正しいと思ったのなら
翌日。
レンとソウシは、西武池袋線の石神井公園駅へ降り立った。
なお、レンが今回も当然のように各駅停車へ乗ろうとしてソウシに止められたことは、もはや言うまでもない。
「少し早くついたな…」
ソウシがスマートフォンを見る。
時刻は十三時二十五分。
池袋人材サービスから指定された集合時刻までは、まだ三十分以上あった。
駅前を見回すと、ロータリーの端にモスバーガーが見える。
「あそこに入って待とうか」
レンも異論はないようで、二人は店へ向かった。
注文を済ませ、席についた直後だった。
ソウシのスマートフォンが振動した。
「………」
嫌な予感がして、恐る恐る画面を見る。
『着きましたか?』
ソウシはビクッと肩を揺らし、反射的に辺りを見回した。
向かいに座るレンが、不思議そうにその様子を見る。
「どうした」
「いや…今『着きましたか?』ってメッセージが」
レンも自分のスマートフォンを確認した。
「そうだな」
「おかしいって、まだ30分以上前だぞ」
ソウシはもう一度、店の外へ視線をやる。
誰かが見ているのか。
それとも。
「…もしかして、これ、位置情報でも取られてるんじゃないか?」
「……?」
レンは首を傾げた。
その顔を見て、ソウシも眉を寄せる。
「…知らなかったのか?」
「…え? どういう…」
「最初、それを入れた時に聞いた。俺が迷ったりしたときに場所がわかるようになっていると」
レンは飲み物を啜りながら、まるで何でもないことのように続けた。
「随分、在籍者を管理するのに高度な技術が使われていると感心したものだが」
「何!? じゃあ、今まで俺とお前が一緒にいることも筒抜けだったってこと?」
「そうなるな」
「………」
また、ヒロナリのでかい顔が頭に浮かんだ。
位置情報を見れば、自分とレンが頻繁に同じ場所にいることくらい簡単に分かる。
それを知ったうえで、今回わざわざ二人一組にしたのだとしたら。
レンと一緒なら、自分が断れないことまで見越していたのだとしたら。
「……もう怪しいしか出てこないよ…」
ソウシは額を押さえた。
二人が食事を済ませて店を出ると、またスマートフォンが振動した。
『今回は荷物の受け取りになります。まずはそちらへ向かって荷物を受け取ってください。引き渡し方法は追って指示します』
続いて住所が送られてくる。
『住所は練馬区石神井町………』
ソウシがリンクを開き、マップを表示した。
目的地は駅の反対側。徒歩で十五分ほどの距離だった。
「すぐ近くだな」
「…そうだな。会社名とかは見えないけど…」
画面には住宅地の地図が表示されているだけで、それらしい会社名はない。
嫌な予感は消えない。
むしろ、少しずつ濃くなっている。
それでもソウシは、心のどこかで期待していた。
今までレンがやってきたような、ただの荷運びかもしれない。
そうであってくれればいい。
◇
二人は駅から続く道を歩き始めた。
最初は商店やビル、マンションが並んでいた。
だが歩くにつれ、その景色は少しずつ変わっていく。
店舗が減り、建物が低くなり、道を歩く人の姿も少なくなった。
やがて、完全な住宅街へ入り込む。
「…こっちであってるのか?」
ソウシが不安そうに尋ねる。
レンは手にしたスマートフォンの画面を見せた。
「そのはずだ」
「こんなところに会社なんかあるのか…?」
目的地へ近づくほど、ソウシの歩みは重くなっていく。
その様子を、レンは少し後ろから見ていた。
脳裏に、昨夜の黒いアプリの指示が浮かぶ。
『今回は任務そのものではなく、もう一人が任務遂行するかどうかを付き添って見張ってもらいます』
「………」
何故、ソウシを見張らなければならないのか。
レンにはまだ分からなかった。
少なくとも、ソウシが面倒になったからと適当に任務を放棄するような人間ではない。
正しいと思ったことには迷いながらも向き合う人間だということは、これまでの短い付き合いでも分かっている。
ならば。
今回の任務には、何か危険があるのではないか。
それを監督し、何かあれば守るために自分がつけられたのではないか。
レンはそう解釈していた。
こちらを見ていることに気づいたソウシが振り返る。
「……何」
「……いや、何でもない」
レンはそれ以上言わなかった。
目的地まで、あと三百メートル。
ソウシの歩みがさらに遅くなった。
「ソウシ」
「…何」
二百メートル。
「何か気になることがあるのか」
「………いや」
百メートル。
ソウシは前を見たまま、しばらく黙っていた。
「………ある」
レンが隣を見る。
「なんか、嫌なんだよこの仕事」
「………」
「うまく言えないけど」
説明できない。
決定的な証拠があるわけでもない。
けれど、ずっと何かがおかしい。
レンは少し考えたあと、静かに答えた。
「……ならば、その感覚は覚えておけ」
「え?」
「危険に理由がつくのは、危険が現れてからということもある」
ソウシはレンを見る。
異世界の犯罪には詳しくない。
現代日本の仕組みにもまだ疎い。
けれど、危険そのものと何度も向き合ってきた人間の言葉だった。
あと五十メートル。
『目的地は右側です。おつかれさまでした』
スマートフォンの案内が終わる。
二人は足を止め、右を向いた。
「………」
そこにあったのは、会社でもなければ倉庫でもなかった。
ごく普通の一軒家だった。
庭には植木鉢が並んでいる。
洗濯物が干され、玄関脇には一台の自転車。
表札を見る。
指定された住所で間違いない。
どこにでもある生活の気配。
それが逆に、ソウシの心臓へ冷たい手を伸ばしてきた。
ブーッ、ブーッ。
ポケットの中でスマートフォンが震える。
画面には、また同じ言葉が表示されていた。
『着きましたか?』
◇
続けて、もう一通届く。
『その家のインターホンを押してください』
ソウシは画面を見つめた。
ここまで感じていた嫌な予感が、もう喉元までせり上がっている。
「…押すよ」
「ああ」
レンの返事を確認し、ソウシはインターホンへ指を伸ばした。
呼び出し音が鳴る。
しばらくして、家の中からバタバタと足音が聞こえた。
玄関のドアが開く。
そこに立っていたのは、白髪頭の老女だった。
腰が曲がり、右手にはガムテープで梱包された紙袋を抱えている。
老女の視線はしばらく宙を泳いでいたが、やがてソウシの顔で止まった。
「会社の方ですか!?」
「え…」
思いがけない言葉に、ソウシは詰まった。
横ではレンが、じっとこちらを見ている。
二人の視線が一瞬交わる。
「…いや、荷物を受け取りにきた者です」
それだけ答えた。
会社の者ではない。
だから、そう名乗ることはできなかった。
老女は浅く息をついた。
明らかに落ち着かない。
「息子が…息子と連絡がとれないんです…」
紙袋を抱く手が震えている。
「電話が繋がらないんです…」
「………」
「もしかして、責任を感じて何か変なことを考えているんじゃないかって…」
老女の手が伸び、ソウシの腕を弱々しく掴んだ。
細い指先が、細かく震えている。
「息子と連絡取っていただけませんか!? お願いします…」
「………」
ソウシは何も答えられなかった。
息子のことなど知らない。
会社のことも知らない。
自分はただ、荷物を受け取れと言われてここへ来ただけだ。
何を言えばいいのか分からない。
そのとき、それまで黙っていたレンが一歩前へ出た。
老女の脇に立ち、そっと背中へ手を添える。
「…失礼する」
レンの掌から、淡い緑色の光が滲んだ。
ソウシから辛うじて見える程度の、弱い光だった。
「……そう、深く息を吸って」
レンの声に導かれるように、老女がゆっくり息を吸う。
「……あら」
いつの間にか、震えが収まっていた。
浅かった呼吸も少しずつ落ち着いていく。
老女はようやくまともに話せるようになり、少しずつ事情を語り始めた。
「息子が、会社の取引先にお持ちするお金をなくしてしまったそうで…」
「………」
「もう終わりだって、会社をクビになって妻からも離婚されるって。それきり連絡が取れなくなってしまって…」
ソウシの眉が寄る。
「それから…会社の弁護士さんから電話があって…今日中に補填できればなんとか辞めさせられずに済むって…」
――ヤバい。
ソウシの頭の中で、散らばっていたものが一つずつ並び始めた。
連絡の取れない息子。
現金を失くしたという話。
突然現れた会社の弁護士。
今日中に金を用意しなければならないという焦らせ方。
そして、自分たち。
会社とは何の関係もないのに、三万円をもらってこの家へ荷物を受け取りに来た。
全部がつながった。
これは――。
「……この荷物は、受け取れません」
ソウシは老女が差し出しかけていた紙袋を押し戻した。
ずっしりと重い。
「……え?」
「いや、受け取っちゃダメなんです。俺が」
老女の顔に困惑が広がる。
「でも…今日中じゃないと息子が…!」
「その話、電話じゃなく息子さん本人としましたか?」
「電話に出てくれなくて…」
「今まで使ってた番号とか、古い番号とかないですか? 奥さんがいるなら、そっちから電話するように言ってもらうとか」
「会社の弁護士さんが…」
「その人も、ホントに弁護士さんかわからないですよ」
「なら、どうしたら…!」
「………」
その瞬間。
ソウシの頭に、またヒロナリのでかい顔が浮かんだ。
ここで警察と言ったら。
この仕事を回してきたのは池袋人材サービスだ。
ヒロナリが関わっている。
そこまで認めることになる気がした。
喉がひりつく。
怖い。
それでも。
「……警察に、相談してください」
声に出した。
老女が黙る。
「俺たちも、ここに来て荷物を受け取れって言われただけなんです…!」
そのとき、レンのスマートフォンが何度も振動しているのが聞こえた。
ブーッ、ブーッ。
レンは一度だけ画面を確認した。
何も言わず、そのままスマートフォンをポケットへしまう。
「もう知らない番号からの電話には出ないで。警察とご家族に相談して下さい…」
ソウシは力なく言った。
それ以上、ここにいることができなかった。
踵を返し、門のほうへ歩き出す。
レンも何も言わず、その後に続いた。
◇
ソウシとレンは、老女宅の門を閉めると並んで歩き出した。
レンは何も言わない。
ソウシのスマートフォンは、ずっと振動し続けている。
おそらくレンのものも同じなのだろう。
ブーッ、ブーッ。
鳴るたびに、胸の奥が冷たくなる。
位置情報を監視されていた。
ならば、盗聴されていてもおかしくない。
さっき老女へ話したことも。
警察へ行けと言ったことも。
全部聞かれているかもしれない。
歩きながら、ソウシは恐る恐るスマートフォンを取り出した。
「………」
通知の数を見て、すぐに画面を伏せた。
恐ろしい数だった。
今はまだ、その中身を見る勇気がなかった。
しばらく歩いたところで、ソウシは足を止めた。
レンを振り返る。
「……どうして、何も聞かないんだ?」
レンも立ち止まった。
少し間を置いてから答える。
「実は、俺には別の任務が来ていた」
そう話している間にも、スマートフォンは振動している。
「別の任務…?」
「貴殿が今回の任務をこなせるかを見ているように言われた」
「……!」
ソウシの表情が固まる。
「じゃあ、なおさら。どうして黙ってるんだよ」
レンはすぐには答えなかった。
「俺には、先程の話がわからなかった」
「………」
「あの女性の息子が金を必要としている。それを受け渡す任務である。何が問題なのかわからなかった」
ソウシはレンを見る。
確かに。
特殊詐欺などというものを知らなければ、そう見えてもおかしくない。
レンは続けた。
「だが、ソウシは違ったのだろう?」
「……そうだ」
ソウシは小さく息を吐いた。
「あれは、誰かが息子を演じて金を騙し取ろうとする詐欺の手口なんだ」
レンは静かに聞いていた。
「どうやら、俺にはまだまだこの国での勉強が必要なようだ」
そして、まっすぐソウシを見る。
「だから、ソウシ」
「………」
「貴殿が正しいと思ったのなら、俺はそれを全力で支持する」
「……!」
ソウシは目を見開いた。
自分が正しかったのか。
まだ完全な確信があるわけではない。
本当に詐欺なのか。
警察に相談しろと言ってよかったのか。
池袋人材サービスに逆らってしまってよかったのか。
そんな迷いが頭の中をぐるぐる回っていた。
その中でレンは、迷いなく自分の側に立った。
ブーッ、ブーッ。
レンのスマートフォンがまた震える。
今度はレンが画面を見る。
「ふん…内容が脅しめいてきたな」
「………え」
ソウシの背中を、冷たいものが走った。
急に脚から力が抜ける。
「っ…」
その場へへたり込みそうになったソウシの身体を、レンがすぐに支えた。
近くのガードレールへもたれさせる。
「心配する必要はない。俺がついている限り、貴殿に指一本触れさせることはしない」
レンの声は落ち着いていた。
その言葉に押されるように、ソウシも自分のスマートフォンを開く。
届いているメッセージを見る。
『戻れ』
『すぐ戻って荷物を受け取れ』
『飛んだからって逃げられると思うなよ』
『お前の居場所はわかってるんだからな』
『命が惜しかったら戻れ』
「………」
顔から血の気が引いていく。
冗談には見えなかった。
位置情報を取られていることを知った今では、『居場所はわかっている』という言葉にも現実味がある。
レンはソウシの顔を見ると、そっとスマートフォンを取り上げた。
「見なくていい」
「………」
「実力行使となれば負けはしない」
それは強がりでも何でもなかった。
レンにとっては、ただの事実だった。
もし相手が力ずくで来るなら。
その領域なら、自分がいる。
「いや…」
ソウシが小さく言った。
ガードレールから身体を起こす。
脚はまだ少し震えていた。
怖い。
逃げたい。
何も見なかったことにして、全部レンに任せてしまいたい気持ちだってある。
けれど。
ソウシはゆっくりと立ち上がった。
「俺ももう逃げないよ」
レンは何も言わず、ソウシを見る。
ソウシは一度だけ息を吸った。
「行こう…一緒に、来てくれるんだよな」
強がって一人で行くとは言わなかった。
怖いからこそ、助けを求めた。
レンは静かにうなずく。
二人は再び歩き出した。
逃げるためではない。
自分たちの意思で、池袋人材サービスへ戻るために。




