に警察を呼ばれる。


ソウシの頭は、もうわやくちゃだった。


ここで剣をしまえと説明し続けるよりも、警察が来る前に人目のない場所へ移動した方が早い。

少なくとも家へ入れてしまえば、レンが外で剣を抜くことはない。

それに、外で何度も別れようとするたび、余計に時間を失っている。


「あー、もう………」

ソウシは頭を抱え、すべてを諦めたように息を吐いた。


「とりあえず一回、ウチに来て!」

レンは少し驚いたように目を見開いた。

食事だけでなく、今度は宿まで提供されるとは思っていなかったのだろう。


その顔が感謝へ変わりかける。


「ソウシ、そこまでの恩を――」

「いいから! 剣しまって、早く!」


ソウシは礼の言葉を遮り、周囲の視線から逃げるように歩き始めた。

こうしてソウシは、今夜だけでも何度目になるか分からない別れに、またしても失敗した。

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