六畳一間のSランク冒険者
共同生活を始めると決めてから、数日が経った。
最初にソウシが気にしたのは、大家への挨拶だった。
大家はアパートの一階を住居にして暮らしている。ソウシにはいつもムスッとした顔をしているように見え、以前から少し苦手な存在だった。毎月家賃を納めに行くだけでも、必要以上に気を揉んでしまう。
そんな相手に、突然成人男性を一人泊めたいと言わなければならない。
レンを連れて大家の部屋の前へ立ったとき、ソウシの心臓は妙に高鳴っていた。
呼び鈴を押す。
「はい」
しばらくして、大家が顔を出した。
「すみません、201の秋山です。親戚がちょっとこっちに来てて、しばらく泊めてもいいでしょうか…?」
「親戚…?」
大家の視線が、ソウシの隣へ移る。
レンが礼儀正しく頭を下げた。
「レンと申します」
そして顔を上げる。
「………あらぁ〜〜〜」
大家の目が、みるみる輝いた。
ソウシはその変化を見逃さなかった。
それからというもの、大家はことあるごとにレンを呼び止めるようになった。
田舎から送られてきたという野菜。
果物。
時にはお菓子まで。
何かしら手に持たせてくれる。
「随分と親切なご婦人だな」
「…俺は野菜なんてもらったことないけどね」
ソウシがぼそりと言っても、レンは不思議そうに首を傾げるだけだった。
本人は、自分とソウシで大家の態度が違うことにまったく気づいていない。
◇
実際にレンと暮らしてみると、助かることは多かった。
まず、目当てにしていた清浄魔法。
初めて自分にもかけてもらったとき、ソウシは思っていた以上の効果に驚いた。
風呂に入ったわけでもないのに、身体はさっぱりしている。着ている衣服や下着まで清潔になり、範囲を広げれば壁や天井、畳、ハンガーに掛けてある衣類までまとめて綺麗にできた。
何より大きいのは、銭湯代とコインランドリー代が浮くことだった。
金だけではない。
銭湯へ行き、洗濯物を持ってコインランドリーへ行き、終わるまで待つ。その時間まで丸ごと節約できる。
清浄魔法を使う生活が続くにつれ、以前はどことなく煤けて見えた六畳一間の部屋そのものまで、少しずつ綺麗になっていった。
レンの世界では、冒険者に限らず、その辺の村娘でも清浄魔法や火起こしの魔法くらいは使えるらしい。
だから、ソウシが毎回ありがたがるのが不思議でならないようだった。
「あの迷宮を作り、迷わず乗りこなせる技術がありながら、生活魔法も無いとは、なんとも不思議な世界だな」
「こっちからすると魔法で洗濯できる世界のほうが不思議なんだけど…」
どうやら文明の発達というものは、世界によって随分違う方向へ進むらしい。
レンは料理も上手かった。
ソウシの部屋にある調理器具は決して充実していない。調味料だって最低限しかない。
それでもレンは安い食材を使い、手早くそれなり以上の料理を作ってしまう。
「…なんでこんなに料理うまいの?」
「当たり前だ。食べないと旅を続けることも出来ないからな」
レンは鍋を見ながら、さも当然のことのように答えた。
「しかも、ここでは毎日新鮮な材料が手に入る。焼くだけ煮るだけでも充分に美味くなる」
「なんか最近、ちゃんと食べてる気がする…」
ソウシは自分でもそう思った。
少し前までは、朝食が食パンと牛乳だけの日も珍しくなかった。
だが今は、レンが作ったものを二人で食べることが増えた。
長く冒険者として旅をしてきたレンにとって、料理は特別な才能ではないらしい。旅を続け、生きていくために自然と身についた生活能力の一つにすぎない。
結果として、共同生活を始める前よりソウシの食生活は明らかに改善していた。
一つだけ、ソウシがずっと気にしていることがあった。
レンはあれからも、毎日のように池袋人材サービスへ呼び出されていた。
何の仕事をしているのか聞いても、
『任務の内容について漏らす訳にはいかない』
と、相変わらず詳しくは話そうとしない。
それでも、何気ない会話の中から少しずつ分かってきたことはある。
仕事はやはり荷運びが多いらしい。
誰かより先に指定された場所へ行って荷物を受け取ることもあれば、実際にどこかの会社らしいところへ届けることもあるという。
今のところ、問題らしい問題は起きていない。
報酬もきちんと支払われている。
だからレンにとっては、池袋人材サービスを疑う理由がますます少なくなっているのかもしれない。
それでも。
「……本当に、違法なものじゃなきゃいいけど…」
ソウシの不安だけは、どうしても消えなかった。
◇
「ソウシ」
声をかけられ、ソウシははっとした。
また考え込んでいたらしい。
夜更けの六畳一間。
ソウシは机に参考書とノートを広げ、横ではあーにゃんの配信を流していた。
その近くで、レンも紙へ向かっている。
名前と住所くらいは自分で書けるようになりたい。
そうレン本人が申し出たことから、ソウシがこの世界の文字を教えるようになっていた。
レンが練習していた紙を差し出す。
そこには、自分の名前と、今暮らしているアパートの住所が書かれていた。
「東京都豊島区東池袋…うん、ここまではいいんだけど、数字が反転しちゃってるんだよ」
ソウシは間違っている箇所へ丸をつけた。
「そうか…同じように見えるが」
「だめなんだよ、これだと」
レンが難しい顔で紙を見る。
「名前はだいぶ上手くなったじゃん」
「そこはいいんだが、やはり住所がな…」
数日前まで、この世界で住所すら持っていなかった男だった。
今も法的に何かを得たわけではない。
それでもレンは、不格好な文字で自分の名前を書き、自分が今帰る場所を紙の上へ記そうとしている。
少しずつ。
本当に少しずつだが、この世界でできることを増やしている。
その時だった。
ブーッ、ブーッ。
振動音が聞こえた。
ソウシはスマートフォンへ手を伸ばす。
画面を見た瞬間、表情が止まった。
黒いアイコン。
そこに通知マークが光っている。
「………」
嫌な感じがした。
ふと後ろを振り返る。
レンもまた、同じようにスマートフォンを手にしていた。
二人の視線が交差する。
それぞれの画面には、同じ黒いアイコンが光っていた。
ようやく形になり始めた平穏な日常。
そのすぐそばまで、闇はしのび寄っていた。
◇
レンとソウシのスマートフォンが、ほぼ同時に鳴った。
例の黒いアイコンに通知マークがついている。
ソウシはしばらく画面を見つめていたが、やがて意を決してアプリを開いた。
『明日、ある場所で荷物を受け取って、近くにいる担当者に渡してもらう案件があります』
『単価は三万、担当者から即金で渡されます』
『仕事は二人一組で行ってもらいます』
『14時に西武池袋線の石神井公園駅へ行ってください。着いたらまた指示します』
「………二人一組?」
ソウシは眉を寄せた。
そして、すぐ隣にいるレンを見る。
「14時に石神井公園駅って…そっちもそう?」
レンは一瞬黙った。
それから、一つ息をつく。
「………ああ…」
「それに三万って…」
ソウシはもう一度画面を見る。
「高額なのか?」
「荷物受け取って近くにいる人に渡すだけで三万って…絶対におかしい」
「以前の任務も二万だったが」
「だから、それがそもそも普通じゃないんだよ」
ソウシの声には、はっきりと警戒が滲んでいた。
これまで以上の高額報酬。
そのくせ、仕事内容はほとんど知らされていない。
荷物を受け取る。
近くにいる担当者へ渡す。
それだけで三万円。
どう考えても割に合わなさすぎる。
「俺は受けないよ」
「行かないのか?」
「行かないよ、もう俺あそこから仕事受けるつもりなかったし」
ソウシはきっぱりと言った。
レンを心配しているからといって、自分まで池袋人材サービスの仕事を続けるつもりはない。
そう決めていた。
その直後。
ブーッ、とソウシのスマートフォンが鳴った。
「…まただ」
新しいメッセージを開く。
『もう一人、レンさんはもう参加してもらう予定です』
「………」
ソウシはゆっくりと顔を上げた。
「お前…行くの?」
レンは迷わなかった。
「行く」
「………」
ソウシは深く息を吐いた。
やっぱり。
嫌な予感しかしない。
今までの仕事とは違う。
これまでレンが受けていたのは、少なくとも本人から聞く限りではただの荷運びだった。
けれど今回は、なぜか自分まで呼ばれている。
しかも二人一組。
三万円。
仕事内容は曖昧。
もしレンが一人で行って、知らないうちに犯罪に関わることになったら。
レンにはこの国の法律も、犯罪の手口もまだ十分には分からない。
そう考えると、放っておくことなどできなかった。
「……わかったよ、俺も行くよ」
「無理に付き合う必要はないぞ」
「お前一人で行かせるほうが怖いんだよ…」
ソウシの脳裏に、ヒロナリのでかい顔が浮かんだ。
――……何故、レンと二人で?
偶然なのか。
いや。
もしかして。
レンと一緒だと言えば、自分が断れなくなることまで分かったうえで――。
「………」
その一方で、レンは自分のスマートフォンを見つめていた。
そこには、ソウシの画面にはない文章が表示されている。
『今回は任務そのものではなく、もう一人が任務遂行するかどうかを付き添って見張ってもらいます』
『担当から常時指示が飛びますので、従ってください』
『この指示は、もう一人には伝えないようにしてください』
レンの眉がわずかに寄った。
見張る。
ソウシが任務を遂行するかどうかを。
「そっち、なんて来てんの?」
突然聞かれ、レンは顔を上げた。
少し間を置く。
「……集合場所も、時間も同じだ」
嘘はついていない。
集合場所も時間も同じ。
それ以上のことについては、話さないよう命じられている。
これまでと同じだ。
任務で秘匿するよう言われたことを、他者へ漏らしてはならない。
相手がソウシであっても。
「でも、途中で様子がおかしかったらすぐやめるからな」
「ああ」
「お前もだぞ?」
「…承知した」
ソウシは念を押すようにレンを見た。
レンもそれに応じた。
二人の間で、改めて約束が交わされる。
犯罪には手を出さない。
何かおかしいと思ったら、途中でもやめる。
それは共同生活を始めたときから変わらないはずだった。
だが。
レンのスマートフォンには、もう一つの命令が残されている。
『付き添って見張ってもらいます』
その文字だけが、レンの胸の中に黒く残っていた。




