やれるものならやってみるがいい
その頃、池袋人材サービス。
事務所の中では、舎弟がスマートフォンを睨みながら落ち着かない様子で立っていた。
「ヒロさん、やべっす」
「あ?」
ヒロナリが煙草をくわえたまま顔を上げる。
「あいつら【本部案件】飛んだらしいす」
「なにぃ?」
「本部の担当者がめっちゃキレてるす」
ヒロナリの顔色が変わった。
「ちょ、アイツら今何処にいんだよ」
「…あれ…もう池袋…」
舎弟が慌てて位置情報を確認しようとした、そのときだった。
事務所のドアが、ゆっくりと開いた。
「………」
ドアノブを握ったまま、ソウシが立っている。
その後ろにはレン。
ヒロナリは二人を見て、大きな顔からゆっくり煙を吐き出した。
「お前ら…やってくれたらしいじゃん」
「…や、やってくれたのはどっちだよ」
ソウシの声は震えていた。
怖くないわけではない。
ここへ戻ってくるまでにも、何度引き返したくなったか分からない。
それでも逃げないと決めた。
「なんだよあれは!? どう見ても特殊詐欺の受け子だろ!」
ヒロナリは少し面倒そうに顔をしかめると、吸っていた煙草を灰皿へ押しつけた。
「…あー、【本部案件】はこっちの管轄じゃねえんだわ。わりいな」
「……は? 本部案件?」
「でもさあ」
ヒロナリは新しい煙草を取り出して火をつけた。
「いつも行ってる仕事と変わらねぇだろ。荷物受け取って、あっちからこっちに渡してよ。な、レンくん」
「………」
レンは答えない。
その言葉を聞いて、ソウシの表情が変わった。
「ヒロナリ、お前……まさかレンにも…!」
自分が今回巻き込まれたことより、その可能性のほうが腹立たしかった。
レンはこの国のことをまだよく知らない。
何が犯罪で、何がそうではないのか。その境目すら自力ですべて判断できるわけではない。
それを知ったうえで、これまで何度も荷物を運ばせていたのだとしたら。
ソウシの震える声が、一段低くなる。
ヒロナリはまた煙を吐いた。
「ソウシ、お前は何にも変わってねぇよ」
「………
胸の奥が、ズキンと疼いた。
「……な、何だよ」
「昔っからそうだろ。誰も見てねえところじゃ親切そうな顔して、コソコソ人助けしてよ」
「…………」
「でも自分がヤバくなったら『俺は関係ありません』って顔すんだ」
その瞬間、ソウシの背筋を冷たいものが走った。
ずっと昔の教室が蘇る。
大勢のクラスメイト。
笑い声。
自分へ向けられた視線。
『秋山は顔デカと仲良しだもんなぁ!?』
あのとき、自分は。
『……べ、別に。仲良くないよ』
そう言った。
捨てられた上履きを戻したことも、隠されたノートを本人へ渡したこともあった。
誰もいないところなら、普通に話もした。
それなのに、皆の前では関係を否定した。
「美味しいとこだけかすめ取って、自分だけいい奴でいようとする」
ヒロナリの声が刺さる。
「そんで今度は土壇場で俺をポリに突き出すのか?」
「……………」
何も言えなかった。
言い返したい。
今回のことと、あのときのことは違う。
犯罪を止めることと、中学生だった自分の弱さを同じにするな。
そう言えばいい。
けれど、喉が動かなかった。
ヒロナリは覚えていた。
自分が誰も見ていないところで何をしたのかも。
そして最後に、皆の前で何を言ったのかも。
その両方を。
「とにかく」
ヒロナリが煙草を指に挟んだまま言った。
「【本部案件】については俺の管轄じゃねえ。文句ならそっちに言え」
「………」
「話はそれだけか? もう帰れ。また連絡するからよ」
それで終わりにするつもりらしい。
ソウシは俯いたまま、動けなかった。
その後ろで、それまで一度も口を挟まず話を聞いていたレンが静かに動いた。
「………ギルド長殿」
レンは、すっとソウシの前へ出た。
◇
「ソウシが知らずに人を騙す片棒をかつぐ可能性があると知っていたのか」
「………」
ヒロナリは一瞬黙ったあと、ブフッと吹き出した。
口元から煙草の煙がブワッと散る。
「今言ったばっかりだろ。【本部案件】は俺たちの管轄じゃねえんだよ」
レンは動かない。
ただ、ヒロナリを見ている。
「ハァ。何度も同じこと聞かれるの好きじゃねえんだよな」
ヒロナリは煙草を灰皿へ押しつけ、立ち上がった。
そして、ゆっくりとレンへ近づいてくる。
身長はレンより低い。それでも横幅のある大きな身体を前へ出し、下から睨みつけるように顔を上げた。
「俺が今まで、嘘ついたことあるか? あ?」
声が一段低くなる。
レンの背後で、ソウシがわずかに後ずさった。
だがレンは、ヒロナリの言葉よりも、その身体を観察していた。
重心が高い。
足の運びも雑。
目線には隙が多く、拳を握る動きにも慣れがない。
身体は大きいが、鍛錬した人間の身体ではない。
戦うのなら。
この距離ならば、斬り伏せるのは容易い。
「…少々、脅すか」
「あ? 何だと?」
レンは何気なく、傍らにあった事務机の角へ手を掛けた。
ガッ、と鈍い音がする。
次の瞬間。
グオッ!!
「………は?」
「………え?」
ヒロナリと舎弟の口が同時に開いた。
レンは事務机を片手で持ち上げていた。
脚までついた大きな机を、まるで紙細工でも扱うように、そのまま頭上まで持ち上げている。
「………」
三人とも、何が起きたのか理解できなかった。
「ソウシ」
「なっ、なななな、何してんの!?」
「良いから、そこを少し退いてくれないか」
「は!?」
ドアの前に立っていたソウシが、慌てて横へ避ける。
レンは持ち上げた机を移動させると、
ドゴン!!
大きな音を立てて、出入口の前へ置いた。
床が揺れた。
「なあ、レン! 何やってんだよお前!」
ソウシが叫ぶ。
レンは答えず、机で塞がれた入口をじっと見ていた。
「……少ないか」
「え?」
次に手を掛けたのは応接テーブルだった。
持ち上げる。
積む。
続いてソファを一つ。
もう一つ。
「ちょ、待て待て待て!」
ソウシの制止など聞こえていないかのように、レンは淡々と作業を続ける。
最後に、書類がぎっしり詰まった鉄製キャビネットへ手を掛けた。
ギギギギ……。
嫌な金属音が響く。
「む、」
レンが自分の指先を見る。
掴んだ部分の鉄板へ、指が食い込んでいた。
「すまない、力加減を誤ったようだ」
「………」
ヒロナリは口をパクパクさせている。
レンはそのままキャビネットを持ち上げた。
中の書類がバサバサと床へ落ちる。
それすら気にせず横向きにして、ドアの前へ積み上げた。
事務机。
応接テーブル。
ソファ二つ。
鉄製キャビネット。
完全なバリケードだった。
レンはパンパンと手についた埃を払いながら、その出来栄えを確認する。
「これで邪魔は入らない」
「………」
「ケイサツとやらもしばらくは入って来られない」
「いや、それは入って来てもらったほうが――」
ソウシの声は届かなかった。
レンはヒロナリへ向き直る。
「俺たちだけだ。納得行くまでゆっくり話し合えるな、ギルド長殿」
「……お、おい、レンくん。少し落ち着こうぜ…」
先ほどまでの大きな態度は、どこへ消えたのか。
ヒロナリは自分の机を盾にするように後ずさっていく。
「俺は初めから落ち着いている」
レンは静かに答えた。
「落ち着くのは貴殿の方だろう。ギルド長殿」
「………」
「それで……」
レンがヒロナリの机へ手を伸ばした。
「先程の話だが」
「え、ちょ――」
今度は机の脚を掴む。
そのまま振り上げた。
机の上にあった書類、灰皿、文具が一斉に床へ落ちる。引き出しまで開き、中身がガタゴトと散らばった。
レンはそんなことには構わず、机を片手で握ったまま腕を曲げ伸ばしした。
まるで軽いダンベルでも持っているかのようだった。
「ソウシが知らずに人を騙す片棒を担ぐ可能性があると、貴殿は知っていたのか?」
「……あの…いや…レンくんさ…」
「俺は先程から同じことを訊いている」
机がわずかに上下する。
「し、知らなかった!」
ヒロナリの声が裏返った。
本当に知らなかったんだよ! 勘弁してくれえええ!」
ついに、ヒロナリは床へ両手をついた。
「………」
ソウシは言葉を失っていた。
床に手をつくヒロナリ。
椅子から動けなくなっている舎弟。
片手で机を持つレン。
出入口を完全に塞ぐ家具の山。
――………なんなのこの状況???
ドン引きだった。
ここにいる誰よりも帰りたい自信があった。
◇
池袋人材サービスの事務所には、不穏な沈黙が流れていた。
ドアの前には怪力によって積み上げられたバリケード。
ヒロナリはカエルのように床へ手をついている。
舎弟は椅子に座ったまま動けない。
レンは事務机を片手で持ち上げたまま立っている。
そしてソウシは、ただただドン引きしていた。
しばらくして、レンが沈黙を破った。
「………わかった」
「え?」
ソウシが顔を上げる。
「本当に知らないのだな」
レンは持ち上げていた机を下ろした。
ヒロナリが恐る恐る顔を上げる。
「先程、俺を威圧していた時とは目つきがまるで違う。今の言葉に虚勢は無いだろう」
「………」
ヒロナリは何も言わなかった。
だが、今の姿を見ればソウシにも分かる。
昨日まで池袋人材サービスの責任者としてふんぞり返っていた男とは、まるで別人だった。
そして、その怯えた目には覚えがあった。
中学時代。
皆から笑われ、何も言い返せず、小さくなっていた頃のヒロナリ。
「だが」
「っ」
ヒロナリの肩が跳ねた。
ソウシも思わず息を飲む。
「知らなかったから貴殿に責任がなかったとは思わない。ギルド長殿よ」
レンの声は冷静だった。
「詳しい内容を知らぬとは言え、非人道的な任務をソウシと俺に与えたのは事実だ」
「…いや【本部案件】ってのはそういうもんなんだよ!」
ヒロナリは慌てて言い返した。
「お、俺たちも仕事でやってるだけだからよ」
声はまだ上ずっている。
レンは少し眉を寄せた。
「……して、先程から聞くその【本部】とは何だ」
「………」
ヒロナリが口を閉ざす。
やがて、観念したように言った。
「……俺も知らねえ」
「何?」
壁際で固まっていた舎弟も、ようやく声を出した。
「お、俺たちもあのアプリで連絡取るだけなんす」
「この会社も末端だ」
ヒロナリは机へ手を掛け、丸い身体をどうにか起こした。
「本部の人間と直接会ったことも、ほとんど無い」
レンは黙って腕を組んだ。
ソウシは横から、その顔を窺う。
――……まさか、こんな話信じないよな。
ついさっきまで、この会社の連中に騙されかけていたのだ。
普通なら、まだ何か隠していると疑うところだろう。
しばらく考えていたレンが、やがて表情を明るくした。
ポン、と手を打つ。
「なるほど、合点が行った。この国の冒険者ギルドは運営母体に腐敗が見られるようだ」
「だから冒険者ギルドじゃないって…」
ソウシは目眩がしそうになった。
そこだけは頑として修正されない。
「よし」
レンが言った。
そして、まだ完全には立ち上がれていないヒロナリへ手を差し出す。
「俺は今後もこのギルドで依頼を受けよう」
「………は?」
ヒロナリだけでなく、ソウシも目を瞬かせた。
「ただし、内容はあらためさせてもらう。法に触れるものは受けない。不正があれば止める。」
「………」
ヒロナリは差し出された手とレンの顔を交互に見る。
レンがもう一度、手を取るよう促した。
恐る恐るその手を掴む。
レンはヒロナリの大きな身体を軽々と引き起こした。
立ち上がったヒロナリは、しばらく黙っていた。
「ただな」
今度は先ほどまでとは違う、少し低い声だった。
「今の俺には本部案件を止めることはできねえ。本部がお前らに手を出そうとすることもだ」
レンを見る。
「それだけは覚えておいてくれ」
レンは一瞬黙ったあと、不敵に笑った。
「ふっ、やれるものならやってみるがいい」
「………」
ソウシはその横顔を見た。
本部。
正体すら分からない。
居場所を把握され、命を脅されたばかりだ。
本来なら、怖くて仕方がないはずだった。
けれどレンがあまりにも当然のように言うものだから、不思議と今だけはその恐怖を忘れることができた。
「それで…ソウシ」
「え?」
名前を呼ばれ、ソウシはヒロナリを見る。
声が違った。
さっきまで自分を責め立てていた、威圧するような声ではない。
もっと昔。
捨てられていたノートを返したとき。
周りに誰もいないところで話しかけたとき。
あの頃の、少し照れくさそうに抑えた声。
「……お前はどうすんだよ」
「………」
ソウシはすぐには答えなかった。
ヒロナリのことを信用したわけではない。
今回のことだって、許せるわけがない。
知らなかったと言われても、何も確認せずに自分たちへ回したのは事実だ。
それでも。
ここで完全に離れてしまえば、【本部】が何をしようとしているのか分からなくなる。
何より、レンはまだ、この国で何が犯罪になるのかを全部判断できるわけではない。
こいつ一人をここへ通わせて、本当に大丈夫なのか。
「……ちょっと考えるよ」
ヒロナリは何も言わなかった。
レンも黙っている。
三人の間にあったものが、全部解決したわけではない。
むしろ何一つ、きれいには終わっていない。
それでも、少しだけ何かが変わった。
ソウシはそんな気がした。
そして。
「………」
ふと、事務所の入口を見る。
事務机。
応接テーブル。
ソファ。
鉄製キャビネット。
レンが積み上げた巨大なバリケードが、そこにそびえている。
ソウシは無言でそれを見つめた。
……それより、
ここどうやって出るの…




